NYTimes 代数不要論

Is Algebra Necessary? – NYTimes.com.

THE NYT 「代数不要論」

 

2012年 7月28日

 

アメリカで見かける典型的な学校風景だが、高校生600万人と大学の新入生200万人が代数学と闘っている。高校でも大学でも双方で、落第を見込まれる生徒が多すぎる。なぜ、アメリカの生徒たちはこうした困難にさらされているのか。私が思いを強めているのは、学生をこうした困難にさらすべきではないということである。

 

私の疑問は代数学にとどまらず、さらに幾何学から微積にまで至る数学の一連の学習事項にまで向けられていく。州の教育機関の理事や議員、さらには大半の市民は、若者に多項式や助変数方程式を学習させなければいけないと考えている。

 

代数学についてはずいぶん弁護されているのを聞くし、さらに代数学を学ぶ長所についてもずいぶん言われている。一見すると殆どに理があるようだし、以前は私も弁護の大半を受容していた。だが、そうした弁護について調べるほど、その大半が間違ったものであることが明らかになってきた。調査や証拠に裏付けされていない見方であり、希望的な論理にもとづく見方であることが明確になってきた。(統計をとる方法について批判しているわけではないし、学識豊かな市民や個人の財産のことで批判しているわけではない。ただ重きをおく点が異なるということなのである)

 

この論争には問題がある。数学を必修にしてしまうことで、若者の才能を発見したり、伸ばしていくことを妨げてしまう。数学が厳しいままなので、実際、私たちは思考力の蓄えを使い果たしている。私は作家として、社会学者として数の使用にひどく頼っている人間だが、こう言おう。私の目的は、難しい科目から学生を逃すことにはない。貴重な財産へと誤り導くことで生じる問題そのものに注意をむけることにある。

 

だいぶ前から数学による犠牲者はでていた。私たちの国の恥をさらけだすと、高校3年生のうち4人に1人が高校を卒業できないでいる。昨年発表された国のデータによれば、南カリフォルニア州では2008年から2009年にかけて34パーセントが中退し、ネヴァダ州では45パーセントが中退した。私がこれまで話をしてきた教育者たちは、学問の根幹となる土台として代数について言及している。

 

テネシー州で長い間教員をしてきたシャーリー・バッグウェルはこう警告する。「すべての生徒に代数を習得するよう期待すれば、さらに多くの生徒が中退していくことになるだろう」。学校に残る生徒には、しばしば「卒業試験」がある。卒業試験のすべてに代数が科目として入っている。昨年オクラホマ州では33%の生徒が卒業認定試験に失敗し、ウェストバージニア州では35%の生徒が失敗している。

 

代数学はあらゆる生徒にとって困難な障害物であり、それは貧しかろうが、裕福だろうが、黒人だろうが、白人だろうが関係ない。ニューメキシコ州では、白人学生のうち43%が「よく習得した」より下の評価であり、テネシー州では39%が「よく習得した」より下の評価になっている。恵まれた生徒が通う学校でさえ、代数でつまずいている生徒がいるし、そうした生徒は代数がなければ才能をのばせる生徒なのである。微積法や三角法については言うまでもない。

 

カリフォルニアの二つの大学を例に話してみよう。この大学で出願を認めているのは、数学を三年間とってきた生徒だけである。このため芸術や歴史などの分野でなら秀れていると思われる志願者を大勢除外している。コミュニティ・カレッジの生徒も、数学の同じような高い壁に直面している。2年制のカレッジについての調査では、必修になっている代数の授業で合格点をとるのは新入生の1/4に充たないという。

 

「こうして代数学の授業をとる生徒は3倍、4倍、5倍になります」アパラチア州立大学のバーバラ・ボンハムは言う。最終的に合格する生徒はいるものの、彼女はこうつけ加える。「多くの生徒が中退していく」

 

中退に関する別のデータを見れば、これと同じような悔しさを感じるはずだ。高等学校を卒業してから高い教育を受けた者のうち、わずか58%しか学士号を修得していない。卒業への最大の障害となるものは、新入生の数学である。私が1971年から教えているニューヨーク市立大学では、学生のうち57%しか必修の代数の授業で単位をとれない。学部の報告書は気を滅入らせるような結果をこうまとめている。「どのようなレベルであれ数学での失敗は、他の学問的な要素よりも記憶力に影響している」成績証明書について国家規模で調査したところによれば、数学は他の科目に比べてFやDという評価が2倍になっていた。

 

