チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第326回

私の酒場の外にある粗末なベンチに腰をおろすと、彼は眼下のぶどう園のぶどうでつくられたワインをのみながら、杯のうえに感嘆の吐息をもらしました。その有様は異国のひとをかき分け、残酷な獣たちをやり過ごしながら、長いあいだ旅をしてきた人々が、ついに懐かしい風景を見つけたときのようでありました。それから腰かけたまま、惚けた様子で見つめたのは粗末なつくりのランタンで、鉛と色硝子でできたそのランタンは酒場の扉にかかっていました。古いものでしたが、何の値打ちもないものです。それははるか昔、祖母がくれたものでした。その硝子に描かれているのは、稚拙なものながらベツレヘムと賢者と星の絵でした。彼は恍惚としながら、聖母マリアの青い聖衣の透きとおる輝きと、その背後にある大きな、金色の星をながめました。そして私を連れていって、そのランタンを見せました。十四年のあいだ、私はランタンをよく見たことはありませんでした。

“He sat down on the rough bench outside my inn and drank some wine from the vineyards below, sighing with ecstasy over it like one who had travelled long among alien, cruel things and found at last something that he knew. Then he sat staring rather foolishly at the rude lantern of lead and coloured glass that hangs over my door. It is old, but of no value; my grandmother gave it to me long ago: she was devout, and it happens that the glass is painted with a crude picture of Bethlehem and the Wise Men and the Star. He seemed so mesmerized with the transparent glow of Our Lady’s blue gown and the big gold star behind, that he led me also to look at the thing, which I had not done for fourteen years.

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2018.06 隙間読書 高木彬光「人形はなぜ殺される」

作品のなかで繰り返される「照る照る坊主の歌」は無邪気なようでありながら、ギロチンという類まれな凶器の残酷さと重なって、なんとも気味の悪い雰囲気をかもしだしている。「照る照る坊主の歌」をもじった替え歌も、さらに気味の悪い歌である。でも、この気味の悪さも、その雰囲気をもりあげていく書き方も、「人形はなぜ殺される」の魅力である。

「照る照る坊主 照る坊主

 明日天気にしておくれ

 それでも曇って泣いていたらそなたの首をちょいと切るぞ」

次は精神病院に収容された綾小路子爵の娘が歌う替え歌。

「照る照る坊主 照る坊主

 早くお嫁にやっとくれ

 それでもふられて泣いてたら

 そなたの首をちょいと切るぞ」


高木彬光の言葉のセンスは、小男の詩人「杉浦」が残した事件について仄めかす詩編らしきものによくあらわれている。照る照る坊主の歌、詩人のメモ…を読むだけで高木彬光の言葉へのセンスを堪能、満足してしまう。

「首盗み―表が裏で、裏が表か?

 似すぎた。あまりに。

 入らなければ出られない。

 彼女は実に利口者。

 命の金髪」

「日焼けどめクリーム?

 顔に化粧ができぬなら、せめて着物でうさはらし…といって、囚人にはそれもかなわぬ。

 首をどこかに飾ったら?かくすよりそっちが安全さ。

 フェルゼン? ハザマ?

 金色夜叉ー犯人か?

 似ないなら似せてみようほととぎす」

「人形かついでえっさっさ

 人を呪わば穴二つ

 はかるつもりではかられる

 人形はなぜ殺される?

 月光ー銀河=?

 トイレの前に立っている。

 人形二人、こいつが死んでしまったら、秘密はどこからも、洩れっこないさ。」

でも杉浦は沢村博士の病院も、研究室も、興津の犯行現場もすべて見ていた…ということになるのだろうか?はたして、そのようなことが可能なのだろうか?


