2017年9月

坂口安吾「不連続殺人事件」「復員殺人事件」を読む前に、安吾先生のミステリについてのエッセイを読み、心に残った言葉をメモ。以下は安吾先生の文からそのまま引用。

『探偵小説について』

初出:1947(昭和22)年8月25日、26日発行

「探偵小説全般の欠点に就て、不満と希望をのべてみたいと思う」

「第一に、なぞのために人間性を不当にゆがめている。」

「人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。」

「第二の欠点は、超人的推理にかたよりすぎて、もっとも平凡なところから犯人が推定しうる手掛りを不当に黙殺していること。」

「第三の欠点はこれに関連しているが、つまり、探偵が犯人を推定する手掛りとして知っている全部のことは、解決編に至らぬ以前に、読者にも全部知らされておらねばならぬ、ということだ。 読者には知らせておかなかったことを手がゝりとして、探偵が犯人を推定するなら、この謎ときゲームはゲームとしてフェアじゃない」

「文学のジャンルの種々ある中で、探偵小説の文章が一般に最も稚拙だ。
呪われたる何々とか怖ろしい何々とか、やたらに文章の上で凄がるから読みにくゝて仕様がない。そういう凄がり文章を取りのぞくと、たいがいの探偵小説は二分の一ぐらいの長さで充分で、その方がスッキリ読み易くなるように思われる。
凄味というものは事実の中に存するのだから、文章はたゞその事実を的確に表現するために機能を発揮すべきものだ。」

「日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎること」

「それにも拘らず、なぜ仕掛をする必要があるか、その最大の理由は、アリバイのためだ。
だからアリバイさえ他に巧みに作りうるなら、外れる危険の多い仕掛などはやらぬに限る。問題はアリバイの作り方の方にある。」

「謎ときゲームとしての推理小説は、探偵が解決の手がゝりとする諸条件を全部、読者にも知らせてなければならぬこと、謎を複雑ならしめるために人間性を納得させ得ないムリをしてはならないこと、これが根本ルールである。」


『探偵小説とは』

 

初出:「明暗 第二号」九十九書房

   1948(昭和23)年2月20日発行

「推理小説ぐらい、合作に適したものはないのである。なぜなら、根がパズルであるから、三人よれば文殊の智恵という奴で、一人だと視角が限定されるのを、合作では、それが防げる。智恵を持ち寄ってパズルの高層建築を骨組堅く組み上げて行く。
十人二十人となっては船頭多くして船山に登る、という怖れになるが、五人ぐらいまでの合作は巧く行くと私は思う」


『推理小説論』

初出:「新潮 第四七巻第四号」

1950(昭和25)年4月1日発行

「すべてトリックには必然性がなければならぬ。いかに危険を犯しても、その仕掛けを怠っては、犯行を見ぬかれる、というギリギリの理由があって、仕掛けに工夫を弄するという性質でなければならぬ。」

「挑戦の妙味は、あらゆるヒントを与えて、しかも読者を惑わすたのしみであり、その大きな冒険を巧みな仕掛けでマンチャクするところに作者のホコリがあり、執筆の情熱もあるのである。十分にヒントを与えずに、犯人をお当てなさいでは、傑作の第一条件を失している。」


「月が昇るとき」

著者:グラディス・ミッチェル

初出:1945年

晶文社

読書会にむけて疑問をいろいろメモ。「月が昇るとき」読書会は日比谷図書館にて9月24日午後1時半より。

以下はネタバレあり。

 

1⃣ 動機についての疑問

 

・ミセス・コッカートンが若い女性を憎み、標的にした理由は何か? 本当に金だけの問題であったのだろうか? 憎しみの裏には愛があったのでは? ふりむいてもらえない腹いせに凶行におよんだのでは?

 

・76頁「あの人が死んだ女給をベッシーって呼んだのに気がついた? 殺された人の名前はルビーじゃなかったっけ?」

―次に殺す予定の女の名前を間違って言った訳ですが。でも狂気の人ミセス・コッカートンが計画殺人を企てていたと考えるのは無理なのでは?ここで名前をだして仄めかすのは速すぎるのでは?

 

・被害者の女性たちがすべて労働者階級なのはなぜか?日本の小説なら、もう少しいろいろなクラスの被害者を混ぜそうな気がするが。

 

2⃣ 内容についての質問

 

・具体的に地名が何度も繰り返されながら、地図がないので読者の頭にはいってこない。これはずるいのでは? 英国のひとはこの町が思い浮かぶのだろうか?この町の地図はどうなるだろうか?

 

・この兄弟たちは労働者階級か?

241頁「いつものサンドイッチではなく、学校の給食を食べた。美味しかったが、量が物足りなかった」

At lunch time I had the school cooked dinner instead of my usual sandwitches. It was good, but not enough.

ーなぜ、いつもサンドイッチなのでしょうか? 日本の高校では、給食をたべるお金を払えない生徒はパンをかじっていますが、イギリスでは給食はどうなのでしょうか?

 

・28頁の男は何者か?

 

・57頁「トレードマーク」とは具体的にどのようなマークだったのでしょうか?

 

・66頁「その奥」とは?情景がうかびません。

 

・71頁「あたくしと仲良しのシーブルック警部が、なぜこんなことを許しておくのかわかりませんね」

I cannot think why my good friend Inspector Seabrook allows such things to go on.

