2018.04 隙間読書 ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン/堀内研二訳「背の高い女」

世界幻想文学大全 怪奇小説精華 収録 (筑摩書房)

「著名な森林技師」(どんなお仕事なのだろう?)ガブリエルの、土木学校時代の同期テレスフォロは不幸な出来事が起きる直前、かならず不気味な容貌の背の高い老婆に出会う。そしてテレスフォロ自身も老婆に会ってから亡くなってしまう。

テレスフォロの葬儀に参列したガブリエルは背の高い老婆見かけてしまう…災いの予兆である老婆の不気味さ、テレスフォロの不幸をガブリエルが引き継いでしまう不安感。読んだあとで、何とも嫌な気分になる作品である。

老婆である背の高い女がテレスフォロを追いかける場面を読んで、グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」に出てくる老婆ミセス・コッカートンが主人公の少年たちを追いかける場面を思い出してしまった。


「でも、俺はあんたにとって何だというんだね? あんたは俺にとって何だというんだ?」

「仇敵だよ!」とぼくの顔に唾をひっかけながら老婆は答えた。それから、ぼくの手から身を振りほどき、膝の上までスカートをたくしあげ、猛スピードで走り出した。彼女の足が地面に触れても、なんら物音は聞こえなかった…「背の高い女」堀内研二訳


しかし、ぼくたちはかなり追い上げられていた。二人の少年がペチコートをバタバタ蹴りながら走る老婆を引き離すなんてわけもないことだ、と人は考えるかもしれない。しかし、この場合は違った。ミセス・コッカートンの走りはスパルタ人さながらで、力強いものがあった。そしてぼくたちがスロープを駆け上があって大通りに出ようとする時、あわや、追いつかれそうにさえなったのだ。

―グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」好野理恵訳(晶文社)より


背の高い老婆に追いかけられる怖さ…というのはヨーロッパ圏の怪談の一つのパターンなのだろうか?「背の高い女」の老婆も、「月が昇るとき」ミセス・コッカートンも、どちらも怖い。

ただ「月が昇るとき」のミセス・コッカートンの方が「ペチコートをバタバタ蹴りながら」とか「スパルタ人さながら」とか、怖いなかにも滑稽さがあって、これがイギリスのユーモアなのかとも思った。

「背の高い女」はひたすら怖く、「月が昇るとき」は怖くもあり面白くもある…と、怖さにもいろいろ書き方があることをあらためて知る。

読了日 2018年4月25日

 

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