教科書は体制をうつすもの、いつも正しいものとはかぎらない The Economist

子供たちが学校で学んでいる教科書は国の体制を明らかにするするものであり、形づくっていくものである。だから教科書について論議しなくてはいけない。

Textbooks round the world: It ain’t necessarily so | The Economist.

 

The Economist 2012年10月13日

 

パリジャンは資本主義に興奮気味。ニューヨーカーはセックスにいらいらしている。11000キロ離れているけれど、ソウルとテキサス州サンアントニオではヒトと類人猿の関係について悩んだ。教科書に記述されていることが、さらには記述されていないことが、人々の関心を刺激して世界中で論議をよんでいる。

そう、論議しなくてはいけない。国の文化をつくる機関がもし他にあったとしても、学校で使用されている教科書にはおよばないのだから。教科書とはほとんどの人々が出会う最初の本であるだけでない。多くの場所で教科書は、宗教の教科書も加えると、人々が手にする唯一の本となる。南アフリカ共和国での調査によれば、家庭で10冊以上の本を利用できる生徒は半分もいない。2010年のエジプト政府による調査によれば、学校の教科書を別にするとエジプトの家庭の88%が本をまったく読まない。

教室で使われる教科書を政府がコントロールする様子を見れば、正確でないにしても、イデオロギー規制のガイドラインがよくわかる。そうした規制を強く求める国ならば、政府は自分で教科書をつくろうとするか、何を教科書にとりいれるのかということを厳密に定義しようとするだろう。しかし政府があまり口出しをしないようなときでも、イデオロギーは重要なものになりうる。それが教科書の内容を規制するグループのイデオロギーだろうと、教育委員会をとおして教科書の内容を規制しようとするグループのイデオロギーだろうが関係ない。こうした規制のせいで、子供達への教え方をめぐって、社会を活気づける健全な論議が省かれることになる。そして検閲を実行する人々に逆らったり、挑むような見方が遮断されてしまうのである。

 

イスラム教ワッハーブ派の例

 

アメリカ連邦政府局には、他国の教科書を監視する職員がいて、外国では人々がどう考え、外国政府は国民にどう考えてもらおうとしているのか把握しようとしている。他の国でもおそらく同じことをしているだろう。ドイツのブラウンシュワイフの小さな町にある教科書調査センターのジョージ・エカーツ・インスティテュートも独自の方法で、同じようなことをしている。だが、この機関がいろいろな場所から教科書のコピーを手に入れようと闘わなくてはいけないこと自体が、教科書の問題がどれほどデリケートな事柄かということを示すものである。それにもかかわらず、この機関は160カ国から教科書の見本を集めている。ここのディレクターのシモーヌ・ラザンによれば、宗教に関する論争も増加しつつあるけれど、ほとんどの論争は歴史、地理に関した本であり、とりわけ地図を含んでいる場合である。 

 

他国の教科書は、長い間、悩みの原因であり続けた。第一次世界大戦後、国際連盟は民族主義的なところを教科書からなくそうとした。だが2001年9月11日のアメリカでのテロ以降、心配は更にふくらんだ。そのときはアメリカでも、サウジアラビアでも、なかには政府職員まで、サウジアラビアの教育カリキュラムが寛容性に欠けているせいで、ジハードの残酷な刻印をおすアルカイダが出現したのだと主張する者達がでた。批判にさらされた結果、サウジアラビアの指導者は教育改革を約束した。アブドラ国王が病にふしてからサウジアラビアが繰り返し主張するところによれば、教育内容から寛容性に欠ける要素を取り除いたということである。それでも頑固な専制君主国は厳格なワッハーブ派を信望しているので、寛容性に欠いた言動がずいぶん見受けられる。

 

ワシントンDCのシンクタンクであり人権組織である湾岸事項委員(IGA)の報告によれば、2001年の9月以降に西側で怒りを引き起こした教科書内容の多くが、今日でもまだサウジアラビアの教室で使われている。アリ・アルアムドはIGAのディレクターであり、サウジアラビアの教科書に関して好意的な著作の作者でもあるが、このような例を引用している。それは例えば「ユダヤ教徒とクリスチャンは、信仰において敵である」とか「ユダヤ教徒は、イスラムにたいして悪意をいだく十字軍の騎士の力をかりてパレスチナを占領した…だがイスラム教徒は黙っていないだろう」というような内容である。サウジアラビアの教育省によれば、教科書は改訂中なのだが、改訂には3年くらいかかるだろうということである。アルアムド氏の見解では、すぐに変化は生じないということである。「なぜなら国家がその存続を危機にさらすことになるだろうから。教育の目的は、支配者にたいして社会が恭順になるように仕向けることにある」

 

