再検討版「耐えがたきバシントン」

作者の覚え書き

 

この物語に寓意はふくまれない。

とりあえず或る不幸を語るとしても、その救済をしめすことはない。

 

一章

 

フランチェスカ・バシントンは、ウェスト・エンドのブルー・ストリートにある自分の家の居間に座り、尊敬すべき兄ヘンリーと一緒に中国茶を飲みながらクレソンをはさんだ小さなサンドイッチを堪能していた。料理は洗練された分量であったため、小腹をみたしたいというその時の欲求をよくみたしながらも、満ち足りた昼食会を思い出しては幸せを感じることのできる量であり、また幸いにも、このあとの手の込んだ晩餐を心待ちにできるほどの量である。

若い頃、フランチェスカは美貌のグリーチ嬢として知られていたが、四十歳になった今、元々の美貌はかなり残っているものの、フランチェスカ・バシントン奥様にすぎなかった。彼女に「いとしい人」と呼びかけるなんて、誰もが思いもよらなかった。そこで彼女のことをあまり知らない人の大多数は、奥様以外に言い添えることには神経をつかった。

彼女の敵にしても、率直に言いたい気分のときに聞かれたら、彼女がすらりと美しく、服の着こなしも知っていることを認めただろう。だが敵にしたところで、友達にしたところで意見が一致するのは、彼女には魂がないということであった。ある人の友と敵が、なんらかのことで意見が一致するとき、たいていの場合、そこには誤りがある。自分の魂について語ろうとする人からの攻撃にさらされると、彼女は自分の応接間のことを語るだろう。その部屋が、他の者の心に特徴ある印象を刻みつけるもので、近くで調べれば、目立つ特徴が明らかになり、秘密の居場所を明かすことになるなどと、彼女は考えもしなかっただろう。だが彼女がぼんやりと思ったのは、自分の応接間は自分の魂そのものだということであった。

フランチェスカは、運命の神が最上のものをあたえてくれたのに、それを実際に使いこなさない人々の一人だった。それでも裁量が自由になる強みのおかげで、女性の幸せとしては平均以上のものを享受していると思われていた。女の人生で、怒りや失望、落胆の原因になるものの大半が人生から取り除かれ、その結果、幸せなグリーチ嬢だと思われ、後には、運のいいフランチェスカ・バシントンだと思われた。また魂のロックガーデンを作り上げるような変わり者ではなかったので、石のような悲しみを引きずり込むこともなく、望んでもない揉め事を起こしては自分がもめ事の渦中にいるような事態になることもなかった。フランチェスカが愛していたのは、平坦な道と心地よい場所のある人生だった。人生の明るい面から物事を見ることを好んでいるだけでなく、その明るい面に住むことを好み、そこに留まることを好んだ。物事が一度か二度うまくいかなくなり、若い頃に幻想を幾分奪われるという経験をしたせいで、彼女は自分に残された資産にしがみついたが、今、彼女の人生も波乱のないものになったかのように思えた。人を見る目のない友人たちにすれば、彼女はやや自己中心的な女性のように見えた。しかし、その自己中心的なところとは人生の浮き沈みを経験したひとのものであり、かつて委ねられていたものをとことん楽しもうとするひとの心情であった。富の浮き沈みのせいで彼女が意地悪になることはなかったけれど、そのせいで心は狭まり、彼女が共感するものの大半とは、すぐに喜んだり、楽しんだりすることができるものとなり、かつての楽しくもあり、成功もしていた出来事を思い出しては永遠に反芻するのだった。そして中でもとりわけ彼女の居間こそが、過去のものにしても、現在のものにしても、思い出の品や記念品をおさめている場所なのであった。