事件の舞台になった止水荘は、興津のどのあたりにあるのだろうか? 興津は東海道線にそうように国道が走り、国道と海岸のあいだには西園寺別荘の座漁荘がある。

以下は、止水荘の最上階四方が窓ガラス張りの展望室からの眺めである。

海岸からは、ほとんどニ三軒の深さしかない街の列、そして旧東海道の国道、そして一軒の深さしかない街の列、そして暗渠のようなところを走る東海道本線、そして断崖のようにに切りたった山手にそびえる清見寺、そして裏手の山と、まるで断層のようなこのあたりの地形が、一望の間に見わたせるのだった。

これだけでは止水荘がどこにあるのかわからない。


以下の文を読むと、海方向の窓から東海道線も見えるから山側に止水荘があるのだろうか…とも思う。ただ今でも山側はほとんど開発されず、墓地がひろがっている。

桑田珠江は、研三の腕をひきずるようにして、海手の窓へつれていった。

「ほら、あそこの掘割のようなところが、東海道線の線路ですわね」

ただ山側に止水荘があるとするなら、斜面になっている筈。重いと思われる蝋人形を若い娘一人の力で線路まで運ぶのも、転がしていけばなんとかなるのだろう。これが座漁荘のある国道と海のあいだにあると考えると、少し線路まで距離がありすぎるのではないだろうか?線路に登ってあがらないといけないだろうから、人形をかかえて若い娘の力で登るのは厳しい。

興津の地形について、あまり把握しないまま作品を書いたのかもしれない。


犯人の人格の異常さ、動機も少し弱いような気がした。でも気味の悪い雰囲気を楽しめる作品だと思いつつ頁をとじる。

読了日:2018年6月20日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第325回

私には何故なのか見当はつきませんが、彼が手にしていたのは草かきで、それはずいぶん長いものでしたが、壊れていました。麦の穂がからみ、草のせいで泥まみれになっているものですから、古代の野蛮な種族の旗のように見えました。彼の髪は牧草のように長く、伸び放題で、がっしりとした肩の下あたりまで垂れさがり、ぴたりと身に貼りついたその服はぼろきれ同然、赤と黄色の炎といった有様でしたから、羽毛飾りか秋の葉で飾り立てたインディアンのような出で立ちという風がありました。草かきとでもいいましょうか、それとも干し草用フォークなのでしょうか? それが何だとしても、時々、彼はそれをアルペンストックのように用い、時には、武器として用いた…と聞きました。なぜ武器として使ったのか理由はわかりません。そのときには、もう武器を持っていたのですから。あとから見せてくれました、ポケットにある六連発の銃を。「だが、これは使うのは」彼は言いました。「平和な目的のためだけだ」でも、彼が何をしようとしているのか、私の理解をこえていました。

“He carried (I cannot conceive why) a long, dilapidated garden rake, all bearded and bedraggled with grasses, so that it looked like the ensign of some old barbarian tribe. His hair, which was as long and rank as the grass, hung down below his huge shoulders; and such clothes as clung about him were rags and tongues of red and yellow, so that he had the air of being dressed like an Indian in feathers or autumn leaves. The rake or pitchfork, or whatever it was, he used sometimes as an alpenstock, sometimes (I was told) as a weapon. I do not know why he should have used it as a weapon, for he had, and afterwards showed me, an excellent six-shooter in his pocket. `But THAT,’ he said, `I use only for peaceful purposes.’ I have no notion what he meant.

 

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2018.06 隙間読書 山田風太郎・高木彬光「風さん、高木さんの痛快ヨーロッパ紀行」

平成23年7月発行

出版芸術社


ドイツオペラに高い関心を抱いていた高木彬光が雑誌「音楽の友」(1965年4月号)のツアー募集の広告をみて、親友の山田風太郎を誘って参加した。本書は二人の作家によるそのときの旅の思い出の記。

旅の日程は1965年8月3日に横浜港を出港、ナホトカ〜モスクワ〜アムステルダム〜ロンドン〜パリ〜ミュンヘン〜ウィーン〜ザルツブルグ〜バイロイト〜ジュネーヴ〜ミラノ〜ヴェニス〜ローマ〜ナポリ〜アテネ〜8月31日に羽田。約一ヶ月近い旅である。費用は68万9千円(大卒初任給が二万円の時代である)