ときには国の要求が、教科書から抜けている事項にはっきり見てとれることもある。ジョージ・オーウェルの「1984年」で政党がこう告げる。「過去をコントロールする者が、未来をコントロールする。そして現在をコントロールする者が、過去をコントロールする」同じ様なことが、北京にもあてはまる。過去の出来事がいくつか丸ごと中国の教科書から削除され、歴史から好ましくない箇所が徹底的に排除されている。1958年の大躍進政策後の飢饉を述べている用語だが、高等学校の教科書では「経済的に困難な三年間」とある。収穫が少なかったことは述べられているけれど、中国の国外で見積もられている3000万人の死者については記録されていない。1989年の政治的攪乱について、すなわち天安門での抗議についての婉曲に表現した言い方だが、以前の教科書では短いながら一章とられていた。しかし2004年に教科書が改訂されたときに、こうした表現は消去された。

 

国が異なれば教科書も異なる

 

香港では、スカラリズムと呼ばれる若者グループの呼びかけをうけた幾万もの人々が、北京政府によって導入されようとしている「国家教育」という新しいカリキュラムに反対して、香港政府への抗議を7月に始めた。このカリキュラムには、新しい歴史の教科書も含まれることになるだろう。中国政府の思惑では、こうした新しいカリキュラムがあれば、半自治政府の香港に愛国心が育つだろう。大陸で使われている教科書には文化大革命と天安門広場の弾圧について記載されていないが、これは注目に値することだった。大陸の教科書は民主主義をけなす一方で、一党制を賞賛している。香港の行政自治官梁振英が大陸の教科書導入を断念して、香港の抗議は9月に終わった。抗議した人々の勝利であり、政府に再びこのような計画を導入しようとすることを断念させたものである。

 

香港の出来事のせいで外国が気づいている教科書の欠点に関して、中国の過敏なまでの反応は弱まりはしない。中国と他の国々が長いこと日本を非難してきたが、それは教科書を使って国の歴史を白く塗りつぶしてしまうようなやり方についてであり、とりわけ日本人の戦争の犯罪をごまかすようなやり方である。(政府が教科書を書いたわけではない、ただ単に教科書の使用を認めただけである。)例えば保守的なグループの学者によって書かれた「新しい歴史の教科書」は、第二次世界大戦後、数十年間にわたる自虐的な歴史の教え方に反動した結果である。政府の教科書認定をもらうために提出された2000年の版では、1894年から95年にかけての日清戦争における日本の侵略についても、1930年代と1940年代の中国占領についても記述が控えめであり、日本軍が性の奴隷(従軍慰安婦)を使用したことや南京でのレイプについては言及していない。その教科書は後にきしみのない形で出版され、現在でも使用されている。だが使用しているのは、ごく少数の学校である。

 

アメリカでは、教科書をめぐる論争は国内のことについてである。リベラル派が心配しているのは子供たちが国家主義的な歴史で教えられ、産業主義のすばらしさを強調し、奴隷やインディアンの虐殺については控えめに教えられるということである。反対に、保守派が不満をもらすのは不十分な愛国主義であり、過度の政教分離主義である。2010年にテキサス州の教育省は独立宣言を書いたトマス・ジェファーソンを、アメリカ独立戦争の重要人物の一覧表から取り除こうとした。これは明らかに、ジェファーソンが教会と州を分離すべきだと主張したせいである。しかしながらジェファーソンは素早く復帰した。

 

カリフォルニア州とテキサス州は、こうした論争を牛耳ってきた。これらの大きな2州は過去30年間にわたって、リベラル派の教師の好みをみたす一方で保守派の教師の好みもみたしながら教科書の内容を指示してきた。テキサス州にはアメリカの学生のうち10%にあたる学生がいるが、教科書会社は州の教育委員会の好みを押しつけようと熱心であり、市町村の教育委員会は自ら頭を城壁にさらさないようにしている。しかし2009年から、テキサス州は市町村の教育委員会に権限を与え、州で認めたものであれば教科書などの印刷物や他の教材、たとえばオンライン上のものからでも選んでよいという権限を与えている。州は選択に関しては権限を持っていないが、どのみち市町村の教育委員会は州のガイドラインに従うことになるのである。

 

性教育もまさに適例である。5年前、テキサス州のほとんどの学校では禁欲だけを教えていたのは、州が禁欲を好ましいと考えたからだ。しかし現在、約1/4の学校が性教育に理解ある方向に進んだのは、両親の意向をうけたからである。

 

ダーウィンやらセックスやら他の心配事など

 

