チェスタトン「マンアライヴ」一部三章第66回

ある写真は、かなり成功をおさめている三部劇で、イングルウッドが、イングルウッドを認識しているというものだった。イングルウッドは、イングルウッドのまえにひれ伏していた。さらにもう一人のイングルウッドは、傘でイングルウッドを激しく叩いていた。イノセント・スミスは写真を引きのばしては、玄関ホールに貼ろうとしているのだが、いわばフレスコ画のようなもので、そこにはこう銘文が記されていた。

「みずからを敬い、みずからを知り、みずからを律する。

 こうした三つのことだけで、ひとは気取り屋になる」テニスン

 ダイアナ・デューク嬢が家事にかける活力ほど、平凡なものもなければ頑迷なものもないだろう。だがイノセント・スミスは、ひょんなことから発見したのだが、彼女のつましい婦人服仕立ては、服への女性らしい関心をともなうものであり、女性らしいものでありながら、けっして自尊心をそこなうことのないものであった。

 

One highly successful trilogy—representing Inglewood recognizing Inglewood, Inglewood prostrating himself before Inglewood, and Inglewood severely beating Inglewood with an umbrella— Innocent Smith wanted to have enlarged and put up in the hall, like a sort of fresco, with the inscription,—

        “Self-reverence, self-knowledge, self-control—
         These three alone will make a man a prig.”

— Tennyson.

Nothing, again, could be more prosaic and impenetrable than the domestic energies of Miss Diana Duke. But Innocent had somehow blundered on the discovery that her thrifty dressmaking went with a considerable feminine care for dress—the one feminine thing that had never failed her solitary self-respect.

さりはま の紹介

更新情報はツィッター sarihama_xx で。
カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.