再検討版「耐えがたきバシントン」

この物語は道徳を語るものにあらず。

不幸を語れど、救いはしめさず。

一章

フランチェスカ・バシントンは、ウェスト・エンドのブルー・ストリートにある自分の邸の居間に座って、尊敬する兄ヘンリーと一緒に中国茶とクレソンをはさんだ小さなサンドイッチを味わっていた。食事は上品な量だった。つまり、小腹をみたしながらも、満ち足りた昼食会を思い出しては幸せに浸りつつ、これから待ち受ける手の込んだ晩餐も楽しめるほどの量である。

若い頃、フランチェスカは美貌のグリーチ嬢として知られていた。四十歳の今、元々の美貌はかなり残っているものの、あくまでもフランチェスカ・バシントンの奥さまにすぎなかった。彼女にむかって「いとしい人」と呼びかけようと思う者はさすがに誰もいなかっただろうけれど、彼女をあまり知らない人の大多数は、「奥様」と言い添えるのにも気を遣った。

競争相手にしても、気分のいいときであれば、彼女がすらりと美しく、服の着こなしを知っていることを認めただろう。でも彼女には情熱が欠けているという友人の見解に競争相手も頷いたにちがいない。友人と競争相手が意見の一致をみるとき、たいてい間違っているものである。フランチェスカは、油断しているときに情熱について語るように迫られたものだから、自分の応接間の話をしたのだろう。 緻密に吟味した挙句、目立つ特徴をあきらかにしたのも、わざわざその隠された場所を教えたのも、特徴ある居間が粉々にされることを望んでのことではなかったのだろう。ただ応接間は、自分の情熱そのものだと何となくわかっていたからである。

フランチェスカは、最上の運に恵まれているように見えながら、その運をいかすことができないという女のひとりだった。それでも思いのままに暮らせる強みがあったから、女性の幸せの分け前としては平均以上のものを享受していると思われていたのかもしれない。女の一生において、怒りや失望、落胆につながりかねない原因の大半が人生から取り除かれていたものだから、幸せなグリーチ嬢、後には、運のいいフランチェスカ・バシントンと言われたのかもしれない。また魂のロックガーデンを作り上げては、その中に石のような悲しみを引きこんだり、求められてもいない揉め事をわざわざ起こしたりするような偏屈者でもなかった。フランチェスカが愛していたのは平坦な人生行路であり、人生における心地よい空間であった。物事の明るい面を好むだけではなく、そこに住み、とどまることを好んだ。思うようにならないことも多々あり、早い時期に幻想を幾分奪われたりしたせいで、彼女は自分に残された資産にしがみついてはいたが、今、その人生は平穏なな時期をむかえようとしているように思えた。鑑識力のない友人たちから、やや自己中心的な女性だとみられていたが、その自己中心性とは人生の幸せも、不幸も味わった挙句、自分に残された幸せをとことん楽しもうとするひとのものであった。財産の変遷のせいで彼女が辛辣になることはなかったけれど、関心は狭められ、手軽に喜んだり、楽しんだり、あるいはかつての楽しい成功を思い出してはいつまでも反芻できるものに共感をよせるようになった。中でも彼女の居間こそが、過去の幸せ、そして現在の幸せの記念の品々がおさめられている場所であった。

