2017.12 隙間読書 ウェイクフィールド『赤い館』&佐藤春夫『女誡扇奇譚』

今年を締めくくる読書は、ウェイクフィールド『赤い館』(ゴースト・ハント収録)と佐藤春夫『女誡扇奇譚』の二冊、東西館もの怪奇譚となった。


『赤い館』

作者:ウェイクフィールド

初出:1928年 The return of The Evening

訳者:西崎憲

まずはウェイクフィールド『赤い館』。職業画家の私は、「中規模の豪華なアン女王時代風の建築物」の館を借りることに、妻メアリー、息子ティムを連れてやってきた。館に足を踏み入れると同時に違和感を感じる。

その日はからりと晴れあがった日で、赤い館は隅々まで明るかった。けれどなんとはなしにそこには色の変調といったものがあった。薄い色のサングラスをかけているような感じとでも言ったらいいだろううか。

その違和感が恐怖へと変わってくるまでの語り方が実にうまい。でも意思をもっているかのような館の描き方は、あまりに擬人化されていてどうも違和感を感じる。

ある家は尾をパタパタと振る気のいい犬のように歓迎の意を表して人を迎える。

『赤い館』でも、『女誡扇奇譚』でも泥が大事な小道具で出てくる。『赤い館』の泥は、生理的嫌悪感を高めるために、『女誡扇奇譚』では同じ泥でも見に行きたいなあと思わせるほど抒情性を高める泥である。

驚いたことに階段は何と緑色の軟泥に覆われていた。ドアの前は緑の泥で海のようだった。

ついに『赤い館』は、いや『赤い館』に潜むものは襲いかかろうとしてくる。画家一家は必死に逃げようとする。このあたりの対決の迫力にしびれるか、違和感を感じてしまうか、人によって感じ方が異なる作品だろう。

赤い館に棲むものは明かりが消えるのを待っていた。明かりが消えた時、彼らは主たる武器である恐怖を携えてつぎつぎに部屋に忍びこんできた。ぼくたちを襲うために彼らは力を結集しようとしていた。

この館の舞台が残っているかどうかは知らないが、残っていたとしても訪れたいとは思わない…そこまで嫌悪感をもたせる書き方がいいのかどうかは好みが分かれるかなあ。

読了日:2017年12月29日 


『女誡扇奇譚』

作者:佐藤春夫

初出:大正14年(1925年)

ウェイクフィールド『赤い館』が書かれてから僅か三年後に発表された作品である。佐藤春夫がウェイクフィールドの作品を読んでいた可能性は低いと思うが、第一次世界大戦後、こんなふうに放棄された屋敷が東西のあちらこちらで不気味な姿をさらし、それが作家の想像力を喚起したのだろうか。

佐藤が1920年6月から10月にかけて旅した台湾、中国の思い出をもとにして書いた作品。わずか四か月あまりの滞在なのに、台湾南部の街、安平の荒廃した街並みを佐藤と共に歩いているかのような気持ちになる。安平にも泥の描写がでてくるが、こちらは見てみたいと思わせる。

私の目の前に展がつたのは一面の泥の海であつた。黄ばんだ褐色をして、それがしかもせせつこましい波の穂を無数にあとからあとから翻して来る。十重二重といふ言葉はあるが、あのやうに重ねがさねに打ち返す浪を描く言葉は我々の語彙にはないであらう。その浪は水平線までつづいて、それがみな一様に我々の立つてゐる方向へ押寄せて来るのである。

友人の世外民と歩いているうちに見つけた広壮な館の廃墟に入っていく。すると廃墟の二階から泉州言葉で「どうしたの? なぜもつと早くいらつしやらない。…」と言う女の声がしてきた。

あわてて引き返した二人に、老婆がこの家に住んでいた富豪が没落していった悲劇を話してきかせる。家の没落とともに婚約者に捨てられた娘は気が狂い、とうとう腐乱した死体となって屋敷で発見させたことも。

それが、何日からかお嬢さんの姿をまるで見かけなくなつたので。病気でもあらうかと思つて人が行つてみると、お嬢さんはそこの寝床のなかでもう腐りかからうとしてゐたさうです。金簪を飾つて花嫁姿をしてゐたと言ひますよーそれが不思議な事に、それだのに、その人が二階へ上らうとすると、やつぱりお嬢さんが生きてゐた時と同じやうに、涼しい声でいつもの言葉を呼びかけたさうです。ね! 貴方がたが聞いたのと少しも違はない言葉ですよ!

安平の荒廃した街のたたずまい、没落した富豪の屋敷、その娘の悲劇…どんどん怪奇幻想ムードが高まってきたところで、さらに主人公たちは屋敷を再訪問する。娘の死体があったと思われる黒檀の寝台のそばで、主人公「私」は女物の扇を発見する。

世外民は、黒檀の上で大きな紅い蛾を見たのだと言う。死んだ娘の存在を強烈に印象づけながらも、蛾が心に残していく印象は美しい。

しかし、君、君はあの黒檀の上へ今出て来た大きな紅い蛾を見なかつたね。まるで掌ほどもあるのだ。それがどこからか出て来て、あの黒光りの板の上を這つてゐるのを一目は美しいと思つたが、見てゐるうちに、僕は変に気味が悪くなつて、出たくなつたのだ。

高まった恐怖は意外な顛末をむかえる。ただ、その原因となる者には会うこともなく、退廃した街並み、捨てられた屋敷を語りながら、恐怖を感じさせるものを重ねて描いていみせる。こんな怖さの書き方もあるのだなあと思い、「赤い館」のようにはっきりと描くよりは、怖さのイメージを重ねていくような佐藤春夫の書き方のほうが好みだなあと思った。

読了日:2017年12月31日

 

 

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