チェスタトン「マンアライヴ」一部三章第73回

愛国心についてのモーゼス・グールドの裁判は、ビーコンハウスの人々の理解をこえていた。とりわけ被告人の理解をこえていた。だがイングルウッドの裁判は、名誉毀損で訴えられたものであるということも、愚行が擁護されて免訴が成功したことも、どちらもビーコン高等法院における最上のしきたりであると考えられた。

 だが熱狂するにつれてスミスはいっそう真面目になっていき、マイケル・ムーンのように不真面目になっていくことはなかった。このビーコンハウスにおける私設法廷の案がだされると、ムーンは放りだし、政治に諧謔を弄する者の冷淡さを見せつけたが、いっぽうスミスは、抽象的なことについて思索する哲学者の熱意で取り組んだ。出来るとすれば最高じゃないか、と彼は主張した。それぞれの家庭が主権を要求できるとしたら最高じゃないか。

The proposed trial of Moses Gould for patriotism was rather above the heads of the company, especially of the criminal; but the trial of Inglewood on a charge of photographic libel, and his triumphant acquittal upon a plea of insanity, were admitted to be in the best tradition of the Court.

But when Smith was in wild spirits he grew more and more serious, not more and more flippant like Michael Moon. This proposal of a private court of justice, which Moon had thrown off with the detachment of a political humourist, Smith really caught hold of with the eagerness of an abstract philosopher. It was by far the best thing they could do, he declared, to claim sovereign powers even for the individual household.

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