セックスはとりわけアメリカの課題のように思える。9月に、ニューヨークの市民的自由連合が、ニューヨーク州北部の保守的な学校での性教育に関する研究結果を発行した。その調査によれば、一般的に広く使われている保健体育の教科書には、避妊手段や性感染症を防ぐ方法としてコンドームや他の避妊手段を使用することについて、頑なに沈黙を守っていた。教師は自分の教材を加えて使うことを許可されているし、授業で言いたいことを言うことが出来る。だが教師が使用しなければいけない教科書は、性的な面で活発になるということは「自分の価値をさげるし、家族のガイドラインをおとしめる」と警告したうえで、禁欲は人格がある証拠だと勧めている。

 

アメリカでは、クリスチャンの集まりである特殊創造論者たちが、自然に選択されたとする進化論に代わる考えを記述する教科書を求め、自然界と人間の起源について説明しようと長い間運動をしてきた。これは特殊創造論者だけではない。6月に教科書改訂協会(STR)がキャンペーンをおこして、韓国の教科書会社から進化論についての記述を消させることに成功した。教科書改訂協会(STR)に関係のある傘下のグループにはソマン教会があるが、これは福音教会のひとつであり、韓国政治界で盛んに活動しはじめている巨大教会である。

 

STRのキャンペーンのせいで騒動がおきた(キリスト教は韓国で広まりつつあるが、ほとんどの人々は政治的に協力する旨をまったく表明していないから)。政府は、韓国科学アカデミーが主導する委員会を設置し、そのメンバーには生物学者や古生物学者が入り、科学の教科書の変化を監視している。委員会の主張では、進化論は子供たちが学ばなくてはならない現代科学の一部である。STRは、自分たちが進化論の委員会から排除されたことを偏向のしるしだと見なしているが、それでも戦い続けると言っている。

 

公に宗教と分離されているフランスでは、進化論は問題を生じない。しかし経済学では問題がある。昔の立場に固執しているマルキシズムに満ちあふれた経済学の教科書に、長いあいだ、フランス人はうんざりしているように見える。イギリス人ジャーナリストであり、大学教師であるピーター・キャンベルはこう指摘する。「フランスの経済の教科書があぐらをかいてしまったのは、第二次世界大戦に突き進んでいく過程で、荒々しい経済の自由主義がフランスの弱さの元凶になったとする考えである。今日のフランスの教科書はさらに理解しがたいものであり、資本主義には好意的ではない。」

 

ニコラス・サルコジ元大統領は、経済教育改革にのりだした。2008年に経済の教科書に関して公的な「検定」がおこなわれ、とりわけ市場と企業経営の表現に重点がおかれた。しかしフランスの生徒たちにどう経済やビジネスを教えていけばいいのか話し合うために設けられた委員会だが、数年後には解散した。経済財政リサーチによって高等学校の教科書について400ページもの新しい研究がされたが、それによればわずか12社の教科書だけが会社について記載し、企業家について記載したものは皆無である。

 

しかし教科書についての非難を、そのまま額面どおりに受け止めてはいけない。去年の12月、当時アメリカの共和党大統領指名候補者であったニュート・キングリッチが述べたことだが、パレスチナの教科書にはこう書かれていた。「ユダヤ人が13人いたとします。9人のユダヤ人が殺されたとしたら、残されたユダヤ人は何人になるでしょうか?」2007年、ヒラリー・クリントンが、パレスチナの教科書は子供たちに死と暴力を美化するように教えていると非難した。しかし2010年の国防省のレポートにまとめられた結論によれば、パレスチナの教科書が示しているのは「不均衡と偏りと間違い」であり、今日の政治の現実を正確に描いていない。だがユダヤ人に対する暴力をあおるものではない。

 

ジョージ・エカート・インスティテュートの調査員、サミラ・アラヤンが言うには、パレスチナの歴史の教科書は、ユダヤ人が有史以来ずっとパレスチナに住んできたことを否定してはいない。むしろ1990年代からパレスチナの政府によって書かれた教科書は、難しい質問から目をそらしている。執筆者たちは史実として理解しているように、パレスチナを描いたものか決めかねている。パレスチナは望んでいるようにイスラエルと一緒にいる居住地を脱出して、年ごとに変化する境界線上の面倒な現実から逃れることになるかもしれない。歴史の教科書でも、地理の教科書でも、議論をひきおこすことになる政治的な境界線を地図にひくことをさけてきた。ウェストバンク(1967年以降イスラエルが占領した旧ヨルダン領)とガザを異なる色や点線で表している教科書もあるけれど、この区分けの意図については述べていない。

 

パレスチナの教科書が国家主義的な傾向が強くても、それは驚くべきことではない。パレスチナの存在が他の国との紛争のさなかに誕生して、紛争とともにあったのだからと、ジョージ・ワシントン大学の政治学者ネーサン・ブラウンは語る。イスラエルの教科書にも欠点がある。イスラエルのヘブライ大学のニュリ・ペレはイスラエルの教科書について歴史、地理、公民の分野から研究しているが、教科書にでてくるパレスチナ人は記載されているにしても、難民とか、農夫とか、テロリストとしてである。けっして医師や技術者、その他の専門職として記述されていない。

