アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.20

怒らせてしまう原因も多少はあったらしい。少年は発達が遅れ、五歳の子供と同じくらいであった。スケルトンはその子を男子校にいれはしたものの、それは何の役にもたたなかった。少年は躾をこばみ、釣りにだけ夢中だった。毎日のように釣り竿をもって田園をほっつき歩いていた。これが複数の目撃者の証言によって明らかになった事実だ。

ついに凶行の日となって、スケルトンは少年を追いかけ、釣り竿が隠してある場所を見つけようと、牧草地から猟場へとすすみ、さらに湖へとやってきた。そこで何が起きたのかを説明するスケルトンの言葉は乱れ、錯乱している。彼の自白によれば、人事不省となった少年の頭と両腕のあたりを重い棒で殴りつけたが、棒はその用途で持ってきたということだ。だが殺すつもりはなかったと否定している。息子が感覚をうしない、息をとめたところで、彼はようやく自分が打ちつけた力に気がついた。でも、直後に感じたのは自らの行いを咎める罪悪感ではなく、我が身の保身を心配する気持ちだったと言っている。遺体を引きずりながら水際のガマのあいだに分け入ると、そこに上手く隠した。夜になって隣人たちが床に入って寝つく頃、彼は星明りを頼りに、干し草用のフォークをひとつ、ロープを一巻き、鉄棒を二本、ナイフを一本携えて、こっそりと家を出た。それだけの荷物を背負いながら原野を歩き、柵をこえて猟場へ入り、ストーンリー方面のフットパスをたどって、三、四マイルほど遠回りした。朽ちかけた古い舟が一艘、湖に係留されていた。彼はこの古い舟をつなぐ縄をほどき、ぐるりと廻すと、遺体をひきずりこんだ。それから舟をこいで、おぞましい彼の荷を湖のなかほどまで運びこんだが、そこは対岸から遠く、目的を果たすのに選んだ葦の茂みと同じくらいに離れていた。彼は死体に重りをつけて沈め、干し草用フォークで首を押さえつけた。それから干し草用フォークの持ち手を切り落とした。釣り竿は葦のあいだに隠した。殺人犯がいつも信じ込むように、発見されることはあるまいと考えた。ピット・エンドの人々には、甥はカンバ-ランドに戻ったと説明しただけだった。そして疑う者は誰もいなかった。

今のところ、たまたま事故になっただけで、自分から罪を自白しようとしていたと彼は言っている。おそろしい秘密に、だんだんと耐えられなくなったそうだ。彼は、見えない者の存在につきまとわれていた。その者は、食卓につくときも一緒、散歩のときも一緒、教室では彼の背後に立ち、寝台のよこで彼を見つめていた。その姿は彼には見えなかったが、いつもそこにいるのを感じていた。ときどき独房の壁に影がみえると譫言をいっているよ。刑務所の責任者によれば、精神状態が不健康だということらしいが。

 さあ、もう君に話せることは話した。裁判は、春の巡回裁判までないだろう。とりあえず、僕はパリにむかう。そして10日たてばニースだ。手紙はホテル・デ・エンペリューズにだしてくれ。

 P.W

追伸

 ここまで手紙を書いたところで、ドラムレーからスケルトンが自殺をはかったと告げる電報を受け取った。詳しい状況は書いていない。これでこの波瀾万丈の奇妙な話もおしまいだ。

ところで、猟苑をとおったときの、君のいつかの幻影はじつに奇妙ではないか。僕は何度も考えた。あれは幻影だったのかと。 じつに不可解だ」

ああ、たしかに! 不可解だ。今でも不可解だ。説明することなんかできない。でも、それはたしかに存在したものだ。疑いようもなく見た。たぶん、心の目で見たのだろう。そしてわたしは見たままに語ってきた。何も抑制していなければ、何もつけ加えることもなく、何も説明はしていない。この不可解な一件は、考えてみたい者たちに任せるとしよう。わたしとしては、ただウォルステンホルムの言葉をくりかえすだけである。あれは幻影だったのかと。 (完)


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隙間読書2019.03 岡松和夫「断弦」

作者である故・岡松和夫は1976年に「志賀島」で第74回芥川賞を受賞した作家。平井呈一の姪と結婚していた岡松和夫は、1993年に平井呈一と永井荷風の決別にいたる経緯を記した本書を発表した。

「断弦」では、平井 呈一 は「白井貞一」、永井荷風は「永江荷葉」という名前で登場。その他の登場人物も、読んですぐに誰なのか推量ができる名前である。

この小説は、平井呈一が大学ノート二冊に記した回想録を入手した作家「秋川」が書いたというかたちをとっている。そのノートがはたして実在したのかどうかは分からないが、本書ではノートの五分の一は英語、ところどころ噂の箇所は黒く塗りつぶしてあったと描写されている。

「断弦」のどこまでが真実かは不明だが、芥川賞作家として数多くの作品を発表してきた岡松和夫が60歳をこえてから発表した作品である。しかも登場人物が誰なのか容易に推察できる。真実を語ろうとする岡松和夫の覚悟を感じると同時に、荷風の行き過ぎた筆誅のせいで不名誉をきせられた平井の無念をはらしてあげたい、荷風の視点でのみ罵倒されてきた事件に冷静な光をあてたいという思いが伝わってくる。

荷風「来訪者」を読んでも、岡松和夫「断弦」を読んでも、 平井呈一 の印象はとても穏やかな、博識な人物ということで揺るぎない。

小千谷に疎開中、年頃の娘たちとともに妻妾同居の状態になりながら、娘も、妻も素直にその状態を受け入れ、のんびりとしている様子が意外であった。これも平井の人柄からだろうか。また稼ぐことは苦手な平井ながら、妻が入院すれば入院費をかせぐために働く……と誠意をみせ、愛人のほうも控えめに過ごしたから紛糾しなかったのではないだろうか?

また疎開先の小千谷で平井が勤務した学校でも、いかにも平井らしい穏やかな勤務ぶりが伝わってきて興味深い。

「来訪者」や「断弦」を読んで感じることは、多少の描写の違いはあるにしても、荷風は「穴のあなが小さい」ということである。平井の経済状況を助けようとする考えは毛頭なく、「来訪者」でむしろその困窮ぶり、下町ぶりを揶揄するような文を残した荷風。妻妾子同居だけれど仲睦まじい家庭について、勝手な思い込みで情痴の世界を描く文を残した荷風。やはり荷風は、穴のあなが小さい。

これから「断月」に書かれている荷葉との蜜月時代から、その決別後まで白井の胸中がうかがえる文を以下にいくつか青字で抜き出しておく。


もともと良家の子弟であったことにくわえて、作品の成功で豊かだったにもかかわらず、自分を慕ってきた白井の経済的窮状に対して、荷葉がいささかの思いやりもく、仕事を考えて弟子を助けようとする思いもなく……。かたや平井は荷葉にご馳走にならないように気をつかいながらお供、その姿はなんともいじらしい。

