2017年観劇

文楽ビギナーが夏祭浪花鑑を文楽・歌舞伎で見比べた!

(写真は文楽「夏祭浪花鑑」のポスターよりお辰)

今回、大阪文楽劇場で文楽「夏祭浪花鑑」を太夫さんのいる床近く4列27番、人形遣いの近く2列15番と場所をかえて二回ほど鑑賞。

そのあと大阪松竹座でも歌舞伎「夏祭浪花鑑」を上演していることを知り、歌舞伎ではどう上演するのだろうと幕見席、天井桟敷最後列で鑑賞。これが生まれて初めての歌舞伎体験である。

途中、うしろの方から「成田屋」とか掛け声をかける男性がひとり立っていることに気がつく。役者さんより声が素敵。この掛け声をかける方のことを「大向こう」と言う…ということは後から知った。掛け声をとばす方は一等席にいるのかと思えば、ふつう、この幕見席にいらっしゃるらしい…ということで歌舞伎の幕見席も、大向こうの掛け声も気に入ってしまった。次回もぜひ幕見席で観たいものだ。

文楽もまだ数回観ただけのビギナーだから文楽用語も知らないし、誤解も多々あるだろうけど、文楽と歌舞伎ではいろいろ違う…ということを体感。


其の一 歌舞伎や能のプログラムには床本がない!

    床本があるのは文楽だけ!

 

文楽の場合、プログラムには床本(台詞を書いた冊子)がついている。

歌舞伎の床本も欲しいと思った無知な私、松竹座売り場のひとに「あの~、台詞が書いてあるものは何処で買えるんですか?」と訊いたら、「ああ、文楽の床本みたいなものですね…歌舞伎にはありませんよ」とあっさり言われてしまった。歌舞伎には、役者さんの写真がたくさん入った写真集のようなプログラムはあっても床本はないのだ。

さらに能をやっていた同僚に訊いたところ、能にも床本はないそう。自分で床本を購入しないといけないが、結構高くて一万円近くするとのこと。

能の場合、床本の販売もなければ、イヤホンガイドもないとのこと。能の方々からすればイヤホンガイドのある歌舞伎や文楽はとても親切に見えるらしい。私は太夫さんの声が消されてしまいそうなのでイヤホンガイドは使わないが。

文楽、歌舞伎、能…床本やらイヤホンガイドを比べてみても、いろいろ違いがあるものだ。とりわけ床本の有無は、太夫さんの語りが大きなウェイトをしめている文楽だからなのだろうか…と思ったが、これは文楽ビギナーの独り言、真相は知らない。

続きは後日。

 


(写真は文楽「夏祭浪花鑑」の団七)

 同じ演目でも文楽・歌舞伎では違う! 其の二

「夏祭浪花鑑」は元宿無し団七が「顔がたたない」と何度も言って道をふみはずしていく情けなさ、欲張り爺の舅・義平次の業の深さに面白さがあると思うけど、歌舞伎ではそれを演じてしまう訳にはいかないのだ…と発見。

歌舞伎では、役者は格好よくなければいけない、情けない男であったり、欲張り親父を役者に演じさせる訳にはいかないのだ。

すべての悲劇の原因をつくるトラブルのおおもとである伊達なだけの優男、磯之丞が登場する場面も、文楽、歌舞伎では受ける印象がかなり異なっていた。

文楽では、この情けない優男は籠かきに「籠代をだせい」と求められ、拒むと籠を揺さぶられ、挙句の果てに籠から転げ落ちてしまう。床本に、「内より出でたは磯之丞、落ちるはづみに膝すりむき」とあるとおりの演出。最初から頼りない感じがよく出ている。

でも歌舞伎では、こうはいかない。この優男・磯之丞は駕籠かきの要求をスルーし、籠からおりると格好良く決めて歩き出す。駕籠かきが掴みかかろうとしてもヒラリとかわす。お客さんの前に役者が顔をだす初めての場、やはり、歌舞伎では格好良く決めなければいけない場なのだろう。

役者さんに惹かれて観ている観客は歌舞伎の演出に満足するだろうが、もともとの床本にある優男・磯之丞の情けなさに笑いを感じたい私には、人形の磯之丞が籠から放り出され、膝をおさえながら出てくる文楽の方が面白い。

文楽も、歌舞伎も、観客が求めているものに合わせたものになっていると発見。


文楽ビギナーが「夏祭浪花鑑」を文楽・歌舞伎で見比べた其の三

文楽・歌舞伎では観客が笑う場面も違う!