ー嫌味か?シーブルックは、別の箇所では別のひとから友達呼ばわりされていたが、どういう人物か。

 

・ミセス・コッカートンは二年前から町にいたのですよね?でも、以前は殺人事件をおこさなかったのはなぜ?

 

・ミセス・コッカートンは別に屑屋と結婚する必要性はないのでは?「うちの下宿人は、宿代を踏み倒して逃げた」と言ったほうが自然なのでは?

 

・ミセス・コッカートンは狂気の人だから…という設定は怪奇物としては趣があって面白いが、ミステリーとしてはアンフェアなのでは?

 

・屑屋に殺されたのか、ミセス・コッカートンに殺されたのか曖昧な気がしますが。

キースたちは屑屋だと断定、でもミセス・ブラッドリーは「フィッシャーと確認される(?)」305頁と疑問符をつけて最後まで曖昧です。

小説としては面白いのですが、誰が犯行におよんだかということがはっきりしない終わり方はミステリとしてはすっきりしないのでは?

 

・313頁「ダニーはほんとはアンナを愛していたけど、それを隠すためにマリオン・ブリッジズに気があるふりをして」とあるが、それならマリオン・ブリッジズの赤ん坊の父親は誰なのか?という疑問が残る。妊娠しているという設定は不要では?

 

・最後、キースたちをおとりにする場面はスリリングではあるが、やはり不自然なのでは?他に終わらせ方はなかったものだろうか?

 

3⃣ 訳についての疑問

とても読みやすい感じがした。

地名や場面描写のところだけ訳が読みにくい気がした。地図もないので訳者も頭に情景を思い浮かべるのにご苦労されたのでは?以下は、訳が分かりにくかったところ。

訳引用は「月が昇るとき」好野理恵訳(晶文社)

1章

・13頁 骨董屋 ( the antique shop )と15頁 古物屋 ( junk shop )と使い分けているのは?

古物屋では意味がよすぎるのでは?

・14頁 分かりにくいような、意味が少し違うような気もしますが。

「大通りは川と平行に走っていた。そして十本ほどの路地がこの道から分かれて、船着き場や川岸に通じていた。そういう路地には曲がって他の路地に出るものもあったがたいていの場合、小さな古い家々や、厩舎や、製粉所や、修理工場や、鍛冶屋や、そのほか、ロンドンへの出口となっている、壜の口のように細く交通の激しい通りの背後に隠されたさまざまなものをひとたび通り抜けると、勇敢な探検者は川岸に出て、ぼくたちの町の小さな動脈となっている船着き場とロンドンの間を往復する荷船が、目の前を曳き舟に曳かれて通っていくのを目にすることになる」

The high street ran parallel with the river, and a dozen alleys led from the road to the docks and riverside. Some of them bent to meet others, but for the most part, once past the small, old houses, the stables, the mills, the repair shops, the smithies, or whatever there was tucked away behind the stream of traffic which congested the narrowest bottle-neck out of London, the intrepid explorer found himself on the river front past which sailed the barges drawn by tugs on their way between London and the docks of our little artery of a town.

15頁 こういう解釈でいいのでしょうか?少し乱暴にまとめすぎていませんか?

「ぼくたちがそこへ行くことはめったになかったけれど

Although we went down there but seldom

15頁 分かりにくいような気がしますが。

「しかし、その路地といい、曳き船道といい、ロックといい、上げ潮から守るための高い敷居がある小さな家々といい、気の荒い犬たちといい、使われなくなった荷船と古い老朽化した底開き船の船溜りといい、オールド・イングランドが、ぼくたちの町の他の場所とはかけ離れていて、まるで外国のようで、独自の魅力と危険に満ち、独自の習慣と行動の掟を持ち、さらに罵りや感嘆や祈りの言葉に関しては、風変りな独自の方言まで持っているという事実は、やはり目立って重要なことであった。

The fact remained significant, however, was that Old England, its alleys, its towing path, its locks, its little houses with their high door-sills to keep out the flood tides, its rough dogs, its village of disused barges and ancient decrepit hoppers, was a place apart from all the rest of our town, a place like a foreign country, having its own fascination and danger, its own code of laws and behavior, even its own strange patois of oaths, exclamations and prayers.

16頁 「イネスさん」「サイモン・イネスさん」になりますか? ミセス・コッカートンのおかしいところを少し仄めかしているのでは?

17頁 骨董品だったのでしょうか?

「ぼくたちのことを好きなのは、ぼくたちが評判のいいものを愛しているからだと言うのであった。自分の骨董品のことを言っていたのだと思う」

We loved those things which were of good report. I think she referred to her antiques.

2章

25頁 分かりにくい。方向、位置の正確さが求められるミステリと翻訳の難しさでしょうか。

「テイラーさんの原っぱは、ぼくたちの家からわずかに北寄りの西お方角にあり、マナー・ロードのはずれに位置していた。道路に面した側は太い木の柵で囲われ、ポプキンスンさんの屋敷との間は淡い色調の赤と黄色の高い煉瓦塀で仕切られ、西の端の斜面を下ると、ぼくたちがよく行くブレント川だった。この小川は大通りの南側でワイデン川に注ぎ込んでいた。」

Mr. Taylor’s field was west of our house and slightly north of it, out on the Manor Road. It was fenced with thick wooden railings on side which faced the road, was divided from Mr. Hopkinson’s house by a high brick wall of mellowed red and yellow, and on the extreme west sloped down to our little River Bregant, which flowed into the Wyden on the south side of the high street.

