アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.3 餓えているひとの苦しみを感じるだけでは共感しているとは言い難い

情熱が肉体のある状況や性癖に由来するとき、そうした情熱を強く表現することは下品である。なぜなら仲間が、そうした情熱に共感してくれるとは思えないからだ。例えば、極端な飢えというものは、多くの場合、自然発生的に生じるものであり、避けがたいものであるのだが、それでも常に下品なものである。さらにがつがつ食べることは、好ましくない作法として見なされている。しかしながら、それでも飢えに対してでさえ、なんらかの共感をいだく。仲間がもりもり食べているのを見ることは、好ましいことであり、そのことに嫌悪の情を表現されるのは不快なことである。健康なひとにとって習慣となった性癖のせいで、あるいはそうした性癖がないとしても、そのひとの胃袋は正確に時を刻むだろう。こうした粗野な表現が許されたらとしての話だが。包囲攻撃の日誌や航海日誌の記述を読むとき、過度の飢えが記された苦悩に共感することができる。受難者の苦しみを受けている自分自身というものを想像し、それが基となる悲しみ、恐怖、驚きというものをすぐに受けとめる。こうした感情に、受難者は苦しんでいるにちがいないからだ。自分たちでも、ある程度、こうした情熱を感じ、共感することもできる。しかし日誌の記述を読むことで空腹になることはないから、こうした場合、飢えに共感しているとは言い難い。(1.Ⅱ.3)

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