2018.02 隙間読書 栗林佐知「はるかにてらせ」

意外さがいろいろつまりながら、最後はきれいに、心きよらかな気持ちになる驚きにつながる作品。

まず1頁の2行めから女の幽霊がでてくるという意外さ。幽霊が登場人物という意外さ…にとても嬉しくなってしまう。

その幽霊は「髪のさらさら長い、つぶらな目」で、学生時代の軽音部のありさー先輩。しかも、この幽霊は「けらけらころころ、笑い声が響いた」り、「身体をしなりと横むけ、小指を立てた手を口もとに添えて笑っている。青く色褪せた和服美人、白川そのみさんのマネをしている」こともあって、どこかユーモラス。これも意外。

主人公サワちゃんがありさー先輩たちとポップコンテストで歌った歌の意外さ。現代の作品に過去の歌をとりいれる創意工夫の楽しさ、意外さ。

「はるかにてらせ 山の端の月

 信じるものさえ見えないよ

 はるかにてらせ 銀色の月

 冥きより 冥き道を」

この和泉式部の歌を教えてくれた中学の国語の先生の思い出。やんちゃな生徒と戦うその先生が仕事をやめ、主婦になったことへの落胆。主人公サワちゃんも歌手への夢をなかばあきらめ、主婦になっていることを思い出させるのは幽霊のありさー先輩。

なぜ、この幽霊はでてくるのだろう?と思ったところで、ちょうどサワちゃんがこう訊ねる絶妙のタイミングの意外さ、心地よさ。

「でも先輩、なんで出てきたのですか?」

サワちゃんはやがて気がつく。

「がんばることさえできなかったから、私はあきらめることもできないでいる」

そんなサワちゃんに先輩は語りかける。

「幽霊って、自分のこと、恨んでる人のところにでるんだよ」

サワちゃんも、先輩の言葉にうなづき、こう考える。

「どんなに先輩と一緒にがんばりたかったことだろう。どうして先輩はちっともがんばってくれなかったのだろう。がんばらないくせに『やめる』とも言わず、側にいてけらけら笑ってばかりいるのだろう。こっちはずっと尊敬しているのに」

そんな先輩の言葉を聞いているうちに、サワちゃんは自分の気持ちに気がつく。

今日の夕方にはまたしぼんで、ばかばかしい気持ちになっているんだろうけど。でも、やっぱり歌いたい。

そう思ったサワちゃんは、ありさー先輩の幽霊にこう語りかける。

「だから先輩、もういいから、安心して成仏してください」

ありさ―先輩は成仏したのか消え、物語は終わりをむかえる。サワちゃんも自分の気持ちに気がつき、幽霊も成仏していく。読んでる者の心も安らかになる…という形はまるで能のようではないか。現代風の言葉を話す主人公たちが、能のような形式でまとまっていく意外さ。

いろいろな意外さに心癒された。

「はるかにてらせ」は印象に残る題だが、「くらきより くらきみちを」という続編があれば…とも思った。

読了日:2018年2月24日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第290回

こう言いながら、彼は熊手を空めがけて放り投げーその熊手はかつて大勢の人々が放った矢よりも高いところまで飛んでいったー、そしてふたたび熊手をとらえた。それから駆け足で生垣をはらい浄めると、下の小道に降り、帽子もかぶらないで道を進んでいった。その叙述の大半は、イングルウッドがたまたまその場所を覚えていたことからきていた。彼が心の目で見たのは、背が高く、帽子をかぶっていない人物が、ぎざぎざの熊手を手に、くねくねとした森の小道を意気揚々と歩き、街灯も、郵便ポストも通り過ぎていく姿であった。

 

With these words, apparently, he sent the rake flying far up into the sky, higher than many could have shot an arrow, and caught it again. Then he cleared the hedge at a leap and alighted on his feet down in the lane below, and set off up the road without even a hat. Much of the picture was doubtless supplied by Inglewood’s accidental memory of the place. He could see with his mind’s eye that big bare-headed figure with the ragged rake swaggering up the crooked woodland road, and leaving lamp-post and pillar-box behind.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第289回