26頁

「女曲馬師が投げキスをしたり、早駆けするアラブ馬の背中で片足立ちをしたりするとき、性悪だけれどもロマンティックなぼくたちの心は聖なる愛に燃えるのであった。」

It was our black but romantic hearts which burned with holly love when the equestrienne blew kisses, or stood on one foot on her galloping Arab steed.

「超人的な喜び」

But this particular evening of Holy Thursday was not the appointed time for these more than human joys

27頁

「邪悪で利口そうな小さな目」

….their wicked, intelligent little eyes

34頁 そんな大きい家か?

「食器洗い場の屋根」

Scullery roof

37頁 家庭菜園より、もう少し侘しい感じでは?

「家庭菜園」

Allotments

38頁 シルエットを見たのであって姿は見ていない…という意味で作者は書いているかもしれないから、もう少し丁寧な訳でもいいのでは?

「一人の男のシルエットがぼくたちの目に入った」

We saw the silhouetted figure of a man.

3章

46頁 分かりにくい

「ぼくたちはブレガント川の河口のひとつを渡った。そこでは川は分岐した運河と並行して流れていたが、間を隔てる狭い関門は、船を通すためではなく、ただ水量を調節するためのものだった。それから橋をふたつ渡らなければならなかった。橋を渡ってしまうと、使われなくなった底開き船や荷船が集まるふたつの船溜まりの間の小道を走り抜け、〈醸造所の呑み口〉亭という小さなパブを過ぎて、キャサリン・ホイール・ヤードに入った。この路地は大通りに通じていて、まもなくぼくたちはハーフ・エーカーを北に向かってテイラーさんの原っぱへと歩いていた」

We crossed one of the mouths of our little river, as it ran beside the canal which had been cut from it, by means of narrow lock gates which were not used for boats but only  to regulate the water. Then we had to cross two bridges. Once across these we ran up a  narrow path between the two basins where there was a village of disused hoppers and barges, and came past little public house called the Brewery Tap and into Catherine Wheel Yard. This alley led up to the high street,  and very shortly we were on our way up the Half Acre to Mr.. Taylor’s field.

4章

56頁 「女綱渡り師の死」 原文にない女という情報をくわえるのはいかがか?

The death of a tight-rope walker

58頁 「とにかく死因審問は犯人のものと確認できる証拠が挙がるまで延期されるはずだ」

↑「身元が確認」と考えられないか?

Anyway, the inquest is bound to be adjourned after evidence of identification.

67頁「あたくしがもっと若かった頃」

↓「犯人は男、あたしは女」と強調したいのでは?女をいれたほうがよいのでは?

When I was a younger woman

69頁「お互いの話を教えあいっこしましょうよ」

↓マザーグースあたりから来ていそうな不気味な表現なのではという気がするが?

story for story

6章

88頁「ジューンが何か繕いものをし、クリスティーナがその晩、ダンスパーティに穿いていく片方のストッキングの上に開いた小さな穴をかがり

June did some of the mending, Christina darned a tiny hole in the top of one of the stockings she was wearing at a dance that evening,

―訳文だと主語が不明瞭なのでは?

94頁「すごく汚いんだから」

It’s very dirty.

―すごく汚いことになるから…という意味で少し違うのでは?

7章

112頁

「『悪い人じゃないって、あたしにはわかってるの』

その言葉で、充分な動機があればジャックがやった可能性もあるとジューンが思っているのがわかった」

“I know he he isn’t bad.”

So we knew she thought he could have done it, had there been motive enough.

―文と文のつながりがよく分らない。

116頁「自然な口調を心がけながら、ジャックはぼくにこう言った。

Jack said to me, trying to speak carelessly.

8章

129頁「わたしが考えているのは自分のことなの、あなたのことじゃなくてね」

It’s me I’m thinking of; not you.

131頁「その先には、数軒の小屋と石炭のぼた山があり、そこが曳き船に引かれる荷船のための埠頭になっていった。

At the end of it there were sheds and a dump of coal, for it marked a wharf for barges drawn by tugs.

9章

150頁「でも彼女には軽はずみなところがあった」

She was impulsive, though,

154頁「その老婦人が、ほかの品物と一緒にトレーに山と積まれている、文鎮や真鍮のドアノッカーや壊れた扇子や、中古の煙草入れや蝋燭の芯切りをつまみ上げ、そのあと、大きな目のある顔を持つ、縞模様や点が施された小さな物体のところに戻るのを見ていた

We watched whilst the old lady picked up the paper-weights, brass door-knockers, broken fans, second-hand cigarette cases and candle-snuffers, which, among other objects, were heaped on the tray, and then returned to a small object striped and pointed, having a face on it with a very large eye.

156頁「この子たちに売っておやりなさい。そうしたら、わたしがすぐに買い取りますよ」

Sell it to them, Mrs. Cockerton, and I I shall make an immediate repurchase.

162頁「水泳するお金はないぞ」とぼくは言ったが、(もちろん、ぼくたちが自分の息子を連れてどこへ行くのか知らないまま)ジェーンは気持ちよく六ペンスくれた。

―意味がずれているのでは?

“No money to go swimming,” said I. But (not knowing, of course, where we were going with her son)  June came down handsomely with six pence

 

10章

167頁「あらゆる人の名前が挙がり、その中にはこの地方の国会議員の名前もあったが、彼はイースターの間はずっとスコットランドにいたことが(知る人には)知られていて、うるさ型と自称する、この辺の地方紙の編集者は、担当している特別ゴシップ欄で、中傷はやめるようにと人々に遠回しな警告を発しなければならなかった。

 

All sorts of  names were mentioned, including that of our Member of Parliament, but he was known ( by those who know) to have been in Scotland over Easter, and the editor of our local paper, calling himself Gadfly in a special column of gossip which he wrote, had to give a thinly-veiled warning to people not to talk scandal.

