サキ「耐えがたきバシントン」3章 22回

(今までの話は、上のサキの部屋をお読みください)

ランチェスカはしかしながら、任命されるという可能性を聞いたときから、ジュリアン卿に深く、はっきりとした関心を抱いてきた。国会の下院議員としては彼女の人生における、せっぱつまった社会的な必要を充たしはしなかった。滅多にあることではないが国会のテラスでお茶をするとき、挨拶する範囲以内に卿が近づいてくるときはいつでも、彼女はセント・トーマス病院について深い瞑想にふけるのを常としていた。だが島の総督になったからにはもちろん、彼は秘書を欲しがるだろうし、ヘンリー・グリーチの友達であり仲間でもあり、ヘンリーが金を貸して些細なものながらも政治上の多くの決議を支援してきたからには(彼らはかつて一緒に改正案を起草したことがあるのだが、その改正案は不適切なものだった)、ヘンリーの甥のコーマスを選択しても、それは極めて自然で適切なことではないだろうか。ヘンリーとフランチェスカが卓越したものであり、望ましいものであると意見が完全に一致していたのは、迷惑この上ない若い獣を移住させてしまうことであり、セント・ジェームズ教会を中心とした閉ざされた、人目につきやすい場所から、英国が支配する外国の、霧の深い果てへと移住させてしまうことだった。兄と妹が共謀して、入念かつ手の込んだ昼食会をジュリアン卿のために催したのは、卿の任命が公に明らかにされたまさに日のことであったから、秘書の問題が話題にあがり、機会があることに勤勉に話題をむけられたので、ついには問題に決着をつけるのに必要なことは、総督閣下とコーマスの面接だということになった。ただ、この青年は最初から、国外追放となる見通しにほとんど満足をしめさなかった。遠く離れ、鮫にかこまれた島で暮らすということは、とコーマスは表現した。それもジュールの家族と一緒であり、しかもジュールを大黒柱として暮らし、毎日その存在を暗示するかのようなジュリアン卿の会話を聞いて暮らすということには希望をいだかず、自分たちと同じような熱意をしめさないので、母親も叔父もその試みを行うことは、まだ踏みとどまっていた。すっかり新しい支度をしなくてはいけないというこでさえ、期待されていたような、彼の想像力に訴える力はなかった。だが彼のこの計画への同意が、どれほど熱意に欠けたものであろうと、フランチェスカとその兄が心にはっきりと決めているのは、手際よくやりぬかなければ、うまくいくことも危険にさらしてしまうだろうということだった。翌日の昼食でコーマスに会ってもらう約束をジュリアン卿に思い出してもらい、そして秘書の問題について明確に処理してもらうために、フランチェスカはこうして耐え、大英帝国の資産としての西インド諸島の価値に関する長々とした叱責をうけるという辛い体験を忍んでいるのであった。他の聞き手は一人、また一人と巧みに離れていったが、フランチェスカの忍耐はジュリアン卿の陳腐な文句の洪水にももちこたえ、やがて彼女の貢献は、昼食の約束を交わすことになって、その目的について新たに意識することで報いられた。彼女は群衆をかきわけて進み出したが、人々はムクドリのような声でおしゃべりに興じ、そのおしゃべりは勝利を勝ち取ったという思いで一層強化されていた。

 

フランチェスカは早起きをする方ではなかったので、明くる朝、ザ・タイム紙が兄の家から特別な使いの者によって届けられ、彼女の部屋に運ばれてきたとき、朝食はまだ食卓にのせられ始めたところであった。青で囲まれた余白たっぷりの広告が彼女の目をひきつけたが、そこには目立つような活字体の書簡形式の広告で、上の方には「ジュリアン・ジュル総督閣下」と当てこすりたっぷりに宛名が記されていた。その広告とは、最近、ジュリアン卿が支持者におこなった演説についてのものであり、馬鹿げていて、忘れられていたような演説を残酷にもばらばらにして広告に埋めこんだものであるが、演説のなかでも植民地を所有するということについて、とりわけ西インド諸島を所有するということについて、尊大な態度をとりながら無知と驚くほど安っぽいユーモアを織り交ぜて卿は非難していた。渡された演説からの抽出物は、それだけを読んでみても十分に愚かしく、また馬鹿らしく思えるものだったが、広告の書き手はさらに自分の意見を記し、それは皮肉の輝きで火花を散らし、セルバンテスのように洗練された残酷さがあった。昨夜の試練を思い出しながら、フランチェスカは自分でも思わず楽しさを感じながら、昼食会の約束をしたばかりの総督閣下がおわされた無慈悲な傷に目をとおした。だが広告の末尾の署名のころまでくると、彼女の目から笑いが消えた。「コーマス・バシントン」という署名が彼女を見つめ、それはヘンリー・グリーチの震える手によってくっきり引かれた青い線から浮かび上がっていた。

 

コーマスならこの広告記事に工夫して書くことができず、英国国教会が地区の聖職者に説明するかのように書いただろう。その手紙は明らかにコートニー・ヨールの手によるものであり、コーマスははっきりとした自分の目的のために彼をおだてて、巧みに政治的な嘲りをいれた広告を自分の名で書くという矜持を控えてもらい、そのかわりに記事内容を提供してもらったのだ。向こう見ずな一打であったが、成功に関しては間違いなく、秘書の地位も、遠く離れた鮫に囲まれた島も、不可能という地平線のむこうに消えてしまった。フランチェスカは、立場やら状況やらを選択するように注意深く考えてから、敵意と相対するという戦略の黄金則を忘れてしまい、浴室の扉に直進したが、扉のむこうからは、にぎやかな喧しい音がしあがり、水しぶきをたてている様なので、コーマスは入浴をはじめたところのようだった。

 

「なんて悪い子なの、どういうことよ?」彼女は非難がましく叫んだ。

「からだゴシゴシ」陽気な声がかえってきた。「耳もゴシゴシ、そのまま胸もゴシゴシ、胸もゴシゴシしたから今度はどこをゴシゴシ」

「将来が台無しになってしまった。ザ・タイムに、おまえの署名がはいった悲惨な広告記事がのってしまったから」

大きな歓声を喜びのあまりあげながら浴槽からでてきた。「なんだって、かあさん。見せてくれよ」

手足が水をはねる音がしたかと思うと、水滴をぽたぽたたらしながら浴槽から急いで出てくるような音がした。フランチェスカは逃げた。身体がぬれバスタオルを一枚まいただけの、湯煙をあげているような19歳の青年をうまく叱ることができる人なんているだろうか。

 

別の使いがきたとき、フランチェスカは朝食を終えていなかった。今度の使いはジュリアン卿からの手紙をもってきたが、その手紙には昼食会の約束を辞退する旨が書かれていた。

 

 

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