心地よく古風な角部屋にはいると、部屋を区切る柱や奥まったアルコーブが目に入って、さながら港にはいるときのように風景が流れていき、貴重な個人の持ち物や戦利品が視界にはいってくるが、それらの品は、乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに目を向けても、彼女の成功や財政状況、運のよさ、やりくり上手で趣味もよいことがあらわれていた。戦争のときには少なからず逆境におかれることもあったが、彼女はなんとか自分の持ち物を守る手段をとった。今、自己満足にみちた凝視を物から物へとむけているが、それらの品は勝利の略奪品であり、名誉ある敗北をして沈んだ船から引き上げられた品だったりした。マントルピースの上に飾られた、甘美なブロンズ製のフルミエの像は、昔の競馬の賞金が転じたものであった。重要な価値のあるドレスデンの彫刻の一群は、思慮深い崇拝者から彼女に遺贈されたもので、その崇拝者は他にも親切にはしてくれたけれど、死ぬことで更に親切を重ねてくれたわけだ。他の一群は、彼女が自ら賭けでもらった品で、その品を獲得したのは田舎の邸宅で九日間にわたってひらかれたブリッジでのことであり、その思い出は祝福にみちた、忘れがたいものであった。ペルシャとブハラの古い敷物に、鮮やかな色彩のウースターの茶器セットもあれば、さらに本来の価値にくわえて、歴史と思い出がひめられた、年代物の銀製品もあった。いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しく素晴らしいものが、経緯をへて自分の所有になったことを考えて彼女は楽しんだ。中世イタリアの都市や近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの市場で売られていたものもあり、また、かつて英国の工房やドイツの工場でつくられたものもあった。奥まった奇妙な角部屋にはあらゆるものがあり、工芸品の秘密が油断することなく守られ、そこには名もなく記憶には残らない職人の作品もあれば、世界的に有名な職人の手による不朽の作品もあった。

そしてとりわけ彼女の宝物のなかでも、この部屋にある品々のなかでも抜きんでているものは、彼女の意見では、偉大なファン・デル・メーレンの絵であり、それは持参金の一部として父親の家から持ってきたものだった。その絵がぴったりと収められているのは、象牙細工の、幅の狭いキャビネットの上の方で、木目込みの壁の中央にぴったりはめ込まれた様子は、部屋の構成からも、釣り合いからも、まさにその空間にふさわしかった。どこに座ろうとも、その絵は部屋を圧倒するように迫ってきた。心地よい静けさが壮大な闘いの場面にただよい、重々しい宮廷の武人たちがまたがる馬は後ろ足で大きく立ち、その馬の色は灰色、茶と白のまだらや月毛であり、すべてがまじめに、真摯に描かれていた。それでもどういうわけか受ける印象は、軍事行動が大がかりで真剣なピクニックであり、荘重なものだということだった。フランチェスカにすれば、部屋をおぎなう物としては最高の、重々しい感じでかかっている絵がない自分の居間を想像することは出来なかった。それは、ブルー・ストリートにあるこの家以外での自分を想像できないようなもので、この家は万物殿さながら、大切な家庭の神々がまつられていた。

この場所に急に姿をあらわしたイバラのひとつは、ダマスク織りのバラの花弁から目立つもので、状況が異なれば、それはフランチェスカの心の平和となったことであろう。ひとの幸せとは過去にあるよりも、たいていは将来にあるものである。誠に失礼なことながら、それらの品々は評価されているものであり、叙情性にあふれ、影響力のあるものだが、悲しみの王冠のなかでも悲しいものであり、不幸な出来事を予期しているものだと言えるのかもしれない。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものである。だが、それもソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚するときまでである。そのときには結婚の贈り物として、エメリーンにあたえられることになっていた。エメリーンは今十七歳、かなりの器量よしであり、独身女性としての期間が安全に見込めるのは、せいぜい四、五年だった。その期間がすぎた後には待ち受けているものは混乱で、フランチェスカが苦しんでいるのは、彼女の魂となった隠れ家から引き離されるせいであった。彼女が自ら想像力をはたらかせ深い谷間に橋をかけたのは、わずかな期間だけと言ったほうが正しかった。頼みの橋とは、学校にかよっている息子のコーモスで、今は南部地方のどこかで教育をうけている。さらに言うならば、その橋を築いている可能性とは、コーモスがもしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないということだった。もし、そうなったときにフランチェスカが見いだす自分の姿は、トライフルをつくって周囲を困らせながらも女主人として支配している姿で、ブルー・ストリートの家もまだ支配することになる。ファン・デル・メーレンは欠かすことのできない午後の光を浴びながら、名誉れある場所にかかっていた。フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットも妨げられることなく、壁のくぼんだニッチにあるだろう。エメリーンはこじんまりとした日本風の奥の間も手に入れることになるだろうが、そこはフランチェスカが夕食後のコーヒーを時々飲んだりする場所で、居間とはしきりがあるので、彼女はそこに自分の持ち物を置いたりもしていた。橋をどうかけるのかという構想は、細部にいたるまですべて、注意深く考えぬかれていた。ただ、コーモスがすべての釣り合いをとる架け橋である状況が、唯一の不幸でもあった。