 

11章

179頁「しけた横丁」

a low alley

13賞

220頁「ジャージを脱いでネクタイを取り」

Keith took off his jersey and tie, undid his short collar, took off shoes and socks

ー??

 

226頁「一つ一つの家を他から区別する通用口の灯りに照らされた舗道を通るのさえ怖くて」

dreading even the lamp-lighted pavements because of the side entrances which marked off one detached house from another

 

14章

 

244頁「理由は人間の髪の毛の臭いです」

That wouldn’t worry me at all. It was the smell of human hair.

ー唐突感がある文ですが。おかしい人だからなのでしょうか?

 

17章

284頁「今度の橋は、二股道のもう一方が運河を渡る橋でーぼくが最初に選んだ路は船溜まりの百ヤードぐらい手前で、その道と分かれていたのだがー運河を渡ると、その道は曳き船道の一部ではなく、ぼくたちの川の河口にある小さな船着き場を使う人たちの便を図って作られたらしい小道に出る。その橋は狭く、高いところに架かっていた。橋のたもとには急勾配の石のスロープがあり、このスロープには、橋の上までずっと手摺がついていた。その幅広の手摺の端に、あのぼろ屑屋が腰かけていた。」

This time the bridge was that which carried the alternative path—for the path I had selected branched off from another at about a hundred yards from the village of boats—over the canal to a path which was not part of the towing-path but had been made for the convenience, I suppose, of the men who used the small dock at the mouth of our river. The bridge was narrow and high. A stone ramp led steeply up to it, and on other side of this ramp there was a handrail which was continued up to and over the bridge. On the broad end of this handrail the rag and bone man was seated.

ー情景がうかんできません

読了日:2017年9月7日



『外科室』

著者:泉鏡花

初出:189年(明治28年)

青空文庫

むやみに長く、やたら分かりやすく、親切な本があふれている昨今、泉鏡花『外科室』は言葉をそぎおとし、描かれていない部分も想像させる楽しみにあふれた作品だと思う。

ありえない話なのに、のめりこむように読ませる泉鏡花の魔法!それはどこに?

小石川植物園ですれ違った医学生、高峰と後に貴船伯爵夫人となる女性は、一瞬の出会いで恋におちる。ただし二人が過ごしたのは小石川植物園ですれ違ったほんの一瞬だけ。

二人が再会するのは九年後、高峰は外科医となり、女は貴船伯爵夫人であり一児の母。しかも場所は病院の外科室、高峰が執刀医、貴船伯爵夫人は手術台の上に横たわっていた。


「よろしい」 と一言答えたる医学士の声は、このとき少しく震いを帯びてぞ予が耳には達
したる。その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。

手術しようと近づいたら、手術台のうえにいたのは、ずっと恋しく思っていた女性だった。高峰の衝撃にこちらも息をのむ。



「私はね、心に一つ秘密がある。」

女は心の秘密をもらしてしまうからと麻酔を拒む…と文字どおりに解釈している人が多い言葉だが、私は違うと思う。

貴船伯爵夫人は、執刀医が高峰だとあらかじめ知っていた。このまま母として生きるより、愛する男の手で死にたいと思ったからこそ、麻酔を受けることを拒んだのではないだろうか。添い遂げることのできない愛なら、せめて愛する男の手にかかって死にたいという思いは次の貴船夫人の言葉からもひしひしと伝わってくる。

「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。
切ってもいい」

これは秘密をもらしたらどうしようと恐れる弱々しい心ではない。この機に愛する男と添い遂げようとする毅然とした意志の力を感じさせる言葉である。



「夫人、責任を負って手術します」
 ときに高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。
「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ。

貴船伯爵夫人の様子に、高峰も心中の覚悟を読みとったのかもしれないが…。このときの高峰の気持ちは今一つ分からない。想像できる方がいたら教えて頂きたい。


「いいえ、あなただから、あなただから」
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」

麻酔を断わったまま、高峰のメスを受けいれる貴船夫人の言葉が切ない。

でも、その思いに寄り添うような高峰の次の言葉「忘れません」に、夫人も、読者も手術の痛みを忘れてしまう。



「忘れません」 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。
伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、
ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。

「その声、その呼吸」というのは貴船夫人のことだろうか?こうして九年間の空白をこえ、二人は添い遂げ、そのまま貴船夫人は死ぬ。隣り合わせの愛と死をわずかこれだけで書いてしまう泉鏡花はすごい。

 


そのときの二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、
天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。

この文は、太夫さんの語りが似合いそうな文である。



かくて丘に上りて躑躅を見たり。躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ。

後半は、九年前の小石川植物園での回想場面になる。

貴船夫人とすれ違ったあとの思いの変化を語る高峰のこの言葉も、心情をよくあらわしている。



青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。
語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

最後のわずか二文で高峰博士の胸中とその最後がうかび、また世間の声も聞こえてくる。


とてもシンプルだけど限りなく奥が深い鏡花作品。言葉と言葉のあいだに広がる宇宙を見つめる楽しさがそこにはある。


「不連続殺人事件」

 

