チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第401回

「さて、人生の道徳に関する根本にすみやかに戻ることにする」マイケルは言った。「なぜ、数ある職務のなかでも、下宿屋の嘘つき老嬢と手紙のやりとりをするのだろうか?」

「それは人としての職務ではない」グールドは言った。「喜びでもない。たしかだとも。彼女は魅力のある男を連れているだけなのだから。下宿屋の嘘つき老嬢がしているのは、そういうことだ。でも訴追人の職務のひとつにあたるから仕方ない。無邪気にも飛びまわる友人スミスの経歴を追いかけなくてはいけないから。僕が名前をあげた人達全員にしても、嘘つきレディの場合と同じ理由からだよ。」

「それならば、なぜ、そうした人たちを起訴しようとしているのか?」イングルウッドは訊ねた。

“Again, to go at once to the moral roots of life,” said Michael, “why is it among the duties of man to communicate with old Lady Bullingdon who lives at Penge?”

“It ain’t one of the duties of man,” said Gould, “nor one of his pleasures, either, I can tell you. She takes the crumpet, does Lady Bullingdon at Penge. But it’s one of the duties of a prosecutor pursuin’ the innocent, blameless butterfly career of your friend Smith, and it’s the sime with all the others I mentioned.”

“But why do you bring in these people here?” asked Inglewood.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第400回

ムーンはグールドを見つめたが、その顔にうかんだ驚きは心からのものなのか、偽りのものなのか判断しかねた。

「誰であろうとも」グールドはつづけた。「ミスター・トリップを求めることができる」

「ずいぶん元気のでる考えじゃないか」マイケルは抑制しようとしながら答えた。「だが、なぜ誰であろうとも、ミスター・トリップを求めるのか?」

「まったく同じ理由だよ」興奮したモーゼスが両手でテーブルを叩いた。「まったく同じ理由だよ。ミスター・トリップが旦那たちとやりとりをしたのと同じ理由だよ。ハンベリーとブートルで主の祈りをささげる喧しい旦那たちとね。それからヘンドンにある一流の学校で教えているミス・グリッドレ―とやりとりをしたのも、ペンジに住んでいる年老いた嘘つきレディとやりとりをしたのも同じ理由だよ」

Moon regarded him with an expression of real or assumed surprise.

“Any one,” continued Gould, “can call on Mr. Trip.”

“It is a comforting thought,” replied Michael with restraint; “but why should any one call on Mr. Trip?”

“For just exactly the sime reason,” cried the excited Moses, hammering on the table with both hands, “for just exactly the sime reason that he should communicate with Messrs. ‘Anbury and Bootle of Paternoster Row and with Miss Gridley’s ‘igh class Academy at ‘Endon, and with old Lady Bullingdon who lives at Penge.”

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2018.07 隙間読書 ビアス「アウル・クリーク橋の一事件」中村能三訳

「幻想小説神髄」収録(ちくま文庫)


南北戦争のころのアラバマ州が舞台の短編。どんな理由からだろうか、頸にロープをかえられ、これから川にわたされた橋から突き落とされて絞首刑にされようとする農園主の胸に往来する一瞬の思いを切りとった短編である。


橋の上の緊張感、銃をむけられたときの感覚、川や森を逃げる幻想。とにかく視覚にうったえてくる。

なかでも最後の段落で、死を前にした農園主が妻の幻想にひたる場面は、英文は平易な、訳に迷うような単語が並んでいるけれど、中村能三はやわらかな、ひらがなの多い訳文を構成することで、妻の平和なイメージを読む者の心に印象づける。

最後、銃撃をうける文では、漢字をつかうことで残酷さが際立つ。

時制も原文どおりにほぼ現在形でとおしながら、原文にはないひらがなと漢字のめりはりで、原文の雰囲気を日本語に伝えている…すごい訳だなあと思う。


 これだけの苦しみに悩んでいるにもかかわらず、疑いもなく、歩きながら眠っているのであった。というのは、いまはほかの景色を見ているからだーたぶん、単に昏睡状態から意識をとりもどしただけなのだろう。彼はわが家の門口に立っているのだ。すべては、出かけたときのままで、すべては朝の陽光をうけて、明るく美しい。きっと一晩じゅう歩いてきたにちがいない。門を押しひらき、広く白い小径を歩いて行くと、女の服のひるがえるのが見える。みずみずしく、すずしげで、やさしいようすの妻が、彼を迎えるために降りてくる。段々のいちばん下で、言葉につくせぬ喜びの微笑をたたえ、ほかに比べるものもない優雅さと気品のある物腰で、彼を待っている。ああ、なんという美しい女だろう! 彼は両手をのばして前へ飛びだす。妻を抱こうとしたとたん、彼は気も遠くなるような一撃を、頸のうしろに感じた。目もくらむ白光が、大砲の衝撃に似た轟音とともに、彼のまわり一面にきらめくーそして、すべては暗黒と静寂につつまれる。