その心地よいアールヌーヴォー形式の、柱がならんでアルコーブもある角部屋に踏みいれば、さながら港にはいるときのように、貴重な私物や戦利品が視界にはいってきたが、それらの品は、乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに目を向けても、彼女の成功も、財政状況も、運もよく、やりくり上手で趣味もよいこともあらわれていた。いさかいのときには一度ならず逆境におかれることもあったが、彼女は自分の品々をなんとか守った。そして今、満足そうな視線が次から次にさすらう品物は勝利という略奪品であったり、名誉ある敗北というかたちでの救出品であったりした。マントルピースの上に飾られた甘美なフレミエのブロンズ像は、ずいぶん昔にステークス競馬で優勝したときのものだった。かなり価値のあるドレスデンの彫刻群は、思慮深い崇拝者が彼女に贈ったものだが、その崇拝者は死をもってさらに親切を重ねたというわけだ。また他の品々は、彼女が自ら授けることになった贈り物で、カントリーハウスのブリッジの催しで九日間優勝し続けるという、祝福にみちた、忘れがたい思い出のなかの獲得品であった。ペルシャとブハラの古い敷物に、鮮やかな色彩のウースターの茶器セットもあれば、年代物の銀製品もあって、本来の価値もさることながら、歴史と思い出もひそんでいた。彼女が時々思い浮かべては楽しみにふけるのは、いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しく素晴らしい品々がめぐりめぐって自分の所有になっているということであった。中世イタリアや近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの市場で売られていたもの、また、かつて英国の作業場やドイツの工場でつくられたものなど、奥まった奇妙な角部屋にはあらゆるものがあって、工芸品の秘密が用心深く守られていたが、そこには無名の、記憶に残らない者の作品もあれば、世界的に有名な匠の手による不朽の作品もあった。

そしてとりわけ宝物のなかでも、彼女の目にはいる部屋の品々で優れているものは偉大なファン・デル・メーレンの絵で、婚礼のときに持参金の一部として父親の住まいから持ってきたものだった。その絵は象牙でできた幅の狭いキャビネットの上の壁板にぴったりはめ込まれ、部屋の構成から見ても、バランスから見ても、その空間の調和をたもっていた。どこに座ろうとも、絵は周囲を圧するものとして迫ってきた。壮大な戦いを描いた絵には心地よい静けさがたちこめ、厳粛な宮廷武人たちが後ろ足立ちになった灰色、茶と白のまだら、月毛の馬に真摯にまたがっているのだが、その絵から伝わってくる印象とは、彼らの軍事行動が広範囲にわたって荘重にすすめられている屋外の食事会でしかないということであった。フランチェスカには、部屋を最高の状態に補ってくれるこの絵のない応接室を思い描くことはできなかったが、それは万物殿のように混み合っているブルー・ストリートの邸以外での自分を想像できないようなものだった。

そしてこういうわけで棘がひとつ、薇の花弁模様のダマスク織を突き破ってあらわれたのだが、それは状況が異なればフランチェスカの心の平和になったものだろう。ひとの幸せとは、たいてい過去よりも未来にあるものである。抒情的なものではありながら、確実に言えるのは、悲しみのなかでも最大の悲しみが、さらに不幸な出来事が起きるのを待ち受けているということである。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものだが、それもソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚するときまでで、そのときには結婚の贈り物として、エメリーンに受け渡されることになっていた。エメリーンは今十七歳、まずまずの器量よしなので、独身女性としての期間が安全につづくのも、せいぜい四、五年というところだった。そのあとに待ち受けているのは混沌で、彼女の魂ともなっている隠れ家からフランチェスカは切り離されるのである。彼女は想像をめぐらせ、自ら梁間ひとつほどの橋を小峡谷にかけたのは事実である。その橋とは、学校にかよっている息子のコーマスのことであった―今、彼は南部地方のどこかで教育をうけていた―。さらに、コーマスがもしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないという偶発的な可能性から成り立っている橋なのであったが、その場合、彼女は少し金銭面で迷惑をかけて周囲を困らせながらも君臨している自分の姿を目にするだろうし、ブルー・ストリートの家もまだ支配することだろう。ファン・デル・メーレンは、名誉れある場所で、不可欠な午後の光をとらえることだろう。フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットも、これまでどおり壁龕に、妨げられることなく留まることだろう。エメリーンは、こじんまりとした日本風の奥の間を自分のものにするだろう。そこはフランチェスカが夕食後のコーヒーを時々飲んだりする場所であり、居間とは離れているので、自分の持ち物を置いたりもしていた。細部にいたるまで橋の構造は注意深く考えぬかれていた。ただ、不幸な状況とは、コーマスがすべてのバランスをとる架け橋であったという点だった。