作者:坂口安吾

初出:昭和22年(1947年)から昭和23年(1948年)

青空文庫

 

探偵巨勢博士について、安吾はこう語る。この言葉に安吾がつくりたかったミステリーの世界があるように思う。

 

奴の観察の確実さ、人間心理のニュアンスを
繊細に突きとめ嗅ぎ分けること、
恐ろしい時がある。
彼にかかると、犯罪をめぐる人間心理が
ハッキリまぎれもない姿をとって
描きだされてしまう。
すべてがハッキリ割切られて、計算されて、答がでてくるのだが、
それがどういう算式によるのか、変幻自在、
奴の用いる公式が我々には呑みこめない。

 

でも僅か数日のあいだに29人くらいの人物がでてくる「不連続殺人事件」、登場人物は安吾のまわりにいたと思われる文学者仲間、くせの強そうな女性、田舎のひとたち…と読む側にすれば人間心理を思い描くのが難しいひとたちばかり。

「高木家の惨劇」について「この小説はピンからキリまで人間性をゆがめ放題にゆがめている」と非難した安吾だから、登場人物の人間性は筋をとおして書いたのだろうと思いつつ再読用に登場人物一覧をメモ。安吾が登場人物をどう語っているのかメモした。

メモを見返したら発見、「安吾は筋をとおして書いていた!」。

ただ犯罪をおかした心理を説明しようとしたら、安吾も言葉が多くなり過ぎたのだろうか? 安吾がとおそうとした筋は、犯人が分かりやすくなるという欠点につながっているかも…という気もする。

 

【歌川多門】

酒造家。好色家。一馬の父。

 

【歌川一馬】

年齢四十、立派な文学者で詩人

 

一馬は別人のようだった。色々抑えていたものが、時代の変転、彼に発散の糸口を与えたものか、オレだって女房(秋子)を寝とられているんだ、何かそんな居直り方のアンバイで、全くもう女に亭主のあることなど眼中にない執拗さ、ひたむき、(あやかに)食い下った

 

【私(矢代)】

 

【巨勢博士】

 

【坪田平吉と内儀テルヨ】

平吉は歌川家の料理番。テルヨは多門のお手つき女中。

 

【持月王仁】

持月王仁という奴は、粗暴、傲慢無礼、鼻持ちならぬ奴。

 

【丹後弓彦】

丹後弓彦の奴がうわべはイビリス型の紳士みたいに丁重で取り澄ましているけれど、こいつが又傲慢、ウヌボレだけで出来上がったような奴で、陰険なヒネクレ者。

 

【内海明】

内海明だけは気持のスッキリしたところがあるけれども、例のセムシで姿が醜怪

 

【土居光一】

画家。あやかと同棲していたが、見受け金を一馬から「あやか」の見受け金15万円をもらう。

 

なアに、あの女はオレでなきゃアだめなんだよ。俺の肉体でなきゃね。オレの肉体は君、ヨーロッパの娼婦でも卒倒するぐらい喜ぶんだからな。

 

【宇津木秋子】

秋子は本能の人形みたいな女で、抑制などのできなくなる痴呆的なところがあるから

女流作家宇津木秋子は今はフランス文学者の三宅木兵衛と一緒にいるが、もとは一馬の奥さんだった

 

宇津木さんは、淑徳も高く、又、愛慾もいと深き、まことに愛すべく尊敬すべき御婦人でしたよ。あのような多情多恨なる麗人を殺すとは、まことに憎むべき犯人だ

 

【三宅木兵衛(秋子の夫)】

フランス文学者

木兵衛という奴、理知聡明、学者然、乙にすまして、くだらぬ女に惚れてひきずり廻されて、唯々諾々

 

【明石胡蝶】

明石胡蝶は劇作家人見小六の奥さんで、女優だ。満身色気、情慾をそそる肉感に充ちている。胡蝶さんは王仁のような粗暴な野生派が嫌いで、理智派の弱々しい男が好き

 

【人見小六】

人見小六などはネチネチ執拗で煮えきらなくて小心臆病、根は親切で人なつこいタチなのだが、つきあいにくい男だ。

 

【あやか(一馬の妻)】

詩はあやかさんには附焼刃で、実際は詩などに縁もゆかりもない人だ。だから女学校を卒業すると、もう一馬を訪れはしなかった

 

あやかさんは土居光一という画家と同棲していた…彼(土居光一)はただ実に巧みな商人で、時代の嗜好に合わせて色をぬたくり、それらしい物をでっちあげる名人だ。

 

あやかさんは美しい。飛び切りという感じがある。あやかとはうまい名をつけたもので、遊び好きで、くったくがない。しかしシツコイことが嫌いなようで、一馬の執念深さ、柄に合わない居直り方にシカメッ面を見せる気配も見受けられたが、こういう人を天来の娼婦型とでもいうのか、つまり貧乏が何より厭なのだ

 

あやかさんという人は一人の男ぐらい屁とも思っていないので、世界中の男が、つまり自分のよりどり随意の品物に見えるというような楽天家じゃないかと私は思う

 

あやかさんは衣の下から身体の光りが輝いたという衣通姫の一類で、全身の輝くような美しさ、水々しさ、そのくせこんなに美しく色っぽく見える人は御当人は案外情慾的なことには無関心、冷淡、興味がすくないのか、浮気なところは少い。ただ上京のたびに豪奢きわまる買物をして、大喜び、お気に入りの衣装や靴ができてくると、喜び極まり第一夜はその衣装をつけ靴をはいてしまうというテイタラク、まったく定跡のない人物なのである。

