2018. 隙間読書 東雅夫「猫のまぼろし、猫のまどわし」

創元推理文庫


「猫」別役実

「尻尾をつかまれると、言ってみれば形而上的な不安に襲われるのである。そしてそれが『化ける』ための最初の条件となる」という一文も興味深く、この短編を冒頭に選んだ「猫のまぼろし、猫のまどわし」の次頁も興味深く…。

「猫」の中に出てくる「新案特許『尻尾固定機』を作製した」という一文にクスリ。笑いつつ「猫」のために北村紗季氏が描かれた扉絵を見たら、尻尾固定機を思わせる絵が…思わず感動、そして感謝。


萩原朔太郎「猫町」

「人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う」とあるけれど、猫町を見ることができるのは詩人の特権…凡庸な私にも猫町の美しさが伝わってくる。

北村紗希さんの口絵は「猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた」の世界でよいなあ。


ブラックウッド「古い魔術」

西條八十訳は平仮名の使い方で、猫のしなやな動き、話の不思議な展開を連想させる気がした。たとえば次の箇所などどうであろうか?

「催眠術にかけられたようになってかれは、たたずんだまましばらくこれら判断つかないけしきを見つめていた」

火刑にされた魔女…という途絶え、忘れられた記憶を、作家の想像力で蘇らせている点がつよく心に残る。忘れられた部分を復活させるということも文学の役割でなかろうかと。

「こんな事件はそのあとを継いだ子孫たちが、わざわざ記録に残して、子供たちに語り継ぎたいことでもなかろうから」(「古い魔術」より)

火刑にされた魔女というテーマは、カー「火刑法廷」を思い出してしまう。

「古い魔術」北村紗希さんの扉絵は「彼女は、みじめな、ぼろぼろの衣装を着ていたが、それが立派に似合っていた。こめかみのあたりは、芸香と馬鞭草の葉が」の「彼女」が妖しく見つめている。私もこめかみの草冠を凝視「ああ、これが正体不明のあの草なんだ」と知る。さらに娘は猫手で手招きしているではないか⁉︎ 細かく描かれた扉絵を堪能。


江戸川乱歩「猫町」

「萩原朔太郎の『猫町』を敷衍するとブラックウッドの『古き魔術』になる。『古き魔術』を一篇の詩に抄略すると『猫町』になる。私はこの長短二つの作品を、なぜか非常に愛するものである」なんて褒め上手な乱歩先生と感心。

北村紗希さんの扉絵は「一面の煉瓦、その真ん中に石で畳んだ窓があり、窓の上にはBarberと書かれ、横には理髪店の看板の青赤だんだらの飴ん棒がとりつけてある。そして窓一杯に覗いている大きな猫の顔」からか? そうか、この猫は雄猫なんだ、床屋さんだし…と絵を見て再認識。


江戸川乱歩「萩原朔太郎と稲垣足穂」

乱歩と朔太郎が二人で木馬に乗る回想が微笑ましい。乱歩37歳、朔太郎45歳のときだろうか。木馬場面を想像していると二人の自由な気分に私もひたることができる。

北村紗希さんの扉絵は酒徒朔太郎に敬意を表して酒瓶がならぶ。瓶のラベルに目をこらせば「旅順海戦館」「死なない蛸」「人間椅子」「猫町」「朔太郎 ?」と二人の作品が記されている。「死なない蛸」の瓶は蛸の足模様と楽しい細かさ。こんな酒瓶なら欲しい。


萩原朔太郎「ウォーソン夫人の黒猫」

「頭脳もよく、相当に教育もある」夫人は最初から狂気の人か?それとも徐々に?色チョークをばらまいて確かめる場面は、私の苦手ミステリ「見えないグリーン」にもあったような…。元のW・ジェイムズの実話を朔太郎も、スラデックも読んだのだろうか?

北村紗希さんによる「ウォーソン夫人の黒猫」は、「再度鍵穴から覗いた時、そこにはもはや、ちゃんといつもの黒猫が座っていた」場面を再現。背後の点描は猫の幽霊にも、夫人のまいたチョークの粉のようにも見える。粉をまいた時点で夫人は狂気の人だったのかも…と扉絵を見て思った。


エリオット・オドネル「支柱上の猫」(岩崎春雄訳)。

オドネルの父親はアイルランド人で英国国教会の牧師と知る。他にも未訳ながら英国怪談らしい雰囲気の作品を書いていて私的には面白そう。冒頭のクロウ夫人ことCatherine Croweはボードレールにも影響をあたえた…とのこと。こちらも読んでみたい。

北村紗希さんの「支柱上の猫」扉絵は、「座りづらい支柱の先という場所で、アンゴラにも匹敵するような大きな身体ですから、足を重ねて座るその様子は何かバランスを欠いているようにも見えるのですが、猫自身は結構心地よさそう」という座り方を描いていて、こんな座り方なんだと納得。