荷葉が銀座や浅草に出かける時には一緒に行くことも多い。食事を共に摂ることがある。荷葉が今夜はこれこれのことをしてもらった御礼だからと言わない限り、食事代は自分で払うように心掛けた。(「断弦」94頁)


翻訳が収入にはならず、妻も病気になって経済的に困った白井は、荷葉の色紙を真似て知り合いの古本屋に売る。荷葉にいれこんだ白井には自分の窮状を荷葉に相談することもできない。白井はいずれ荷葉の耳にはいることも覚悟する。やがて荷葉から自分の偽筆がでまわっている話を聞かされた白井は打ち明ける。

「『紫陽花』の原稿というのだがね。それが、よくできているらしい。そっくりの字らしいよ」などと話した。

「それはきっとわたくしのものです」

 貞吉は言葉をすらすらと口にできたのが嬉しかったほどだ。貞吉は色紙や短冊のことも話した。

 荷葉は驚いたようだった。

 貞吉はさすがに頭を下げて荷葉の言葉を待った。荷葉が家から出ていくように言えば、すぐ立ち上がるつもりだった。金に困ってなどと言訳がましいことは口にしたくなかった。

「白井さん、日本橋で食事して、一緒に浅草に行ってみましょうや」

荷葉は何も聞かなかったように、そう言って客間の椅子から立ち上がった。

貞吉はすぐには声が出なかった。自分は許されているのか、そんなことはよく分からなかった。ただ、慄えがくる程に嬉しかった。 (「断弦」110頁)


偽筆事件が発覚してから六年間、荷葉はとくに何も言うこともなく、白井とつきあいを続けたようである。

それが1941年12月20日になって荷葉の態度は豹変する。ちなみに其の13日前の1941年12月7日に日本は真珠湾を攻撃、日米が戦うことになる。荷風の日記、断腸亭日常にも開戦と共に逼迫していく世相が克明に記されている。

ようやく翌日の夜、麻布の家を訪ねていって、荷葉の応対の随分変わってしまったのが、はっきりと分かった。

 貞吉が何を話しても、荷葉が愛想よく笑うことはなかった。貞吉は何がこう荷葉を変えてしまったのか分からなかった。偽筆した原稿や書が原因というのなら、もっと早く絶交を言い渡されてもよかったような気がした。百円を借りたまま返さないこともあるのだろうか。まさか。貞吉は事情の呑みこめないまま三、四十分で辞去した。こんなことは初めての経験だった。 (「断弦」129頁)


荷葉から白井との交渉をたのまれた元文学青年石津は、荷葉の変貌を以下のように語る。でも「白井さんは荷葉にとって疫病神のようになりかけている」という石津の言葉は、かなり真実を言い当てているのではないだろうか?

あざとい荷風は日米開戦後の厳しくなりゆく社会をすばやく察知、自分の平和をかき乱す疫病神として白井を判断したのかもしれない。そうだとすれば白井のどこが疫病神に思えたのだろうか?

荷葉の痴情をつづった私信や四畳半襖の下張の流出への恐怖、愛人のいる白井の私生活への恐怖、敵国の言葉を翻訳している白井の生業への恐怖。厳しくなりゆく世相への恐怖。

荷葉の胸中で恐怖が幾重にも重なっているのに、白井は仙人のように呑気で金銭面でもあいかわらず。そうした無防備な白井の言動に刺激され、爆発してしまったとも、厳しくなる社会から巧みに距離をとろうとしたようにも思える。

私は電話で話しただけですが、荷葉さんは変りかけていますよ。私生活でも今迄のような放蕩はもう危ないと思っているようです。若い私がこんなことを言うのはおこがましいのですが、白井さんは荷葉さんに心酔していた。荷葉さんは白井さんの文学的才能を認めていた。生活に困った白井さんが偽作を作っても、それを面白がるようなところがありました。しかし、その偽作のなかには四畳半襖の下張のような危険な艶本もある。あれを読んだ人は皆写していますよ。もし警察があれを調べ出したら、どうなりますか。こんな時代になって、白井さんは荷葉にとって疫病神のようになりかけているのです。


それにしても確かに金を貸したとはいえ、縁を切ると同時に、かつて親しく浅草を歩いていた白井に、その百円の借金証文を差し出すように請求してくるとはあまりに狭量な仕打ちではないだろうか?

(途中略)それから暫くして予想していたように荷葉からの手紙が届いた。石津に教えた通り「本所区石原町一ノ五二稲村竹之助方」と所番地が記されていた。貞吉は絶交状だと思っていたが、手紙には百円返済の要求と、すぐに返せない時には連帯保証人をつけて借金証文を差し出すようにと書いてあった。(「断弦」132頁)


「来訪者」を読んだ白井は、たしかに「薄っぺらに描かれている自分」を発見し、「役に立つ間の付合」にすぎなかったと思ったことだろう。

しかし、小説のなかの青年文士と自分とは、まるで違っている。一方で、世間では当然モデルと思い込む。こんな薄っぺらな姿に描かれたことが悔しかった。この作品のなかの青年文士のようであれば、何のために文学の道に執着してきたのか分からなかった。 (「断弦」176頁)

こちらとしては一生のなかでも教わることの多い何年かだったから。偽筆などは荷葉さんも面白がっていたんだよ。放蕩無頼ではあっても、反俗の文学精神だけは共有していると思っていた。しかし、荷葉さんにとっちゃあ、役に立つ間の付合だったのかしらね。 (「断弦」181頁)


一連のやりとりを荷風側、平井側から両方から眺めてみたとき、荷風の狭量さ、あざとい振る舞いを強く感じずにはいられない。

その狭量さを思うとき、荷風だけが「来訪者」で残している「平井は鏡花に私淑しているのか」という言葉も非常に気になる。

もしかしたら荷風と雑談をしているとき、平井は無邪気に鏡花への賛美の念をあらわしたことがあったのではないだろうか?そうだとすれば、相手は狭量な荷風である。その言葉は自分への限りない侮辱に思えてしまい、数々の不安を爆発させる契機にも、しつこい筆誅小説を書こうとする動機にもなったのではないだろうか?

あとから平井も荷風のそうした思いに気がついたのでは? でも何かを言い返して荷風との泥仕合になるような愚かな道は、マイナー・ポエットの矜持がある平井呈一としては選びたくなかったのではないだろうか……そんなことを考えつつ頁を閉じる。

2019.03.13読了


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20019.03 隙間読書 永井荷風「来訪者」

荷風全集第18巻収録。

なお「女霊は誘う 文豪怪談傑作選・昭和篇 」(ちくま文庫) にも収録されているとのこと。

断腸亭日乗によれば1944年2月19日に寄稿、4月4日に脱稿、最初は「二人の客」という題であった。1946年9月5日筑摩書房初出、永井荷風が66歳のときの作品である。

この作品の登場人物「白井」のモデルである平井呈一が佐藤春夫に伴われて荷風宅を訪れたのは1935年2月2日。やがて荷風は平井の文学的教養をみとめ、人間嫌いの筈なのに平井とは二日に一度やりとりをするようになる。

だが1939年10月、平井ともうひとりの門下生・猪場毅による贋作事件が発覚。だが荷風はしばらく黙認にちかい態度をとっていたと言う。

事態が一変するのは断腸亭日常によれば1941年12月20日のこと。荷風は態度を一変、手のひらをかえしたように平井と絶交する。1944年2月から「来訪者」を書き始め、1946年に出版される。

なぜ黙認の期間が六年近くも長く続いたのに、急に絶交したのか?