 

見比べる前までは文楽も、歌舞伎も同じ古典芸能かと思っていたけれど、観客が笑う場面も違うことを発見。

 

例えば文楽「夏祭浪花鑑」では、「ぴんしやん」という言葉が二回でてくるけれど、その度に観客から笑いがおきる。はっきりとは意味がわからないながら、「ぴんしやん」なんて響きからして滑稽だから面白味のある表現なのだろうと何となく私も笑っていたけれど。

文楽で「ぴんしゃん」がでてくる場面はまず住吉鳥居前の段。

佐賀衛門が琴浦の手を無理やりとる場面

琴浦「エエ嫌らしい聞きとむない。コレここをマア放しやんせ」

佐賀衛門「ぴんしやんしても大鳥が、掴んだからはもう放さぬ」

観ている方としては、この悪男が「ぴんしやん」されるという場面に思わず失笑してしまう…のでしょうか。

 

それから次に「ぴんしやん」がでてくるのは釣船三婦内(つりふねさぶうち)の段。

浮気がばれた磯之丞が琴浦と険悪なムードになりながら祭見物をしている場面。

「見世を揚屋の祭見に、口説しかけて拗ね合うて、ほむらの煙管打ち叩き、煙比べのぴんしやんは、火皿も湯になるばかりなり」

この「ぴんしやん」はよく意味が分からないのですが、なんとなく二人の険悪な場面がうかんで笑っていました。

歌舞伎でも「ぴんしやん」は出てくるのですが、誰も笑わない…なぜ?

 

歌舞伎で笑いがおきるのは滑稽な動作のとき。文楽にはありませんでしたが、牢から出てきた団七に三婦が着がえをもってきた場面。ふんどしを忘れたのに気がついた三婦が、自分のはおろしたてだからと、ふんどしをぬいで渡しますが。ふんどしの匂いをかいだり、うまくぬげなくて痛そうにする仕草に、歌舞伎のお客さんは楽しそうに笑っていました。

 

義平次が団七に殺される直前の場面でも、歌舞伎では笑いが。団七をなぶるあまり、義平次が尻を団七の前につきだし、団七が「おお臭い」というように鼻をつまむ場面。歌舞伎では、ここで笑いがおきていました。

でも、本来、ここは義平次のなぶりがエスカレートして、義平次、団七ともに狂気にかられる場面。「おお臭い」で笑いがおきたら、床本の味わいがなくなるような気がしますが。

 

太夫さんの語りが大きい文楽、役者さんの人気に頼る歌舞伎では、笑いの場もちがうのだなと文楽ビギナーは発見した次第。まだまだビギナーの発見は尽きませぬ、残りは後日。


「ぴんしゃん」については「他人に対してすげない態度をとるさま」というこおtっだと教えて頂きました。ありがおつございます。

 

文楽ビギナーが「夏祭浪花鑑」を文楽・歌舞伎で見比べた其の四

お辰の笑いは極道の妻、ヤンキー女の笑いだった!

 

文楽の登場人物の行動は、あまりに突飛すぎて理解できないこともしばしば(…と言うほど観ていないが)。

釣船三婦内(つりぶねさぶうち)の段でのお辰の行動も理解できないもののひとつ。

三婦に「こなたの顔に色気がある」から、若い男を預けるわけにはいかないと言われたお辰、火鉢にかけてあった熱い鉄弓をとって顔におしあてる。「疵は痛みはしませかぬの」と訊かれると、お辰は袖で顔を覆いながら答える。

「なんのいな、わが手にしたこと、ホホ、ホホ、オホホホホホホ、オオ恥かし」

この笑いと「恥かし」という言葉が分からない、なぜなんだなろうと思いながら文楽を観ていた。

歌舞伎の方では、この笑いはなかった。「オオ恥かし」はあったような、なかったような…よく覚えていない(歌舞伎には、床本がないのです)。

でも国立劇場のサイトに仲野徹氏が書かれている「任侠物として観る夏祭浪花鑑」を読むうちに、この笑いが理解できたような気が少ししてきた。仲野氏の説明によれば

「お辰は極道の妻である。若い頃、『根性焼き』をするようなヤンキー女だったに違いない。性根の坐り方がちがうのだ。そうでないと、とっさにそんな行動はとらないだろう」

もしかして、このホホは、ヤンキー女が余裕でうかべる笑いなんだろうか?

「オオ恥かし」は、こんな痛みくらいでヤンキー女である自分がそりかえったことへの「恥かし」なんだろうか?と想像ができた。

歌舞伎の場合、あまりにヤンキー女色をだすと、役者さんのイメージダウンになるから、この凄味のきいた「ホホホ」はカットしたのかと勝手に考えている。