 

万事につけてもひどく愛くるしいから、クレオパトラのようなツンとした女王性は微塵もないけれども、わがままであり、人の心をシンシャクしない。女房の義務など考えていないから、亭主へのサービスなどは思ったこともなく、したがって、亭主が何をしても平気の平左という様

 

【京子】

私の女房の京子は、一馬の親父の歌川多門の妾であった

 

【一馬の母】

うちの母(お梶)は二度目の母で、僕の母が死んだ後お嫁にきて、だから年も僕と三つしか違わない、去年八月九日に四十二で死んだのだ。然し僕がこの母を殺す何の理由があるだろう。この母は元々ゼンソク持ちだった。心臓ゼンソクという奴

 

【海老塚】

医者の当人が学究肌だから、それが非常に不服

 

ビッコで、そういう不具のヒガミからきたような偏屈なところがあって、お喋り嫌いの人づきの悪い男

 

【諸井】

諸井という看護婦、あれのことだ。変に色ッポイ女だからな

 

【南雲一松】

疎開の南雲一松という老人がここへ来てから中風で寝ついている

 

【お由良婆さま】

一松の妻女はお由良婆さまとよばれ、歌川多門の実の妹だ。この人も半病人で、生来の虚弱からヒステリーの気味で、お梶さんとは特別折合いが悪い

 

【千草(お由良婆さまの末娘)】

珠緒さんは美人だが千草さんは以ての外の不美人で、目がヤブニラミでソバカスだらけ、豚のように肥っている。肥っているのに神経質で意地悪でひねくれており、ヒガミが強いから、奔放な珠緒さんの意味のないことまで悪意にとって恨んでいるから、珠緒さんは腹に物をためておけないタチでガラガラピシャピシャやっつける。

 

【お梶さま】

お梶さまは和歌など物して短歌雑誌の投稿している人だから、オットリ奥さま然としているけれども、病的に潔癖な神経があって、嫌いだすと百倍嫌いになるようだった。

 

(危篤のとき)南雲一家の者はあっちへ行ってくれという意味のことを言った

 

【加代子さん】

加代子さん。これが大いに問題の人だ。この人の母親は死んでいる。お祖父さん、お祖母さんは歌川家の飼い殺しの下男と女中頭で、喜作爺さん、お伝婆さん、どちらも人の好い、いつもニコニコ、大へん感じのよい召使いだ。

加代子さんは言うまでもなくこの二人の老人の孫だけれども、実は多門の落しダネで、女中の母親が身ごもり生み落した娘だ…この娘がまことに美しい。清楚、純潔、透きとおるように冴え澄んだ美しさだ。 けれども十七の年から肺病で、女学校の四年の時、寄宿舎で発病して一時入院したが、退院後は女中部屋の一室で、寝たり起きたり、たいがい読書をしている。

母親の女中さんはお梶さまが来てから首をくくって死んだとか、

 

【神山東洋と木曽乃】

神山夫妻は戦争中、ちょッとばかり山へ顔を見せたことがあるが、弁護士で、八九年前まで歌川多門の秘書をやっていた男だ。木曾乃は元は新橋の芸者で、落籍されて多門の妾であったが、東洋と密通し、そのころから秘書をやめたが、時々訪ねてくるのだそうだ。弁護士という頭脳的な商売どころか暴力団のような見るからガッシリ腕ッ節の強そうな大男で、歌川家ではみんなに毛嫌いされて出てゆけがしに扱われ、どっちを向いても、女中にまで渋い顔を見せつけられ、誰に話しかけても、誰も返事もしないのである。

 

【南川友一朗巡査】

この南川友一郎巡査は探偵小説は愛読しているがほんものの事件にめぐり合ったのが始めてだから、全身緊張そのものにハリキッて

 

【荒広介(八丁鼻)】

刑事仲間で「八丁鼻」といえば一目おかれている敏腕家であった。

 

【長畑千冬(読ミスギ)】

ドイツ語などを齧っておって、医学の心得などがあるが、探偵のこととなると決して敏腕とは申されない。単純な犯罪を複雑怪奇に考えすぎ、途方もなく難しく解釈して一人で打ちこんでしまうから「読ミスギ」という綽名をとった。

 

【飯塚文子 アタピン】

本署の名物婦人探偵ですよ。田舎の警察じゃ役不足の掘りだしもので、飯塚文子と申しますがね。ちょッと小生意気な美人で色ッぽくて、なんですな、ちょッと、からかいたくなりますぜ

 

【富岡八重】

昨夜カイホーしたという女中、富岡八重という二十六の丸ポチャのちょッと可愛いい田舎娘

 

【下枝(多門の妾)】

下枝さんは、あどけないリンカクの美しくととのった顔をあげて、私を見た。その目は利巧で、よく澄んで、静かで、正しく美しいものだけをいつも見つめ


『菊花の約』

 

作者:上田秋成

初出:1776年(安永5年)

 

いつも慌ただしく、季節感のない日々だから、9月9日、重陽の佳節なんて思い出すはずもない。でも明日、担任をしているクラスの国語が自習になるという。自習課題をうけとったら、雨月物語「浅茅の宿」のプリントだった。そこで季節も近いし、『菊花の約』を読もうという気に。

