2018.11 隙間読書 「皆川博子の辺境薔薇館」

河出書房新社

皆川博子完全読本の帯コピーにふさわしい本。頁をめくるたびに読みたい本、心に残る言葉、そしてそれぞれの皆川博子愛に出会う。


短編「風」「砂嵐」「お七」「廃兵院の青い薔薇」「ひき潮」「美しき五月に」「水引草」を読み、家にあった文学全集に読むふける姿とそんな本好きの乙女の心に影を深くおとした戦争をしみじみ思う。


石井千湖氏によるロングインタビュー「皆川博子をつくったもの」

読書以外に耽溺していることはありますか?という問いにきっぱり一言「ありません」という答えがいいなあ。

「敗戦で世間の倫理道徳観が百八十度転換したことは、私にとって大きかった」との答えも心に残る。


皆川博子随筆「時代の歌」「楽屋の鏡」「無人島へ持っていく本『江戸語辞典』」「絵と私」「暗号の旅」「酩酊船」「幻想作家についての覚え書き」

無人島へ持って行きたい本として三好一光という人が、戯作、歌舞伎台本、川柳などから江戸俗語一万語を選んで五十音順に並べたという「江戸語事典」をあげているが、私も欲しい。そんな本をもって無人島へ行けたら素敵だと思うことしきり。


様々な分野で活躍されている39人が語る皆川氏の魅力。

新保氏が語る皆川博子の逸話は、泡坂妻夫の「11枚のトランプ」を買って家で読むのが待ちきれず、飛び込んだ喫茶店で、ページごとに切り開かないといけないフランス装のページをティースプーンで切り開いて読んだというもの。

東雅夫氏が語る思い出は、幻想文学編集室に皆川博子から送られてきた書籍に米倉斉加年デザインの便箋に淡いモーブのインクで書いた手紙が添えられていたというもの。

ティースプーンで本の頁を切り開く姿も、モーブのインクで手紙を記す姿も、同じ皆川博子なのだなあと興味深く読む。


東雅夫氏による「皆川博子を読み解くキーワード20」

20のキーワードにわけての東氏の解説に、こんな作品もあるのか、こんな読み方もできるのかと参考になる。とくに興味深いのが「詩歌」の項目。ここで紹介されている「蝶」「聖女の島」「ゆめこ縮緬」を読んでみたい。

それから「人形」のキーワードも気になる。「春指人形」「吉様いのち」「顔師・連太郎と五つの謎」「朱模様」「そこは、わたしの人形の」も読んでみたい。


最後に掲載されている日下三蔵氏の皆川博子作品リストは、タイトル・ジャンル / 短編連作集の収録作 / 発行年月日 / 出版社 / シリーズ・叢書名 / 判型 / カバー・帯の有無 / 解説者 / 注記 まで網羅している大変有難い労作である。このリストや様々な方のご意見を参考に皆川作品を読んでいたきたい。

2018/11/11読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第446回

「強い風が吹いてきたわ」ロザムンドがふと言った。「むこうの木を見て。ずっとむこうの木よ。雲も飛んでいくように流れている」

「何を考えているのか察しがつくけど」マリーは言った。「愚かな馬鹿者にはならないでほしいの。女作家に耳をかたむけてはだめよ。王の道を進んでいきなさい。絶対的真理をもとめて。そう、絶対的真理をもとめるのよ。たしかに私の愛するマイケルはしょっちゅうだらしない。アーサー・イングルウッドもさらにひどいし、だらしないでしょうよ。それにしても、あの木も、雲も何のためにあるのかしら?ねえ、ばかなお転婆娘さん」

「雲も、木もみんな揺れているわ」ロザムンドは言った。「嵐が来るわよ。でも嵐のせいで、どいうわけか、わくわくしてしまう。マイケルも嵐のようなものね。彼のせいで怖くなるんだけど、幸せも感じるのよ」

“There is a gale getting up,” said Rosamund suddenly. “Look at those trees over there, a long way off, and the clouds going quicker.”