1941年12月7日の真珠湾攻撃にはじまる第二次世界大戦への突入が契機なのではないだろうか?断腸亭の同年同月の記述をみても、日米開戦後、物資が急に不足していく様子が描かれている。

永井荷風が平井呈一、猪庭毅ふたりを贋作事件を理由に破門したのは日米開戦から12日後。荷風が開戦と共に急激に変化する世情を記した直後のことである。

永井荷風には、日米開戦後の日本で、英米文学の翻訳を手がけている平井呈一、そしてその周囲にいる自分がどういう辛い道をあゆむのか即座に判断、自衛のために破門したのではないだろうか?

たしか断腸亭日乗のどこかで戦況について「われに関係なし」と素っ気なく記してあったような記憶がある。外部には「われに関係なし」と言いながらも、エリート永井荷風は辛い状況に自分が追い込まれるのを避けようとしたのではないだろうか?

でも外部に「われに関係なし」と言っている荷風である。戦争が終わって「戦争のときに辛い立場になるのが嫌で平井と絶交した」と言われないように、贋作事件を盾に取ったのではないだろうか?あるいは荷風も戦時下で精神的にダメージをうけていたのかもしれない。

贋作事件で腹をたてている筈なのに、平井をモデルにした「白井」の描写は、作品の前半までは荷風の深い敬意と愛情を感じる描写で、生前寡黙だったという平井の素顔を伝えてくれる。いっぽうで後半は、荷風の「平井に災いあれ」という一念からの妄想にすぎない。

以下に前半の平井呈一についての描写を拾い上げる。平井への深い敬愛がうかがえる文もあれば、平井の家庭状況、経済状況を揶揄する文もあるが、平井の文学的素養への荷風の評価はたしかなものと思う。

白井は箱崎町の商家に生長し早稲田大学に学び、多く現代の英文小説を読んでいる。
( 荷風全集第18巻 「来訪者」 214頁)

ハーデーのテス、モーヂエーのトリルビーなどを捜して来てくれたのは箱崎で生長した白井である。
( 荷風全集第18巻 「来訪者」 214頁)

わたくしは白井ほど自分のことを語らない人には、今まで一度も逢つたことがない。その親類が新川で酒問屋をしている事、その細君は白井より一ッ年上で、その家は隣りあつて ゐ た。女は女学校、白井はまだ中学を出ないのに。いつか子供をこしらへ、其儘結婚したのだ ( 荷風全集第18巻 「来訪者」 216頁)

 わたくしは白井の生活については、此等の事よりも、まだその他に是非とも知りたいと思つてゐる事があつた。それは白井が現時文壇の消息に精通して ゐ ながら、今日まで一度もその著作を新聞にも雑誌にも発表したことがないらしい。強ひて発表しようともせぬらしく頗悠々然として居られる理由が知りたいのであった。

 わたくしは白井が英文学のみならず、江戸文学も相応に理解して居るが上に、殊に筆札を能くする事に於いては、現代の文士には絶えて見ることを得ないところでありながら、それにも係らず其名の世に顕れない事について、更に悲しむ様子も憤る様子もないのを見て、わたくしは心窃に驚嘆してゐたのであった。わたくしは白井の恬淡な態度を以て、震災前に病死したわたくしの畏友深川夜烏子に酷似してゐると思わねばならなかつた。

夜烏子(やうし)は明治三十年代に、今日昭和年代の文壇とは全然その風潮を異にしてゐた頃の文壇に、其名を限られた一部の人に知られてゐた文筆の士である。然るに白井は売名営利の風が一世を蔽うた現代に在つて、猶且明治時代の文士の如き清廉の風を失はずに超然としてゐる。夜烏子に対するよりも、わたくしは更に一層の敬意を払はなくてはならない。
( 荷風全集第18巻 「来訪者」 217頁)

木場も白井も身長は普通であるが痩立の体質は二人ともあまり強健ではないらしい。木場はいつも洋服、白井はいつも和服で、行儀よく物静かなことは白井は遙に木場に優つてゐた。来訪の際には必台所へ廻つて中音に、「御免下さい。白井で御在ます。」と言ふ。その声柄や語調は繁華な下町育の人に特有なもので、同じ東京生まれでも山の手の者とは、全く調子を異にしている。呉服屋小間物屋などに能く聞かれる声柄である。白井の特徴は其声の低いことと、蒼白な細面に隆起した鼻の形の極めて細く且つ段のついてゐることで、この二ッは電車などに乗つて乗客を見廻しても余り見かけない類のものである。わたくしの家は静な小径のはづれにあつて、わたくしの外、人が居ないので、日中でも木の葉の戦ぐ音の聞えるくらゐであるのに、白井の声は対談の際にも往々にして聞き取れないことがある。且つまた語るに言葉数が少く、冗談を言はず、いつもは己は黙して他人の語を傾聴すると云つたやうな態度をしてゐる。然しこの態度には現代の青年に折々見られるやうな、先輩に対する反感を伏蔵してゐる陰険な沈黙寡言の風は少しも認められない。文学に関して質問らしい事を言ふ時には、寒喧(かんけん)の挨拶よりも一層低い声で、且つ極めて何気ないやうな軽い調子で「その後何かお書きになりましたか。」或は「何かお読みになりましたか。」といふのである。
( 荷風全集第18巻 「来訪者」 220頁)

「来訪者」後半は事実とかけ離れ、荷風の妄想にちかい展開となっていく。だが、そのなかにも白井(平井呈一)の才能に期待していると思われる文がでてくる。

わたしは白井が鏡花風の小説をつくつたと云ふ事をきき、大に興味を催し、贋手紙の事なんぞは妬くそのままにして、俄に白井を尋ね怪談に関する文藝上のはなしがして見たくなつた。わたくしは鶴屋南北の四谷怪談を以て啻に江戸近世の戯曲中、最大の傑作となすばかりではない。日本の風土気候が伏蔵している郷土固有の神秘と恐怖とを捉へ来つて、完全に之を藝術化した民俗学的大長詩編だと信じてゐたからである。葛飾北斎と其流を汲んだ河鍋暁斎、月岡芳年等が好んで描いた妖怪幽霊の版画を以て世界的傑作となすならば、南北の四谷怪談は其藝術的価値に於て優るとも劣るところはない。然るに現代の若き文学者は此の如き民族的藝術が近き過去に出現してゐたことさへ殆ど忘却して顧ない傾がある。わたくしは白井がその創作の感興を忘れられたこの伝説から借り来つたことを聞いて、心ひそかに喜びに堪へなかつたのである。
( 荷風全集第18巻 「来訪者」 269頁)

「来訪者」は荷風が心許した大切な門弟、平井呈一の思い出を記し、その今後に期待する本であると同時に、そうした門弟を破門した真の理由「戦時下で英文学に詳しい平井と親しくしているのが嫌で破門した」をカモフラージュするための書ではないだろうか?