池田 蕉園「ああしんど」

31歳で亡くなった画家、蕉園が25歳のときに書いた作品。この時期は作品も評価され、私生活も婚約、破局、別の相手と結婚と激動の時期。そのせいか「ああしんど」は蕉園の心の叫びのようにも。北村紗希さんの扉絵の猫は尻尾は分かれていないけど、老猫感がよくでてる。


泉鏡花「駒の話」

黒塀に白い猫、白い着物の女の色の対比も心に残る。駒ちゃんの鮮やかな鼠の捕まえ方もユーモアたっぷり、シミ一つ残さない鼠の殺し方も潔癖症の鏡花先生らしいと微笑。駒が女に化ける不思議さ、子猫への愛、老猫になる切なさ。いろいろと詰まった作品。

「駒の話」北村紗希さんの扉絵、駒が乗っているのは菊と萩の柄の着物だろうか?駒が人間に化けたときの「白地の中形の浴衣を着て、黒い帯を引かけに」という姿から? 鏡花の文は「冬の日」とあるのに一方で「こぼれた萩」とあるのは不思議な気が…。季節が今とはずれているのだろうか?


岡本綺堂「猫騒動」

「夏祭浪花鑑」と同じテーマ、しかも夏祭の団七と同じ魚屋が同じようなことを…。でも夏祭は、その結果に至る心理と報いが細かく描写されているけど、綺堂は事件にまつわる不思議を細かく描写。近松半二と綺堂の重点の置きどころが違うのだなあ…どっちもいいけれど。

「猫騒動」北村紗希さんの扉絵に、これが「盤台」か…とまじまじと見る。


『鍋島猫騒動』(東雅夫訳)

絵草紙の猫も、北村紗希さんの扉絵の猫もちゃんと尻尾が二つに分かれている!絵草紙の絵に「又七郎の怨霊」と丁寧な註⁈がついているのも何となく怖い。絵草紙を現代に蘇らせてくれた東先生に感謝。


『佐賀の夜桜怪猫伝とその渡英』

作者の上原虎重は、この怪猫の話が外国に伝わる様子をユーモアたっぷりに紹介。 「単独旅行ではなく、四十七士や文福茶釜などと一緒の賑やかな団体旅行ではあったが、兎に角洋行をした」

北村紗希さんの扉絵は、文中の「咲き乱れた桜花を背景に、爛々たる眼のローヤル・タイガーのような巨大な猫が牙をむいて」という怪猫を描かれている。これがローヤル・タイガーかとしばし見つめてしまった。


『ナベシマの吸血猫」A・B・ミッドフォード / 円城塔訳

「オ・トヨ」とか「ルイテン」とか、カタカナにした日本語の固有名詞が新鮮。日本でない何処か別の国の物語を読んでいるような錯覚におちいる。

北村紗希さんの扉絵は、顔をかくす袖が猫の顔になっている! 外国にわたった怪猫だから尾は二つに分かれていない、配慮が細かいなあと感心。


『忠猫の話」A・B・ミッドフォード / 円城塔訳

ほとんど悪者の猫が多い中、珍しくご主人の娘を鼠から守ろうと奮闘して闘い死んでいく猫たちの物語。

北村紗希さんの扉絵は、忠猫たちの後ろにいるのはもしかしてトトロ? このトトロのおかげで優しい気分になる。


『白い猫』J・S・レ・ファニュ / 仁賀克雄訳

八十年前、大叔父が結婚の約束をして捨てた女、エレンは失恋の痛手から死んでしまう。それ以降、一族の男が白い猫を見ると、その者は死んでしまう。白い猫がくり返し現れ、そのたびに死者がでる恐怖がじわじわも伝わる作品。でも「わたし」は、このエレンと思われる女を平原で見かけたが長生きをしている。白猫の姿を見たものだけが死ぬという、よく分からない設定もいい。

北村紗希さんの扉絵は、捨てられた娘の顔も、その娘に抱かれている白猫の表情も驚くほど似ている。細かいなあと感心。


『笑い猫』花田清輝

思わず「怪猫有馬御殿」とは、どんな映画なのだろうと知りたくなる書き方である。動画で見たら、いきなり猫手の女がでてきて花田清輝がこれだけ「怪猫有馬御殿」について言葉をかえつつ繰り返したくなる気持ちがわかった。


『猫の親方 あるいは長靴をはいた猫』シャルル・ペロー / 澁澤龍彦訳

執念深い猫、化け猫の話が繰り返されたあとに、この機転のきいてユーモラスな猫の話を読むと心が軽くなる。

北村紗希さんの扉絵は、長靴と袋だけでなく、マントとベルトもしていて、最後に立派な貴族になった猫の姿がうかんでくる。


「編者解説」東雅夫

このアンソロジーの意図が軽妙に語られてクスリと笑いながら読む。

ヴァンパイアと化け猫の共通性は、この解説を読んで初めて知った。

この解説の最後にまで、北村紗希さんの挿絵があって楽しい。山猫軒の猫だろうか? 猫づくしの一冊を楽しんだ。

2018/12/8読了

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