“I know what you’re thinking about,” said Mary; “and don’t you be silly fools. Don’t you listen to the lady novelists. You go down the king’s highway; for God’s truth, it is God’s. Yes, my dear Michael will often be extremely untidy. Arthur Inglewood will be worse—he’ll be untidy. But what else are all the trees and clouds for, you silly kittens?”

“The clouds and trees are all waving about,” said Rosamund. “There is a storm coming, and it makes me feel quite excited, somehow. Michael is really rather like a storm: he frightens me and makes me happy.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第445回

「だけど、もし男のひとたちがそうしたものを欲しがれば」とダイアナは言いかけた。

「あら、男のひとたちについて話したところで何になるのかしら?」メアリーはいらいらとして叫んだ。「そんなことをするくらいなら、女性の小説家か、なにか怖ろしいものになったほうがましだわ。男のひとたちなんていないの。そんなものを欲しがる人たちなんていないのよ。ただひとりの男がいるだけなの。その男が誰であれ、変わっていることにちがいないわ」

「そういうことなら、為す術はないわね」ダイアナは声をひそめて言った。

「あら、そうかしら」メアリーは軽く受け流した。「二つだけ、みんなにあてはまることがあるの。妙なときに、私たちの世話をやいてくれるのだけど、自分たちの世話はやかないのよ」

“But if men want things like that,” began Diana.

“Oh, what’s the good of talking about men?” cried Mary impatiently; “why, one might as well be a lady novelist or some horrid thing. There aren’t any men. There are no such people. There’s a man; and whoever he is he’s quite different.”

“So there is no safety,” said Diana in a low voice.

“Oh, I don’t know,” answered Mary, lightly enough; “there’s only two things generally true of them. At certain curious times they’re just fit to take care of us, and they’re never fit to take care of themselves.”

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2018.11 隙間読書 シャミッソー「影をなくした男」池内紀訳

この本は、幼い頃、今は亡き父に買ってもらった思い出のある本。子供向けにリライトしたもので、世界少年少女名作文学全集のなかの一冊だったように思う。幼心にも、影をくるくる巻き取る場面や影と再会する場面が面白く、記憶の底に残っていた。

今回、東雅夫氏の文豪ノ怪談精読講座で北原白秋「影」の関連で紹介されて何十年ぶりに読む。

東氏の北原白秋「影」の註によれば、白秋が「影」を執筆した当時、シャミッソーはまだ訳されていなかった。でもドイツ文学に傾倒していた友人の太田正雄(木下杢太郎)を介して、白秋が内容を知っていた可能性があるらしい。

さらに東氏は、太田が白秋たちと共に著した「五足の靴」のキイ・コンセプトである「旅する靴」は、シャミッソー「影をなくした男」の「一歩あるけば七里を行くという魔法の靴」に通じるものがるという指摘を興味深く読む。

池内氏の翻訳で読んでみて、改めて「影をなくした男」は、そういう話だったのかあと長い年月を経て納得する。同時に池内氏の訳文がシャミッソーの不思議な世界を自然に再現していることに驚く。あとがきで池内氏が記されている今までの「影をなくした男」を訳された翻訳者たちの思い出、それぞれの翻訳のすばらしさをしるした文も興味深い。

岩波文庫版で読んだが、本の中に多数はさまれたエミール・プレートリウスの挿絵も楽しく、「影をなくした男」の内容も楽しく童心にかえって読んだ。

「なぜ影をなくして、これほどいたたまれない思いをしたのか?」という疑問もあったが、池内氏の解説にシャミッソーが生きた時代は影絵が大流行した影の時代という解説に納得する。シャミッソーもフランス革命でフランスからドイツへと逃れた貴族の子供であり、ドイツで暮らしてはフランスへ戻り…と根無し草のような生活だったらしい。

シャミッソーが最初考えたのはパロディであり、冒険譚だったかもしれないが、池内氏の言葉によれば「なにげなく書きだしたたわいのない物語が、いつしか作者をこえて当人が思ってもみなかった方向に成長していった」らしい。それだけの魅力をもつ影の力を感じつつ頁を閉じる。

2018.11.10読了

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2018.11 隙間読書 東雅夫「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション『影』」