フランチェスカの夫は強く言い張って、その少年に聞いたこともないパガンの名前をつけたけれど、あまり長く生きなかったものだから、少年の名の適切さを……と言うよりも、意義について判断をくださすことはきなかった。十七年と数ヶ月のあいだに、フランチェスカも息子の性格について見解をいだく機会はたっぷりあった。陽気な心が名前から連想されることもあり、たしかにそのせいで少年は放縦なところがあった。だがそれはねじ曲がって我儘なところのある陽気さであったので、フランチェスカにしたところでユーモラスを感じることはめったになかった。彼女の兄ヘンリーの、座って小さなクレソンのサンドイッチを食べる真面目くさった有様は、戒律を記した大昔の聖書がそうせよと命じたかのようであるが、運命はあからさまに彼女に親切であった。もしかしたらヘンリーは、どこかの可愛いけれど、経済的には困窮していてるような取り柄のない女とあっさり結婚してしまい、ノッチング・ヒル・ゲート界隈に住んでいたかもしれなかった。そして父親となって、血色が悪くて、賢いけれど役に立たない子供たちが長い数珠となってまとわりついていたかもしれなかった――子供たちは次から次へと誕生日をむかえ、葡萄瘡をうつすような類の病にかかっていたかもしれない。あるいはサウス・ケンジントン風のやり方で馬鹿げたものを描いてはクリスマスプレゼントとして贈ってきたかもしれないが、彼女の立方体の空間は無用の品々のための場で、置けるものにも限りがあった。こうした親身でない行いをとるかわりに-親身でない行いは家族のあいだでは頻繁に見受けられるため、親しみのあるものと言えるだろう-、ヘンリーが結婚した相手とは、資産とおっとりした気性の両方を兼ね備えた女性であった。さらに彼らの只ひとりの子供ときたら、輝かしい徳の持ち主で、繰り返すに値すると両親が思うようなことは何も言わなかった。 やがて彼は国会の下院議員となったが、おそらくは家庭生活に退屈してしまわないようにと考えてのことだろう。とにかく議員生活のおかげで、彼の人生は意味のない状態から救われた。死ねば、新しいポスターがだされて「選挙により再選出」と書かれる人物が、取るに足らない訳がないからである。 ヘンリーとは、簡潔にいえば当惑させられるところもあるし、障害のあるようなところもあるけれど、どちらかといえば友達であり、相談役であり、時として非常時の銀行預金残高たらんとした。 フランチェスカには彼を偏愛するところがあって-抜け目ないけれども無精な女性が、頼りがいのある馬鹿によくみせる傾向だった-、彼の助言を求めるだけではなく、しばしば助言にしたがってみせた。 さらに都合のつくときには、彼から借りた金を返した。

ヘンリーを兄として与えてくれるという運命の思いやりに、フランチェスカは、コーマスを息子にするという悪意にみちた、わずらわしい人生をさしだしたのかもしれない。 その少年は、無秩序に生きる、扱いにくい若者の一人で、幼稚園、進学準備校、パブリックスクールで遊び戯れたり、いらだったりするその日々は、最大級の嵐や砂塵、混乱に匹敵するもので、骨の折れる学業に取り組む気配は一切ないまま、混乱のさなかでも笑いながら姿をあらわし、その笑いは涙やカッサンドラの予言にすべてがひるむような混乱のなかでも変わらなかった。
時にはそうした若者も、年をとれば落ち着いて退屈なひとになり、自分が大騒ぎしていたことも忘れるかもしれない。時には、そうした若者に素晴らしい運がむいて、広い視野で偉業を行い、国会や新聞から感謝され、お祭り騒ぎの群衆に迎えられることもあるかもしれない。 だが、ほとんどの場合、そうした若者の悲劇が始まるのは、学校を卒業したはいいが、世間に関心がほとんどもてないときで、世間はあまりに文明化され、人も大勢いるのに、意味があるものには思えず、自分の場所を見つけようにもどこにも見つけられないようなときである。そうした若者は実に多い。

