2019.05 隙間読書 三島由紀夫「大障碍」

昭和31年3月「文学界」発表、三島31歳。

タイトルの下には「杉村春子さんのために」とあるし、杉村春子主演で上演の記録もあるようだから、杉村のために書き下ろした戯曲なのだろうか?


乗馬競技中、岑子(みねこ)夫人の息子は大障碍を飛びそこねて悲惨な死をとげる。 それから 岑子は 大障碍 という言葉を繰り返す、まるで現実を自分に言い聞かせるように。

大障碍、こんなひとつの怖ろしい言葉に馴れてしまへば、もう世の中に口に出せない言葉なんてなくなるもの。大障碍、大障碍、わたしは何度でも言へてよ
(「大障碍」より)


焼香にきてくれた息子の友人、牧村に突然、 岑子夫人 は墓地の場所を訊ね、息子と同じ青山墓地と知ると更にその墓所を確認する。夫人の心がすでにこの世からないように思われて慄然とする場面である。

家のは左側ですね。(夢みるやうに)親友同士で……ねえ、御近所でよかったこと。(「大障碍」より)


牧村のガールフレンド、冴子は 大障碍 に出場する牧村を案じることもなく、紅茶も立ったままゴクゴク飲むような粗野なまでにあっけらかんとした、生命力あふれる娘である。そんな娘をみて夫人は呟く。

でも偉いもんだわねえ。本当に別の世界があるんだわね。予感も前兆も、未来といふものを少しも怖れずに。……ちつとも心配がない。
(「大障碍」より)


非現実を生きていた夫人が、現実そのものである単純で粗野な牧村と冴子と会ってどうなるか? あれほど 大障碍 という言葉に、つまり現実に馴れようとしていた夫人は、最後、現実を閉めだそうとするかのようにこう呟く。

大障碍。……その言葉はこれから家では禁句よ。 (「大障碍」より)

粗野な現実というものがあればこそ、夫人の現実から遠くにある心が浮かび上がる不思議さ。現実に直面したときに閉ざしてしまう心の不思議さを思いつつ頁をとじる。(2019年5月3日読了)

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