チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第439回

でも、そうした態度がぼくにとって理解しやすいものだとも、とりわけ共感にうったえているものだとも思わないでほしいんだ。ぼくはアイルランド人だから、疑う余地もなく難儀が骨にまで染みついている。そこから自分の信条への迫害がうまれてきたし、あるいは信条そのものも生まれてきた。正直に言えば、悲劇につながれた男のようにも、古い時代の落とし穴や疑念といったものから抜ける手立てがないようにも感じている。だが手立てがあるならば、キリストや聖パトリックによる教え、それが手立てだ。もし人が、子供や犬のように幸せを保つことができるとするなら、それは子供のように無邪気な存在か、犬のように罪のない存在によってであろう。かろうじて善良であること、それが道であるのかもしれない。そして彼はそれに気づいたのだ。ああ、無理もない。旧友のモーゼスの顔に疑念がうかんでいる。グールド氏ときたら、あらゆる面で善良であるということが、人を陽気にすることが信じられないのだから。」

“Do not imagine, please, that any such attitude is easy to me or appeals in any particular way to my sympathies. I am an Irishman, and a certain sorrow is in my bones, bred either of the persecutions of my creed, or of my creed itself. Speaking singly, I feel as if man was tied to tragedy, and there was no way out of the trap of old age and doubt. But if there is a way out, then, by Christ and St. Patrick, this is the way out. If one could keep as happy as a child or a dog, it would be by being as innocent as a child, or as sinless as a dog. Barely and brutally to be good—that may be the road, and he may have found it. Well, well, well, I see a look of skepticism on the face of my old friend Moses. Mr. Gould does not believe that being perfectly good in all respects would make a man merry.”

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