梶井基次郎「Kの昇天」

Kの死が溺死だったのか、それとも過失だったのかと思い悩んで手紙を送ってきた相手に、Kと海辺で知り合って一ヶ月ほどの「わたし」がKとの出会いについて記した…という設定。

手紙を書いてきた「あなた」とは女性なのだろうか? Kと「わたし」の海での位置関係は? という具体的なことは記されず……そのせいで影の魅力、月の魅力を強く感じるような気がする。

影をじーっと見凝めておると、そのなかにだんだん生物の相があらわれて来る。ほかでもない自分自身の姿なのだが。

K君が昇天していく場面は、なんど繰り返し読んでも飽きない美しさがある。

そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。

最後に東氏の註をまとめ読みしていると、柳田民俗学に影響をあたえたハイネ「精霊物語」「流刑の神々」、富ノ澤鱗太郎「セレナアド」、ラフォルグ「聖母なるピエロのまねび」、澁澤龍彦「幻妖」と読んでみたい本を続々と発見……うれしいような、幸せな満足感にひたる。

2018/11/6



岡本綺堂「影を踏まれた女」

冒頭の秋の描写も、おせきという娘の描写も美しいだけに、だんだん「おせき」が影をふまれて心が不安定になっていく様子が不気味である。


冒頭は子供達の遊びの様子を無邪気に語りながら、秋の月の描写がもしい。

秋の月があざやかに冴え渡って、地に敷く夜露が白く光っている宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄を歌いはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。


子供たちに影を踏まれた「おせき」の心が崩れていく様子を語る言葉も興味深い。

幾つかの小さい黒い影が自分の胸や腹の上に踊っている夢をみた。


「おせき」の影も、最初は要次郎と仲むつまじく描かれているだけに、後の彼女の影の急変が余計に印象に残る。

昔から男女の影は憎いものに数えられているが、要次郎とおせきはその憎い影法師を土の上に落としながら、擦寄るように並んで歩いていた。

2018.11.07読了



柳田國男「影」

東氏の註には、私の知らない柳田の側面が記されていて興味深い。

柳田がハイネを愛読し、その影響が顕著な恋愛詩を書いているとは!

柳田の恋愛詩の対象には、実在の人物がいるとは!

しかも其の女性が十八歳の若さで亡くなっているとは!

其の女性の死後、柳田が恋愛詩の筆を折っているとは!

柳田の意外な顔に驚きの連続であった。

「影」は典雅な語調にも魅力がるし、野に嘆きにきた人の影がそこにとどまり、その影が実体である人間よりもはるかに長く生きる…という影の勝利という発想にも魅力があるように思う。

斯して影なる二人は、手をとりかはして、名もなき小野を都とも思ひつ重ねつゝ、夕暮毎に其恋を楽むことも、早幾十年かになりぬ。今より後の千年も、亦かくして過るならむ。

唯憫むべきは此影の主なり、彼等は終にうち解くる日もなくて、各其嘆を嘆きつゝ、共に苔の下に入りき、其墓所さへもたち隔りつゝ。

2018.11.08読



水野葉舟「跫音」

森のなかに住む「わたし」は毎晩、毎晩、忍び寄ってくる足音をきく。ある晩、「わたし」も足音の主がこう歩いているのだろうと真似をして歩き、自分の部屋に近づいて覗き込むと其処には…という話。

山桜、ひめしゃら…幹がきれいな木が好きな私としては、なぜ葉舟が木の幹の描写をしているのかが気になった。

(略)森の大木の幹が、何とも云えぬ古びた色をしてその皺までが見える。

さらに友人の妹も「幹子」さんではないか?舞台になっているのが、森の中だからだろうが、それにしても幹にこだわっているなあ、なぜなのだろうか?

短い作品ながら東氏の註をまとめ読みしていると、気になる本ばかり。ラング「夢と幽霊の書」、横山茂雄「遠野物語とその周辺」、東雅夫「遠野物語と怪談の時代」、葉舟「心の響 列伝体代表的新体詩集」、葉舟の怪奇幻想小品も読んでみたい。

2018.11.09



泉鏡花「星あかり」

墓原、卵塔場…墓地をあらわす日本語もいろいろあるものと思いながら読んでいくうちに、だんだん自分が墓地を歩いているような気持ちになる。この迫るような墓地描写は、墓散策を愛した鏡花の実体験に由来するものではないだろうか?

