アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」第三版の序文 4回

慈善家を公称する者にしても、自分の心にしたがって何も見ないでいるが、それでも職人が少しも利益をうみださないということを説明されると、当然のことながら憤る。ロンドンのイースト・エンドでの話だが、鍋を貸してくれと頼んだのに嘲られてしまい、取り乱してしまった女性が、こうした言葉で自己弁護をしている。「あたしが鍋を貸さないって言ったら、あんた、自分のかあさんにそう言えるかい? たとえブラウンの奥さんに貸したからにしても。それとか、あたしが使ってるからと言われたら、どんな気分? 修繕にだしているからと言われたら、どう思う? 持っていないと言われたら、どんな気分?」つきることなく異論をのべたてる彼女と、「ジェイゴウの子ども」を非難してくる人たちの心は相通じるものがあり、私は自分が間違いを犯しているということをすぐに悟った。それというのも(1)真実をむきだしにしたかたちで、ジェイゴウを書くべきではなかったからだ。(2)私の描写はシェイゴウと似ていない。(3)おまけに大げさに書いている。(4)真実ではあるかもしれないけれど、不必要なものである。なぜならジェイゴウのことは広まっていて、誰もが知っているからだ。(5)ジェゴウの家は取り壊された。(7)ジェイゴウのような場所はないからだ。

 

For your professed philanthropist, following his own spirit, and seeing nothing, honestly resents the demonstration that his tinkering profits little. There is a story current in the East End of London, of a distracted lady who, being assailed with a request for the loan of a saucepan, defended herself in these words:—’Tell yer mother I can’t lend ‘er the saucepan, consekince o’ ‘avin’ lent it to Mrs Brown, besides which I’m a-usin’ of it meself, an’ moreover it’s gone to be mended, an’ what’s more I ain’t got one.’ In a like spirit of lavish objection it has been proclaimed in a breath that I transgress:—because (1) I should not have written of the Jago in all the nakedness of truth; (2) my description is not in the least like; (3) moreover, it is exaggerated; (4) though it may be true, it is quite unnecessary, because the Jago was already quite familiar, and everybody knew all about it; (5) the Jago houses have been pulled down; and (6) there never was any such place as the Jago at all.

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