平井呈一はそうした師の立場を黙ってすべて受けとめ、自分によせられた期待だけをうけとめ「真夜中の檻」を書いたのでは? 荷風の文学では、未亡人との出会いがいかにもという小説になってしまうのに対し、鏡花的視点で書けばこうなるということを示そうとして「真夜中の檻」を書いたのではないだろうか?(2019.3.11読了)


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2019.03 隙間読書 小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・上」

ハーンは、ニューヨークの書店ハーパー社の「ハーパー・マンスリー」という雑誌に仏領西インドの滞在記を寄稿。その記事が好評だったこと、ハーンがかつてより日本に行きたがっていたことから、ハーンを記者として派遣。その結果、うまれたのが「日本瞥見記」だそうである(平井呈一の解説による)

西インド諸島に滞在した直後の訪日のためだろうが、ハーンが日本の風景にマルティニーク島と相通じるものを感じとっていたことにまず驚く。たとえば出雲の風景にも、ハーンはマルティニークを思いだす。まさか出雲とマルティニークがつながっていたとは、思いもよらなかった。

旅をつづけて行くにつれて、一日一日、田野のけしきが、だんだん美しくなって行く。それは火山国だけに見られる幻怪奇峭な独特の風景である。かりに、このへんの昼なお暗い松と杉の森林と、遠く薄霞んだ夢のような空と、柔らかな日の光の白さとがなかったら、身はふたたび西インドにあって、ドミニカ島や、マルチニーク島の翠巒(すいらん)の九十九(つづら)折を、自分はいま登っているのではないかと、旅の途みち、ふとそんな気のする時がちょいちょいあった。じじつ、地平線のかなたにシュロの木や綿の木のかげを探し求めることさえ、わたくしはしばしばあった。(小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・盆おどり」174頁)

美保の関の水夫たちにも、ハーンは西インド諸島のクリオールの水夫を重ねてこう描く。美保の関の水夫にクリオールの水夫を重ねて見ていたとは……とやはり驚く。またハーンの西インド諸島での日々は、日本を受け入れる大事な基盤を築いた日々だったのだとも思う。

その惻々とした哀調は、わたくしをして、西インドの海で聞いた、スペイン系のクリオル人の古風な調べを思いおこさせる。

アラ ホーノ サノサ

イヤ ホー エンヤ!

      ギ―

      ギー
    (小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・美保の関」316頁)

来日一日目から、そしてその後もしばしばハーンの心をとらえたのは、街中のいたるところで見かける文字が発する不思議な魅力。この印象がのちの「 耳なし芳一」 に結晶していくのだろうか。

やがて、ごろりと横になって、眠りにつく。そうしたら夢を見た。---なんでも、白と黒の数知れぬ奇々怪々な漢字が、看板に書いてあったのも、障子に書いてあったのも、わらじをはいた男の背中に書いてあったのも、みな、それがひとつ方面にむかって、自分のそばをひゅうひゅう飛んで行く夢だ。しかも、どうやらその文字が、ひとつひとつ自覚した生命をもっているふうで、ちょうど節虫のような虫がムズムズ気味わるく動くように、画だの棒だのの部分を、むずりむずりと動かしているのだ。
(小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・極東第一日」52頁)

平井呈一の訳文は、風景描写のところだと江戸っ子の平井が少し飽き飽きしながら訳しているような気もするのだが、それが怖い話のところさしかかると俄然ノリノリで訳しているように思えてくる。

なんにしても、加賀へはぜひ行かなければならない。あすこには、大きな岩屋の中に、有名な石地蔵があって、毎夜、小さな子どもの幽霊たちが高い岩屋にのぼって、その石地蔵のまえに小石を積むのだといわれている。なんでも、朝になると、柔らかな砂浜に、新しい小さな足あとがーーー子供の幽霊たちの足あとが印されているそうである。だから、参詣者は、子どものはく小さな草履を持って行って、子どもの幽霊たちがとがった岩に足を痛めないようにと、岩屋の前にそれをおいてくる。そして、参詣者は、積まれた小石を崩さないように気をつけて、抜き足さし足で歩く。小石が崩されると、子どもの幽霊たちが泣くからだ。
(小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・神々の国の首都」221頁)

怪談の箇所を読んでいると、平井 呈一 がハーンと一体化しているかのように思えてくるのはなぜだろうか? ハーンの怪談を愛する心は、平井 呈一 の大切な文学の指針でもあり、生き方の大切な指針そのものだったからではないだろうか?

ハーンが描く日本はよく知っている母国の風景なのに、実は何も知らなかったことを思い知らされながらも、ハーンの目で日本の風景を追いかけて感動してしまう。例えば、心中したふたりの弔い方にしても、ハーンとともに人々のやさしさ、こまやかさに感じ入ってしまう。

心中という言葉そのものはよく知っていながら、私たちの知識は心中にいたる場面までである。そのあと、ふたりを憐れんだ人々がどう葬るかは知らない。心中したふたりを葬る時の人々の思いをくみとるハーンに驚きつつ、実は知らない日本の風景を思う。

この念願がかなえられたばあいの葬式は、まことに美しい、哀れ深いものがある。双方の家から、それぞれ二つの葬式が出て、それが提灯のあかりをたよりに、寺の境内で落ち合うのである。本堂で読経と、型のごときおごそかな式があったのち、住職がふたりの霊にむかって、引導を渡す。人間のあやまちと罪業について、住職は同情をもって説教をし、犠牲となった年若いこのふたりは、春一番に咲いて散った花のごとく、命短く、かつ美しかったと語る。ふたりをそこまで追いやった迷い―――住職はそのことについても語って、仏陀の誡 めの経を誦する。また時には、住職は、聴く者を思わずほろりとさせるような、つくろわぬ辯舌のうちに、大衆の心持を代弁しながら、恋人同士は来世においてかならずいっしょになり、さらにしあわせな、位の高い生涯を送るだろうといって矛盾することもある。やがて、二つの葬列は一つとなって、かねて墓穴の用意してある寺の墓地へと行く。二つの棺はいっしょに下されて、墓穴の底に、棺の横板をぴったり合わして据えられる。それから「山の者」たちが、仕切りの横板を引き抜いて、二つの棺を一つにする。そうして、一つの棺に結ばれた亡骸の上に、土を盛りかけるのである。のちに、ふたりの不運な生涯を文字に刻み、おそらく和歌の一首も添えた石塔が、一つになった遺骸の上に建てられるというわけだ。
(小泉八雲著・平井呈一訳「日本瞥見記・心中」379頁)

