牛田権三郎 三猿金泉録序文

三猿金泉秘録とは、宝歴五年(1775年)、大阪の天才米相場師「牛田権三郎慈雲斎」が書き残した相場についての書物です。世界初の先物市場である大阪米相場で大活躍した相場師、牛田権三郎慈雲斎ですが、記録はほとんど残されてなく、今日、その存在を伝えてくれるのは、この一冊の書物だけのようです。

二百五十年前に書かれた書物ですが、順張り、逆張り、難平買いなど、現代でも通用する考えがあるのではないでしょうか。米の先物取引相場を主軸にして、東の金、西の銀という為替相場が絡み合い、世界のどの国よりも相場巧み者たちが活躍していた江戸時代に思いをはせながら、少しずつ、たまに牛田慈雲斎の言葉を紐解いていきたいと思います。

 

原文は「三猿金泉秘録」牛田権三郎遺稿、嘉永四年亥年、京都大学付属図書館谷村文庫

 

解説文は、以下から引用させていただきました。原文、解説本ともに、著作権保護期間を終了しているため、国立国会図書館デジタル資料で閲覧することができます。

原文の文字が判読しがたい場合は、隋雲軒著「八木三猿金泉録」を参考にしました。

 

解説文は、その一「三猿金泉録講義」大黒天 著 東方日報社出版部 1932年

解説文は、その二「三猿金泉録講義」征矢 著 毎夕出版社 1925年

解説文は、その三「八木三猿金泉録」 隋雲軒 著 赤志忠七社 1885年

解説文は、その四「三泉金泉録講義」 大勢子 著 東京毎夕出版社 1921年

 

三猿金泉録序

 

さりはまより 序の部分は、四分割にして、それぞれに解説を引用しました。

 

牛田慈雲斎の序文一

大極動きて陽を生じ、動く事極まりて静なり。

静にして陰を生ず。

静かなること極まりて、また動く。

一動一静、皆天地陰陽自然の理なり。

米の高下も天地陰陽のまわるごとく、

強気(つよき)の功あらわれて、はなはだ高くなり。

上がる理極まれば、その中に弱気(よわき)の理を含む。

弱気の功あらわれて、はなはだ安くなれば、その中に強気の理を含む。

万人の気弱き時は、米上がる理なり。

諸人気強きときは、米下がる種なり。これ皆天性理外の理なり」

 

大黒天の解説「宇宙は回転する。その回転を、陰陽の回転とみたのは、きわめて合理的なことである。あらゆる森羅万象をみるとき、かならずや陰陽の脈打つことを感ぜられるのである。光に明暗あり、波に女波男波あり、人間の体内を循環する血液の脈打つにも、大小の区別がある。したがって財界の波動にも、好況不況があり、相場に高低がある。上がれば下がり、下がれば上がる、天地自然の原理である。ただ、しかしこの高低が、万人強きときに下がり、万人弱き時に高くなるのは、高低は天地自然の理であっても、この点は理外の理であるというのである。理外の理なぞということは、ずいぶん不思議な理屈であるが、これは今一歩突き進んで、なぜ万人強き時は下がり、万人弱き時は上がるのか研究すれば、たちどころにその理由が発見せられたのであったが、惜しいところで理外の理と片づけてしまっている。しかしもっぱら、これだけの研究をしたことは慈雲斎(作者 牛田権三郎のこと)偉い点で、このあとを受けて、この理外の理を研究するのが後世の我々の任務でなければいけない。

 

磯部の解説「これは相場の高下を一玄に見たるもので、陽明の宇宙学を学んだものであると思われるが、さて、この理外の理などという文句は、ずいぶん苦しむだろう不条理な文句

であるが、これは遺憾なく一言に表示できる適切な文字がないから、これを理外の理といって、しかしながら、その理外の理はすなわち本著の研究すべき原理であると言ったのである。昨今、この理外の理なる表示に、三五の十八などという俗諺がある。三五の十五は数の当然であるが、述べは三五の十八であって、そうきちんと算盤や理論どおりにいかないものであるという意義から、一言にして「三五の十八だ」「変物だ」と言ったものであろうと思われる。

 

(さりはまより)強気はバブル、弱気は暴落と考えると分かりやすい気がします。

 

牛田慈雲斎の序文二

われ壮年の頃より米商いに心をよせ、昼夜工夫をめぐらし、六十年来の月日を送り、

ようやく強弱の悟りを開き、米商の定法(おきて)をたて、

一巻の秘書を作り、名づけて三猿金泉録とする。

米穀(べいこく)の形象の中が丸く、上下とがるは、

陽光(ひか)りて、陰がふるなり。

天地陰陽の気をうけ、士農工商四民を養う天下第一の宝なり

 

(さりはまより) この部分は、解説本ではなぜか割愛されている部分です。米の形から陰陽をとらえる考え方は面白く、米について天地陰陽の気をうけ、人々を養う宝とする考えは感謝にあふれています。米が主貨の役割をしていた当時ならの考えかもしれませんが、やはり現代でも、相場取引では感謝の心を持ち続けたいものです。

 

牛田慈雲斎の原文 序文三「三猿とは、すなわち見猿(みざる)、言猿(いわざる)、聞猿(きかざる)の三つなり。眼に強変(きょうへん)を見て、心に強変の淵に沈むことなかれ、ただ心に売りを含むべし。耳に弱変(じゃくへん)を聞きて、心に弱変の淵に沈むことなかれ、ただ心に買いを含むべし。強弱を見聞くとも人に語ることなかれ、言えば人の心を惑わす。これ三猿の秘密なり。金泉録として、この書の名とする」

