アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」 第三版の序文 3回

さて、そうした文学作品を書いて出版したところ、私が述べてきたように、人々のなかには不快の念をいだく者もいた。スコラ哲学者にいたっては言うまでもないことである。これもまた言うまでもないことではあるが、上流社会の人々も不快の念をいだいた。彼らが衝撃をうけたのは、キドー・クックやピジョニー・ポールのような、賤しい人間についての話を読んだからであり、また私の作品にはどこにも侯爵が彩りを添えてないことを知ったからである。また、そうした人達が喜んで読むのは、ビロードと羽飾りの衣装に身をつつんだ二人の男が、剣で相手の胃に穴をあけるという作品なのである。またジョゼフ・ペローとビリー・ラリーにいたっては、相手にパンチをくらわせながら、考えるとむかついてしまうくらいに、具合が悪くなるような、とても残酷な話を書いていた。こうした作品は、チャールズ・ラムが随筆「ホガースの天才」で書いた愚痴を無視したものだった。だが私の本に狼狽したのは、ジェイゴウという地区にたいして、またそこで暮らす人に対して責任を果たすように見せかけながら、何もしてきていなかった人たちであり、そして何もしないことを好む人たちなのである。義務をおろそかにしているという意識は不快なものではあるが、個人的な心地よさが彼らの神なのである。私の本に狼狽する人たちが固く信じていることは、芸術の唯一の機能とは、室内装飾のように自分にだけ心地よさを与えてくれるということなのである。さらに彼らが知っているのは、ジェイゴウの子供たちの運命について考えることから逃げ、目をそむけ、万事が順調で、この世は徳があって幸せなところであると言う方が、心地よいということなのである。こうした精神的な態度に楽観主義と名づけ、自惚れた態度で語り、楽観主義とは素質なのだと嬉々として話している。だから、そうした態度が自己中心的な悪徳にすぎないと指摘されると泣いたり、わめいたりするのだ。自らを惑わそうとして放蕩の材料を求めていた地で真実を発見すると、声に出してうめき、抗議をしたり、目の前の苦杯を持っていかせることがもっともな要求だと主張する。彼らは「ジェイコウの子ども」には、呻き声をあげ、抗議をした。ひるんで当惑をしていたので、どれほど抗議をしても彼らには足りなかった。そういうわけで、この書物のなかに、自分たちが座っている居間と職人の世界のあいだに通路を求めようとはしなかった。

Now, when the tale was written and published it was found, as I have said, to cause discomfort to some persons. It is needless to say more of the schoolmen. Needless, too, to say much of the merely genteel: who were shocked to read of low creatures, as Kiddo Cook and Pigeony Poll, and to find my pages nowhere illuminated by a marquis. Of such are they who delight to read of two men in velvet and feathers perforating each other’s stomachs with swords; while Josh Perrott and Billy Leary, punching each other’s heads, present a scene too sickening and brutal to consider without disgust. And it was in defiance of the maunderings of such as these that Charles Lamb wrote much of his essay On the Genius and Character of Hogarth. But chiefly this book of mine disturbed those who had done nothing, and preferred to do nothing, by way of discharging their responsibility toward the Jago and the people in it. The consciousness of duty neglected is discomforting, and personal comfort is the god of their kind. They firmly believe it to be the sole function of art to minister to their personal comfort—as upholstery does. They find it comfortable to shirk consideration of the fate of the Jago children, to shut their eyes to it, to say that all is well and the whole world virtuous and happy. And this mental attitude they nickname optimism, and vaunt it—exult in it as a quality. So that they cry out at the suggestion that it is no more than a selfish vice; and finding truth where they had looked for the materials of another debauch of self-delusion, they moan aloud: they protest, and they demand as their sacred right that the bitter cup be taken from before them. They have moaned and protested at A Child of the Jago, and, craven and bewildered, any protest seemed good enough to them. And herein they have not wanted for allies among them that sit in committee-rooms, and tinker.

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