この旅の思い出を、高木彬光が「ぼくのヨーロッパ飛びある記」として日本文華社より1966年四月に刊行した。本書は「ぼくのヨーロッパ飛びある記」を四十五年ぶりに復刊、一緒に旅した山田風太郎の未公開の旅日記と共に一冊にまとめたものである。


高木彬光の日記を上段、山田風太郎の日記を下段に配置、なるべく同じ日にレイアウトしようとした努力のあとがうかがえる。でも高木彬光は旅行の発案者だからだろうか、非常に雄弁に旅の思い出を語る。いっぽう山田風太郎の記述はシンプル。でも、山田はところどころに食事のイラストメモも残していて楽しい。


高木の行動力は桁外れにエネルギッシュである。

ライカのカメラが壊れたときのこと。修理してもらえるかもわからないし、ドイツ語もわからない。それでも高木はひとりでライカ本社まで、タクシーをとばして往復700キロの道を一日でいく。無事に交渉は成立、その日のうちにカメラを修理してもらうという行動力に目をみはる。

あちらこちらの窓の女の通りめぐりもあっけらかんと記録。そんなにヨーロッパには窓の女スポットがあるものか…と感心。

雄弁かつエネルギッシュな高木だが、念願のオペラを観たあとは、劇場の様子や幕間の観客については仔細に語れど、肝心のオペラの舞台そのものについての言葉はほとんどない。あこがれのオペラを目の当たりにした感動の大きさに言葉を失ったのだろうか…と胸中を想像する。


むしろ山田風太郎の方がオペラを初めて観た感動をこんなふうに素直に語っている。

「余はオペラなんか見るのははじめてである。『さまよえる和蘭陀人』というのは昔どこかで幽霊船だの七年目に一回上陸できる和蘭陀人の話だの、ボンやりきいたおぼえがある。

 客席暗くなり、しわぶきの声ひとつなし。舞台の幕上がらずただオーケストラの音のみ、相当長時間つづく。

 やがて幕あがり、舟の甲板に水夫たちの帆柱の綱をにぎって大合唱。向う側は荒れ狂う暗夜の海。海のさわぐのが照明のはたらきで現実のもののようで、しかし舞台の幽暗凄絶、その色彩の美しさは例える言葉もないほどである。わけはわからないが、その迫力は凄まじいものあり、とくに合唱或いは独唱はマイクも使っていないのに会場を圧倒せんばかりだ。

(途中略)

 余は舞台装置の神秘幽玄なる光と色彩、歌の迫力あるのに感服したが、筋もわからず、歌の上手下手もわからない。第二幕の或る部分では退屈したほどである。

 超谷先生など感激して『もうこれで死んでもいい』などいう。余は冗談に『僕は退屈してもう死んでもいいと思った』などいったが、しかし全体としてそれほど退屈したわけではない。」

オペラの舞台の魅力が素人にも伝わり、「オペラを観にいきたい」と思ってしまう。


本書を読んで高木彬光と山田風太郎が心おきなく物を言い合う仲だということを理解、個性的な二人なのになぜ共同執筆ができたのかということも納得して頁をとじる。

読了日:2018年6月14日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第324回

こうした諸々のことのせいで、私は狂気においやられたのかもしれません。はっきりとはわかりませんが。道を行くと曲がり角にでます。そこには岩が少しせりだしていました。風の強い夜には、頭上で、その岩が別の岩にぶつかる音が聞こえるような気がしたものです。そう、その音は街と街がぶつかり合う音でもありました。砦と砦がぶつかり合う音でもありました。そうした音が、夜のはるか向こうから響いてくるのです。奇妙な男が道を登ってきたのは、そうした或る夜のことでした。これは一般的な話ではありますが、奇妙な男だけが、あの道をなんとか登ることができるのです。でもそれにしても、ああした男を見るのは初めてのことでした。