あきらかに、彼は熊手を適切な使い方にもとづいて使おうとは考えなかった。そしてその結果、庭師は冷ややかに、そっけなく、彼の行動について語った。それでも庭師には自信があったが、十月のある朝、家の角を曲がりながらホースを手にしているとき、スミス氏が芝生に立っている姿を見た。スミス氏は赤と白の縞の上着を着ていたが、それはゆったりとしたスモーキング・ジャケットだったのかもしれないけれど、パジャマのようでもあった。庭師は、彼がすぐさま妻に呼びかける声を耳にした。彼女は寝室から庭園をながめていた。その声はきっぱりとしていて、騒々しかった。

「もうこれ以上ここにいるつもりはない。ここから遠いところで別の妻をもらい、もっといい子供たちを授かっている。もう一人の妻の髪のほうがずっと赤いし、もう一人の庭師の方が庭をもっと素敵にしている。だから、そっちの方へ行くんだ」

 

Never, apparently, did he think of putting the rake to any of its proper uses, and the gardener, in consequence, treated his actions with coldness and brevity. But the gardener was certain that on one particular morning in October he (the gardener) had come round the corner of the house carrying the hose, had seen Mr. Smith standing on the lawn in a striped red and white jacket (which might have been his smoking-jacket, but was quite as like a part of his pyjamas), and had heard him then and there call out to his wife, who was looking out of the bedroom window on to the garden, these decisive and very loud expressions—

“I won’t stay here any longer. I’ve got another wife and much better children a long way from here. My other wife’s got redder hair than yours, and my other garden’s got a much finer situation; and I’m going off to them.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第288回

イングルウッドは、その場所をよく知っていた。健康のために自転車を走らせ、二十回ほど通り過ぎたことがあったからだ。通りがかるたびに、そこは何かが起きそうな場所だとかすかに感じた。だが彼が心底震えているのは、怖ろしい友達なのか、あるいは敵なのか分からないスミスが、いつ何時、頭上の庭の茂みにあらわれたかもしれないと感じているからであった。庭師の説明は、牧師補とはちがって、派手な形容詞はなかった。しかしながら文に書けば、ひそかにたくさんつぶやいたのかもしれなかった。庭師がただ語ったことは、ある朝スミス氏は姿をみせると熊手で遊び始めたが、それはしょっちゅうしていることだった。ときどき彼は上の子供の鼻をくすぐったりすることもよくあったー彼には二人の子供がいたー。ときどき彼は木の枝に熊手をかけて、運動をするような勢いで熊手をつかんで木を登ったが、それは巨大な蛙が最後の苦しみにのたうちまわっているかのようだった。

 

Inglewood was sure of the place; he had passed it twenty times in his constitutionals on the bicycle; he had always dimly felt it was a place where something might occur. But it gave him quite a shiver to feel that the face of his frightful friend or enemy Smith might at any time have appeared over the garden bushes above. The gardener’s account, unlike the curate’s, was quite free from decorative adjectives, however many he may have uttered privately when writing it. He simply said that on a particular morning Mr. Smith came out and began to play about with a rake, as he often did. Sometimes he would tickle the nose of his eldest child (he had two children); sometimes he would hook the rake on to the branch of a tree, and hoist himself up with horrible gymnastic jerks, like those of a giant frog in its final agony.

