2017.10 隙間読書 坂口安吾『桜の森の満開の下』

『桜の森の満開の下』

作者:坂口安吾

初出:雑誌「肉体」1947年創刊号

歳をとると間違いがさらに多くなり出来なくなることも多々あるが、読書に関していえば、以前はさらりさらりと読み飛ばしていた言葉の意味に気がつき、心にじわじわ沁みてくるようになる。私のように凡庸な読者でも、歳を重ねた分だけ、若い頃よりも少しは深く感じるものがあるものだ…と思いつつ「桜の森の満開の下」を読む。


まず冒頭部分にでてくる能の箇所も、以前なら気にもとめないで読み飛ばしていた箇所でだろう。今なら「ああ、この能は『隅田川』ではないだろうか。ここで救いのない悲しい『墨田川』をもってくることで、次の部分から夢うつつの能の世界へ、哀しい墨田川の安吾バージョンが始まりますよ…」という安吾流の東西声なのだろうと思う。

能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまうという話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。


旅人から情け容赦なく着物をはぎ人の命も断つ山賊でも、桜の森の花の下にくると怖ろしくなって気が変になる場面でも風が吹く。

花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。


旅人を殺してその妻を自分の妻にする。美しいその女は残酷でわがままな女の本性をみせはじめる。山賊は女の望むまま都へ行くことに。出発のまえに、ひとり桜の木のしたにくると、やはり風がゴウゴウと吹く。

花の下の冷たさは涯のない四方からドッと押し寄せてきました。彼の身体は忽ちその風に吹きさらされて透明になり、四方の風はゴウゴウと吹き通り、すでに風だけがはりつめているのでした。彼の声のみが叫びました。彼は走りました。何という虚空でしょう。彼は泣き、祈り、もがき、ただ逃げ去ろうとしていました。そして、花の下をぬけだしたことが分かったとき、夢の中から我にかえった同じ気持ちを見出しました。


都では女の指図をうけ、泥棒にはいり、さらには女が首を欲しがるから次から次に首をおとして女のもとに持ち帰る。女は首で遊ぶ。そんな都の生活をやめて、女をおぶって山に戻るときも風が吹いてくる。

とっさに彼は分かりました。女が鬼であることを。突然どッという冷たい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。


山賊が悪事を働いてから、あるいはこれから事を起こそうとするときに、桜の木の下をゴウゴウと吹いている風とは何なのだろうか? この作品の最後にある言葉が、ゴウゴウと吹く風の正体を説明してくれているのではないだろうか?

桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。あるいは「孤独」というものであったのかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。

私も年を重ねるうちに、桜の木の下をゴウゴウと吹く風の音が、たしかに耳に幾度も聞こえたことがあるような…だからこそ、今、この言葉にたちどまる。


あわせて坂口安吾「人の親となりて」を読む。生まれたての我が子は、愛犬よりも可愛くない。でも笑顔を見せると犬よりも可愛い…という正直な思いに微笑む。

読了日:2017年10月31日

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