 

(大黒天の解説)山門の入り口の庚申塚は、見まい、聞くまい、言うまい、の三猿とおしえられている。しかし、この世の中の出来事は、見まいとして見ずに過ごすことが出来ず、聞くまいとして聞かない訳にいかない。要は、見て、これに感化されず、聞かされて、これに動かされざる金剛心、不動の心こそ持つべきであって、この心境に到達しなければ、米商いの秘伝奥義を感得することは出来ない。

 

(さりはまより)

これも強変とはバブル、弱変とは暴落と考えると分かりやすいのではないでしょうか。

 

 

牛田慈雲斎の序文四

 

高安の理は空理にて目に見えず上げも かたちもなきものの躰(たい)となり

 

上の句の心を考えるなり。

米上がるともいつ下がるとも定まらざるが空理(くうり)なり。

空理を見ると、千年に一度も商いをとる時節なし。

また下の句の心を考えるに、

影も、かたちも無きものが躰(たい)とあるは定式(じょうしき)なり。

定式あれば売買あり。

仏道の定式は五戒、儒道神道の定式は五常、智仁勇の三徳、みなそれぞれに定式あり。

 

(大黒天の解説)あらゆる一切のものは色即是空である。形のあるものは壊れ、壊れたるものは形を変え、時は流れ、世は移る。うつし世、うつせみの姿、ただこれ「流転の相」のみ。

物の高低、相場の波動という事も、一つの幻影にすぎない。高いということも、安いということも、心の動きに過ぎない事である。かつて禅宗和尚は、祭礼に奉じてあるのぼりの動くのを見て、

「のぼり動くにあらず、なんじの心動くなり」

と説破したと伝えられるが、相場もまたこれと同様のものである。相場は一定不変である。相場は一定不変であるが、これを観る人の心動揺するために高低あるものと観ずるのである。すでに一切空の世界、高低に理由をつけることが空理であり、影も、影も無きものが体と知るべきである。

こう説明したところで、ますます賦に落ちないことが多いと思う。よって少しばかり禅問答をいれて参考にしていただきたい。

一休和尚の小僧時代に、師の禅師が愛玩していた名器を誤って、仲間が誤って取り壊したのを引き受け、師の帰りを待ち受けて問答にでた。

一休「生あるものは」

禅師「死す」

一休「形あるものは」

禅師「壊れる」

そこで一休は壊れた名器を取り出して、このとおりと言ったのでお咎めがなかったと言う。色即是空を観ずることが、禅の方では先ず入門の序の口である。それから進むと

「富士山と筑波山を取り換えてみろ」

などという珍問がでる。しかし、これは名前なるものは、一つの符牒である事が判れば何でもないことなのである。「はい、出来ました。駿河にそびえるのが筑波山で、関東の高山が富士山となりました」というような事になる。

それが段々進めば

「柳緑花紅」

となる。

こうした禅問答の修行は、近代の学問から説明すれば、人間の意識というものは外界からの魔物が乗り移って、それがあたかも自分のもののようになるのでなければ、業によって、すなわち先祖の悪い心もちが遺伝して、悪い意識となって、自分が気づかないというような場合もある。自己の意識は幾多の魔物のため穢されている。

それを洗うために、一度一切の理屈から離れ、省察、沈思を重ねて、すなわち三味の境に入り、立派なる潜在意識を尋ねだしてくるところには神より授けられた、仏教でいえば仏性が存在しているのである。この仏性でみれば世の中はやはり「柳緑花紅」この宇宙には変わりないが、先の我念で観た場合とは大いに異なってくるのである。故に牛田氏はそれ等の修行に入る順序として、また参禅の場合のように、高安は空理だとか、影も形も無きものが体であるとかと一つの案をのべた次第である。」以上、大黒天の解説

 

牛田慈雲斎の序文五

 

高安の定式

 

古米多く安値段なるを新米へ移したる年は、から腹上がりある年なり。

これを順乗(じゅんじょう)の年という。

古米少なくして高き値段を新米へ移したる年は、から腹下がりある年なり。

六七八月に強変あらわれれば、まさしく、から腹下がりの年なり。

これを変乗(へんじょう)の年という。

商いの定式とは、逆平(ぎゃくへい)、順乗(じゅんじょう)の二つなり。

逆平となるらしい年は買いに買いなり。

順乗とは、上がる道理をただしく見つけ、乗り、買いに買うを順乗というなり。

順乗変乗の十二平商、三十八乗商、十五の禁制、家伝高安鏡、万歳運気豊凶の録を考えて、千度に千度負けざるの妙術など、誠に家伝秘蔵の宝なり。

宝歴五年 秋九月下旬 慈雲斎 牛田権三郎

 

(大黒天の解説)から腹とは米の少ないことを意味しているようである。すなわち古米多く安い値段を新米に移したる年は、濫費のため消費量多くして新米になってから意外に実物が少なくなるものである。また古米少なくして高値段を新米に移した場合は、実物が少なくても相場が低落するものである。一平二平三平なぞという言葉は、今後の歌に出てくるから、その場合は売りならし、買いならしと知るべきである。乗という言葉は利乗せの意義である。

(さりはまより)逆平とは、逆張りや難平買い。順乗とは、トレンドにのって順張りでの買い、買い増しのことだと思います。

 

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