Doubtless, despite his suffering, he had fallen asleep while walking, for now he sees another scene—perhaps he has merely recovered from a delirium. He stands at the gate of his own home. All is as he left it, and all bright and beautiful in the morning sunshine. He must have traveled the entire night. As he pushes open the gate and passes up the wide white walk, he sees a flutter of female garments; his wife, looking fresh and cool and sweet, steps down from the veranda to meet him. At the bottom of the steps she stands waiting, with a smile of ineffable joy, an attitude of matchless grace and dignity. Ah, how beautiful she is! He springs forwards with extended arms. As he is about to clasp her he feels a stunning blow upon the back of the neck; a blinding white light blazes all about him with a sound like the shock of a cannon—then all is darkness and silence!

2018年7月22日読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第399回

「モーゼス・グールド、君が言いたいのは」イングルウッドは訊ねました。「僕たちが提出した無罪弁明の証拠について、まだ疑っているということなのか?」

「ああ、まだ疑っている」グールドは傲然と言い放った。「証拠はどれもこじつけだし、はっきりしないものばかりだ。どうやってそんな話を確かめるのか?コースキー・ウォスキーとか、そんな名前の駅にどうすれば立ち寄って、ピンク色の紙に印刷されたフィナンシャル・タイムズとかスポーティング・タイムズといった類の新聞を買うことができるのか? シエラ山脈のうえにあるパブにどうやって出かけて、酒を飲めばいいというのか? でもワージングにある詩人バンティングの下宿屋になら誰もが行くことができる」

“Do you mean to say,” asked Inglewood, “that you still doubt the evidence of exculpation we have brought forward?”

“Yes, I do still doubt it,” said Gould warmly. “It’s all a bit too far-fetched, and some of it a bit too far off. ‘Ow can we test all those tales? ‘Ow can we drop in and buy the `Pink ‘Un’ at the railway station at Kosky Wosky or whatever it was? ‘Ow can we go and do a gargle at the saloon-bar on top of the Sierra Mountains? But anybody can go and see Bunting’s boarding-house at Worthing.”

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2018.07 隙間読書 ヴィリィエ・ド・リラダン「ヴェラ」齋藤磯雄訳

「幻想小説神髄」(ちくま文庫収録)


ダトール伯と貴婦人ヴェラの愛と死の物語。ふたりは愛し合うあまり、ヴェラは絶命してしまう。

その死を信じられない伯爵はヴェラが生きているからのようにふるまい続け、ヴェラの幻が読者の前にも語られる。最後、妻の死をみとめた伯爵は絶望にかられるが、その伯爵の前に落ちたものは…という筋立てである。


ダトール伯爵の目をとおして語られるヴェラの愛用していた品々。この品々を語る丁寧な描写をとおして綾織のようにヴェラが描かれ、典雅な訳文もヴェラの雰囲気をよく伝えている。


そして今や彼は妻なき部屋を再び目のあたりに見たのである。

金糸を織込んだ赤紫の印度綾織(カシユミール)のゆるやかに垂れた帳(とばり)の下に、玻璃窓はひらかれていた。薄暮の最終の光が、古い木製の額縁の中に、今は亡き女の大きな肖像を照らしていた。伯爵はあたりを眺め廻した。肘掛け椅子の上には、昨夜脱ぎ捨てられた長衣(ろーぶ)。炉棚の上には、宝石、真珠の頸飾、半ば閉ざされた扇、彼女がもはや薫香(かおり)を吸うよしなもない香水の重い小壜。螺状の柱のある黒檀の臥所は取乱したままで、愛らしくもまた神々しい頭をのせた痕がなお薄紗のさなかにありありと認められる枕の傍らには、彼のうら若い魂の伴侶が一瞬死の苦悩を包んだ、血の滴りに赤く染まった手巾(ハンカチ)を、彼は見た。ピアノは永遠に弾き了(おわ)ることのない旋律を湛えて、開かれていた。彼女が温室の中で摘んで、サクソニヤの古い花瓶(かへい)の中に凋(しお)れてゆく、インドの花もあった。そして、臥所の足もとには、黒い敷皮の上に、東邦の天鵞絨(びろうど)の小さな上沓(うわぐつ)も置かれ、その上にはヴェラの洒落た文句が、真珠で縫い取られて輝いていた。(ヴェラを見む者はヴェラを愛せむ。)秘愛の女の裸(あらわ)な足は、昨日の朝、一歩(あし)ごとに、白鳥の細羽(さいう)に口づけられて、その沓の中に楽しんでいたのだ!そして彼処、彼処、暗闇の中には、もはや他の時刻を打たぬようにと、彼が発条(ぜんまい)を破棄した振子時計が懸かっていた。


そして最後、伯爵は…という箇所。


ーおお!(彼は呟いた。)これでお終いだ!ー消え去ったのだ!…彼女ひとりで!ー今、お前のところまで行くには、どの道を辿ればよいのか?お前の方へ行ける道を教えてくれ。