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2018.02 隙間読書 ルキアノス「嘘好き、または懐疑者」

訳者:高津春繁

「世界幻想文学大全 怪奇小説精華」収録 東雅夫編 筑摩書房

〇〇ースという聞きなれない名前があふれる世界にやや混乱、途中で最初から読み返してしまったが、それでもすごく面白い。テュキアデースという男が病のエウクラテースを見舞い、そこでさんざんほら話を聞かされる。そのほら話をピロクルースに語って聞かせるという形。

シリアの人ルキアノス(120~180頃)がこの作品を書いたのは二千年近く前。それなのに怪奇幻想を産み出す心は今と同じということに感動。ルキアノスが産み出した怪奇幻想の世界にも感動。


たとえば台から降りて邸を歩き回る銅像も、目にうかぶように細かく描写されていて、読むのが楽しい。

彼(銅像)は自分の立っている台から降りて邸の内をぐるぐると歩き廻るのだ。われわれはみんな彼に、時には歌っていない彼に、出逢う。だが誰にも害は加えない。ただ側によるだけでよいのだ。すると彼は見ている者にちょっとも邪魔しないで通って行く。それから本当だよ、彼はしばしば入浴して一晩中遊んでいる。だから水音が聞こえる


大地の割れ目から見える地獄の風景も、まるで目にうかんでくるように語られている。

ヘカテ―は蛇形の足で大地を蹴って、タルタロスに達するほど深い素晴らしく大きな割目をつくった。それから間もなくその中に飛び込んで立ち去った。わしは勇を鼓して、目まいがしてまっ逆さまに落ち込まぬように、近くにはえている木につかまって、のぞきこんだ。そこでわしは地獄の中のあらゆるものを見た。火焔の川、湖、ケルベロス、死人たち、その中の二、三人が誰だか分かったほどだ。例えばだ、わしの父がわれわれの着せて葬ったのと同じ着物を身に纏っているのをはっきりと見たよ。


すりこぎに呪文をかけて召使をつくりだしたのはいいが、水汲みをやめる呪文が効かず、いつまでも水汲みを続ける場面にも笑ってしまう。

聖者が閂やすりこ木に着物を着せかけ、呪文をとなえると人間になって仕えてくれる召使になる。聖者がその呪文を教えてくれようとはしないので、エウクラテースは呪文を盗み聞きして、すりこぎを召使にかえてしまう。ただ、その召使は水がいっぱいになっても、水くみをやめようとはしない。閉口したエウクラテースが、斧で真っ二つにすると、今度は召使が二人あらわれ、せっせと水汲みをまた始めた。


二千年前の人々も、夜のむこうに私たちと同じ気配を見て怖れたり、笑ったりしたのだなと、今とまったく変わらない心があることに驚いた。

高津訳はだいぶ言葉を補いながらの訳である。もしかしたらそのせいで原文と意味が離れてしまい、読みにくいところがあるのかも…という気がした。ちなみに題も英語での題はThe liar である。嘘好きの方が話の内容にあっているが…。ルキアノスはじっくり英訳を読んでみたい作家である。

読了日:2018年2月16日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第287回

グールド氏は相変わらず上機嫌のまま立ちあがって庭師を紹介した。その庭師の言葉によれば、彼がイノセント・スミス夫妻に仕えたのは、夫妻がクロイドン通りのはずれの小さな家を手に入れた頃のことである。庭師の話はいろいろなことに触れたので、イングルウッドは自分がその場所をみたような気がしてきた。その家があったのは町だろうか田舎だろうか、とにかく道のはずれで、忘れようとしても忘れることができない場所であった。それと言うのも砦に見えるからだ。庭は道よりも高いところにあった。庭のはずれは急斜面になっていて要塞のようだ。向こうにはまごうことなき田園風景が広がり、その風景を一本の白い道が横切っている。灰色の木々の根も、幹も、枝も、空を背景にくねくねと曲がり、ねじれている。小道そのものは町からのびていると主張しているかのようで、灰色に隆起している高台を背にして、くっきりと浮かび上がっているのは奇妙な黄緑色に塗られた街灯で、はずれには赤の郵便ポストがあった。

 

Mr. Gould, with his tireless cheerfulness, arose to present the gardener. That functionary explained that he had served Mr. and Mrs. Innocent Smith when they had a little house on the edge of Croydon. From the gardener’s tale, with its many small allusions, Inglewood grew certain he had seen the place. It was one of those corners of town or country that one does not forget, for it looked like a frontier. The garden hung very high above the lane, and its end was steep and sharp, like a fortress. Beyond was a roll of real country, with a white path sprawling across it, and the roots, boles, and branches of great gray trees writhing and twisting against the sky. But as if to assert that the lane itself was suburban, were sharply relieved against that gray and tossing upland a lamp-post painted a peculiar yellow-green and a red pillar-box that stood exactly at the corner.