“All this may have driven me mad; I am not sure. I know there is one angle of the road down the pass where the rock leans out a little, and on windy nights I seem to hear it clashing overhead with other rocks— yes, city against city and citadel against citadel, far up into the night. It was on such an evening that the strange man struggled up the pass. Broadly speaking, only strange men did struggle up the pass. But I had never seen one like this one before.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第323回

あえて申し上げるなら、シエラ山脈の頂上のすぐ下で暮らしたせいで、私の心は少なからず影響をうけました。こうした寂しい岩山のことを考えるときに、先の尖った頂としてではなく、天国をささえる柱として思い浮かべてしまうのです。そそりたつ絶壁はどこまでも続き、鷲の絶望も遠くへおいやります。絶壁はとても高くそびえているものですから、星をひきよせては集めているように見えます。それは海の岩がリンの輝きを集めるかのようでもありました。岩の大地も、岩の塔も、小さな峰からなる山とは異なって、この世の果てには思えませんでした。果てと言うよりはむしろ、恐ろしい世の始まりのようにも思えたのです。そう、恐ろしい世の根幹のように…。頭上に山が枝をのばしてくるようにも思え、まるで岩でできた木のようでありました。宇宙の光がさしてくるようにも思え、枝わかれしている燭台のようでもありました。山の頂は私たちを見捨て、不可能なくらいに空高く舞い上がっているのです。星々が私たちのまわりに群がり(そのように思えました)、信じられないくらいに近づいてきました。球体がまわりで爆発する様子は、稲妻が地に叩きつけられるようであり、穏やかに回転する球体には思えませんでした。

“I dare say that living under the very top of the Sierras has an odd effect on the mind; one tends to think of those lonely rocks not as peaks coming to a point, but rather as pillars holding up heaven itself. Straight cliffs sail up and away beyond the hope of the eagles; cliffs so tall that they seem to attract the stars and collect them as sea-crags collect a mere glitter of phosphorous. These terraces and towers of rock do not, like smaller crests, seem to be the end of the world. Rather they seem to be its awful beginning: its huge foundations. We could almost fancy the mountain branching out above us like a tree of stone, and carrying all those cosmic lights like a candelabrum. For just as the peaks failed us, soaring impossibly far, so the stars crowded us (as it seemed), coming impossibly near. The spheres burst about us more like thunderbolts hurled at the earth than planets circling placidly about it.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第322回

私は教育を十分にうけていたので、音楽も愛していたし、書物も愛していました。ですが、他の混血児たちの大半がそうであるように、人々から見れば、ときには優秀でありすぎたり、ときには受け入れがたいと思われることもあったのです。いろいろなことに手をだしてみた後、孤独な生活ながら十分に暮らしてきたのは、山のなかで此の小さな酒場を営んでいたからです。でも侘び住まいをおくるうちに、野蛮人のような暮らしに近づいてきました。冬になればエスキモーのように、体の輪郭がわからなくなるほど着ぶくれます。暑い夏になればレッド・インディアンのように、皮のズボンだけをはき、太陽から身を守るため、大きな麦わら帽子をかぶります。ベルトには鞘つきナイフをつるし、わきには長い銃をかかえるのです。あえて申し上げるなら、私のいる場所へと登ってくる旅行者たちには荒々しい印象をあたえました。でも、あの男ほどには狂気にかられているとは思われなかったにちがいありません。あの男と比べたら、私は五番街の住民のような洒落者ですから。

I was well educated and fond of music and books. But, like many other hybrids, I was too good or too bad for the world; and after attempting many things I was glad enough to get a sufficient though a lonely living in this little cabaret in the mountains. In my solitude I fell into many of the ways of a savage. Like an Eskimo, I was shapeless in winter; like a Red Indian, I wore in hot summers nothing but a pair of leather trousers, with a great straw hat as big as a parasol to defend me from the sun. I had a bowie knife at my belt and a long gun under my arm; and I dare say I produced a pretty wild impression on the few peaceable travellers that could climb up to my place. But I promise you I never looked as mad as that man did. Compared with him I was Fifth Avenue.

