2017.12 隙間読書 エイクマン『奥の部屋』

『奥の部屋』

作者:エイクマン

初出:1968年、Sub Rosa

ちくま文庫

幼い頃、不思議な玩具店で私は人形の家を買ってもらったが、それは悪夢の始まりだった。やがて人形の家を手放すことになるが、数十年してからさ迷いこんだ森の中で、あの人形の家と同じ家を見つける。家の中には、人形と同じ人々がいた。

エイクマンは言葉を費やして人形の家についても、森の中の家についても細かく描写している。だが家の様子が浮かんでこない。私の背景知識がないのか、それとも細かく描写しながら全体が浮かんでこないという不気味さを意図したのだろうか…なんとも分からない。

私が人形に感じる妖しい美しさ…が漂ってこない。もしかしたら人形に対する感性は、日本と外国では違うのだろうか?そのようなことを不気味な『奥の部屋』を読みながら、文楽大好きな私は考えた。

読了日:2017.12.11

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第263回

どういうわけか分からないが、この素晴らしく贅沢な小品を片手にして戻ってくる泥棒の姿を見ると、もう一度予想外の驚きにうたれ、以前から感じていた反感が頭をもたげてきた。

「そんなことをするな!」矛盾することながら、私はさけんでいた。「サンタクロースならー」

「おや」その泥棒は言うと、食卓のうえにデキャンターを置き、私をながめた。「君もそう考えたんだね」

「考えたことの百万分の一も説明できない」私は声をはりあげた。「でも、こういうことなんだ…ああ、分からないかなあ? なぜ子供たちはサンタクロースを怖がらないのだと思う?夜、泥棒のようにやってくるのに。サンタクロースには人目を避けることも許されているし、不法侵入をすることも、背信行為をしても大丈夫だ。それはサンタクロースが行ったところは玩具がふえているからだ。もし玩具がなくなれば、どう思われるだろう? 地獄からの煙突をおりて、ゴブリンがやってきて、子供たちが寝ているあいだに子供たちのボールや人形を持ち去ってしまえば、どう思われる? ギリシャ悲劇は、夜明けよりも残酷なものになるだろうか? 犬盗人や馬盗人、奴隷商人は、おもちゃ泥棒と同じくらいに卑しいものだと思わないのか?」

 

Somehow the sight of the thief returning with this ridiculous little luxury in his hand woke within me once more all the revelation and revulsion I had felt above.

“`Don’t do it!’ I cried quite incoherently, `Santa Claus—’

“`Ah,’ said the burglar, as he put the decanter on the table and stood looking at me, `you’ve thought about that, too.’

“`I can’t express a millionth part of what I’ve thought of,’ I cried, `but it’s something like this… oh, can’t you see it? Why are children not afraid of Santa Claus, though he comes like a thief in the night? He is permitted secrecy, trespass, almost treachery—because there are more toys where he has been. What should we feel if there were less? Down what chimney from hell would come the goblin that should take away the children’s balls and dolls while they slept? Could a Greek tragedy be more gray and cruel than that daybreak and awakening? Dog-stealer, horse-stealer, man-stealer—can you think of anything so base as a toy-stealer?’

 

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2017.12 隙間読書 エイクマン『恍惚』

『恍惚』

作者:エイクマン

初出:1968年、Sub Rosa

ちくま文庫「奥の部屋」

亡くなった画家が残した原稿には、ある画家の未亡人を訪ねてベルギーに行ったときのことが記されていた。

この作品に出てくる登場人物は、エイクマンを思わせる言葉を語る。エイクマンは、こんな気持ちで作品を書いていたのだろうか…と不思議な作品の奥にあるものが少し見えてくる。

実際に印税をもたらすのは読破される本ではない。

僕の絵は直感と象徴で成り立っており、創作開始から終了まで誰か別の人が描いているような気がしてならない。

絵というものは必ず個人の所蔵に係らねばならないというのが僕の持論だ。あまり多くの人の共有物になると絵は死んでしまうとさえ思っている。

画家の妻はどうしたのか?未亡人の娘はいったい何だったのか?未亡人は、何のために娘のドレスや下着を見せたのか?理由はつかないけれど、どの場面も鮮やかに浮かんでくる。