平井 呈一 訳ハーン全集はハーンを知る大切な書であると同時に、こつこつ訳した平井の思い、失われた日本の風景を知る貴重な書である。それなのになかなか入手し難い現状を惜しみつつ頁をとじる。(2019.3.10読了)


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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.19

「ブラックウォーターの猟場にて、18○○年12月

親愛なるフレーザー、手紙を書くと約束したのに、だいぶ遅くなってしまった。でも、はっきりと君に語るだけの確証をつかむるまで、手紙を書いていいものかどうか分からなかったものだから。でも今、湖の悲劇に関して知り得ることはすべて判明したと思う。それは思うにーいや、最初から話していくことにしよう。つまり君が猟場を出発した日に遡ることになる。そう、遺体を発見した翌日だ。

君の出発と前後して、ドラムレーから警部がひとり到着した。(僕がただちに治安判事を呼びに人をやったことを覚えているだろう)。だが、その警部にしても、他の者にしても、遺体が岸辺に運ばれてくるまで何もすることはできなかった。そういうわけで、この困難な作業を終えるのに一週間ちかくをついやしてしまった。僕たちは大きな石をたくさん沈め、でこぼこした即席の土手道を泥の上にわたした。この道がつくられると、遺体は鎧戸にのせられ、あまり見苦しくないようにして運ばれてきた。それは年の頃十四歳から十五歳の少年だということが判明した。

 頭蓋骨のうしろは、長さ三インチにわたって骨折していた。致死の骨折ということは明白だ。これは偶然のけがなのかもしれなかった。だが、横たわっていた場所から持ち上げられたときに発見されたのだが、身体には干し草用のフォークが突き刺さっていた。しかも、その取っ手には後から削り取られた痕跡があり、水面上には現れないように手をいれられていた。それは殺人の証拠に等しいものだった。被害者の顔は腐敗が進み、誰なのか認識はできなかった。だが髪は短く、砂色だったということをしめすのに十分なだけの髪は残っていた。衣類は腐った布のかたまりと化していたが、化学検査をへた後に、かつてはやや明るめの灰色の服であったことが証明された。

 証人となる人々が、このあたりまで調査が進んだところであらわれた。彼らが検死官の査問で答えた主な申し立てを君に伝えよう。それは一年前か十三ヶ月前のことだ。校長のスケルトンは、甥だという説明の少年と暮らしていた。その少年に格段の愛情をいだいているわけではなかった。この少年は背が高く、ほっそりとした体躯で、髪は泥土のような砂色をしていた。彼がいつも着ていた服は、湖のなかの遺体がまとっていた服の色や布と一致した。なんでも彼は川のよどみや流れの速いところなど、魚の餌がありそうな場所ならどこでも出かけて、釣りに夢中になっていたという話だ。

 そうなると今度は、次から次に新たな事実が判明した。ピット・エンドの靴屋は、少年の長靴は自分がつくって売ったものだと証言した。他の証人も、叔父と甥のあいだには険悪な場面があったと証言した。とうとうスケルトンは自首して、その罪業を告白したので、意図的な殺人という尤もな罪をとわれドラムリーの刑務所に送られた。

さて動機は何だったと思うかい? そうなんだ、動機は、聞いたこともないようなものなんだ。あわれな少年は、結局のところ、スケルトンの甥ではなく、スケルトン自身の私生児だったのさ。母親が死んでしまい、少年はカンバ-ランドのなかでも、遠く離れた場所にいる母方の祖母と暮らしていた。老女は貧しかった。だから校長は息子の養育費やら洋服代やら、年間の手当を渡していた。息子とは会わないまま何年間か過ぎていたんだが、ようやくピット・エンドへ来るようにと呼び寄せた。おおかた自分の金に課せられる税金にうんざりしたのだろう。彼の告白によれば、実際には愚鈍ではないにせよ、その少年には愚かで、強情なところがあって、育ちも悪いので失望したらしい。とにかく哀れなやつに嫌悪をいだいたんだ。その嫌悪の念が、はっきりとした憎しみへと変わっていった。

‘Blackwater Chase, Dec. 20th, 18-.

Dear Frazer, My promised letter has been a long time on the road, but I did not see the use of writing till I had something definite to tell you. I think, however, we have now found out all that we are ever likely to know about the tragedy in the tarn; and it seems that-but, no; I will begin at the beginning. That is to say, with the day you left the Chase, which was the day following the discovery of the body.

You were but just gone when a police inspector arrived from Drumley (you will remember that I had immediately sent a man over to the sitting magistrate); but neither the inspector nor anyone else could do anything till the remains were brought to shore, and it took us the best part of a week to accomplish this difficult operation. We had to sink no end of big stones in order to make a rough and ready causeway across the mud. This done, the body was brought over decently upon a shutter. It proved to be the corpse of a boy of perhaps fourteen or fifteen years of age.

There was a fracture three inches long at the back of the skull, evidently fatal. This might, of course, have been an accidental injury; but when the body came to be raised from where it lay, it was found to be pinned down by a pitchfork, the handle of which had been afterwards whittled off, so as not to show above the water, a discovery tantamount to evidence of murder. The features of the victim were decomposed beyond recognition; but enough of the hair remained to show that it had been short and sandy As for the clothing, it was a mere mass of rotten shreds; but on being subjected to some chemical process, proved to have once been a suit of lightish grey cloth.

A crowd of witnesses came forward at this stage of the inquiry-for I am now giving you the main facts as they came out at the coroner’s inquest-to prove that about a year or thirteen months ago, Skelton the schoolmaster had staying with him a lad whom he called his nephew, and to whom it was supposed that he was not particularly kind. This lad was described as tall, thin, mud sandy-haired. He habitually wore a suit corresponding in colour and texture to the shreds of clothing discovered on the body in the tarn; and he was much addicted to angling about the pools and streams, wherever he might have the chance of a nibble.

And now one thing led quickly on to another. Our Pit End shoemaker identified the boy’s boots as being a pair of his own making and selling. Other witnesses testified to angry scenes between the uncle and nephew. Finally, Skelton gave himself up to justice, confessed the deed, and was duly committed to Drumley gaol for wilful murder.

And the motive? Well, the motive is the strangest part of my story. The wretched lad was, after all, not Skelton’s nephew, but Skelton’s own illegitimate son. The mother was dead, and the boy lived with his maternal grandmother in a remote part of Cumberland. The old woman was poor, and the schoolmaster made her an annual allowance for his son’s keep and clothing. He had not seen the boy for some years, when he sent for him to come over on a visit to Pit End. Perhaps he was weary of the tax upon his purse. Perhaps, as he himself puts it in his confession, he was disappointed to find the boy, if not actually half-witted, stupid, wilful, and ill brought-up. He at all events took a dislike to the poor brute, which dislike by and by developed into positive hatred.


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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.18

だが、水底が少し盛り上がっている地点に到着すると、彼らは 泥の上に姿をあらわした。それは泥のなかに沈んでいったのと同じくらいにあっという間の事であった。今、粘り気のある土がこびりついた真っ黒な姿が、胴のあたりまで見えている。もう目標地点まで三ヤードか四ヤードだ……今……ようやくたどり着いた!