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2018.06 隙間読書 島田荘司「夜は千の鈴を鳴らす」

初出:1988年11月 光文社カッパノベルズ

まずタイトル「夜は千の鈴を鳴らす」がいい。哀しみが漂うような、不安にみちているような、それでいて美しい…読んでみたくなるタイトルである。

鉄道のトリックも、高木作品ではよく考えてみると不明だった車両への忍び込み方、線路の配置を細かく考えている。高木作品の影響をたぶん受けているのだろうが、高木作品よりもトリックを深めようとしている姿勢もいい。

登場人物、鬼島政子の上昇志向が強い人物像も、新幹線が開通したり、オリンピック放送に人々が夢中になる様子も1964年という時代設定だからこそ。失われつつある昭和の風景を伝えてくれる風俗小説としても読み応えがある。

以下の文は鬼島政子の目から見た新幹線の工事の様子である。この時代を生きた作家だからの文だろう。

毎日歩いている幸田駅までの道を上空で横切って、ある日コンクリートの高架線の工事が始まった。それは東京からやってくる夢の超特急の工事だった。ずいぶんして、それを知った。

子供の頃から見慣れている東海道線のレールとは、それは見事なくらい違った。一人の田舎娘を拒絶するように、レールは遥か上空にあった。都会の匂いに直結しているはずのその夢の鉄道は、まさに政子の憧れの高みに位置した。

ただ鬼島政子に近づいてくる草間宏司の人物像は少しぼんやりしているような気もする。なぜ鬼島が惹かれたのか、彼女ほどのやり手が草間の意図に気づかないのは不自然ではないだろうかと疑問も少々。

光文社文庫の表紙もあまりに生々しいのではないだろうか。タイトルが「夜は千の鈴を鳴らす」と詩情あふれるものなのだから、表紙もそれにふさわしいものなら…もっといいのにと思いつつ頁を閉じる。

読了日:2018年6月10日

 

 

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2018.06 隙間読書 東雅夫編「山怪実話大全 岳人奇談傑作選」

2017年11月刊行

山と渓谷社


タイトルからは「山怪実話大全」と何やら怖そうな印象をうけるけれど、怖い話をやみくもにあつめた本ではないから、怖いものが苦手の向きも大丈夫。

山の不思議の数々が散りばめられたこの本の頁を繰るうちに、まるで山の交響曲に耳を傾けるかのような思いに…。ぞっと総毛だつ思いがしたかと思えば、ときには笑い、でも最後には山でたどりつくものに思いを寄せてしんみりしたり…山にまつわる様々な思いが見えてくる。


まずは冒頭、夢枕漠「不思議な山」を読んでいると、山での不思議な体験を、敬虔な気持ちで受けとめようと自然に思えてくる。

その岩尾根の内部に、天のどこかに通じる、次元を超えた穴があいていて、水はそこからやってくるーそのように考える方がよほどしっくりする光景だった。

夢枕漠「不思議な山」


そのあと読み進めれば、「灯り」「蜘蛛」「亡き友のケルンの幻」「木曽御岳の人魂」「十字架や亡霊、雪の中での火、雪女など様々な幻影」「凍死した男の幽霊」「山で遭難した友達の顔が宿のおばさんに見えていた」「誰もいないはずの山小屋でなぜか燃えていた蝋燭」…と何処か美しい山の怪談を堪能。


怪談のあとに続くのは雑誌「山」と「山と高原」合併第1号に掲載された読者懇親会の様子「山のおばけ座談会」。どこかユーモラスなオチのある話が多く、しばし心和んで怖さを忘れる。


そのあとは、辻まこと「七不思議」で始まる。

山へいけば不思議なことは七つばかりじゃない。七不思議の七は数ではなく幸運の意味の七だ。とにかく私の遭ったいくつかの不思議とは、こんなものだ。

辻まこと「七不思議」

幸運を呼ぶ七不思議はどこか懐かしくて怪しい存在の者たち。その名前をつぶやくだけで確かに幸せな気持ちになってくる。ほら!