ベルギーを舞台にした不思議な映画を観ているように心地よい作品。

読了日:2017年12月6日

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第262回

その部屋には本がならび、ゆたかで温かみのある雰囲気を醸し出し、おかげで壁面は活気があふれているように思えた。本棚は奥行きがあって、本がぎっしりと並んでいたが、だらしのない本棚で、寝床で読む目的でいつも本を探しているというような類のものであった。赤いゴブリンのような印象深いドイツのストーヴが隅におかれていた。胡桃材でできた食器棚がひとつ見え、その下の扉は閉じられていた。窓は三つあり、高さはあるが幅のせまい窓だった。もう一度目をはしらせてから、侵入者は胡桃の扉をぐいと開けると、中を隅々まで漁った。そこに何もなかったのは明らかであった。見つかったものと言えば、このうえなく見事なカットグラスのデキャンターで、ポート酒のようなものが入っていた。

 

The room was comfortably lined with books in that rich and human way that makes the walls seem alive; it was a deep and full, but slovenly, bookcase, of the sort that is constantly ransacked for the purposes of reading in bed. One of those stunted German stoves that look like red goblins stood in a corner, and a sideboard of walnut wood with closed doors in its lower part. There were three windows, high but narrow. After another glance round, my housebreaker plucked the walnut doors open and rummaged inside. He found nothing there, apparently, except an extremely handsome cut-glass decanter, containing what looked like port.

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2017.12 隙間読書 エイクマン『スタア来臨』

『スタア来臨』

著者:エイクマン

初出: Powers of Darkness, 1966年

奥の部屋 筑摩書房

ある小さな町に往年の大女優ミス・ロウクビーが招かれ、鉛や黒鉛について資料整理をしている演劇好きでもないコーヴァンは知り合いになる。

ミス・ロウクビーと共にコーヴァンが目にする不思議の数々…読んでも意味は分からないながら、不思議さにつつまれて幸せな気持ちになってくる。

ミス・ロウクビーの贔屓筋スパーバスはホテル到着後、姿を消す。重かったはずのスーツケースは軽くなり、中から羽音が聞こえる。

コーヴァンの部屋を見たミス・ロウクビーは何に怯えていたのか?コーヴァンが開いていた『黒鉛とその使用方法』という本のせいだろうか?

ミス・ロウクビーが黒鉛の坑道に連れていってくれと頼んだのはなぜか?

本当の私は連れのミュラという娘、ミュラこそ私の個性だというミス・ロウクビーの話はどういうことなのか?

ミス・ロウクビーが舞台に立っているときに、そのミュラがホテルの火災で焼け死んだのは?舞台にむかって投げられた紫色のリボンがついた月桂樹は、ミュラの、それともミス・ロウクビーの死を悼むものか?スパーバスが投げたのだろうか?

次から次にわいてくる疑問そのものが、この作品から流れてくる気配のよう…不思議さを堪能した。

読了日:2017年12月5日

 

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第261回

しかし長いこと開き戸を見はしなかった。下の方から輝く部屋の様子が見え、それは異常な魅力をはなっていたからだ。こんなに奇妙な角度から、忘れられた戸をぬけて、現代風のインテリアのなかに入っていくなんて、ひとの心理において記念すべき事件であった。四次元を見つけたようなものであった。

 相棒は隙間から室内にいきなり音もなく入り込んだので、私はそのあとについていくより他になかった。だが犯罪行為において実践を積んでいないため、まったく音をたてないという訳にはいかなかった。私の深靴の響きが消える前に、大柄な強盗は扉にすばやく駆け寄ると半ば押し開けた。そして階段の方に目をこらして立ち、耳をすました。それから扉をまだ半分開けたままにして、部屋の中央まで戻ると、家具や装飾に青い目をきょろきょろとはしらせた。

 

But I did not look at this long, for the sight of the shining room underneath us had an almost unnatural attractiveness. To enter a modern interior at so strange an angle, by so forgotten a door, was an epoch in one’s psychology. It was like having found a fourth dimension.