フランチェスカの夫が、奇妙なパガンの名前をその少年につけると主張したのだが、その名前が適切かどうか、またその意義を判断できるほど、長く生きはしなかった。十七年と数ヶ月のあいだに、フランチェスカには、息子の性格について意見を形成するだけの十分な機会があった。その名前から連想される陽気な精神が、少年を放縦にしていたのは確かであったが、それは捻れ、わがままな類の陽気さであり、フランチェスカ自身はユーモラスな面をめったに見いだすことは出来なかった。彼女の兄ヘンリーに関して言えば、座ってクレソンのサンドイッチを食べ、そのまじめくさった有様ときたら、大昔の式典についての本で定められているようなものであるが、運命はあからさまに彼女に味方した。もしかしたらヘンリーは、どこかの可愛いだけの、資力のない、つまらない女とあっさり結婚してしまい、ノッチング・ヒル・ゲート界隈に住んでいたかもしれず、やがて父親となって、血色が悪くて、ずるくて、役に立たない子供たちが、たくさんいたかもしれなかった。そうした子供たちには誕生日をむかえたり、病気にかかったりして、葡萄を贈ることになっていただろう。あるいはサウス・ケンジントン風のやり方で馬鹿げたものを描いてはクリスマスの贈り物として、がらくたのための空間が限られている小母に贈ってきたかもしれなかった。こうした兄らしくない行動に身を委ねるようなことはなかった。ふつうの家庭では、兄らしくない行動が頻繁にあるため、兄らしくない行動をとるということが、かえって兄らしいと呼ばれるようになっている。そうするかわりヘンリーは資産と穏やかさの両方を持ち合わせた女性と結婚したうえに、ただひとりの子供ときたら、両親ですら繰り返し自慢する価値があると思えるようなことは何も言わないという輝かしい徳の持ち主だった。やがて彼は国会にでたが、おそらくは家庭生活が退屈なものにならないようにと考えてのことだろう。とにかく国会のおかげで、彼の人生は無意味から開放された。死ねば、新しいポスターがだされて「選挙により再選出」という事態を招く人物が、取るに足らない人物である訳がないだろう。要するに、ヘンリーとは、簡潔にいえば邪魔なところがある障害でもあったけれど、どちらかといえば友達や相談役であることを選び、時として非常用の銀行預金残高であることを選んだのだ。フランチェスカとしては、賢くても、怠けがちな女性が頼りがいのある馬鹿に抱きがちな不公平さから、彼の助言だけを求めるのではなく、しばしば助言にしたがった。さらに都合のつくときには、彼から借りた金を返した。

運命の女神は親切にも、ヘンリーを兄として授けてくれたが、その助けにあらがい、フランチェスカは、コーモスを息子にするという悪意にみちた、わずらわしい運命を切り開いた。その少年は無秩序に生きる、扱いにくい若者のひとりであり、幼稚園、進学準備校、パブリックスクールをとおして遊び戯れたり、いらだったりする有様は、凄まじい嵐や砂塵、混乱に襲われるようなもので、骨の折れる勉強はまったくする気配はなく、とにかく笑い声をあげながらやってきて、涙を流したりする者やカッサンドラのような予言に関する者すべてが弱るような混乱のなかでも、それは変わらなかった。時にはそうした若者も、年をとれば落ち着いて退屈なひとになり、自分が大騒ぎしていたことを忘れてしまうことがあるかもしれない。時には、そうした若者に素晴らしい運がむき、広い視野で素晴らしいことを行い、国会や新聞から感謝され、お祭り騒ぎの群衆に迎えられることがあるかもしれない。だが、ほとんどの場合、そうした若者の悲劇が始まるのは、学校を卒業して世の中に放り出されたときである。そこでは文明化が進み過ぎ、人も大勢いるのに、実体がないため、若者が自分の場所を見つけようとしても、どこにも居場所がない。そうした若者は実に多い。

ヘンリー・グリーチは小さなサンドイッチをかじるのをやめ、勢いを取り戻した砂塵嵐のように議論をはじめると、当節流行している話題のひとつである極貧の防止を論じた。

「問題は、かじられたり、においをかがれたりするということだけだと人々は言うかもしれない。今のtころは」彼は言った。「だが、そうしたことに深刻な注意をはらい、考慮していかなければならなくなるのも遠い日ではない。最初にしなければいけないことは、その問題に接近するときに、中途半端にかじったりすることをやめ、机上の理論から脱することだ。厳しい現実を集めて、咀嚼しなければならない。すべての理性ある精神に訴えていかなくてはいけない問題である。しかしながら、その問題に興味をもってもらおうとすれば、お前もわかるだろうが、それは驚くほど難しい。」