チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第232回

「それが犯罪だろうと、冗談であろうと」私は大声をあげた。「ごめんこうむりたい」

「梯子なら、あなたのすぐうしろにありますよ」その男は怖ろしいほどの礼儀正しさで言った。「でも立ち去る前に、わたしの名刺をさしあげましょう」

もし、なんらかの分別をみせる冷静さがあったなら、そんなものは捨て去ったのですが。そうした類の妥当な身ぶりが、塀のうえでの私の平衡状態に影響をおよぼしたとしてもです。そのまま、そのときの荒々しい雰囲気のなかで、私はその名刺をベストにしまい、壁と梯子のほうへと戻り、ふたたび見苦しくはない通りへと戻りました。しかしながら、歩き出すまえに、私のこの目が見ました二つの光景はひどいもので、悲しむべきものでした。その泥棒は煙突の方へと傾斜した屋根をのぼって、レイモンド・パーシィー師(神の司祭であり、さらに悪いことにジェントルマンである方なのです)が、彼のあとにつづいて這い登っていました。その日から、ふたりとも見かけたことはありません。

 

“`Whether this is a crime or a joke,’ I cried, `I desire to be quit of it.’

“`The ladder is just behind you,’ answered the creature with horrible courtesy; `and, before you go, do let me give you my card.’

“If I had had the presence of mind to show any proper spirit I should have flung it away, though any adequate gesture of the kind would have gravely affected my equilibrium upon the wall. As it was, in the wildness of the moment, I put it in my waistcoat pocket, and, picking my way back by wall and ladder, landed in the respectable streets once more. Not before, however, I had seen with my own eyes the two awful and lamentable facts— that the burglar was climbing up a slanting roof towards the chimneys, and that Raymond Percy (a priest of God and, what was worse, a gentleman) was crawling up after him. I have never seen either of them since that day.

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第231回

幸いにも、私は最初の五歩で立ちどまって、無理もない咎めだてを仲間にあびせつつ、できるだけ上手に平衡をとりました。

「通行権というものだ」擁護のしようがない案内人は言いました。

「百年間、ここは通行を禁じられていた」

「パーシィ師、パーシィ師」私は呼びたてました。「この悪漢と一緒に行かないでしょうね?」

「いいではないか、そうするつもりだ」私の不幸な仲間は軽々しく答えた。「あなたと私の方が、ずっと体の大きな悪漢ではないか。彼の正体が何であろうとも」

「私は泥棒だとも」この大男は動じることなく説明した。「フェビアン協会の一員なのだから。資本家に搾取された財産を返してもらうだけなんだ。内乱や革命をおこして一掃することなしに。特別な機会にふさわしい改革によって返してもらうんだ。ここで少し、あっちで少しというふうに。ひな壇ぞいの五番目の家が見えるかい? 平らな屋根の家だ。今夜、あの家におしいるつもりだ」

“I am glad to say that I stopped within my first five steps, and let loose my just reprobation, balancing myself as best I could all the time.

“`It’s a right-of-way,’ declared my indefensible informant.
`It’s closed to traffic once in a hundred years.’

“`Mr. Percy, Mr. Percy!’ I called out; `you are not going on with this blackguard?’

“`Why, I think so,’ answered my unhappy colleague flippantly. `I think you and I are bigger blackguards than he is, whatever he is.’

“`I am a burglar,’ explained the big creature quite calmly. `I am a member of the Fabian Society. I take back the wealth stolen by the capitalist, not by sweeping civil war and revolution, but by reform fitted to the special occasion—here a little and there a little. Do you see that fifth house along the terrace with the flat roof? I’m permeating that one to-night.’

