アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅱ.28

英国の初期における経済学者が関心をむけていたのは、個人における行動の動機だけであった。しかし実際のところ、経済学者が関心をもつ対象は社会学の学生と同じである。それは主として、社会組織のメンバーとしての個人を対象としているのである。カテドラルとは、材料の石以上のものである。人とは、思考と感情の流れ以上の存在である。それと同じように、社会生活とは、個人の生活を合計した以上のものなのである。全体の行動とは、構成している部分からつくられるものである。ほとんどの経済問題において、最高の出発点とは、個人に影響をおよぼす動機の中に見いだされるものである。また孤立した原子としてではなく、特定の貿易や産業グループとしてみなされている。しかしドイツの物書きが主張しているように、経済学が関心をよせているものとは、集団での財産所有権であり、重要な目標を集団で追求していくことである。時代が益々まじめになり、人々がどんどん知的になり、電信や新聞の力が高まり、コミュニケーションの手段が他にもあらわれるようになって、公益のための集団的行動の範囲が広がりつつある。こうした変化とは、力をあわせて行う動きを拡大するものである。金銭上の儲けにくわえて、様々な影響のもとに成長しつつあるものとは、こうした変化であり、種類が異なる任意団体である。そうしたものが経済学者に開いているものとは、動機をはかるための新しい機会の門戸である。だが、その行動とは、いかなる原則にあてはめることも不可能に思えるものなのである。(1.Ⅱ.28)

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