まずは釣り竿を引き離している。身をかがめているその下の、かたちの失われたものに、人々の目は釘付けになっている。泥の湖底から、そいつをなかば持ちあげたところで、躊躇してしまい、ふたたびおろしてしまう。そこに置いてくることにしたらしい。それから顔を岸のほうにむける。二、三歩踏み出したところで、鍛冶屋は釣り竿のことを思い出す。難儀そうに、釣り竿のからんだ糸をほどいて肩にかつぐ。

彼らは言葉をほどんど失い、頭から踵まで泥だらけの有様ながら、ふたたび乾燥した大地に立った。だが、あの小さなものの正体は、言うまでもなかった。あれはたしかに、未葬送の遺体だった。胴の部分だけが、泥の上にあった。男たちは、持ちあげようとはした。だが、長い間、それは水につかり過ぎていた。腐敗が進んでいたものだから、鎧戸が一枚なければ、岸辺に運ぶこともできなかった。質問攻めにあいながら、そのほっそりとした格好から、少年にちがいないと男たちは思った。「これは、可哀想な男の子の竿にちがいない」鍛冶屋は言うと、芝生のうえにそっと置いた。さて、その男たちの姿をみたので、こうして出来事を記したわけだ。ここでいったん私の責任も終えた。これから間接的に聞いた話ではあるが、残りの話を簡潔に伝えよう。数週間後にフィリップ・ウォルステンホルムから、以下の手紙を受け取った。

But at this moment-having reached a point where the ground gradually sloped upwards-they began to rise above the mud as rapidly as they had sunk into it. And now, black with clotted slime, they emerge waist-high . . . now they are within three or four yards of the spot . . . and now . . . now they are there!

They part the reeds-they stoop low above the shapeless object on which all eyes are turned—they half-lift it from its bed of mud-they hesitate-lay it down again-decide, apparently, to leave it there; and turn their faces shorewards. Having come a few paces, the blacksmith remembers the fishing-rod; turns back; disengages the tangled line with some difficulty, and brings it over his shoulder.

They had not much to tell-standing, all mud from head to heel, on dry land again-but that little was conclusive. It was, in truth, an unburied corpse; part of the trunk only above the surface. They tried to lift it; but it had been so long under water, and was in so advanced a stage of decomposition, that to bring it to shore without a shutter was impossible. Being cross-questioned, they thought, from the slenderness of the form, that it must be the body of a boy.

‘Thar’s the poor chap’s rod, anyhow,’ said the blacksmith, laying it gently down upon the turf.

I have thus far related events as I witnessed them. Here, however, my responsibility ceases. I give the rest of my story at second-hand, briefly, as I received it some weeks later, in the following letter from Philip Wolstenholme:


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小泉八雲著・平井呈一訳「仏領西インドの二年間 上」

1887年から1889年にかけて、八雲はフランス領西インド諸島マルティニーク島を旅行した。本書「仏領西インドの二年間」 (Two Years in the French West Indies) は翌1990年に出版され、同年八月、八雲は松江に到着した。

 日本の伝説や人々に優しい眼差しをむけ、克明に物語ってきた八雲。その土壌となる異国の島国への愛情は、訪日以前に、すでにマルティニーク島で形成されていた……と感じた。

 八雲は日本に魅せられたのと同じように、マルティニーク島にも魅せられていた。日本と同じ島国であり、深い山々によって地域が分断されているマルティニークと日本は、相通じる風土があるのかもしれない。 

たとえばマルティニークには、ゾンビをはじめとして独自の不思議な伝説が残る。

「ゾンビって何だね」と現地の娘に問いかけた八雲は、おそらく英語圏に初めて西インド諸島の伝説「ゾンビ」を伝えた存在ではないだろうか?

八雲にマルティニークの女性はゾンビをこう説明する。

「夜、大通りなんかを歩いていらっしゃると、大きな火をご覧になります。そっちへ行こうと思って、どんどん歩いていくと、行けば行くほど。火は先の方へ動いていきます。これはゾンビがいたずらをしているんです。……そうかと思うと、三本足の馬がそばを通って行ったりしますが、これもゾンビのしわざです。」(「仏領西インドの二年間」252頁)

島民の顔立ちや姿に型やら色調やらを感じるようになった八雲は、現地の農場主に自分の印象が正しいか訊ねたところ、混血人種の肌についてこう答えをもらう。

皮膚の色、これについて正確な分類がでけるかどうか、ことに外来の人には、でけんのじゃなかろうか。たとえばね、あんたの目には、赤い肌のタイプ、黄いろい肌のタイプ、茶色い肌のタイプについて、一般的な概念は与えるだろうが、しかし田舎の地方で暮らし慣れているクリ-オール人のもっと肥えた目には、混血人種の一人一人がそれぞれ独自の特別の肌の色をもっているように見えるんだね。たとえば、いわゆるカプル型ね、いちばんりっぱな体格の型を見せてくれるカプル型を取り上げてみますか。-あんた方外国人は、この種族は大体において赤っぽい色だという印象をおうけになるが、その一人一人が個人的にそれぞれ色あいが違っておることには気づかれん。この違いはね、黄いろはかそれとも茶色かというような濃淡の違いを観察するよりも、よっぽどむずかしい。そこでね、わたしなんかから見ると、カプルの男女がは、みんなそれぞれ個人個人の色をもっている。マルティニークじゅうで、―同じ父と母から生まれたやつでない奴で、肌の色が全然同じ二人の混血人なんて、わしなんかとうてい信じられん話だね。(「仏領西インドの二年間」182頁)

この言葉を受けとめたのだろうか。八雲はマルティニークの人々の様々な肌の色合に目をとめ、人種が混血していく過程であらわれる肌の色の変化に感嘆し、島で出会う人々の肌の色まで仔細に記している。その記述は、人種のまざり具合によって異なる肌の色への賛美の念にあふれている。

荷運び女も、洗濯女も、「仏領西インドの二年間」にでてくる島民の生活は克明に描かれ、八雲が島の生活を丹念に観察、現地の人々から話を聞いていたのだろうことがうかがえる。    

八雲がこんなに賛美した西インド諸島を去ったのはなぜだろう? もしかしたら毒蛇のせいでは? 八雲は、何度も怖ろしそうに毒蛇のことを語っている。毒蛇がいなければ、八雲はマルティニークのひとになってしまい、松江の小泉八雲はいなかったのでは……と思うと、毒蛇に感謝したくなる。

八雲のマルティニークという風土、伝説、島の人々への思いを平井呈一も受けとめ、実に楽しそうに生き生きと訳している。

千フィートも下に海を見下ろすような高いところへ登ると、どんな日、どんな季節でも、目に見える世界の涯は、なにかギョッとするような妖怪味をおびてくるのだ。(「仏領西インドの二年間」369頁)