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第230回

聖職者の仲間にたいして、無理もないことですが、疑いつづけていると、高さがあまりない梯子を見つけました。それは道より一段高いところへとかかっていました。思慮に欠けた仲間が梯子にわっと駈けよったものですから、私も後をついていくしかありませんでした。梯子をのぼり、私が足をおろした小道は、見たこともないくらい狭い場所でした。こんなに狭い通路を歩かなければいけなくなったことはありません。その通路の片側は、暗い闇につつまれ、最初、しっかりと密に茂った藪らしいものが繁茂していました。ややして、それが藪ではないことに気がつきました。高さのある木々の頂きだったのです。この私が、英国の紳士であり、英国国教会の聖職者である私が、まるで雄猫のように庭の塀の上を歩いていたのです。

 

“I was just repeating my very natural doubt to my clerical companion when I was brought up against a short ladder, apparently leading to a higher level of road. My thoughtless colleague ran up it so quickly that I could not do otherwise than follow as best I could. The path on which I then planted my feet was quite unprecedentedly narrow. I had never had to walk along a thoroughfare so exiguous. Along one side of it grew what, in the dark and density of air, I first took to be some short, strong thicket of shrubs. Then I saw that they were not short shrubs; they were the tops of tall trees. I, an English gentleman and clergyman of the Church of England—I was walking along the top of a garden wall like a tom cat.

 

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2017.9 隙間読書 グラディス・ミッチェル『灯台の殺人』

『灯台の殺人』

作者:グラディス・ミッチェル

訳者:宮脇孝雄

今週末のグラディス・ミッチエル「月が昇るとき」読書会にむけて、『灯台の殺人」を慌てて読んだ。

この先、ネタバレあり。

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第229回

私には、彼が何を言おうとしているのか見当がつきませんでした。でも相手が笑っていましたので、さしあたり不可解な旅を続けることにしました。そうするうちに私たちはとても奇妙な道へと出ました。そこはこむら返りをおこした場所で、舗装された道でした。その端の開きっぱなしになっている木の門を通り抜け、気がつくと、闇も、霧も濃くなっています。家庭菜園を横切っている、踏みならされた小道のようなところをとおりました。前を歩いている大男へ呼びかけましたところ、「これは近道だから」という返事がぼんやりとかえってきました。

 

“I could not imagine what he meant, but my companion laughed, so I was sufficiently reassured to continue the unaccountable journey for the present. It led us through most singular ways; out of the lane, where we were already rather cramped, into a paved passage, at the end of which we passed through a wooden gate left open. We then found ourselves, in the increasing darkness and vapour, crossing what appeared to be a beaten path across a kitchen garden. I called out to the enormous person going on in front, but he answered obscurely that it was a short cut.

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2017.9 隙間読書 グラディス・ミッチェル「ソルトマーシュの殺人」

「ソルトマーシュの殺人」

作者:グラディス・ミッチェル

訳者:宮脇孝雄

初出:1932年

国書刊行会

今週末のグラディス・ミッチェル「月が昇るとき」読書会にむけて、今頃ようやく「ソルトマーシュの殺人」を読んだ。・

まずカバーの絵が素敵。物語の展開をうまく暗示しているし、イギリスの田舎のイメージを雄弁に語りかけてくる。

イギリスのソルトマーシュという海辺の村の様子が前半細かく描かれ、イギリスの田舎の景色が見えてくるよう。この人物のどこが重要なのだろうかと思わせる人物描写の連続もとても楽しい、私には。でもベストセラーになることはないだろうなあ、この作品。



疑問がいくつか。

まず牧師さんは、なぜ間違ってこんな因業な奥さんと結婚してしまったのか。最後まで謎であった。

それから洞窟の問題。そんなに洞窟って簡単に掘ることができるものだろうか? それに若い娘が秘密の洞窟をとおって恋人に会いにいくだろうか? 洞窟のようなジメジメとして、閉鎖的な空間が苦手な私、洞窟をひとり歩くくらいなら、恋人との密会は捨てるが…。


我が師の訳ながらやはり疑問に思う箇所もほんの少々、普通は遠慮して言わないものなんだろうが、そこは厚かましい私。原文が手元にないから、はっきりとはしないけれど。

50頁サー・ウィリアムはケーキを取り、無造作にかぶりついた。その拍子に、何の害もなさそうに見えたケーキに入っていたクリームがどろりとこぼれ、スボンの膝に垂れた。

サーともあろう方がケーキにかぶりつくだろうか? イギリスのケーキでクリームがどろりとこぼれるものはあるんだろうか?…とどうでもいい些細な疑問。


これも原文から苦労されて訳出されたのだろうけど。

271頁ミセス・ブラッドリーは褌を締め直し、というのはもちろんたとえだが、

ミセスが褌だと強烈なインパクトがある…のは良いのかどうか、さて。褌効果なのかもしれないが、ミセス・ブラッドリーは「月が昇るとき」よりも、さらにエキセントリック度が増して見えた。