それに進級すればすむものではない。多くの大学ではステイタスを上げるために、数学のバーを高く設定している。SATの数学部門では700点を大学は求めているが、2009年にこのレベルを達成できたのは男子生徒では9%のみ、女子生徒では4%のみである。これはアイビーリーグの大学だけの話ではない。ヴァンダービルト大学、ライス大学、セントルイスのワシントン大学のような大学でも、SATの数学の点数が700点より低ければ、入学希望者は金銭の寄付をするかスポーツで活躍することになる。

 

フィンランド、韓国、カナダの生徒のほうが、数学のテストで良い点数をとっているということは真実である。しかし過酷な課題をこなしているのは努力の賜物であり、けっして教室で学ぶ代数のおかげではない。

 

教室で学ぶ数学が、仕事で必要となる統計での論証と関係しているか明確でない。ミシガン州立大学の教育心理学者ジョン・P・スミスⅢは数学教育について研究してきているが、「職場での数学的論証は、学校で教わるアルゴリズムといちじるしく異なる」ということに気がついた。数学、技術、工学、数学などのSTEMといわれる資格にもとづく仕事でさえ、雇用してから出来る限り訓練を行う。例えばトヨタの話だが、最近、はるかかなたミシシッピ州に工場施設を設置することを選択した。ミシシッピの学校は一流とは言い難いにもかかわらずである。だがトヨタは近隣のコミュニティ・カレッジと連携することで、そこで「機械工学の数学」について仕事にふさわしい講座を設置している。

 

こうした類のコラボレーションが、長い間、ドイツの徒弟制度を支えてきた。私も認めるが、さかんな産業経済をささえるためにも最先端の技術が必要とされる。しかし数学を解くことが主として学術的なことだと考えるなら、私たちは自分自身をだましている。

 

懐疑論者はこう論じる。現在の数学教育が大半の学生の気をくじくものだとしても、数学自体は非難されるべきものではない。こうした思考訓練になっていることこそが、教育について非難すべきなのではないだろうか、たとえ統計の手段を提供しているにしても、とりわけ先端技術の時代に絶対に必要とされる概念の能力を研ぎ澄ますにしても、非難されてもよいのではないだろうか。こうした訓練こそが数学教育の危機に瀕した部分ではないだろうか。実際、STEMの資格をもつ卒業生が不足しているという話を耳にする。

 

もちろん基本的な数に関する知識は学ぶべきだし、それは代数の基礎を教わって能力を磨いた上で、小数点、比率、概算、基本的な数に関する技術を学ぶべきである。しかしジョージタウンセンターによる教育と労働力についての信頼できる分析によれば、10年後、代数やそれ以上の内容を理解している必要がある者は、単純労働に従事している労働者のうちわずか5%にすぎないと予測している。一方でSTEMの資格をもつ卒業生が不足しているというなら、こうした資格をもつ卒業生が働くことの出来る仕事がどのくらいあるかということが大切になってくる。2012年1月のジョージタウンセンターからの分析によれば、工学コースの卒業生の失業者は7.5%であり、コンピューター・コースの失業者は8.2%である。

 

イリノイ大学のピーター・ブラウンフィールドは学生にいう。「私たちの文明は数学がなければ崩壊するだろう」彼は絶対に正しい。

 

代数学のアルゴリズムは、動画、投資戦略、航空機のチケットの価格を支えている。だから代数学のアルゴリズムがどんなふうに物事をすすめ、フロンティアを切り開いていくのか、人々に理解してもらう必要がある。

 

統計処理能力は、介護法案から、環境規制の費用と利益、すなわち気候変動の影響にいたるまで、公共政策を評価するのに役立つ。数のかげに隠れて作用しているイデオロギーを発見して確認することは、たしかに役に立つことである。私たちの社会は統計の時代へと加速化しつつあり、そのせいで博識な市民にとっても理解のバーがひきあげられつつある。必要とされることは教科書の公式ではない。どこから莫大な数がきているのかを理解することであり、その数が何を伝えているのかよく理解することである。

 

数学は私たちの心を研ぎ澄ましてくれるし、個人として市民社会の一員として私たちの知性のレベルを上げてくれるという主張はどうだろうか。数学には激しい精神活動が要求されることは真実である。だが(x+y)=(x-y)+(2xy)を証明できても、政治的な意見や社会分析が信用されるようになるということにはならない。

 

