アダム・スミス 道徳感情論 知性ある徳の礎になるもの

1.1.32

 仲間の感情と私たちの感情が、こうした類のことについて、一致するときがある。明確で、簡単なことについてであり、おそらく自分と異なるひとは誰一人としていない、そんなことについてである。そうした感情を認めないわけにはいかないが、賞賛や憧れに値するようには思えない。しかも私たちの感情と一致するだけではなく、私たちの感情を導き示すこともある。また、感情をかたちづくる過程で、見逃していた多くのことに注意をむけて、対象をとりまく様々な状況に感情を重ねたように思えることもある。私たちは感情を認めるだけでない。そうした感情には、意外にも、思いもよらない鋭さと包容力があることに驚き、感嘆する。そして相手が賞賛と喝采にふさわしいように思う。感嘆したり驚いたりしているうちに、相手を賞賛する気持ちがたかまり、感嘆するというのにふさわしい感情がつくられていく。拍手喝采する気持ちが自然な感情となるのだ。ぞっとするような奇怪さよりも、あるいは2×2=4だということよりも、すばらしい美が好ましいと判断する。そうした決意は、世界中からきっと認めてもらえるにちがいない。でも、それほど賞賛されないことは事実である。一瞬をみきわめ、美と奇怪さの違いをなんとか知覚できるのは、繊細で、鋭い認識力と判断力をもちあわせた人である。わかりにくくて当惑させる割合をやすやすと解明するのは、経験をつんだ数学者の、広範囲にわたる正確さである。また科学と審美的判断をもちあわせた偉大な指導者であり、すぐれて正しいものへと感情を導き示すひとであり、不思議さと驚きで私たちを驚愕させる才能の持ち主であり、憧れをいだかせ、賞賛に値するように思えるひとである。知性ある徳とよばれるものによせられる賞賛の大半は、こうしたことに基礎をおいている。(さりはま訳)

 

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