 ただ本書における平井訳は、オノマトペがずいぶん多いように感じられた。たとえば「キャーキャー」が一頁に三回も繰りかえされることもあって、やはり正直なところ多すぎるような気もした。どういう経過をへて、平井の文からオノマトペが消えていったのだろうか……と平井の文が形成されていく過程が気になりつつ頁をとじる。

2019.02.25読了


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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.17

実に奇妙な光景がひろがっていた。細長く、かたちも不ぞろいな、黒々とした粘土質の土がたまった池がひとつあった。池の岸辺には、高さも不揃いなガマが繁茂していた。少し離れた鉱山の入り口のあたりにはーわたし達が立っている場所から四分の一マイルも離れていなかったー、茫然として見つめる群衆が集まってきていた。ピット・エンドのすべての人々がーただしポンプ作業の男達は別だがー、その場所に姿をみせ、消えた湖の湖底を見つめているように思えた。

ウォルステンホルムが近づくと、人々は帽子をさっと取り、お辞儀をした。彼は微笑みをうかべ、みんなに陽気な言葉をかけた。

「やあ」彼は言った。「あの湖を探しているのかい? 探すなら、カールシャルトン鉱山に行かないといけないよ。じつにむごい眺めだ、君たちが訴えにきたのは」

「たしかにむごいものさあ、旦那様」革製の前かけをした、がっしりとした体躯の鍛冶屋が答えた。「でも、あっちのほうがむごたらしいや、泥土よりもね。 むこうにあるものの方がずっと」

「泥土よりもむごい眺めだと?」ウォルステンホルムは繰りかえした。

「まあ、ここに来て見るといいよ、旦那さま。お前様の小さなポンプがばしゃばしゃ跳ねあげているが、そのむこうを見るといい。何か見えるだろう?」

「丸太が一本見えているなあ。くさった丸太が半分、泥に突き刺さっている。残り半分は、泥から突き出ているじゃないか」ウォルステンホルムは言った。「なにかが見える。見たところ、長い葦のようだが……おや、あれは釣り竿にちがいない!」

「たしかに釣り竿だ、旦那さま」鍛冶屋は語気も強く言った。「もしお前様が、あの腐った木に見えるものが遺体であるはずがないとでも言ってみろ、おれは二度とハンマーを手にせんぞ!」

見物人からも、同意のざわめきがおきた。「あれは遺体だよ。たしかに。」疑念をはさむ者は誰もいなかった。ウォルステンホルムは、両の手で漏斗をつくって、その手のあいまから長いあいだ凝視していた。

「なんであれ、出現したものにちがいない」彼はやがて言った。「泥は五フィートあるんだな? ここにある一ソブリン金貨をあげようではないか! 泥をかきわけて、あそこにあるものを最初に岸まで引き上げてくれた者ふたりに」鍛冶屋ともうひとりの男が靴と靴下をぬぎ、ズボンの裾をおりまげて、ただちにその中に入っていった。

足を一歩踏み入れると、足首より上まで泥に埋もれた。杖で深さをはかりながら進んでいるのだが、一歩進むにつれて、泥はどんどん深くなってきた。やがて目に見えるのは胴から上のみになった。男たちは胸を波打たせ、筋肉をはりつめながら、一歩一歩進んでいった。泥が腋の下まできたとき、まだ目標地点まで二十ヤードはあった……もう数フィート進めば、泥のうえに出ているのは頭だけになることだろう。不安そうなざわめきが群衆のあいだにおきた。

「あのひとたちを無事に戻してくださいますように、神様」むせぶ女の声がした。

It was indeed a queer sight-an oblong, irregular basin of blackest slime, with here and there a sullen pool, and round the margin an irregular fringe of bulrushes. At some little distance along the bank-less than a quarter of a mile from where we were standing-a gaping crowd had gathered. All Pit End, except the men at the pumps, seemed o have turned out to stare at the bed of the vanished tarn.

Hats were pulled off and curtsies dropped at Wolstenholme’s approach. He, meanwhile, came up smiling, with a pleasant word for everyone.

‘Well,’ he said, ‘are you looking for the lake, my friends? You’ll have in go down Carshalton shaft to find it! It’s an ugly sight you’ve come to sue, anyhow!’

‘Tes an ugly soight, squoire,’ replied a stalwart blacksmith in a leathern apron; ‘but thar’s summat uglier, mebbe, than the mud, ow’r yonder.’

‘Something uglier than the mud?’ Wolstenholme repeated.

‘Wull yo be pleased to stan’ this way, squoire, an’ look strite across at yon little tump o’ bulrashes-doan’t yo see nothin’?’

I see a log of rotten timber sticking half in and half out of the mud,’ said Wolstenholme; ‘and something-a long reed, apparently . . . by love! I believe it’s a fishing rod!’

‘It is a fishin’ rod, squoire,’ said the blacksmith with rough carnesmess; ‘an’ if yon rotten timber bayn’t an unburied corpse, mun I never stroike hammer on anvil agin!’

There was a buzz of acquiescence from the bystanders. ’Twas an unburied corpse, sure enough. Nobody doubted it..Wolstenholme made a funnel with his hands, and looked through it long and steadfastly.

‘It must come out, whatever it is,’ he said presently. ‘Five feet of mud, do you say? Then here’s a sovereign apiece for the first two fellows who wade through it and bring that object to land!’

The blacksmith and another pulled off their shoes and stockings, turned up their trousers, and went in at once.

They were over their ankles at the first plunge, and, sounding their way with sticks, went deeper at every tread. As they sank, our excitement rose. Presently they were visible from only the waist upwards. We could see their chests heaving, and the muscular efforts by which each step was gained. They were yet full twenty yards from the goal when the mud mounted to their armpits . . . a few feet more, and only their heads would remain above the surface!

An uneasy movement ran through the crowd.

‘Call ’em back, for God’s sake!’ cried a woman’s voice.


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2019.02 隙間読書 泉鏡花「海の鳴る時」

二月十日、鏡花記念館講座「鏡花と親しむ」第三回の課題本が「海の鳴る時」だった。講座の前、後で何回読んだろうか? みじかい作品ながら、五回くらい読んだのではないだろうか?

