チェスタトン「マンアライヴ」一部二章第34回

Ⅱ 楽観主義者の旅行鞄

 

私たちは皆、幼年時代に親しんだことのある科学についての空想物語のことを覚えている。そうした物語で語られる空想とは、大きな動物も跳ぶことができて、小さな動物と同じくらいに跳ぶことができるというものである。もし象が、バッタと同じくらい力強く跳ぶなら、動物園を堂々と飛び越えて、トランペットのような鳴き声をあげながらプリムローズヒルの丘に降り立つだろう。もし鯨が、鱒のように海から跳ねることができるなら、おそらく人々は顔をあげて、ラピュタの疾走する島のように、鯨がヤーマスの上で跳ねるのを見るだろう。こうした自然の活力は、崇高なものながら、一方でたしかに迷惑なものかもしれない。こうした迷惑が生じたのは、緑の服をきた男が浮かれているせいでもあり、善意にみちているせいでもあった。彼はあらゆる面で大きすぎた。なぜなら、大きすぎるだけでなく、彼は活発だったからだ。運のいいことに身構えることができたので、ほとんどの人々は平静であった。中流どころの下宿屋は-ロンドンの少々劣る地域にあった-、雄牛のような大男のために建てられたものでもなければ、子猫のように興奮する男のために建てられたものでもなかった。

 

  1. — THE LUGGAGE OF AN OPTIMIST

We all remember the fairy tales of science in our infancy, which played with the supposition that large animals could jump in the proportion of small ones. If an elephant were as strong as a grasshopper, he could (I suppose) spring clean out of the Zoological Gardens and alight trumpeting upon Primrose Hill. If a whale could leap from the sea like a trout, perhaps men might look up and see one soaring above Yarmouth like the winged island of Laputa. Such natural energy, though sublime, might certainly be inconvenient, and much of this inconvenience attended the gaiety and good intentions of the man in green. He was too large for everything, because he was lively as well as large. By a fortunate physical provision, most very substantial creatures are also reposeful; and middle-class boarding-houses in the lesser parts of London are not built for a man as big as a bull and excitable as a kitten.

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