サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 86回

「君にはわかるだろうか」彼の言葉の続きを聞きながら、エレーヌは干しぶどうのパンを食べ、雌馬にも一口あたえた。「私が今までに目にしてきた文学上のどんな悲劇も、農場の出来事ほどには心に残るものではないということが。その出来事を三つのアルファベットからなる単語でゆっくりと記してみるとこうなる。『わるい狐が赤い鶏をもらった。The bad fox has got the red hen.』この言葉には、完璧なまでに劇的なところがある。狐という悪にみちた存在は、その種ならではの狡さもあって、運命に対峙する雌鶏の恐怖を高めているような気がする。「もらった」という言葉がしめしているのは、傲慢なくらいの悪意だ。武装した田舎のひとが、悪い狐から雌鶏をのがしてあげることはない。時間をかけて作業をする、鈍い観察者だと私は思われているが、それは自分の観察を急がないからだ。私は座って、赤い雌鶏の絵を描き、絶望的にばたばたさせる翼や、恐怖にかられて抗議しながら悲鳴をあげる有様をとらえ、あるいは首のところを襲われて農家の庭に永久に放置された雌鶏が、嘴を無言のまま広く開けて、宙を見つめている様子を描く。若い頃、あちらこちらで、血飛沫がとんだり、おしつぶされたりと屈辱的な敗北を見てきたが、赤い雌鶏は救いようのない悲劇の典型として、私の心に残っている」彼はしばらく沈黙し、子供時代の想像力に残されてきたアルファベット三文字のドラマに思いをめぐらしているかのようであった。「若い頃にご覧になってきたことを話してくださらないかしら」という懇願がエレーヌの口からでかかったが、言いかけたところで彼女は急いでとりやめ、代わりに他のことをいった。

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