それから頻繁にでてくる登場人物の職業を「融資家」と訳出されていたけれど、もとの単語は何なのだろうか。日本語にはしにくい英単語なんだろうが、フム…と考えてしまった。


「月が昇るとき」と犯人のパターンが同じだけれど、グラディス・ミッチェルの他の作品もそうなのだろうか?読書会で教えていただくことを楽しみに待つとしよう。

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2017.9 隙間読書 井上ひさし「京伝店の烟草入れ」

「京伝店の烟草入れ」

作者:井上ひさし

初出:2009年 講談社文芸文庫

電子書籍

最近見かける「翻訳してほしい本」というツィッタータグに、まず思ったのは「江戸時代、あるいは更に古い日本の怪奇幻想作品で、今では忘れられている作品を翻訳してもらいたい。外国語なら辞書があれば何とか読めるけど、日本の昔の作品は字からして読めない」ということ。

でも「こういうのを翻訳って言ったら反感をもつひともいるだろうな。 今、英国怪奇幻想小説翻訳会をひらいている身であるし…戯作物を読みこなせる国語力があれば…」と思っているところ、この作品を見かけて読んでみた。

この作品は、松平定信によって手鎖にかけられたあと戯作物をやめ烟草屋になった京伝を書いた『京伝店の烟草入れ』にはじまり、戯作者銘々伝がつづいて、半返舎一朱(はんぺんしゃいっしゅ)、三文舎自楽(さんもんしゃじらく)、平秩東作(へづつとうさく)、松亭金水(しょうていきんすい)、式亭三馬、唐来参和(とうらいさんな)、恋川春町、最後は山東京伝の死後でしめくくられている。戯作者が生き生きと語られ、その人となりや人間関係がありありと浮かんでくる。


作者のまわりにいる人々も魅力的である。花火職人の若者、幸吉はこう語られている。いいなあ。会って話してみたくなるような若者だ。

江戸の夏の一日、夜空に、せいぜい六呼吸か七呼吸で消えてしまうような、あっけのない光の花を咲かせることにあとの三百六十四日を捧げ尽くしている若者、その奇抜な光の花に江戸の人たちが手を打ってくればそれで満足で、あとは襤褸(ぼろ)を引き摺り、雪花菜(おから)を無上の馳走と心得ている若者


この花火職人の若者の口をとおして、井上は江戸の花火について、具体的に目の前にうかぶように、でも美しく語る。花火なんて写真に撮るのも無理、言葉にするのも無理とあきらめていた私には驚きであった。花火も言葉の巧みが語れば、風景として浮かんでくるのだなあ。

打ち上げ筒を飛び出した玉は玉経五寸ほどの連れ玉をひっぱって三呼吸ぐらいの間、まっしぐらに天に向かって駆けのぼって行きます…

四呼吸目あたりから、連れ玉が割れて破裂し、連れ玉の中から五百の小割が飛び出します。小割というのはサイコロくらいの火薬の塊りですがね、これには樟脳がたっぷりと混ぜてありますから、白く光るはずです。つまり雪が降っているように見えるんです…

雪の消えた頃、三尺玉が破裂します。これはお月様に見えるはずですが、破裂と同時に三尺玉の中から四方八方に飛び散っていた小玉が、親玉より一呼吸おくれていっときに破裂します。そのときの小玉は牡丹の花が一斉に咲き誇ったように見える筈ですよ…

田舎の花火とちがうんだ、両国の花火だ、江戸の花火です。牡丹がぱっと咲いて終るだけじゃあ、何の曲もないじゃありませんか。でね、牡丹の中に火薬を塗った紙切れをかくしておきます。こいつがひらひらと舞い降りながら、いつまでも燃えているんですねえ。これは蝶ですよ