読んでいくと、登場人物のいじましいまでの律儀さ、自然の風物の可憐さが何ともよく似合っている。

「あら玉の月日はやく経ゆきて、下枝(したえ)の茱萸(ぐみ)色づき、垣根の野ら菊艶(にほ)ひやかに、九月(ながつき)にもなりぬ。九日はいつもより蚤(はや)く起出て、草の屋の席(むしろ)をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶(こがめ)に挿し、嚢(ふくろ)をかたぶけて酒飯(しゅはん)の設(まうけ)をす。老母云う。かの八雲たつ国は山陰(ぎた)の果(はて)にありて、ここには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の来しを見ても物すとも遅からじ。左門云ふ。赤穴は信(まこと)ある武士(もののべ)なれば刈らず約(ちぎり)を誤らじ。其の人を見てあわただしからんは、思わんことの恥かしとて、美酒(よきさけ)を沽(か)ひ鮮魚(あらざけ)を宰(に)て廚(くりや)に備ふ。」

 

茱萸、野ら菊、黄菊、しら菊二枝三枝とつづく自然の草木の可憐さが、兄の帰りを信じて用意する左門の甲斐甲斐しいさ、いじましさとなんとも調和していて心うたれる文である。

 

「老母、左門をよびて、人の心は秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる信(まこと)だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき。入りて臥しもして、又翌(あす)の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして前(さき)に臥さしめ、もしやと戸の外に出でて見れば、銀河の影きえぎえに、氷輪(ひょうりん)我のみ照して淋しきに、軒(のき)守る犬の吼ゆる声すみわたり、浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり。月の光も山の際(は)に陰(くら)くなれば、今はとて戸を閉(た)てて入らんとするに、ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。」

 

兄の帰宅を待ちわびて外に出た左門の目にうつる景色が語られる。「銀河の影きえぎえ」「氷輪」「犬の吼ゆる声」「浦浪の音」…これは此の世ではなく、幽冥界の風景なのではないだろうか。

此の世のものとは思えないような景色のなかに、幽霊となった兄がようやく帰宅するくだりもいかにも幽霊らしい。「ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり」

 

物騒な騒ぎの多い此の世に比べれば、幽冥界のほうが心にやさしい場所に思えてくるのだが。怖さを求めるから怪談ではなく、やさしい場所、癒やしの場所をもとめるからの怪談読書のように思う。

 

読了日:2017年9月12日


「菊花の約」

作者:上田秋成

昨日読んだばかりだけれど、どうも違和感が残るので再度読みかえした。

「信義」と言っているけrど、その信義の話がひびいてこない。なぜだろうと気になり再読。

『菊花の約』を信義と幽霊の話として考えると違和感があったけれど、「ボーイズラヴ」と「幽霊」の話と考えると、言葉のすみずみまで納得がいった。真のテーマの「ボーイズラヴ」と「幽霊」をカムフラージュするために信義をもってきたのではないだろうか。

まずタイトルの菊は、「ボーイズラヴ」を意味する江戸時代の隠語。


青々たる春の柳  家園に種うることなかれ  交は軽薄の人と結ぶことなかれ  楊柳茂りやすくとも  秋の初風の吹くに耐へめや `軽薄の人は交りやすくして亦速なり  楊柳いくたび春に染むれども 軽薄の人は絶えて訪ふ日なし


『菊花の約』冒頭箇所である。意味は分からないながら、リズムがいいので流して読んでいたが。のっけから柳を女性にたとえ、これからボーイズラブの話がはじまるよ…とふっているのではないだろうか。

柳が女性のたとえだとしたら、「家園に種うることなかれ」は「女性と妻帯するものではない」の意味では?

「軽薄の人」も女性全般をさしているのでは?

「楊柳茂りやすく」は妻帯すれば子孫は増えていくけれど、「秋の初風の吹くに耐へめや」は「人生が落ち目になりはじめたら女で耐えられるだろうか」の意では?

 


なみの人にはあらじを  病深きと見えて面は黄に  肌黒く痩せ  古き衾のうへに悶へ臥す  人なつかしげに左門を見て 湯ひとつ恵み給へといふ  左門ちかくよりて  士憂へ給ふことなかれ  必ず救ひまゐらすべしとて  あるじと計りて薬をえらみ  自ら方を案じ  みづから煮てあたへつも  猶粥をすすめて  病を看ること兄弟のごとく  まことに捨てがたきありさまなり



病に伏せる赤穴を看病する左門。「兄弟のごとく」と言うよりも、薬を煎じたり、粥をこそらえたりと、このかいがいしさは一目ぼれをしたヒロインのように細やかさにあふれている。


かの武士左門が愛憐の厚きに涙を流して  かくまで漂客を恵み給ふ  死すとも御心に報いたてまつらんといふ  左門諫めて  ちからなき事をな聞え給ひそ


献身的な介護に感動する赤穴、その弱気を叱る左門、なんだか少女漫画の世界のようでもある。


母なる者常に我孤独を憂ふ


左門と赤穴を見守る母の胸中はいかなるものかと思うけれど、本の虫でひとりぼっちの左門を案じていた母が喜んでいる様子が伝わってくる。


左門いふ  さあらば兄長いつの時にか帰り給ふべき

赤穴いふ  月日は逝きやすし おそくとも此秋は過さじ

左門いふ `秋はいつの日を定めて待つべきや  ねがふは約し給へ

赤穴いふ  重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし

左門いふ  兄長必ず此日をあやまり給ふな  一枝の菊花に薄き酒を備へて待ちたてまつらんと


故郷に一時戻る赤穴に、うるさいくらい「いつ帰る?」と尋ねる左門のやりとり。これが男女であれば、さぞうっとうしいだろうと思うが、ボーイズラヴのふたりには、あくまで義兄弟の体裁をとりつくろっているせいか、そうした煩さは感じられない。


