2017.12 隙間読書 泉鏡花「歌行灯」

「歌行灯」

作者:泉鏡花

初出:1910(明治43)年

(銀雪書房より白水銀雪さんが出されている「歌行灯」現代語訳も参考にしました。)

難しかった…言葉も、話の構造も。でも難しいから成り立つ世界…とも思う。

接点がないように思える登場人物たちが、実は入れ子構造で密かにつながっている。文のつながりを追いかけるのもやっとなのに、この入れ子構造についていくのはきつい。


弥次喜多道中のような老人二人連れが登場。唸平は辺見秀之進といい小鼓の名人。弥次郎兵衛は恩地源三郎という能の名役者。この二人の掛け合いで賑やかに話は始まる。

弥次喜多の老人たちの宿近くのうどん屋。そこに三味線を引く門付け(流しの男が登場)。この男は、鏡花の大好きな褒め言葉「清しい(すずしい)」を連発されるほどのいい男。

弥次喜多道中の座敷に若い芸者お三重が呼ばれ、何も芸は出来ないけれど舞ならば…と能の舞を披露。その舞を見て弥次喜多道中の老人たちは驚く。かつて自分たちが破門した恩地喜多八の舞だったからだ。

恩地喜多八は、かつて按摩の能楽師宗山と能を競い、破れた宗山は自殺。喜多八は破門。宗山の娘は生活苦のうちに辛酸をなめ、ようやく芸者に。そこでも何も芸がないといじめられ泣いていると、流しの芸人が山奥に連れていき能の舞を教えてくれた。その娘がお三重であり、流しの芸人は恩地喜多八であった。弥次喜多の宿の近くにいる流しこそが、恩地喜多八なのである。

老人たちの前で竜宮の舞を舞い始めた三重。その舞に老人たちの謡が重なる。恩地も、もう寿命は長くないからと宿近くで血を吐きながら竜宮の謡をうたう。


お化け好きの鏡花らしく、カワウソが化かす可愛らしい話も挿入されている。

時々崖裏の石垣から、獺(カワウソ)が這込んで、板廊下や厠に点いた燈を消して、悪戯をするげに言います。が、別に可恐い化方はしませぬで。こんな月の良い晩には、庭で鉢叩きをして見せる。……時雨れた夜さりは、天保銭一つ使賃で、豆腐を買いに行くと言う。


「やわな謡はちぎれて飛ぶ」なんて、能が観たくなった。

ばらばらだった登場人物が、竜宮の舞でひとつになる終わり方も一気にクライマックスに達する感じがあっていい。

「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にも謡うたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」

「ええ、物好に試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにお留めなさいましたの。」

「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわな謡は断(ちぎ)れて飛ぶじゃよ。ははははは、唸る連中粉灰(こっぱい)じゃて。」


ここまで読んだら、最後はもう力つきて、この文をスルーしてしまっていた。白水さんの現代語訳で、自殺した宗山も竜宮の舞の場面にいた…ことに気がつく。

「背を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた状して、先刻からその裾に、大きく何やら踞まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷くがごとくにした。

なんと、ものの影は宗山だったのか!と、ようやく気がついた次第。

歌行灯は、私には分からないが、おそらく能の形式も取り入れて書かれているのではなかろうか?

鏡花や夢野久作…能を好んだ作家の作品を理解するには、やはり能を知らないと…とまた脱線。

読了日:2017年12月16日

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