この花火職人の言葉に、京伝はこう答える。花火職人の細やかな説明に、京伝のロマンチックな言葉で井上の花火描写は締めくくられる。

雪の次が月で、その次が牡丹。そしておしまいが蝶ですか…つまり幸吉さんは、今日の夏の夜空に、どうやら火薬でもって春夏秋冬の四季を描き出すつもりらしい


もう疲れたから書かないけど、花火職人のほかにも、貸本屋のなかに一冊本をしのびこませ戯作者への道を夢見る人々など、江戸の人々の息づかいが伝わる作品である。

でも、やはり自分で黄表紙の本をながめ、江戸の息づかいにふれるのが一番だとは思うけど。読めるようになりたいな、昔の字。

黄表紙データベースなんてものがあればいいのに。原典、現代語訳が見れるような…。と思いつつ頁を閉じる。

読了日:2017年9月17日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第228回

霧が通りにたちこめ、最後に消え去った街灯が、背後でぼんやりとしていく有様は、いかにも心を意気消沈させるものでした。私たちの前にいる大男は、霧につつまれて、より大きく見えました。彼はふりかえらず、大きな背中をむけたまま言いました。

『話していたことは全部、役にたたないじゃないか。僕たちがほしいのは、もう少し実用的な社会主義なんだが』

『私も同じ意見だ』パーシーは言いました。『でも実行にうつすまえに、理論にあてはめて物事を理解したいんだ』

『それなら僕にまかせればいい』実際的な社会主義者が言いました。とにかく彼が何者にせよ、おそろしいほど曖昧な言葉でした。『僕には、自分なりのやり方がある。思想をひろめるパーミエイターなんだから』

 

“A fog was coming up the street, and that last lost lamp-post
faded behind us in a way that certainly depressed the mind.
The large man in front of us looked larger and larger in the haze.
He did not turn round, but he said with his huge back to us,
`All that talking’s no good; we want a little practical Socialism.’

“`I quite agree,’ said Percy; `but I always like to understand things in theory before I put them into practice.’

“`Oh, you just leave that to me,’ said the practical Socialist, or whatever he was, with the most terrifying vagueness. `I have a way with me. I’m a Permeator.’

 

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隙間読書 泉鏡花「化鳥」

「化鳥」

作者:泉鏡花

初出:明治30年(1897年)

青空文庫

写真は泉鏡花記念館「化鳥」原画展ポスター

「化鳥」は鏡花初の口語体作品ということで、中川学さんの手で絵本にもされている。楽しい雰囲気もありながら、深いテーマのある作品。

少年「廉」は零落した母と二人、橋のたもとの小屋で、橋の通行料をもらうことで暮らしている。

この橋はどことどこを渡している橋なのだろうか? 現実と不思議の世界か、幸せな昔と現在か? 橋をとおる人たちに、廉は不思議な世界の住人の姿をかさね、幸せな昔の屋敷を思い出したりする。

橋は、その上にたたずんで思いにふける場所かと思っていたが、外から橋をながめ、通行人をながめ、川辺のひとをながめ思いにふけるという視点も斬新。

橋のたもとの小屋から見える人々の描写は、猪の王様、猿廻、鮟鱇博士、千本しめじなど、何ともユーモラス。

この作品の魅力は橋のたもとという不思議な空間、ユーモラスな人物だけにとどまらない。先生に邪慳にされても自分の価値観をゆるがせない少年、その価値観を少年に教えた母親も強く、偉いひとにも自分の主張を凛と伝える。その強さが「化鳥」の怪しさ、強さとなる。

 


先生が修身のお談話をしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういつたの。母様、違ってるわねえ。

廉は「人間が一番えらい」という先生の言葉を鵜呑みにしたりはしない。そのせいで先生に邪慳にされたり、怒られたりしても。母親に疑問をぶつける廉のなんとピュアなことか。


それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。

 

先生が廉の言葉を無視して怒っているなら…と語るこの母の言葉は、なんとも凄味がある。「そんなものは見ていないで…そのうつくしい菊の花を見ていたら」という言葉は鏡花の生き方のポリシーとつうじるものであり、そこに鏡花の魅力がある。


人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣めと始終そう思って、五年も八年も経たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡んなすった、父様とこの母様とが聞いても身震がするような、そういう酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになった…鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。