“My companion dropped from the aperture into the room so suddenly and soundlessly, that I could do nothing but follow him; though, for lack of practice in crime, I was by no means soundless. Before the echo of my boots had died away, the big burglar had gone quickly to the door, half opened it, and stood looking down the staircase and listening. Then, leaving the door still half open, he came back into the middle of the room, and ran his roving blue eye round its furniture and ornament.

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2017.12 隙間読書 クリスチアナ・ブランド『ジェミニー・クリケット事件』

『ジェミニー・クリケット事件』

作者:クリスチアナ・ブランド

初出:EQMM、1968年8月

創元推理文庫

深町真理子訳

今週末に予定しているクリスチアナ・ブランド「ジェゼベルの死」読書会にあわせ、この短編もぜひ語りたい…という意見がでて、急遽、課題本に加えたのが先月末。

犯罪者の子供、被害者の子供の面倒を見てきた善意の弁護士ジェミニーが最上階にある部屋で密室状態で殺害される。ジェミニーは椅子に縛りつけられ、ナイフで背中を刺され、机の書類には火が放たれた状態だった。

事件を語るのはジェミニーに面倒を見てもらった子供たち(ジェミニー・クリケット)のひとりで、今はジェミニーと共に働く弁護士のジャイルズ。その話に耳を傾けるのは少し記憶力が減退してきたという老人。この二人の会話が一見のどかな庭園で繰り広げられていく…のだが、この二人の会話がだんだんどことなく異様さを増していく感じが怖い。

それから、きらきらした老獪なまなこが、ふたたびジャイルズのこわばった面に向けられた。「どうだ、すごく熱くなって、いまにも火がつきそうなんじゃないかね?」

「氷のように冷たくなりかけていますよ」自らもひどく冷ややかに、ジャイルズは言った。

最後、英国版ではそれとなく二人の関係を仄めかして終わる。アメリカ版では、はっきり分かりやすく二人の関係を説明している…想像するから怖いのであって、はっきり書いてしまえば怖くないではないか。私は英国版の方がいい。

ただ怖さを出している点は良いけれど、ジェミニーの援助のおかげで弁護士になったジャイルズが悪い血の遺伝に影響されていく…という発想も嫌だし、無理があるのではなかろうか…というよりも顰蹙ものの発想ではなかろうか?それから煙の中で立っていたら意識が朦朧としてくるのでは…と疑問も残った。

2017年12月4日読了

 

 

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第260回

私が育てられたのは資産階級であり、資産を減らすことだけを怖れていた。私は強盗についての告発文を聞いてきたが、それはもっともなものもあり、誤解しているものもあった。教会の十戒も千回は読んだ。そのとき私は三十四歳になっていたが、梯子をなかばまで降りてきて、泥棒のようにふるまっている途中で、泥棒はよくないということに、ふと気がついた。

でも、引き返すには遅すぎた。そこでからだの大きな相棒の、妙にひっそりとした足音を頼りに、相棒が下の屋根裏部屋を横切るあとをついていった。やがて彼が敷物のひかれていない床に膝をついたのは、手探りしながら進み、はね上げ戸のようなものを持ち上げたあとのことだった。すると下からの明かりがもれてきた。私たちは明かりが灯された居間をのぞきこんでいた。大きな屋敷によく見られる部屋で、寝室からつながり、寝室に付随した部屋であった。私たちの足もとから漏れる光は音もなく爆発しているかのようで、持ち上げられた引き戸を照らし、その戸が埃と錆のせいで錆びつき、長い間使われなかったところに、私の冒険好きの仲間が現れたことを物語っていた。

 

“I was brought up in the propertied classes, and with all their horror of offences against property. I had heard all the regular denunciations of robbery, both right and wrong; I had read the Ten Commandments in church a thousand times. And then and there, at the age of thirty-four, half-way down a ladder in a dark room in the bodily act of burglar, I saw suddenly for the first time that theft, after all, is really wrong.