 わたしの読解力のなさ故に、分からないところが多々生じ、何度も繰り返して読むことになった。でも、なぜ分からなかったのかと考えてみれば、その分かりにくいところに鏡花の魅力がひそんでいるいるように思う。

 まず白山颪(おろし)のなか、粟生の橋のたもとの茶店に、颪から避難してくる男「予」、茶店の爺さん、爺さんの息子「嘉造」、嘉造の人力車の客の四人が集まって、彼らの語りで話が進められていく……のだが、わたしには誰が誰なのか途中で曖昧模糊としてきてしまう。

 注意深く読めば加賀の言葉の爺さんやら、少し若い「予」とか、東京からきた客とか、会話の区別がつくのかもしれない。

 でも、ここでは誰が誰なのかということは多分どうでもいいことなのかもしれない。この茶店にいる四人の男たちは、かつての召使であった義理の父親に迫害されている元三千石の御姫様「お絹」に同情し、何とかしてあげたいという気持ちでつながっている。その連帯感がおそらく大事なのだから。

 四人の男たちがいる茶店の描写もあまりない。そのかわり、茶店の外の凄まじい雪風の描写は迫力がある。茶店がその嵐から逃げ込める場所ということが分かるだけで、具体的な描写は少なくてもいい。茶店が心地よい、安心できる場所だということが伝わってくる……そう思えばよい筈なのに、具体的に頭のなかで茶店を思い浮かべようとしていた。

大事なのは、茶店が雪風から守ってくれる心地よい場所だということ。外の雪風のすさまじさを感じ、茶店の心地よさを感じれば、もうそれでよいのではないだろうか。

最後の部分も、鏡花はすべてを明瞭に書いていない。あくまでほのめかすだけで、読者の想像力にゆだねている。最初、読んだときは、どう解釈すればよいのだろうかと戸惑って分からなくなった。

お絹が恋人のことを旅客に伝えるやりとりはなく、おそらく……と想像するだけである。恋人からもらった釦を「操が守れそうにない」と返しに雪道を素足でやってくるお絹の釦への思いも、旅客が語る「此の婦人の魂」という言葉で想像するだけである。

何回も繰りかえし読んでいるうちに、この書かれていない鏡花の思いを想像する過程が楽しくなる。すべてが書かれていないゆえに、最初は分からなかった部分が、だんだん考えるのが楽しい、鏡花の魅力に思われてくる。

最後の箇所もどう解釈すれば……と戸惑いつつ繰り返し読むうちに、それまでモノトーンに見えていたお絹が、ここで生き生きとした存在に見えてくることに気がついた。なぜだろうか?

腕をあげたこと、頬に血の色が浮かんで見えたこと、初めて肉声で語ったこと……描写は短いながら、そうした言葉が、お絹を生き生きとしたものに見せているのではないだろうか?

最後の行近くまで、旅客の語りをとおしてしか、お絹の声は聞こえてこない。最後の行で「あい」と返事をすることで、わたし達の耳にお絹の肉声が届くのである。お絹の肉声を届けて「海の鳴る時」を終えることで、鏡花は運命が変わっていく一歩に踏み出したことを伝えようとしたのではないだろうか?


女(むすめ)は夢中ながら、其の手を追ふが如く、玉のやうな腕(かひな)を上げた。炎先(ひさき)はぱっと立つて、片頬に血の色が浮んで見えた。

「お絹さん、お絹さん。」

 女(むすめ)は唇を結んだまま、眉を顰(ひそ)めたまま、声も微(かすか)に応じたのである。

「あい。」


すべてを語り尽くすことなく、読者の心にゆだねる部分がある鏡花は、だから難しくもあり、楽しくもあると思いつつ本をとじる。

2019.2.19読了


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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.16

そのあと、作業が順調に進んだので、わたしたちは庭園を横切って大災害の様子をながめに出かけた。道は、家から木々の生い茂る高台へとのびていた。その高台をこえると、湖へとつづいている広々とした湿地があらわれた。この湿地に踏みいれたとき-ウォルステンホルムはしゃべり続け、この出来事を笑い飛ばそうとしていた-、長身の、やせた少年が、肩に釣り竿をかついで、脇の小道から右手の方へとあらわれた。そして長い坂の途中にある広々とした場所を横切ったかと思うと、むかいの木々の幹のあいだに消えた。すぐに彼のことを思いだした。先日、草地で校長に出くわした直後に見かけた少年だ。

「もし、あの少年が君の湖で釣りをするつもりなら」わたしは言った。「自分の失敗に気がつくだろうね」

「どの少年のことか?」ウォルステンホルムは訊ねながら、うしろを振りかえった。

「そこを横切った少年だよ、一分くらい前に」

「そこだって? ぼくたちの前ということか?」

「そうだとも。君も彼を見たはずじゃないか?」

「いや、ぼくは見ていない」

「彼が目に入らなかったのか? 背の高い、やせた少年だよ。灰色の服を着て、肩に釣り竿をかついでいたじゃないか。アカマツのむこうに消えてしまったけど」

 ウォルステンホルムは呆気にとられ、わたしを見つめた。

「君は夢をみているんだ!」彼は言った。「生きているものは何も、兎一匹と言えども、ぼくたちが庭の門をくぐってからは横切っていないよ」

「目をあけたまま夢をみる習慣なんかない」わたしは即座に言い返した。

 彼は笑い声をあげると、わたしの肩に手をまわした。

「目をあけていたのか、それともつぶっていたのか知らないが」彼は言った。「今回、君は幻想を見ていたんだよ」

幻想。あの校長もつかっていた言葉ではないか! これはどういうことなのだろうか? 実際のところ、わたしの感覚にもとづく証言はもう頼りにできないのだろうか? つきぬ不安がわきあがり、わたしの胸中にひろがった。本屋のニコリーニの幻想を思い出したり、よく似た他の視覚的幻想の例を思い出しりした。突如として同じような苦しみを味わう羽目になったのかと自問した。

「おや! これは奇妙な光景だ」ウォルステンホルムは叫んだ。その声で、わたし達が湿地をぬけ、昨日まではブラックウォーターの湖だったところの湖底が眼下に姿をあらわしていることに気がついた。

Later on, when the work was fairly in train, we started off across the park to view the scene of the catastrophe. Our way lay far from the house across a wooded upland, beyond which we followed a broad glade leading to the tarn. Just as we entered this glade-Wolstenholme rattling on and turning the whole affair into jest-a tall, slender lad, with a fishing-rod across his shoulder, came out from one of the side paths to the right, crossed the open at a long slant, and disappeared among the tree-trunks on the opposite side. I recognized him instantly. It was the boy whom I saw the other day, just after meeting the schoolmaster in the meadow.

‘If that boy thinks he is going to fish in your tarn,’ I said, ‘he will find out his mistake.’

‘What boy?’ asked Wolstenholme, looking back.

‘That boy who crossed over yonder, a minute ago.’

‘Yonder!-in front of us?’

‘Certainly. You must have seen him?’

‘Not I.’

‘You did not see him?-a tall, thin boy, in a grey suit, with a fishing-rod over his shoulder. He disappeared behind those Scotch firs.’

Wolstenholme looked at me with surprise.

‘You are dreaming!’ he said. ‘No living thing-not even a rabbit-has crossed our path since we entered the park gates.’

‘I am not in the habit of dreaming with my eyes open,’ I replied, quickly.

He laughed, and put his arm through mine.

‘Eyes or no eyes,’ he said, ‘you are under an illusion this time!’

An illusion-the very word made use of by the schoolmaster! What did it mean? Could I, in truth, no longer rely upon the testimony of my senses? A thousand half-formed apprehensions flashed across me in a moment. I remembered the illusions of Nicolini, the bookseller, and other similar cases of visual hallucination, and I asked myself if I had suddenly become afflicted in like manner.

‘By Jove! this is a queer sight!’ exclaimed Wolstenholme. And then I found that we had emerged from the glade, and were looking down upon the bed of what yesterday was Blackwater Tarn.


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