ヘンリー・グリーチは小さなサンドイッチに齧りつくのをやめると、勢いを取り戻した砂塵嵐のように議論をはじめ、その当時流行していた話題のひとつである極貧の防止を論じた。

「人々が難癖をつけたり、においをかいだりしている程度の問題だと言えるかもしれない、今のところ」彼は述べた。「だが遠からず、それは深い配慮をはらって、考えていかなければならないことになる。最初に取り組むべきは、中途半端にかじった机上の理論から脱して、その問題に取り組むことだ。厳しい現実を集めて、咀嚼しなければならない。すべての理性ある精神に訴えなくてはいけない話題なんだ。しかしながら知ってのように、人々に興味をもってもらうのは驚くほど難しい。」

フランチェスカは短い音節らしき音をたてて反応したが、それは言わば同情的なブーブーという鳴き声のようなもので、ある程度は聞いている、評価しているということを示そうとするものだった。実際、彼女はしみじみ思うのだが、ヘンリーが語る話題であれば、どんな話題であろうと人々に興味をいだかせるのは難しい、そのことに彼自身もおそらく気がついているだろう。彼の才能は、物事を面白くなく語るという路線に徹底しているから、たとえ皮剥の刑にあった聖バルトロマイの虐殺を目撃したとしても、その事件を語るときには、たぶん退屈という味わいを吹き込むことだろう。

「以前、レスターシャ―で講演したときに、この問題について言及した」ヘンリーは続けた。「そのときにかなりくわしく指摘したのだが、たちどまって考えようとする人は少ししかいない。」

フランチェスカはたちどころに、でも上品に態度を一転し、たちどまって考えようとしない多数の人となった。

「そこに行かれたときに、バーネット家のどなたかに会ったのでは?」彼女はさえぎった。「エリザ・バーネットは、こうした問題すべてに関わっている方だから」

社会学を広める動きのなかにいるということは、生死をかけた舞台にいるようなもので、その荒々しい競争は、よく似た集団のあいだに頻繁に見かけるものである。  エリザ・バーネットは、ヘンリー・グリーチと政治的、社会的な考え方を共有していたが、同時に相当細かく指摘したがる好みまで共有していた。ときどき彼女は、雄弁家の集団に時間がきびしく割り振られている演台でもかなりの時間をとって話したが、ヘンリーにすれば、そうした雄弁家の集団は我慢できない一団であった。当時の主な話題について、ヘンリーは彼女と意見が一致しているかもしれない。だが彼女の尊敬すべき性質に関した話になれば、彼はあきれるほど視野が狭くなった。だからエリザベス・バーネットの名前をほのめかすということは、会話に巧みにルアーを投げ込むようなものであった。 彼の雄弁に耳をかたむけないのなら、極貧を防止する話題よりは、エリザ・バーネットを非難する話題のほうがましだった。

「彼女がよかれと思っていることは確かだ」ヘンリーはいった。「でも、もう少し背景にある自分の人柄というものを保つことができればいいのだが。それに国中の進歩的な意見を代弁するのに、自分が必要だと思わないことだ。キャノン・ベスモレーは彼女のことを念頭において、帝国をゆさぶりに世界にやってくる者や修正案をだす者について話したにちがいない」   

 フランチェスカは偽りのない楽しさで、笑いたい気持ちになった。

「あの方は、お話になるすべての話題にとても詳しいのよ」彼女は挑発的な見解をのべた。

 ヘンリーはおそらく、エリザ・バーネットの話題にひきずりだされたことを感じたのだろう、すぐに話題の矛先をもっと身内にむけた。

「この家の静けさからすると、コーマスはタルビーへ戻ったのだろう」彼はいった。

「ええ」フランチェスカは言った。「昨日、戻りました。もちろん、あの子のことは好きだけれども、別れに耐えるわ。あの子がここにいると、家の中に活火山があるようなものだけれど。火山のように、どんなに静かな時でも絶え間なく質問を発したり、強い臭いを放つから」