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2918.02 隙間読書 北村薫「朧夜の底」「六月の花嫁」「夜の蝉」

初出:1990年

東京創元社

殺人も、財産騒動も何も出てこないけれど、人の心の意外さを解き明かしてアッと驚かす北村作品、私にはとても楽しいミステリである。

「朧夜の底」で語られた赤いドレスを着て可愛い姉、同じ服を着てもなぜか可愛く思えない私のエピソード。それに「夜の蝉」の赤のスリッパ、ピンク色のスリッパをめぐる姉妹の争いも絡んで、この姉妹の葛藤も大事な伏線になっている。

こんな心の錯覚を見せてくれるミステリもいいなとおもう。

主人公「私」の名前は出てこなかったと思うが。シリーズの最後まで名前は分からないままなのだろうか?なぜ主人公の名前を空白にしたのだろう…その意図も知りたい。

読了日:2018年2月14日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第286回

「被告人からなにも受け取っていない」ムーンは落ち着いて答えた。「弁護側がしめしたわずかな文書の出どころは別方面からだ」

「どちらからなのか?」ピム博士は訊ねた。

「どうしても教えてほしいということなら」ムーンは答えた。「あの文書はミス・グレイから入手した」

サイラス・ピム博士は目をつぶるのも忘れてしまい、そのかわりに目を大きく見開いた。

「それはつまり」彼は言った。「ミス・グレイが、前スミス夫人について証言する文書をもっていたということなのか?」

「まさにそのとおり」イングルウッドは言うと、腰をおろした。

 ピム博士は、声をおとして痛ましそうに思い込みについて一言二言語り、そして明らかに困難な様子を見せながら開会の挨拶を続けた。

「不幸にも、悲劇的な真実がパーシー牧師補の話から明らかになった。その真実を確信させたものとは、他の、衝撃的な文書だった。しかも私たちが持っている文書だった。これらの文書のなかでも、重要で、もっとも確かなのはイノセント・スミスの庭師によるものだ。その庭師はスミスをよく見かけたが、彼のふるまいの大半は、夫婦の不誠実といった類の、芝居にでてきそうな、目をみはってしまうものだったらしい。グールドさん、庭師を紹介してください」

“We have had nothing direct from the prisoner,” said Moon quietly. “The few documents which the defence guarantees came to us from another quarter.”

“From what quarter?” asked Dr. Pym.

“If you insist,” answered Moon, “we had them from Miss Gray.

“Dr. Cyrus Pym quite forgot to close his eyes, and, instead, opened them very wide.

“Do you really mean to say,” he said, “that Miss Gray was in possession of this document testifying to a previous Mrs. Smith?”

“Quite so,” said Inglewood, and sat down.

The doctor said something about infatuation in a low and painful voice, and then with visible difficulty continued his opening remarks.

“Unfortunately the tragic truth revealed by Curate Percy’s narrative is only too crushingly confirmed by other and shocking documents in our own possession. Of these the principal and most certain is the testimony of Innocent Smith’s gardener, who was present at the most dramatic and eye-opening of his many acts of marital infidelity. Mr. Gould, the gardener, please.”