なんと迫力のある言葉か。母親は、零落してから味わってきた辛い思いをぶつけるように語る。冷たい世の中を「口惜しい、畜生め、獣め」と呪いながら。こうした辛酸をなめた結果の価値観が「鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじ」なのである。


「渡をお置きなさらんではいけません。」

橋の通行料を踏み倒そうとする偉い紳士にも、母はピシャリと言い切る。近所の人からは「番小屋のかかあに似て此奴もどうかしていらあ」と言われる母は、世間の目からすれば少しおかしいところがあるのかもしれないが、廉の目にはどこまでも強い母なのである。


廉が川で溺れかけたときに助けてくれたのは、「大きな五色の翼があって天上に遊んでいらっしゃるうつくしいお姉さん」なのだと母は教える。廉はそのお姉さんを捜しに鳥屋へ行き、森に行き…倒れそうになった瞬間に、母がそのお姉さんであったと知る。

うつくしい場面でもあり、不思議さの残る場面。

優しいけれど凛とした母が「翼のはえたやさしいお姉さん」、つまり化鳥であった…という意外さ。「鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじほどのもの」と廉に教えていた母が、化鳥の正体であっても、その強さも、美しさも母のイメージと結びつく。

でも、なぜ母は助けたのは自分だと告げないで、「大きな五色の翼があって天上に遊んでいらっしゃるうつくしいお姉さん」だと告げ、廉があちらこちらを探すままにしておいたのだろうか? 母が狂気のひとであったことを暗示しているのか? それとも川におちたとき、廉は命を失ってしまい、死後の幻想なのか。



見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可い。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。

最後、廉がつぶやくこの言葉も不思議である。単純に母がきてくれるからと解釈していいものか。でも「いらっしゃるから、母様がいらっしゃったから」の繰り返しが、もっと他のことを意味しているようにも思える。廉も死んでしまい、その魂が呟いているのではないだろうか。

いろいろ不思議に思うことはあれど、その不思議を考えることも楽しい。すっきり割り切れないところに魅力がある作品。

読了日:2017年9月14日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第227回

これからお話するのは、物語のなかの並々ならぬ部分です。彼によって外に連れ出された先は、しみったれた裏庭でした。そこには枯れて点々がついている草がはえ、さびしい様子の街灯が一本たっている小道へとつづいていました。その大男は、次のように私に言ったのです。『もう関係はありませんよ。さあ、いっしょに来てください。話していたような、社会主義の実行を手伝ってもらいたいんですよ。いっしょに来てください!』大きな背中をくるりとむけると、彼が私たちを連れ出したのは、古びた街灯が一本たっている狭く、古い小道で、私はどうすればいいのかわからず、ただ彼についていくだけでした。彼はたしかにいちばん難しい状況で私たちを助けてくれました。だからジェントルマンである私としては、恩人にたいして謂れのない疑いをいだくわけにはいきません。社会主義の同僚もそう考えていました。その同僚も、調停ではひどい話をしましたが、ジェントルマンなのです。彼は旧家スタッフォード・パーシーズの出身で、その一族特有の黒髪、青ざめた顔、輪郭のはっきりとした顔の持ち主でした。彼が考えられるかぎりの見せびらかしである、黒のヴェルヴェットや赤の十字架をつけることで、その風貌の長所を強調することは虚栄だと言わざるをえません。これは、私としたことが脱線してしまいました。

 

“Then follows the truly extraordinary part of my story. When he had got us outside, in a mean backyard of blistered grass leading into a lane with a very lonely-looking lamp-post, this giant addressed me as follows: `You’re well out of that, sir; now you’d better come along with me. I want you to help me in an act of social justice, such as we’ve all been talking about. Come along!’ And turning his big back abruptly, he led us down the lean old lane with the one lean old lamp-post, we scarcely knowing what to do but to follow him. He had certainly helped us in a most difficult situation, and, as a gentleman, I could not treat such a benefactor with suspicion without grave grounds. Such also was the view of my Socialistic colleague, who (with all his dreadful talk of arbitration) is a gentleman also. In fact, he comes of the Staffordshire Percys, a branch of the old house and has the black hair and pale, clear-cut face of the whole family. I cannot but refer it to vanity that he should heighten his personal advantages with black velvet or a red cross of considerable ostentation, and certainly—but I digress.

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