「山男」「大蛇」「黒沢小僧」「小豆ばばさ」「地ころがし」「檜枝岐の山の神とバンデー餅、隠し婆さん、狐憑き」「雪女」「ヒマラヤの怪巨人と雪人」「野槌」「ツチノコ」「ブロッケン妖怪」「怪しの高山病」「アイヌの宝の山ユーラップ岳の怪獣」「鬼の首」「仙人と天狗」「山伏」「山男、山女、山姥」「草でも木でも命があると怒る山の神」


終わりに近づくと、「見知らぬ旅人が立ち寄ると、犬も、子供も怯えた。その旅人とは…」という怪談が少しずつ形を変えた話が収録されている。岡本綺堂「木曽の怪物」、岡本綺堂「炭焼の話」、白銀冴太郎「深夜の客」、杉村顕道「蓮華温泉の怪話」、岡部一彦「一ノ倉の姿無き登山者」。

同じような山の怪談が語られているのはなぜだろう…と思う時、冒頭の夢枕漠の「不思議な山」の一文に戻っていく。

単独行ー

これほど自分の魂を見つめる作業としてふさわしいものはないように思う。

自分の肉体を使って宇宙との交信をしようという作業にも似ている。

はがされてゆくうちに人間ですらなく、獣ですらなく、ただの自分になってゆく。そこをくぐりぬけたあげくに、もう一度、哀しい人間の肉体にたどりつく。

自分は、自分であると同時に、人間の肉体と、人間の精神を持ったものであることがわかる。

結局、哀しい人間にたどりつく。

たぶん、山の頂で、人がたどりつくのは、この人間の哀しみなのだ。

だからこそ、人はその頂から降りることができる。降りてゆくことができるのだ。

街へー

夢枕漠「不思議な山」


どこの山に登ろうとも、たどりつくのは人間の哀しみだから、降りたときに語られる山の怪談には、どこか同じような調べが聞こえるのではなかろうか…と思いつつ頁をとじる。

読了日:2018年6月7日

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第321回

「次に読みあげる手紙は」アーサー・イングルウッドは続けた。「訴訟依頼人の奇妙な性格をはっきり示すことだろう。カリフォルニアの山からで、内容は以下のとおりである。」

「サー、この素晴らしい記述に該当する人物は、しばらく前にシエラの山道を通り過ぎていきました。そこに私は住んでいるのですが、おそらく定住しているのは私だけです。私はごく簡単な宿屋を営んでいます。山小屋よりも簡素な宿屋で、ひときわ険しい山道にあります。私の名前はルイ・ハラ、この名前のせいで私の国籍について戸惑われるかもしれません。ええ、私もそのせいでずいぶん困惑しています。十五年間社会から外れて過ごしたら、愛国心をいだくのは難しい。小さな村すらないところにいたら、国家について考えることは難しい。私の父は獰猛なアイルランド人で、昔カリフォルニアにいた連中のように銃の名人でした。母はスペインのひとで、自分がサン・フランシスコにつらなるスペインの古い家系であることを誇りにしていましたが、レッド・インディアンとの混血だと陰口をたたかれていました。

“The next letter I have to read,” proceeded Arthur Inglewood, “will probably make clear the nature of our client’s curious but innocent experiment. It is dated from a mountain village in California, and runs as follows:—

“Sir,—A person answering to the rather extraordinary description required certainly went, some time ago, over the high pass of the Sierras on which I live and of which I am probably the sole stationary inhabitant. I keep a rudimentary tavern, rather ruder than a hut, on the very top of this specially steep and threatening pass. My name is Louis Hara, and the very name may puzzle you about my nationality. Well, it puzzles me a great deal. When one has been for fifteen years without society it is hard to have patriotism; and where there is not even a hamlet it is difficult to invent a nation. My father was an Irishman of the fiercest and most free-shooting of the old Californian kind. My mother was a Spaniard, proud of descent from the old Spanish families round San Francisco, yet accused for all that of some admixture of Red Indian blood.

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