「束の間の安らぎというわけか」ヘンリーは言った。「一、二年もすれば学校を卒業するが、そのあとはどうする?」

 フランチェスカは目を閉じ、悩ましい見通しから目をそむけようとする雰囲気をただよわせた。他人がいるところで、将来について子細に検討することは彼女の好むところではなく、とりわけ将来の幸運が疑わしい影につつまれている時はなおさらであった。

 「さて、そのあとは?」ヘンリーはしつこかった。

 「そのときは、わたしの手には負えなくなっているでしょうよ」

 「いかにも」

 「そこに座って批判がましい顔をするのはやめて。もし忠告をしていただけるなら、どんな忠告でも耳を傾けるつもりはあるから」

 「まっとうな若者なら」ヘンリーは言った。「わたしもたくさん助言をして、ふさわしい職業につけるように手助けもするだろう。だがコーマスについては知ってのとおり、我々が仕事をみつけたところで見向きもしないから、時間の無駄というものだろう。」

「あの子も何かしないといけませんわ」フランチェスカは言った。

「それはそうだが、あれは何もしないだろう。とにかく、なにごとにも誠実に取り組みはしない。あれに一番望ましいのは、財産のある娘と結婚させることだ。そうすれば、あれの問題のなかでも財政上の困りごとは解決される。おもいどおりになる金が限りなくあれば、どこかの荒野にでも行って猛獣をしとめるだろう。猛獣狩りがするに値するものかは知らない。でも、あの社会不適格者の、破壊的なエネルギーをそらすのには、きっと役に立つ」

ヘンリーはー彼は鱒よりも大きく、荒々しいものを殺したことがなかったー猛獣狩りの話題に関しては嘲笑的であった。

フランチェスカは、結婚という思いつきによろこんだ。「女子相続人の知り合いはいないけど」フランチェスカは熟慮しつつ言った。「もちろんエメリーン・チェトロフもそうね。女子相続人とまでは言えないかもしれないけれど、あの娘には、ささやかながら気持ちよく暮らせるだけの、自分の財産からの収入があります。あの娘には、おばあ様から受けつぐものも少しあるでしょう。それから、当然のことながら、あの娘が結婚すれば、この家をもらうことになっているわ」

「そうれは都合がいい」ヘンリーは言いながら、妹がこれまでに何百回とたどってきた思考の流れをたどろうとした。「あの娘とコーモスは仲良くしているのか」

「そうね、男女としてはまずまずよ」フランチェスカは言った。「わたしが一働きして、ふたりがお互いをもっと知る機会を近々もうけないといけないわ。ところで、あの娘がとても可愛がっている弟のランスローが、今学期からタルビーに入るの。コーモスに手紙を書いて、とりわけ彼に親切にするように伝えるわ。それがエメリーンの心をとらえる確実な手になるでしょうから。コーモスはこれまでだって完璧にやりおおせてきたわ。不思議なくらい」

「目立つのは、ブリッジのときくらいだろう」ヘンリーは鼻をならした。「その話題はこのくらいにして、確実なことをするべきだろう」

コーモスは、叔父のお気に入りではなかった。

 フランチェスカは自分の書き物机にむかうと、息子にあてた手紙を急いで書き、新しく入ってくる少年について手紙にしたため、ひ弱な体のことも、内気な資質についても、そうしたことから生じる特徴についても伝えて、面倒をみるようにと頼んだ。彼女が手紙に封をして印をおすと、ヘンリーは遅ればせながら注意をした。