冷たい石塔に手を載せたり、湿臭い塔婆を摑んだり、花筒の腐水に星の映るのを覗いたり、漫歩(そぞろあるき)をして居たが

東氏の註にも「十八世紀ロマン派の墓畔詩人さながら、鏡花も仄暗い墓地のたたずまいを愛してやまなかった」とある。


以下の文は長いけれど、これで一つの文。鏡花らしい心地よい長文のリズム。最初は「自分」の様子について形容する言葉がつづき、それから自分の思いを「~してはならぬ」の繰り返しで強く語った次にくるのは「まあ」で始まる驚き。そこで待つのは屋根や挽臼が睨めつける不思議な世界。その不思議な世界に驚く「自分」の心をまた形容詞の連続で語る。ひとつの文でこれだけの心の動きを表現する鏡花はすごいと吐息。

何か、自分は世の中の一切(すべて)のものに、現在(いま)、恁(か)く、悄然(しょんぼり)、夜露で重ッ苦しい、白地の浴衣の、しおれた、細い姿で、首(こうべ)を垂れて、唯一人、由比ガ浜へ通ずる砂道を辿ることを、見られてはならぬ、知られてはならぬ、気取られてはならぬというような思(おもい)であるのに、まあ! 廂(ひさし)も、屋根も、居酒屋の軒にかかった杉の葉も、百姓屋の土間に据えてある粉挽臼(こなひきうす)も、皆目を以て(もっ)て、じろじろ睨(ね)めつけるようで、身の置処ないまでに、右から、左から、路をせばめられて、しめつけられて、小さく、堅くなって、おどどして、その癖、駆け出そうとする勇気はなく、凡そ人間の歩行に、ありッたけの遅さで、汗になりながら、人家のある処をすり抜けて、ようよう石地蔵の立つ処。

2018.11.09読了



北原白秋「秋」

谷中天王寺前に住む「僕」が目にした影のない男。その話だけでも怖いが、さらに「僕」の家でかつて書生をしていた青年が影のない男の家をのぞくと…という展開も怖い。

だが何よりも、今とはまるで違う谷中界隈の描写に心をうばわれる。谷中墓地から抜けた「僕」が目にするのは……

下は根岸から三の輪、三河島、浅草、向島、千住、田端へかけて、まるでイルミネーションの海だね。

そして東氏の註も谷中界隈の歴史について地名ごとに詳しく記しているので、谷中の歴史散歩をしているようで楽しい。御殿坂の下の乞食坂、道灌山の高台にあったガス・上下水道・電話完備の渡辺町のことも、渡辺町が金融恐慌を機に渡辺家から離れたことも初めて知ることばかりで楽しかった。

2018.11.9読了



山川方夫「お守り」

団地で起きた現代のドッペルゲンガー。大勢の人々が同じ規格の家に暮らし、おそらくその生活リズムも同じ……という不気味さ、不安さ。さらにその不安さから身を守ろうと、双方のドッペルゲンガーが同じお守りを身につけるという切なさ。

この作品が書かれた1960年は、全国あちらこちらで同じ規格の公団団地が建設された時期。まだ新しい公団住宅に住む人々を眺めながら山川が感じた不安に思わず息苦しくなる作品である。

2018.11.09読了

渡辺温「影 Ein Marchen」

註によれば、谷崎潤一郎と小山内薫が選者となって実施したプラトン社の映画筋書懸賞募集で一位になった作品とのこと。

予想外の展開が続く筋も面白く、視覚に残る文も心地よい。

画室のそとでは、この時、一人の肥った巡査が入口の扉を激しく叩いていた。

夜明けの光が次第に白く、丘にひき懸かった深い霧の中へ流れていた。

多くを語らずして雄弁に語る、この余韻の残る最後の文を読むと、二十七年という渡辺温の短い生涯を惜しまずにはいられない。

2018.11.09読了



稲垣足穂「お化けに近づく人」

27歳の若さで亡くなった詩人、沙良峰夫の思い出を正直に散りばめた作品。今まで知らなかった詩人「沙良峰夫」の会話が聞こえてきそうな気がする。

たといかれが何かまじめな勉強をしている時間について云ってみても、どうやらそれは、「近代文学の困った数ページをひとり踊りしたにすぎない。初めからこんどのことが判っていたなら、そのきゅうくつなシャツを脱がせてやりたかった。