 

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2018.02 隙間読書 岡本綺堂「修善寺物語」「春の修善寺」

「修善寺物語」の初出:1911(明治44)年 文芸倶楽部

「春の修善寺」の初出:1918(大正7)年 読売新聞


「幻想秘湯巡り」に出てきた岡本綺堂の「修善寺物語」を読んでみた。

修善寺の面作り師、夜叉王とそのふたりの娘かつら、かえでの物語。

修善寺に幽閉中の頼家から、夜叉王は頼家の面をつくるように頼まれるが何度作り直してもなぜか満足のいく面はできない。

夜叉王に催促にきた頼家は、上昇志向の高さゆえに独り身のかつらに魅せられ、面とともにかつらを側室として連れ帰る。

だが、その夜、北条の討手が襲撃。かつらは頼家の面をつけ敵をひきつけ瀕死の傷を負う。かつらの努力もむなしく頼家も死ぬ。

父、夜叉王のもとで息絶えようとするかつらは「たとい半時一時でも、将軍のおそばに召し出され、若狭の局という名をも給わるからは、これで出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ」と言う。

父、夜叉王も「わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい」と言う。

このふたりの立場や芸術への上昇志向は何なのだろうか? なぜ岡本綺堂は、こんなにエキセントリックな親子を書いたのだろうと「春の修善寺」を読んでみる。


「春の修善寺」の最後はこんなふうに終わる。

わたしが今無心に掻きまわしている古い灰の上にも、遣瀬ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。温泉場に来ているからといって、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にも色々の苦しい悲しい人間の魂が籠っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。 

 修禅寺の夜の鐘は春の夜の寒さを呼び出すばかりでなく、火鉢の灰の底から何物かを呼び出すかも知れない。

岡本綺堂が温泉場の火鉢の灰をかきまわしながら、会津出身の両親や祖父母の思いを考えているうちに夜叉王も、かつらも、灰の中から綺堂の思いと共に生まれてきたのだろうか。会津の武士の血が流れる綺堂のやるせなさがこんな作品を生み出したのだろうか?

読了日:2018年2月11日

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チェスタトン 「マンアライヴ」二部三章第285回

3章 堂々巡りをしたことになるのか、それとも別居の告訴になるのか

 ピムは心底当惑して立ち上がった。アメリカ人なので、彼はレディをたしかに敬っていたけれど、科学的に説明をつけられるものではなかったからだ。

「却下します」彼は言った。「細心の注意をはらいながらの、とても騎士らしい抗議なんですが。それも同僚グールドの演説のセンスのせいでなされた抗議ではありますが。そして皆さんに謝罪します。私たちは真実を荒々しく求めましたが、皆さんにはこんな封建国家の廃墟には相応しくないように思えるでしょうから。それでも思うのですが、私の同僚グールドの問いかけは、けっして適切さを欠いたものではないと。被告人スミスに対する最初の告訴は、押し込み強盗の件についてのものでした。書類上、次の告訴は重婚についてのものです。弁護側は、この最初の告訴について弁護しようとしますが、弁護することで次の告訴を認めてしまったことは疑いようもなく明らかなのです。イノセント・スミスは押し込み強盗の告訴をされています。もしかしたら、それは感情が一時的に爆発したものなのかもしれません。でも未遂ではありますが、彼は重婚をしようとしたのです。パーシー牧師補からの手紙をどう受けとめるか次第ですが。弁護側は、どのようにしてパーシー牧師補からの手紙を手に入れたのでしょうか? 囚人から直接入手されたのでしょうか?」

The Round Road;
or, the Desertion Charge

Pym rose with sincere embarrassment; for he was an American, and his respect for ladies was real, and not at all scientific.

“Ignoring,” he said, “the delicate and considerable knightly protests that have been called forth by my colleague’s native sense of oration, and apologizing to all for whom our wild search for truth seems unsuitable to the grand ruins of a feudal land, I still think my colleague’s question by no means devoid of rel’vancy. The last charge against the accused was one of burglary; the next charge on the paper is of bigamy and desertion. It does without question appear that the defence, in aspiring to rebut this last charge, have really admitted the next. Either Innocent Smith is still under a charge of attempted burglary, or else that is exploded; but he is pretty well fixed for attempted bigamy. It all depends on what view we take of the alleged letter from Curate Percy. Under these conditions I feel justified in claiming my right to questions. May I ask how the defence got hold of the letter from Curate Percy? Did it come direct from the prisoner?”

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