アダム・スミス 道徳感情論1.Ⅱ.18 二流どころの情熱

社会の慣わしが女性に課している慎み深さとは、こうした偏りのせいであり、奇妙な悲しみを慎み深さにあたえるものである。しかしながら、更に、つきることのない興味深さをあたえるものである。私たちが魅せられる「パイドラの悲劇」とは、その放縦さや罪悪感にもかかわらず、フランスの悲劇として、その名前で上演されている。その放縦さや罪悪感こそが、私たちに勧める理由だと言われることもあるかもしれない。ヒロインの恐れや恥じらい、悔やんだり、恐怖におののいたり、絶望にかられるヒロインの姿は自然なものであり、心ひかれるものである。もしこのような言い方が許されるものなら、二流どころの情熱とは愛という状況から生まれるものであり、かならず荒々しく猛り狂ったものになる。共感しているという言い方があてはまるのは、こうした二流どころの情熱をともなう時だけである。(1..18

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