あくまでも親しくしていた仲間として率直に、でも愛情をこめて沙良峰夫を語っている。

なぜなら、全く不意にかれを訪れたのは、このたびの無理な出京を追うてきた北方の使者ではありません。それは、かれが日頃から霧の深い夜に場末の酒場かどこかで逢うことを願っていた男、こうもりみたいな羽根のある人物に他ならなかったからです。しかもかれと議論するのではなく、かれを迎えにきたのであったところのその人物は、彼を引き立てて、ネオンサインを映した街の石だたみの隙間からもろともに降りて行ったのでした。

友の死をかくも美しく、万感の思いをこめて語る言葉が他にあるだろうか。こんなふうに語られる沙良峰夫の作品を読んでみたい。

2018.11.09読了



城昌幸「影の路」

銀座通りが煉瓦路だった時代。「私」は裏通りの互いに二階から行きかうことができるくらいに隣り合った家に住んでいた。子供時代、隣の二階で知り合った物寂しい女に可愛がってもらった。月日は流れ、結婚した妻はその女によく似ていた。妻が亡くなってから親しくなった女も二階の女に似ていた…。

隣の家に出入りできる様子も楽しく、どの女も二階にいた女と似ているという不思議さも楽しい。ただ、最後の一文だけが後味が悪いもののように思える。この後味の悪さが魅力なのだろうか?

2018.11.09読了



澁澤龍彦「鏡と影について」

まずは仙人「朱橘」のエピソードをしるした物語で始まる。

一瞬にして飛び去る鳥さえ、その影を水面にちらりと落とさずには、この池の上を渡ってゆくことはそもそもできないのである。しかるに、青衣の裾をひるがえして水の上を走りまわる小さな童子の影だけが、そこにはまるで映らない。この童子には影がないのである。

この童子が「朱橘」の分身なのだが、影のある鳥との対比のせいだろうか? 童子のこの世のものではない感が強く感じられる箇所である。

後半「朱橘」がなぜ分身の術を取得したのか…という箇所は、東氏の註によれば二十世紀イタリアの作家パピーニの短篇小説「泉水のなかの二つの顔」を本歌取りしてなったものだそう。

かつて朱橘がよく覗き込んだ井戸には、影だけが残されたまま、朱橘は帰国する。五年後朱橘が国から井戸に戻ると、影は再会を喜ぶ。最初は懐かしく思った朱橘も、五年前の自分が鼻につきだし、ついには井戸に突き落とし殺してしまう。

わたしがいまも心楽しく生きているのは、このようにしてわたし自身の古い過去と絶縁したためにほかならぬ。

後半になって、仙人の物語から現代にも通じる心の葛藤へと鮮やかに転じているのにまず驚いた。ところどころにあらわれる仙人らしい惚けたユーモアにあふれた口調も心に残る作品。

2018.11.10読了



只野真葛「影の病」

影の病なるものが、昔から日本にあるとは…。最後のこの作品が、シンプルなせいか、東氏の訳のせいか、一番こわく感じた。

2018.11.10読了

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2018.11 隙間読書 泡坂妻夫 「夜光亭の一夜 宝引の辰捕者帳ミステリ傑作選」

江戸の市井の人々の暮らしを感じつつ楽しく読んだ。江戸時代の風俗がわからないと思いもよらないトリックばかり。お雛さまを転がしてメッセージをつたえる「雛の宵宮」の他愛のなさが気に入った。

