隙間読書 火野葦平『人魚』

『人魚』

作者 ; 火野葦平
初出 ; 1940年(昭和15年)

火野葦平は戦争作家のイメージがあって、印象が悪く、今まで読まないできた。
でも火野葦平は戦争だけでなく、河童も書いていたのだと知り、なんだか親近感がわいて読んでみることに。

人魚に恋した河童が悩み、その気持ちを人間の「あしへいさん」に打ち明けた河童の書簡体小説…という設定からしてユーモラス。その思い悩む気持ちは青春小説のようだけれど、真面目に書いても河童の手紙だから、どこか惚けた味があって面白い。

ある日、河童は海で人魚に一目惚れをする。人魚の美しさを「あしへいさん」にこう伝える。もう河童のベタ惚れである。

「年のころは十七八かと思われますが、一糸をもまとわぬ裸身で、すきとおるように白い肌はあたかも大理石のようになめらかに光っています。どこひとつ角ばったところのないなだらかな身体の曲線は、縦横にうねりまじわり、ぷっとふくらんだ二つの乳房のさきにある薄桃いろの乳首が、紅玉をちりばめたようにみえます。ゆたかな顔、弓なりの眉、ながい睫毛のしたにある二重まぶたのすずしい眼、端正な鼻、二枚のはなびらのような唇、わたしが画家であったならば、生命をかけてでもかきたいと思うようなうつくしい顔です。ときほぐされたながい漆黒の髪はその白い身体になだれまつわり、その女が波にただようときには、海藻のように水面にうきます。女は夢みるような眼をして、夕焼の空をあおいだり、はるかの水平線をながめたり、鴎のとぶあとを眼で追ったり、防風林の方を見たりします。」

だが河童の思いも、恋する相手、人魚の思いがけない行動、魚を食い、脱糞する場面を見て打ち砕かれる。

「これまでうっとりとした眼にすんでいた瞳にはなにかいやしげないろが浮かび、あちらこちら魚を追いまわす姿は、うつくしいだけにざんにんな不気味さをはなちます。またとらえられたいっぴきの縞鯛が人魚の食膳にのぼりました。ほくそ笑んでむしゃむしゃと生身の魚をかじる人魚の口は、耳まで裂けているようにみえました。人魚はこうして貪婪にひかる眼つきをしてしきりに魚をとらえて食べましたが、ついに、巨大な昆布の林のなかにはいっていって、そこへ脱糞をこころみました。尻尾にちかいところから黄いろくながいものが縄のようにいくすじもおしだされてきて、ちぎれるとながれにつれて底の方へしずんでゆきます。そうしながら人魚は口では魚を噛んでいるのです。」

河童は「人魚がうつくしかどうか」と哲学的に思い悩む。

「わたしははたして人魚がうつくしいかどうか、その日から考えはじめてとうとう病気になり、わからなくなってしまったのです。
人魚はうつくしいのですか。みにくいのですか。どっちですか。」

悩むあまり河童の命は弱っていく。でも最後にいたるまで河童はどこかユーモラス。

「わたしはまもなく死にます。この手紙をかいていても手がふるえ、だんだん弱ってゆくのがわかります。もう頭の皿の水もひからびてしまって、しめつけられるようにいたいのですが、しかしいまわたくしはふしぎなよろこびにとざされています。こういう死にかたをすることは満足です。」

火野葦平がこんなにユーモラスな感覚のある作家だとは思わなかった。やはり喰わず嫌いはいけないと反省した次第。

読了日;2017年8月23日

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