 「おそらく、その少年のことはコーモスに言わないでおいた方が賢明だ。あれときたら、いつも言いつけにはしたがわないから」

 フランチェスカもわかっていた。それに兄の言うことにも半分以上は納得していた。だが奇麗な、未使用の一ペニー切手を犠牲にできる女は、いまだ誕生した試しはない。

2章

ランスロット・チェトロフは、長い、がらんとした廊下のはずれに立ち、気もそぞろに腕時計に目をはしらせながら、すでにはるか昔のことになりつつある痛ましい出来事を思い、自分が三十分でもいいから年上であればと強く願った。だが不幸にも、その出来事は未来につづくものであり、さらに恐ろしいことに、その未来は逼迫しつつあった。 学校に慣れていない男の子の例に違わず、彼が不健康な情熱を燃やしてきたのは、規則と要求に従うことで、この方面への熱意が身の破滅を確かなものにしてしまった。二、三の価値あることを一度にしようと急いだあまり、毎日同じとはかぎらない掲示板を見ることを忘れてしまい、そのせいで、新入生に特別に呼びかけたサッカーの練習に参加しそこねてしまった。一学期前から学校にいる年下の仲間が、彼の過ちから生じる避けがたい結果について、絵を見るようにを教えてくれた。その恐怖は未知の世界が付随するもので、迫り来る運命からは何とか消し去られていたが、そのときに大げさに心配され、思いつくままに知識を授けられたことに、彼はあまり感謝の念をいだかなかった。

 「椅子に座らされて、うしろから鞭で六回ぶたれるよ」

 「チョークで体に線を一本描かれるんだ、知っているだろうけど」

 「チョークで線を一本、どういうことなの?」

 「本当だよ。むちでぶつたびに、きっかり同じ場所をねらえるからだよ。すごく痛いんだ」

 ランスローは心に弱々しい希望を育もうとしたが、それはこの不快な、現実的な描写には、誇張している要素があるかもしれないということだった。

 一方、廊下のむこう端にある監督生の部屋には、コーモス・バシントンと監督生が時間どおりに来て座って待ちうけ、そこには楽しみを期待する雰囲気が強くただよっていた。コーモスは、監督生のカーストのなかでは一番年下の一人だったが、よく知られていないというわけでは決してなく、寮長の談話室の外に出れば、ときどき評判になることもあって、ともかく賞賛の言葉を楽しんだ。 サッカーをするとき、彼には風変わりなところが多々あるため、真のすばらしい選手にはなれなかった。だがタックルのときには、相手を地面に逆さにする行動そのものに、つよい喜びを感じているかのようなタックルをした。そしてこの世のものではないような罵りの言葉を、怪我をしたときにはかならず喚いたが、耳にした運のいい者によって、その言葉は心に深く刻まれた。 ありきたりの運動競技のときには、彼は人目をひく競技者だった。そして監督生の役割にはついたばかりだったが、もう鞭さばきが完璧で芸術的だと評判であった。彼の容姿は、風変わりな、パガンの名前とぴったり合っていた。その大きな瞳は淡い緑灰色で、永久にきらめくように見えるその輝きは、子鬼のいたずらにも、どんちゃん騒ぎのよろこびのようにも見えた。曲線をえがいた唇は邪悪で、ギリシャ神話の半獣神ファウヌスが笑っているかのようであった。艶やかな黒髪の波間から小さな角がのぞくのでは……という気すらするほどであった。顎は毅然としていたが、人々が不機嫌で、短気なところを捜そうとしても、ハンサムで、半ば嘲るような、半ば生意気な顔には見当たらなかった。その不機嫌さのせいで、コーモスにはどこか独創的で、傲慢な輩になったのかもしれない。運命は奇妙な魅力を彼に授けてくれたが、人生の大きな目的は用意されないままであった。おそらく誰からも、愛すべき性格だと言われたことはなかっただろう。だが多くの面で、彼には素晴らしいところがあった。同時にあらゆる面で、強く非難されるところも確かにあった。