「鬼女の鱗」

思い描けないものながら華やかな刺青の紋様を語る描写にも、いきなり籠でどこと分からないお武家に刺青師が連れていかれる展開にも、木の葉を隠すなら…的な発想も面白く読む。


「辰巳菩薩」

吉原の花魁の世界、辰巳芸者の世界が見えるように書かれていて面白い。ただ、この心理合戦はいまだにストンと納得できないものがある。


「江戸桜小紋」

「江戸桜小紋」「咲かずの桜」と名前もよし。ただ、そういう理由でそういうことをするのかという驚きはあれど、納得できる気はあまりしない。


「自来也小町」

そのような書の書き方があったとは…。


「雪の大菊」

両替商人の娘と足袋職人のかなわぬ恋。娘が嫁ぐ予定の米問屋、雪の夜に打ち上げられた花火の謎と江戸の暮らしを楽しむ。


「夜光亭の一夜」

夜光亭浮城というオランダ人医師と丸山の遊女のあいだに産まれた手妻師をめぐる席亭の風景を楽しく読む。


「雛の宵宮」

大和屋に飾られた雛人形がいく組か、毎夜、畳の上に転がされてる。雛人形のメッセージとは? 面白く読んだが、江戸時代の主従関係は理解を超えている。


「墓磨きの怪」

夜中にまとめて何者かが墓をまとめて磨いていく。その目的は…想像もつかなかった。


「天狗飛び」

建具職人の一家と宝引の辰一家が大山参りに出かけるが道中続く不幸。その真相は…このこだわりも理解できなかったが、大山参りの様子などが面白かった。


「にっころ河岸」

酔っぱらった畳職人がのぞきこんだ家には、膝に自分の首をおいた女がいた…。語り手が少年時代の森の中で体験した不思議な出来事やら怪奇テイストのある作品、。


「雪見船」

講釈師「伯馬」が高座で急にしゃべれなくなった理由とは? 当時の席亭の様子興味深く読んだ。


「熊谷の馬」

朝契さんはなぜそんな博打打ちが集まるような寺の再建をしようと思ったのだろうか…というあたりが曖昧かな。


「消えた百両」

商家におしいる賊を捕らえた後に待ち受ける災難…と二重にも楽しめた思いがする。

2018.11.06読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第444回

「愚かしいですって?」メアリーは威勢よく叫んだ。「たしかに私の日曜日の帽子なら、そうね。あれなら愚かしいと思うわ。でも、ほかに何を期待しているの? 彼はほんとうにいい人よ。蛇か何かのような騒ぎだったのかもしれないわ」

「蛇ってどういうこと?」ロザムンドは訊ね、かすかに当惑しながらも関心をみせた。

「ハリーおじさんは蛇を数匹飼っていたことがあって、蛇に好かれていると言っていたわ」メアリーは単純明快に答えた。「おばさんは、おじが蛇をポケットにいれることまでは認めたけど、寝室にもちこむのは許さなかったの」

「それなら、あなたー」ダイアナは言いかけると、眉を少しひそめた。

「ええ、おばさんがふるまったようにするわ」メアリーは言った。「子供たちから二週間以上も二人そろって離れることでもないかぎり、私はルールにしたがって行動するの。つまりね、彼が『人でなし』(マンアライヴ)と呼びかけてくるの。マンアライヴと一語で書かないとだめよ。そうしないと彼が狼狽するから」

“Silly?” cried Mary with great heartiness. “Oh, my Sunday hat!
I should think it was silly! But what do you expect?
He really is a good man, and it might have been snakes or something.”

“Snakes?” inquired Rosamund, with a slightly puzzled interest.

“Uncle Harry kept snakes, and said they loved him,” replied Mary with perfect simplicity. “Auntie let him have them in his pockets, but not in the bedroom.”

“And you—” began Diana, knitting her dark brows a little.

