隙間読書 上田秋成『菊花の約』

『菊花の約』

 

作者:上田秋成

初出:1776年(安永5年)

 

いつも慌ただしく、季節感のない日々だから、9月9日、重陽の佳節なんて思い出すはずもない。でも明日、担任をしているクラスの国語が自習になるという。自習課題をうけとったら、雨月物語「浅茅の宿」のプリントだった。そこで季節も近いし、『菊花の約』を読もうという気に。

読んでいくと、登場人物のいじましいまでの律儀さ、自然の風物の可憐さが何ともよく似合っている。

「あら玉の月日はやく経ゆきて、下枝(したえ)の茱萸(ぐみ)色づき、垣根の野ら菊艶(にほ)ひやかに、九月(ながつき)にもなりぬ。九日はいつもより蚤(はや)く起出て、草の屋の席(むしろ)をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶(こがめ)に挿し、嚢(ふくろ)をかたぶけて酒飯(しゅはん)の設(まうけ)をす。老母云う。かの八雲たつ国は山陰(ぎた)の果(はて)にありて、ここには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の来しを見ても物すとも遅からじ。左門云ふ。赤穴は信(まこと)ある武士(もののべ)なれば刈らず約(ちぎり)を誤らじ。其の人を見てあわただしからんは、思わんことの恥かしとて、美酒(よきさけ)を沽(か)ひ鮮魚(あらざけ)を宰(に)て廚(くりや)に備ふ。」

 

茱萸、野ら菊、黄菊、しら菊二枝三枝とつづく自然の草木の可憐さが、兄の帰りを信じて用意する左門の甲斐甲斐しいさ、いじましさとなんとも調和していて心うたれる文である。

 

「老母、左門をよびて、人の心は秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる信(まこと)だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき。入りて臥しもして、又翌(あす)の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして前(さき)に臥さしめ、もしやと戸の外に出でて見れば、銀河の影きえぎえに、氷輪(ひょうりん)我のみ照して淋しきに、軒(のき)守る犬の吼ゆる声すみわたり、浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり。月の光も山の際(は)に陰(くら)くなれば、今はとて戸を閉(た)てて入らんとするに、ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。」

 

兄の帰宅を待ちわびて外に出た左門の目にうつる景色が語られる。「銀河の影きえぎえ」「氷輪」「犬の吼ゆる声」「浦浪の音」…これは此の世ではなく、幽冥界の風景なのではないだろうか。

此の世のものとは思えないような景色のなかに、幽霊となった兄がようやく帰宅するくだりもいかにも幽霊らしい。「ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり」

 

物騒な騒ぎの多い此の世に比べれば、幽冥界のほうが心にやさしい場所に思えてくるのだが。怖さを求めるから怪談ではなく、やさしい場所、癒やしの場所をもとめるからの怪談読書のように思う。

 

読了日:2017年9月12日

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