九日はいつよりも蚤く起き出でて  草の屋の席をはらひ  黄菊白菊二枝三枝小瓶に挿し 嚢をかたぶけて酒飯の設をす


帰るという約束のあった九日、いそいそと出迎えの用意をする左門。花を飾って料理をこしらえ、弟というよりも新妻のようではないだろうか。


踊りあがる心地して  小弟蚤くより待ちて今にいたりぬる  盟たがはで来り給ふことのうれしさよ


待ちに待った赤穴が帰ってきたときの左門の喜び。兄をむかえる喜びと言うよりも、やはり愛するひとの帰宅を待つ者の喜びである。


俯向につまづき倒れたるままに  声を放ちて大に哭く


兄をなくしたときのあられもない嘆きっぷり。やはり愛する恋人の死を知った嘆きである。


「信義」の話をしているようでいて、実はボーイズラヴと幽霊の話をしている上田秋成。頑張って古典に挑戦して上田秋成の作品を読んでみよう。

読了日:2017年9月13日


「化鳥」

作者:泉鏡花

初出:明治30年(1897年)

青空文庫

写真は泉鏡花記念館「化鳥」原画展ポスター

「化鳥」は鏡花初の口語体作品ということで、中川学さんの手で絵本にもされている。楽しい雰囲気もありながら、深いテーマのある作品。

少年「廉」は零落した母と二人、橋のたもとの小屋で、橋の通行料をもらうことで暮らしている。

この橋はどことどこを渡している橋なのだろうか? 現実と不思議の世界か、幸せな昔と現在か? 橋をとおる人たちに、廉は不思議な世界の住人の姿をかさね、幸せな昔の屋敷を思い出したりする。

橋は、その上にたたずんで思いにふける場所かと思っていたが、外から橋をながめ、通行人をながめ、川辺のひとをながめ思いにふけるという視点も斬新。

橋のたもとの小屋から見える人々の描写は、猪の王様、猿廻、鮟鱇博士、千本しめじなど、何ともユーモラス。

この作品の魅力は橋のたもとという不思議な空間、ユーモラスな人物だけにとどまらない。先生に邪慳にされても自分の価値観をゆるがせない少年、その価値観を少年に教えた母親も強く、偉いひとにも自分の主張を凛と伝える。その強さが「化鳥」の怪しさ、強さとなる。

 


先生が修身のお談話をしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういつたの。母様、違ってるわねえ。

廉は「人間が一番えらい」という先生の言葉を鵜呑みにしたりはしない。そのせいで先生に邪慳にされたり、怒られたりしても。母親に疑問をぶつける廉のなんとピュアなことか。


それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。

 

先生が廉の言葉を無視して怒っているなら…と語るこの母の言葉は、なんとも凄味がある。「そんなものは見ていないで…そのうつくしい菊の花を見ていたら」という言葉は鏡花の生き方のポリシーとつうじるものであり、そこに鏡花の魅力がある。


人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣めと始終そう思って、五年も八年も経たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡んなすった、父様とこの母様とが聞いても身震がするような、そういう酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになった…鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。

なんと迫力のある言葉か。母親は、零落してから味わってきた辛い思いをぶつけるように語る。冷たい世の中を「口惜しい、畜生め、獣め」と呪いながら。こうした辛酸をなめた結果の価値観が「鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじ」なのである。


「渡をお置きなさらんではいけません。」

橋の通行料を踏み倒そうとする偉い紳士にも、母はピシャリと言い切る。近所の人からは「番小屋のかかあに似て此奴もどうかしていらあ」と言われる母は、世間の目からすれば少しおかしいところがあるのかもしれないが、廉の目にはどこまでも強い母なのである。


廉が川で溺れかけたときに助けてくれたのは、「大きな五色の翼があって天上に遊んでいらっしゃるうつくしいお姉さん」なのだと母は教える。廉はそのお姉さんを捜しに鳥屋へ行き、森に行き…倒れそうになった瞬間に、母がそのお姉さんであったと知る。

うつくしい場面でもあり、不思議さの残る場面。

優しいけれど凛とした母が「翼のはえたやさしいお姉さん」、つまり化鳥であった…という意外さ。「鳥獣も草木も、昆虫類も、皆形こそ変っていてもおんなじほどのもの」と廉に教えていた母が、化鳥の正体であっても、その強さも、美しさも母のイメージと結びつく。

でも、なぜ母は助けたのは自分だと告げないで、「大きな五色の翼があって天上に遊んでいらっしゃるうつくしいお姉さん」だと告げ、廉があちらこちらを探すままにしておいたのだろうか? 母が狂気のひとであったことを暗示しているのか? それとも川におちたとき、廉は命を失ってしまい、死後の幻想なのか。



見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可い。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。

最後、廉がつぶやくこの言葉も不思議である。単純に母がきてくれるからと解釈していいものか。でも「いらっしゃるから、母様がいらっしゃったから」の繰り返しが、もっと他のことを意味しているようにも思える。廉も死んでしまい、その魂が呟いているのではないだろうか。

いろいろ不思議に思うことはあれど、その不思議を考えることも楽しい。すっきり割り切れないところに魅力がある作品。

読了日:2017年9月14日