2019.03 隙間読書 太宰治「彼は昔の彼ならず」

短編集「晩年」に収録されている作品。

読んでいて、なによりも文のリズムが心地よい。そしてリズムが変化するにつれて作品から喚起されるイメージも変化、すっと心に入っていく。


最初は、家のものほし場から俯瞰する眺める風景やら、春の南風の心地よさやらが、何とものびやかな、屈託のない口調で語られる。

君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。其処でこっそり教えてあげよう。

僕の家のものほし場は、よく眺望がきくと思わないか。郊外の空気は、深くて、しかも軽いだろうか? 人家もまばらである。気をつけ給え。君の足もとの板は、腐りかけているようだ。もっとこっちへ来るとよい。春の風だ。こんな工合いに、耳朶をちょろちょろとくすぐりながら通るのは、南風の特徴である。
(「彼は昔の彼ならず」より)


ものほし場から俯瞰する風景はどれも同じような家々が並んでいるけれど、やがて一軒の家へと収斂していく。その家にくらす主人公たちもやはり、家々と同じく生き方がどこか似通っている。大家である「僕」も、借りての木下青扇も立場、資産状況は違えど、生き方には共通する色がある。

借家人の青扇は女から「あの人に意見なんてあるものか。みんな女からの影響よ。文学少女のときは文学。下町のひとのときは小粋に。」と言われる始末。かたや大家の「僕」も、「父親の遺産のおかげで、こうしてただのらくらと一日一日を送っていて、べつにつとめをするという気もおこらず」 とやはり世間一般から見れば、どうしようもない生き方をしている二人である。


そんな世間知らずの二人が意気投合していく有様は、どこか浮世離れしていて微笑ましい。

「君を好きだ。」僕はそう言った。

「私も君を好きなのだよ。」青扇もそう答えたようである。

「よし。万歳!」

「万歳。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


意気投合したふたりだけれど、「お金」という現世の足枷が極楽とんぼのようなふたりにも影をおとす。青扇の「わけへだてなくつき合える」という言葉はせつない。

「金があればねえ。金がほしいのですよ。私のからだは腐っているのだ。五六丈くらいの滝に打たせて清めたいのです。そうすれば、あなたのようなよい人とも、もっとわけへだてなくつき合えるのだし。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


「お金」が足枷になってしまう現状への苛立ちを百日紅の花にぶつけたような言葉が心に突き刺さる。

「百日紅がまだ咲いていますでしょう? いやな花だなあ。もう三月は咲いていますよ。散りたくても散れぬなんて、気のきかない樹だよ。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


のびやかな冒頭とは対照的に、最後の「僕」の言葉は「 それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。 」とブスブス句読点によって句切られ、強く問いかけている。太宰の文はのびやかな文もよいけど、短刀をつきつけるような文もよいなあと思ってしまう。

おい。見給え。青扇の御散歩である。あの紙凧のあがっている空地だ。横縞のどてらを着て、ゆっくりゆっくり歩いている。なぜ、君はそうとめどもなく笑うのだ。そうかい。似ているというのか。―よし。それなら君に聞こうよ。空を見あげたり肩をゆすったりうなだれたり木の葉をちぎりとったりしながらのろのろさまよい歩いているあの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。(「彼は昔の彼ならず」より)


「彼は昔の彼ならず」という題は、英文法の例文からだったとは! このよく見かけるような例文に「心をさわがせ」、青扇という主人公と結びつけた太宰はすごい。「彼は昔の彼ならず」という陳腐な例文が、少しも陳腐なものでなくなるのが不思議である。。

僕は、そのときふと口をついて出たHe is not what he was. という言葉をたいへんよろこばしく感じたのである。僕が中学校にはいっていたとき、この文句を英文法の教科書のなかに見つけて心をさわがせ、そしてこの文句はまた、僕が中学五年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識なのであるが、訪れるたびごとに何かと驚異と感慨をあらたにしてくれる青扇と、この文法の作例として記されていた一句を思い合せ、僕は青扇に対してある異常な期待を持ちはじめたのである。
(「彼は昔の彼ならず」より)

2019.03.27読了


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