ラトレーはーそのときの彼の仲間だーは座ってバシントンをながめ、人並の頭脳を奥底から振り絞って、自分はこの男が好きなだろうか、それとも嫌いなのかといぶかった。

「ほんとうは鞭打ちは君の番ではない」彼は言った。

「知っているとも」コーマスは言うと、丈夫そうな鞭を指先でもてあそんだが、優しく鞭を取り扱う様子は、まるで敬虔なヴァイオリン奏者が自分のストラディバリウスをとり扱うときのようだった。「グレイソンにミントのチョコレートを少しあげて、僕が鞭でぶつのか、それともグレイソンがぶつのかコインを投げて賭けることにした。そうしたら僕が勝った。けれど礼儀正しいところがあるやつだから、チョコレートを半分返してくれた」

人を楽しませる愉快な気質のおかげで、コーモス・バシントンは仲間といて楽しめるだけの評判はものにしていたけれど、その快活さをもってしても、学生時代に接した教師たちに好かれる助けにはならなかった。彼のことを面白いと思い、楽しむ教師たちは、ユーモアというつましい美点を思いどおりにあやつる教師だった。だが、そうした教師たちが、自分の責任の範疇から彼が消えたときに吐息をつくとしたら、それは悲しみの吐息といよりも、安堵からくる吐息であった。彼について知れば知るほど、また経験を積めば積むほど、自分たちがかかわらなければいけない領域の外にいる者だと思うようになった。嵐を扱うように訓練をつんだ者ならー近づきつつある嵐を察知するだろうし、嵐から生じる影響を極力少なくしようとするだろうー、竜巻にあらがおうとすることに躊躇いを感じるとしても許されるのかもしれない。

男たちが—知性に欠けた表情をして、それに比例して自分たちの権力に大きな信念をいだいていたー論じようとしているのは、どんちゃん騒ぎを許されている竜巻君のことだった。

「わたしが君の立場なら、あのバシントンの気をくじくんだが」学級担任がそう話しかけた同僚は寮の舎監をしていて、その寮は他の寮生にまじってコーモスがいるという厄介な特徴をそなえていた。

 「神により、それは禁じられている」舎監はいった。

 「そうだろうか、なぜ」改革論者はたずねた。

 「なぜなら造物主は、御心の仕業への妨げを嫌われているからだ。それに明らかに御しがたい者の意気をくじこうとするなら、自分に大変な責任をおわなければならない」

 「ばからしい。男の子は造物主の御手がはいる原料だ」

 「たいていの男の子はそうなんだが。ただ少数ながら例外もいる。バシントンも学生ながら、そうした少数のひとりだ。造作主によって高い次元にまでつくりあげられている。わたしたちは原料を型に入れてつくりあげるだけだ。そうした少数派と関わってみたところで、どうすることも出来ない」

 「だが成長したら、どうなるのだろうか」

 「彼らはけっして成長しない」舎監は言った。「それが悲劇なんだ。バシントンにしたところで、現在の状態から成長することはけっしてないだろう」

「ねえ、ピーターパンの言葉で話しているよ」学級担任はいった。

 「ピーターパンの流儀で考えてはいない」舎監はいった。「その作品の作者に尊敬をこめて言う。作者の子供の心を洞察する力は素晴らしく、優しい。でも男の子のことについて何も知らないんだ。今、話題にしているこの作品について一つだけ批評しよう。英国の男の子でもいいし、あるいはどこか知っている国の男の子でもいいけど、想像できるか? 地下の洞窟ごっこをしているそのときに、引き窓のむこうに狼や海賊、アメリカインディアンを望む男の子がいるかい?」

 学級担任は笑い声をあげた。「君の考えははっきりしている。『大人になろうとしなかった男の子』について書くなら、『男の子になることができなかった大人』が書くべきだと考えている。おそらく、それこそが『ネヴァー・ネヴァー・ランド』の意義だろう。たしかに君の批評は正しい。だが、バシントンに関しては賛成できない。彼は持て余してしまう。接したことのある者なら誰もが知るところだ。だが片方の手が他のことでふさがっていないようなら、彼の意気をくじくべきだという意見は変わらない」

 そして彼は立ち去っていったが、自分は正しいという担任ならではの拭い去ることの出来ない矜持を保ったままであった。


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