伝統的な数学の思考訓練をうけて闘った者の多くが、自分たちの人格が鍛えられたと感じている。これが示唆しているかどうかは定かではないが、教育機関にしても職業にしても、厳しく思える必修科目をしばしば設置しているという事実がある。しかし数学に権限を与え続ける合理的な根拠にはなっていない。獣医の資格をとる課程で代数が必要とされるが、患者を診断したり治療したりするときに代数学を使う卒業生に出会ったことはない。ハーバードやジョン・ホプキンズのような大学の医学部では、志願者全員に微積を求めてくるけれど、臨床で使われることもなく、実践の連続の日々で放置されることになる。数学は指輪やバッジ、そして外部の人間に感心させるためのトーテムポールとして使われるのであり、職業のステータスをひきあげるためのものなのである。

 

カリフォルニア工科大とマサチューセッツ工科大が志願者全員に数学に秀でていることを求める理由は想像するに難しくない。だが未来の詩人や哲学者が非常に高い数学のバーを飛び越える理由を理解することは難しい。一律に代数を要求するということは、実際、学生のからだをゆがめてしまうものであり、必ずしも良い方向へとむかっていかない。

 

結論が明白にみえる論争は終わりにしよう。数学は純粋なものだろうと応用的なものだろうと、私たちの文明には必要不可欠なものである。文明の領域が美術であろうと電気工学であろうと変わりはない。しかし、ほとんどの大人にとって数学は理解するというよりも、恐ろしくて怖いものなのである。すべての人に代数を要求してみたところで、かつて「宇宙の詩人」と呼ばれていた者への評価が高まりはしない。(大学を卒業した者のうち何人が、フェルマーのジレンマが何か覚えているだろうか)

 

もう、ほとんどの人がそれ以上理解できない科目に学問のエネルギーを注ぐことはやめよう。そのかわり選択形式で考えることを提案しよう。そうすれば数学の教師はどんなレベルで教えているにしても、私が「市民のための統計」と呼ぶ形で、面白い授業を展開できるだろう。これが上級クラスのシラバスのように、形をかえた代数学への裏口バージョンとはならないだろう。また学者同士がお互いのために書いくときに使われるような等式に重点をおくこともないだろう。そのかわりに授業で学生が親しむのはあらゆる種類の数字であり、その数字を使って個人の生活や社会について説明して図で表すだろう。

 

例えば、その授業で学生が教わる内容には、消費者の価格表の算出方法があるだろう。つまり、価格表には何が含まれているのか、表の各項目にはどのような重みがあるのかということである。さらにはどの項目をいれるべきなのか、その項目にどのような重みをあたえるべきかという論議も含まれてくるだろう。

 

この論議をするときに、沈黙をしてはいけない。数の信頼性について調べる作業は、幾何学と同じくらいの労力が必要とされるものになる。ますます多くの大学が統計論の授業を設置しつつある。実際のところ、幼稚園から統計学を始めてもよいくらいなのだ。

 

文明の黎明期に数学に没頭した人々と同じように、数学学科がまたその思考訓練の歴史や哲学についての講義をあらたに行うことを望む。なぜ芸術や音楽、詩で数学がいるのだろうか。様々な科学において数学が役割を果たしているというのに。その目的とは人文科学として数学を扱い、彫刻やバレーのように鑑賞しやすくて、歓迎されるものにすることにあるのだろう。思考訓練にどう取り組むか考え直してみたら、評判が広まって数学の登録者数はきっと上昇するだろう。それが唯一の救いとなりうる。2010年に授与された1700万人の学士号のうち、数学を専攻したのはわずか1%にもみたない15396名だった。

 

私はミシガン州からミシシッピ州まで、たくさんの高校や大学を見てきたが、丁寧な教え方と礼儀正しい生徒たちに感銘を受けてきた。数学のせいで失われる頭脳もあるが、大勢の落ちこぼれを更正させて二次方程式を理解してもらう手伝いができることは認めよう。しかし、これでは教える側の才能と学生の努力を間違って使うことになる。数学をさらに広く学ぶことではなく、理解する数学の量を減らすことを若者に求めた方がずっといい。(ただし、いつも怠けていて、勉強好きではないと考えられている学生のために、職業やら進路やら弁護するものではない。)

 

もちろん若者は望もうと望むまいと、読み書きを習うべきだし、長除法も習うべきだ。しかし若者にベクトル角と不連続関数を理解させなければならない理由はどこにもない。数学のことを、みんなで引っ張り出そうとしている巨大な岩だと考えてみよう。この苦痛にみちた作業から、何が生じるのかわからないのに引っ張り出そうとしているんだ。選択の機会も、例外も認められていないのに、そんな作業ができる訳ないじゃないか。だから今のところ、納得がいくような答は見つけていないんだ。(さりはま訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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