ポール・ラファルグ「怠ける権利」

Le Droit à la paresse – Wikisource

Paul Lafargue: The Right To Be Lazy (Chap.1).

あらゆることに怠けようじゃないか。ただし、愛することと、それから酒を飲むことは別だ、それから怠けることも怠っちゃいけないよーーーレッシングより

1章

不吉な教え

フランスの労働者階級は、資本主義文明の支配のもと、妙な妄想にとりつかれている。この妄想のせいで個人も社会も衰退してしまい、過去2世紀にわたって、人々は悲しいまでに苦しんできた。この妄想とは、労働への愛である。さらに労働への狂おしいまでの情熱である。しかし、その情熱のせいで、人々も、またその子どもたちも、心身が衰弱するまで体力を使い果たしている。こうした心の変調に向き合うことなく、聖職者も、経済学者も、倫理学者も、労働に聖なる後光をかざしている。神ならぬ身でありながら、愚かしい人間は神よりも賢くありたいと願ってきた。謗られて当然の身ながら、心弱い人間は神にののしられた不名誉を回復しようとしてきた。私はクリスチャンでもないし、経済学者でもなければ、倫理学者でもないけれど、人々の判断をもとに、神の判断に異議を申し立てよう。信仰の、経済の、思想の自由をもって、資本主義社会で労働がもたらす怖ろしい結果に異議を申し立てよう。

資本主義社会では、労働はすべて知的堕落の原因であり、すべての醜さの根本的な原因でもある。二本足の従者が仕えているようなロスチャイルド家のサラブレッドと、ノルマン人の農場で大地を耕したり、たい肥を運搬したり、農産物を運ぶのに使われる鈍重な動物を比べてみるとわかるだろう。未開の地に生きる高貴な人々を見るとわかるだろう。彼らはまだ、交易についてきた伝道師や布教をかねた商人たちがもたらすキリスト教、梅毒、そして労働の教えのせいで堕落させられていない。そしてその後で、機械のみじめな奴隷である我々を見るがいい。(Lady DADA訳・・・先は長いけど今日はここまで)

Lady DADAのつぶやき・・・ラファルグはマルクスの娘ラウラと結婚するとき、黒人の血がまじっているからとマルクスに結婚を反対されたそうだ。そして「怠ける権利」という文を書きながら、自身は31歳の若さで「労働者のために献身できなくなったときは、この世から去るときだ」と妻ラウラと共に自殺した。そんな真面目で、ナイーヴなラファルグの思いがストレートに伝わってくる書き出しです。仏文科卒でありながら、今頃ようやく真面目にフランス語に取り組んでいます。卒業させてくれたDADAゼミの塚原史先生に心から感謝しつつ、少しずつラファルグを訳します。

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