チェスタトン「マンアライヴ」一部三章第64回

人が自由になるのは、何らかの組織が自由にしてくれるときようやくだ。自由というものが存在できるのは、政府が自由であると宣言してようやくだ。道化者のスミスのような荒々しい支配者でも、それでも支配者であることにはかわりない。なぜなら至る所に、狂気のような規制と条件の山をつくりだしているからだ。彼の狂気じみた生き方が、みんなを圧倒した。だが、破壊するような形で表現されたのではなく、むしろ目眩がするような、ぐらぐらとするような形で表現された。趣味がある者であれば、誰でも、その趣味がなかば組織へと転じていくことに気がつく。ロザムンドの歌は、ある種のオペラと合体するように見えた。マイケルの冗談や記事は雑誌になるように見えた。彼のパイプと彼女のマンドリンが、ふたりの間で奏でているのは、喫煙が許されたコンサートのように見えた。恥ずかしがりやで、当惑気味のアーサー・イングルウッドは、自分の重要性が増していく気持ちに抗っていた。彼は、実際には大したことがないにもかかわらず、自分の写真が画廊にかざられ、自転車が競技大会にでているような心地がしていた。だが誰も、こうした即興でつくられた状況や務めのあら探しをする時間はなかった。荒々しくも、つながるように互いを追いかけているからで、それは散漫な話し手が語る話題を追いかけるようなものであった。

We are never free until some institution frees us; and liberty cannot exist till it is declared by authority. Even the wild authority of the harlequin Smith was still authority, because it produced everywhere a crop of crazy regulations and conditions. He filled every one with his own half-lunatic life; but it was not expressed in destruction, but rather in a dizzy and toppling construction. Each person with a hobby found it turning into an institution. Rosamund’s songs seemed to coalesce into a kind of opera; Michael’s jests and paragraphs into a magazine. His pipe and her mandoline seemed between them to make a sort of smoking concert. The bashful and bewildered Arthur Inglewood almost struggled against his own growing importance. He felt as if, in spite of him, his photographs were turning into a picture gallery, and his bicycle into a gymkhana. But no one had any time to criticize these impromptu estates and offices, for they followed each other in wild succession like the topics of a rambling talker.

 

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