 

2003年から2008年にかけて、ジョージ・エカート・インスティテュートは平和リサーチ・インスティテュートと共同作業を行い、最近のパレスチナとイスラエルの歴史の合併教科書を制作して、両方の国で使用できる教科書をつくった。それはミズ・ラッシーによれば「困難な、きわめて困難な」ものだった。その本では、イスラエルとパレスチナの双方の見方で同じ出来事が見開き左右の両ページに記述され、中央の広い余白に、生徒が相対する考えについて自分の反応を書き込めるようになっている。だが、これまでのところ、イスラエルにしてもパレスチナにしても、この教科書を公に採択していない。

 

カラシニコフと算数

ギングリッチの要求にこたる教科書を見つけるには、歴史をさかのぼって紛争を考える必要がある。アフガニスタンの難民キャンプでは、1980年代に、子供たちはこうした数学の問題に直面した。「イスラム原理主義派ゲリラのある集団がロシア人兵士50人を攻撃しました。この攻撃のせいで20人のロシア人兵士が殺されてしまいました。逃げた兵士は何人でしょうか」新しい教科書では、AK-47(1947年式カラシニコフ自動小銃)に関して補助教材としては軽くなっている。しかしイスラエルとパレスチナに関して、最近の歴史をどのように表すかという問いは微妙なものである。

 

アフガニスタンの権威者は、ただの出来事として過去30年間の歴史をあらわそうとしている。けっして非難をしているわけではないと、教育省のアドバイザーのアタル・ワヒダルは言う。「過去30年間のテロ活動家は、今日でもアフガニスタンのテロ活動家である」とも言う。最近の歴史的な出来事の評価まで含んでしまうと、教育は目に見えないけど危険の多い場となってしまうだろう。「今の段階では、こうした危険をおかそうとはしていません。国家を建設しているところであり、政治的状況を形成しつつあるところです」ワヒダルは主張する。「最近の歴史を分析したところで、この点に関しては救いとならないでしょう。子供たちがアフガニスタンの歴史をめぐって戦い始める場に、学校をしたくないのです」宗教もまた扱いにくい分野である。アフガニスタンの教育省のワヒダルによれば、アフガニスタンの新しい教科書では、イスラム教の教義と儀式について、祈り方や沐浴の仕方などをまだ説明している。しかし、そのことに異議を唱える者はいない。さらにワヒダルによれば、教科書はタリバンの政権下にあったときよりもバランスがとれたものになってきているという。同様の教科書をめぐる改訂や難しさは、紛争中の他の国と向かい合うことになるだろうし、ある政権から別の政権への移り変わりを体験することになるだろう。例えば、リビアは新しい教科書を必要としている。カダフィ大佐が失脚して人民委員会がなくなったせいで、集団の意志が表現されていないことを子供たちに教えるためではない。汎アラブ主義のまとまりのため、アラブ地域の地図には国境をひいたらいけないとしてきたカダフィの主張のためである。

幸いなことにデジタル技術が普及したおかげで、何を改訂すべきかという意見の相違は解決されないにしても、改訂自体は容易になった。昔、教科書が教室で落書きされていた時代は終わりを迎えるのかもしれない。電子書籍は安く頻繁に更新することが可能なので、おそらく紙の教科書にとって代わることになるだろう。ある学校では、すでに電子書籍をとりいれている。9月にカリフォルニア州の知事ジェリー・ブラウンが、学生たちが大学の教科書を無料でダウンロードできる法案にサインした。

ミズ・ラッシーによれば何らかの形で教科書が使われているかぎり、また州によって発行されたり認定されたりしているかぎり、教科書とは政治的な問題になりうる。しかし他の教科書も使われるようになってきているので、現在のように支配されていくことはなくなるだろう。

かなり教員の影響もあることが確かである。教員の偏見ときたら、教科書の中に見出される偏見と同じくらい根強いものがあり、つきとめるのは困難である。ジョージ・エカート・インスティテュートの研究員ヘニング・ヒューズは、南アフリカ共和国の教科書と教え方を研究してきている。ヘニングが視察したある授業では、アフリカ国民議会の政権発足時に出版された教科書を使っていたが、その教科書の特色ともいえるのがネルソン・マンデラを撮した一枚の写真である。その横には、「この国における最初の黒人大統領がなぜヒーローなのだろうか」という問いかけが記されている。教師は退職してから数年の、アフリカーンス語を話す白人だが教材内容には触れず、マンデラのことを武装したゲリラであり暗殺者だと説明した。

 

スマートフォンを使ってウィキペディアを旅したところで、子供たちはこうした二分化した世界から逃れることにはならないかもしれない。でも救いにはなる筈だ。(さりはま訳)

 

 

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