アーサー・モリスン倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」14章94回

スタート神父はだまされることがなかった。自らの機知を頼みの綱として暮らしているジェイゴウのすべての人々は、その事実をおぼろげに受けとめた。シリングにしても、シリングに交換できる服にしても、スタート神父からまきあげることはできない。悔い改めたり、救いを求めたりという子供だましの方法では、他数の者をあざむくことはできるかもしれないが、スタート神父には通用しなかった。がっしりとした無頼漢のなかには嫌がる者もいたが、ジェイゴウの多くの者たちは、ときどき近隣の地区に出撃しては、儲けになりそうな感傷家を探しに行った。そこでカモになるのは、黒っぽい服のホワイトカラーであり、まじめで、時には未熟な説教師であることもあれば、平信徒であることもあり、慈善団体の役員であることもあった。自らのためにイーストエンドにちょっかいをだそうとする者であることもあれば、安心して伝道をおこなおうとする者の場合もあり、なかにはロンドン市長公邸の基金をしはらう者もいた。そうした者たちは、おもに二つの型に分かれていた。まずは、ただ温厚なだけの人物で、ジェイゴウの言葉でいうなら「ウールの男」という種類の男だ。どのような話だろうと、物思いに沈んで哀れみをさそうように語れば、こうした男には十分だ。それから、別のタイプの男とは、騙されやすい、青二才で、知りもしない経験に自信をいだいているが、それなりに用心して近づけば、たやすく金をせびることができる。荒っぽいながら用意周到な手口が、大抵の場合、どちらの種類の男にも使われたが、それは突然、宗教に目覚めたという告白をすることであった。この告白をするために、穏やかな幸せがただよう雰囲気をかもしだすか、あるいは熱狂的なまでに高揚した雰囲気をだすか、相手の好みにあわせた雰囲気をつくった。うまくやるには繊細さが要求されるのだが、まじめな求道者をよそおい、救いをさしだされてもためらうのだ。そうした態度をとりながら、あいまいなうちに答えをひきのばし、靴や外套、半クラウンを産みだしたが、弱い仲間にたいして教会に行くように説き伏せるために使うという理由が語られた。だがスタート神父にすれば、そうした文言は許し難いもので、役に立たない人物でいる方がまだましだった。たしかにそうしたところで、誇りを傷つけてしまい、鼻であしらわれるようになるだけだった。こういうわけで、はじめてフルフィ・パイクがスタート神父のところにきて、ついに神を見つけたと言ったとき、スタート神父が問いただしたのは、その神とは籠のなかにいたのだろう、貨物列車からひっかけられた籠のなかにいたのではないかということであり、そうであるなら商店に返品する行為をとりなさいということだった。これほど嫌になるくらいに、頭が現実的に回転していく男を相手にすれば、何もすることができなかった。さすがにジェイゴウの人々も諦めてしまった。

Father Sturt was not to be overreached: that was the axiom gloomily accepted by all in the Jago who lived by what they accounted their wits. You could not juggle shillings and clothing (convertible into shillings) out of Father Sturt by the easy fee-faw-fum of repentance and salvation that served with so many. There were many of the Jagos (mightily despised by some of the sturdier ruffians) who sallied forth from time to time into neighbouring regions in pursuit of the profitable sentimentalist: discovering him—black-coated, earnest, green—sometimes a preacher, sometimes a layman, sometimes one having authority on the committee of a charitable institution; dabbling in the East End on his own account, or administering relief for a mission, or disbursing a Mansion House Fund. He was of two chief kinds: the Merely-Soft,—the ‘man of wool’ as the Jago word went,—for whom any tale was good enough, delivered with the proper wistful misery: and the Gullible-Cocksure, confident in a blind experience, who was quite as easy to tap, when approached with a becoming circumspection. A rough and ready method, which served well in most cases with both sorts, was a profession of sudden religious awakening. For this, one offered an aspect either of serene happiness or of maniacal exaltation, according to the customer’s taste. A better way, but one demanding greater subtlety, was the assumption of the part of Earnest Inquirer, hesitating on the brink of Salvation. For the attitude was capable of indefinite prolongation, and was ever productive of the boots, the coats, and the half-crowns used to coax weak brethren into the fold. But with Father Sturt, such trouble was worse than useless; it was, indeed, but to invite a humiliating snub. Thus, when Fluffy Pike first came to Father Sturt with the intelligence that he had at last found Grace, the Father Sturt asked if he had found it in a certain hamper—a hamper hooked that morning from a railway van—and if it were of a quality likely to inspire an act of restoration to the goods office. Nothing was to be done with a man of this disgustingly practical turn of mind, and the Jagos soon ceased from trying.

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