“Oh, I do as auntie did,” said Mary; “as long as we’re not away from the children more than a fortnight together I play the game. He calls me `Manalive;’ and you must write it all one word, or he’s quite flustered.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第443回

ついに彼女たちが口をひらいたときに、長いあいだ沈黙にとざされていた会話がふたたび開始されたことは明らかだった。

「でも、どこにご主人はあなたを連れて行くつもりなのかしら?」ダイアナはしっかりとした声で訊いた。

「おばさんのところへ」メアリーは言った。「と言うのは冗談にすぎないわ。おばさんがいるのはたしかよ。道のむこうの下宿屋から追い出されることになったとき、おばのところに子供達をおいてきたの。こうした息抜きはせいぜい一週間しかとらないけど、ときどき二人して二週間も息抜きすることもあるわ」

「おばさんはずいぶんと嫌がっているのよね?」ロザムンドは何食わぬ顔で訊いた。「おばさんときたら、ほんとうに心がせまいのだから。それから何て言えばいいのかしら?そう、ゴリアテって言えばわかってもらえるかしら。でも、そう考えようとする心のせまいおば達ならたくさん見かけてきたわ、愚かしく見えるけど」

When they spoke at last it was evident that a conversation long fallen silent was being revived.

“But where is your husband taking you?” asked Diana in her practical voice.

“To an aunt,” said Mary; “that’s just the joke. There really is an aunt, and we left the children with her when I arranged to be turned out of the other boarding-house down the road. We never take more than a week of this kind of holiday, but sometimes we take two of them together.”

“Does the aunt mind much?” asked Rosamund innocently. “Of course, I dare say it’s very narrow-minded and—what’s that other word?— you know, what Goliath was—but I’ve known many aunts who would think it—well, silly.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第442回

Ⅴ章 どのようにして、つむじ風がビーコン・ハウスから出ていったか?

メアリーは、ダイアナとロザムンドにはさまれながら、ゆっくりと庭を歩いた。三人ともおし黙ったままだった。やがて太陽が落ちた。西の端を照らす残照は温かみのある白色で、クリーム・チーズとしか例えようのない色だった。稜線をよぎっていく羽毛に似た雲は漠としていながら、でも鮮やかな菫色の輝きをはなって、その様子は菫色にたなびく煙のようだった。のこりの景色はすべておしながされ、鳩のような灰色へとかわっていった。そして溶けこんでメアリーの薄墨色の影になって、ついには庭や空の衣服をまとっているように見えた。こうした最後の静かな色が、彼女の背景となり、至高さをそえていた。やがて薄明かりがダイアナの威厳ある姿も、ロザムンドの華やかな衣装も隠して、彼女をうかびあがらせ、彼女を庭のレディにも、そしてひとりにも見せていた。

Chapter V

How the Great Wind Went from Beacon House

Mary was walking between Diana and Rosamund slowly up and down the garden; they were silent, and the sun had set. Such spaces of daylight as remained open in the west were of a warm-tinted white, which can be compared to nothing but a cream cheese; and the lines of plumy cloud that ran across them had a soft but vivid violet bloom, like a violet smoke. All the rest of the scene swept and faded away into a dove-like gray, and seemed to melt and mount into Mary’s dark-gray figure until she seemed clothed with the garden and the skies. There was something in these last quiet colours that gave her a setting and a supremacy; and the twilight, which concealed Diana’s statelier figure and Rosamund’s braver array, exhibited and emphasized her, leaving her the lady of the garden, and alone.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第441回

彼は頭にシルクハットをのせ、穏やかな様子で庭の門へと向かったが、ピムの泣き叫ぶ声がそのあとを追いかけた。

「でも本当のところ、君から数フィートのところを弾はかすめたじゃないか」

すると他の声もそれにつづいた。「弾が彼をかすめたのは数年前のことじゃないか」

長く、無意味な沈黙がたちこめた。それからムーンは唐突に言った。「じゃあ、ぼくたちは幽霊とずっと一緒に座っていたというわけだ。ハーバート・ウォーナー医師は、数年前に死んだということになるんだから」

He had settled his silk hat on his head and gone out sailing placidly to
the garden gate, while the almost wailing voice of Pym still followed him:
“But really the bullet missed you by several feet.” And another voice added:
“The bullet missed him by several years.”

There was a long and mainly unmeaning silence, and then
Moon said suddenly, “We have been sitting with a ghost.
Dr. Herbert Warner died years ago.”

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