2017.10隙間読書 泉鏡花「天守物語」

「天守物語」

 

作者:泉鏡花
初出:1942年(昭和17年)

来週、月曜日、金沢21世紀美術館での「天守物語」上演にむけて再読。これを舞台で観るんだ…と思うと、読むのも気合がはいる。ここはどんな舞台になるんだろうかと想像しながら楽しく読む。舌長姥が首桶の生首を「汚穢や(むさや)、(ぺろぺろ)汚穢やの」とくりかえす場面、どうするのだろうか?
題からして「天守物語」と高いところにあるものを暗示しているよう。実際、富姫をはじめ、人間ではない者たちの高い心をあらわす言葉がいさぎよく、深く印象に残る。

鷹狩をする大名の行列の不作法さにあきれ、わざと雨をふらした富姫は大名をこう嘲る。

粟粒を一つ二つと算えて拾う雀でも、俄雨には容子が可い。五百石、三百石、千石一人で食むものが、その笑止さと言ってはない。


大名には厳しい富姫も、農家の人々には優しい。借りてきた農家の笠を返さなくても…という腰元たちをこうたしなめる。

いえいえ、農家のものは大切だから、等閑(なおざり)にはなりません


大名が逃げた鷹を探しているときいた富姫はきっぱりこう言いきる。天守という高いイメージに、さらに飛翔というイメージがくわわり、富姫はますます格好いい。

翼あるものは、人間ほど不自由ではない。千里、五百里、勝手な処へ飛ぶ、とお言いなさるが可い。

さらに富姫は鷹の自由、人間の愚かさをこう語る。

鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯なんどというものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、ただ一人じめに自分のものと、つけ上りがしています。貴方はそうは思いませんか。

「天守物語」…高いところにひそんだ、自由に飛翔する心の世界、舞台で観るのが楽しみである。

読了日:2017年10月4日

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