“It was too late to turn back, however, and I followed the strangely soft footsteps of my huge companion across the lower and larger loft, till he knelt down on a part of the bare flooring and, after a few fumbling efforts, lifted a sort of trapdoor. This released a light from below, and we found ourselves looking down into a lamp-lit sitting room, of the sort that in large houses often leads out of a bedroom, and is an adjunct to it. Light thus breaking from beneath our feet like a soundless explosion, showed that the trapdoor just lifted was clogged with dust and rust, and had doubtless been long disused until the advent of my enterprising friend.

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2017.12 エイクマン『何と冷たい小さな君の手よ』

『何と冷たい小さな君の手よ』

作者:エイクマン

初出:Powers of Darkness 1966年

タイトルはプッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕、詩人ロドルフォがミミに自分のことを語る場面に歌われる歌の題のようだ。この短編のあちらこちらに、そうした気がつかない引用部分があるのではなかろうか…と読後は分かったような、分からなかったような思いが残る。

知り合いの女性テディの留守宅で暮らすことになったエドマンドだが、無言電話がかかってくるようになる。かつて親しくしていた女性クゥイーニーに電話するが、電話にでた女性をクゥイーニーだと思い込んで話すと、相手はルームメイトのネーラ・コンダミンだった。だんだんエドマンドは博識なネーラに魅かれるようになっていく。彼女に会いたいと思って頼み込むが、ネーラは頑なに会うことを拒否、エドマンドから電話がかかってくることも拒否する。

また姿を見られたくないということの裏に仄見える何やら危なげな背景の存在も無視するわけにはいかなかった

ネーラからの電話を待ち焦がれるエドマンドの様子も、怪しく混線する電話もだんだん恐怖を駆り立てていく。

以下の箇所は二人がようやく近づいた場面だが、赤字の箇所は原文はどうなっているのだろうか?あなたが来たのか、私が来れたのか、それとも両方の思いが重なっているのか?

どちらにしても、ネーラはやはり取り憑いていたのか!どこかで暗示しているのだろうか?


「とうとう来たわね、あなた」

「ネーラ! 今までどこに?」

「厄介な問題が生じたのよ。私たち、新しいチャンネルを見つけなきゃ」

「私たち、って?」エドマンドの耳には、まるで濃い霧に遮られたように、依然として遠くで小さく発信音が聞こえている。

「あなたがここに越して来てから、私、ずっとあなたに近づこうとしていたのよ。気づかなかった?」そう言って艶めかしく笑った。「でも、やっと来れたわ!もう電話は切っていいわよ」165頁より


最後、エイクマン自身が「いったい何のためか」と書いてあるので、そこでもう一度、物語を振り返ってしまう。だが、わからない。でも、それが楽しい作品である。

読了日:2017年12月1日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第259回

私がそう考えたのは、屋根の下の真っ暗な屋根裏部屋を手さぐりしながら進み、小さな梯子をつたって降り、屋根裏部屋のしたにある広い部屋にでたときであった。しかし、梯子をなかばまで進まないうちに、ふと立ちどまると、私も後戻りをしようかとしばらく思案した。私の友人が出発点の庭の塀から後戻りをしたように引き返すのだ。そのとき浮かんだサンタクロースの名前のおかげで我にかえった。なぜサンタクロースがやって来るのか、なぜ歓迎されるのかを思い出したのだ。

 

“I thought this as I groped my way across the black garret, or loft below the roof, and scrambled down the squat ladder that let us down into a yet larger loft below. Yet it was not till I was half-way down the ladder that I suddenly stood still, and thought for an instant of retracing all my steps, as my companion had retraced them from the beginning of the garden wall. The name of Santa Claus had suddenly brought me back to my senses. I remembered why Santa Clause came, and why he was welcome.

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