忽ち、その客のように、光った物が、婚礼の臥所から、黒い敷皮の上に、蕭然と鳴って落ちた。地上の醜悪な日の光がそれを照らした!…棄てられし者は、身を屈して、それを掴んだ。そして、それが何であるかを認めたとき、崇高な微笑がその顔を輝かした。それは墓場の鍵であった。


ここで墓場の鍵と訳してよいものやら?墓場と霊廟は違うような気がしなくもない。ヴェラをもとめて墓場をさすらうのと、霊廟をさすらうのとではイメージがだいぶ違うような…。どちらにしても伯爵は死の世界へと踏み出すことで幸せになるのだからいいのだろうか?


典雅な斉藤訳でリラダンの世界を楽しんだ。なかでも、次の訳語が気に入った…いつか使ってみたい。

「魂衣」(たまぎぬ)


2018年7月21日読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第338回

「たしか」ムーンは重々しく言った。「はっきりと説明したことだと思うが」

「ああ、たしかに。はっきりと説明してくれたよ」グールド氏はすこぶる饒舌に認めた。「戸口から離れたところでなら、君は象の説明をするだろう、たぶん。僕は君みたいに賢いわけではない。でも生まれついての才能の持ち主じゃないんだから、マイケル・ムーン。戸口に象がいるなら、説明を聞かないでもないよ。こんなふうに。

『トランク(トランクは象の長い鼻も意味している)をさげているじゃないか?』と僕がいう。

すると君は「僕のトランクだ』と答える。『旅をすることが好きなんだ。変化は僕に良い影響をあたえてくれるから』

『でも、いまいましい生き物だ。牙がついている』と僕はいう。

『もらい物のあらを探すんじゃない』と君はいう。『感謝しろよ、生まれたときに善良さ、優美さが微笑んでくれたことを』

『でも家と同じくらいに大きいじゃないか』と僕はいう。

『それはすごい透視図だ」と君はいう。『聖なる魔法を距離にかけたな』

『そうか?たしかに象の鳴き声ときたら、最後の審判の日のようだけど」と僕はいう。

『君の意識が語りかけているんだよ、モーゼス・グールド」君は重々しく、優しい声でいう。

僕にも君と同じ意識はある。日曜日に教会で、君が聞かされるような話の大半を僕は信じていない。それにここが法廷だとはもう信じていない。君が教会のなかにいるようにしゃべるからだよ。象は大きいし、醜いし、危険な獣だ。でも、それとスミスは別なんだ。」

“I thought,” said Moon gravely, “that we quite clearly explained—”

“Oh yes, old chap, you quite clearly explained,” assented Mr. Gould with extraordinary volubility. “You’d explain an elephant off the doorstep, you would. I ain’t a clever chap like you; but I ain’t a born natural, Michael Moon, and when there’s an elephant on my doorstep I don’t listen to no explanations. `It’s got a trunk,’ I says.—`My trunk,’ you says: `I’m fond of travellin’, and a change does me good.’—`But the blasted thing’s got tusks,’ I says.—`Don’t look a gift ‘orse in the mouth,’ you says, `but thank the goodness and the graice that on your birth ‘as smiled.’—`But it’s nearly as big as the ‘ouse,’ I says.—`That’s the bloomin’ perspective,’ you says, `and the sacred magic of distance.’—`Why, the elephant’s trumpetin’ like the Day of Judgement,’ I says.—`That’s your own conscience a-talking to you, Moses Gould,’ you says in a grive and tender voice. Well, I ‘ave got a conscience as much as you. I don’t believe most of the things they tell you in church on Sundays; and I don’t believe these ‘ere things any more because you goes on about ‘em as if you was in church. I believe an elephant’s a great big ugly dingerous beast— and I believe Smith’s another.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第337回

「みんな妖精物語だよ、君たちが読み上げたものは」彼は言った。「そんな話をしないでくれ。そんな話を聞くような屑野郎ではないのだから。でも妖精物語をされているということはわかっているよ。哲学的な問題で少し困惑しているものだから、BとかSとかを探しにいきたい気がする。でも住んでいるのはウェスト・ハンプテッドであって、地獄ではないからなあ。要するに、何かが起きているともいえるし、何かが起きていないともいえる。今聞かされた話は実際には起きていないことなんだ」

“All those fairy-tales you’ve been reading out,” he said. “Oh! don’t talk to me! I ain’t littery and that, but I know fairy-tales when I hear ‘em. I got a bit stumped in some of the philosophical bits and felt inclined to go out for a B. and S. But we’re living in West ‘Ampstead and not in ‘Ell; and the long and the short of it is that some things ‘appen and some things don’t ‘appen. Those are the things that don’t ‘appen.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第336回

突然、モーゼス・グールドは大きな科学の本を手にとると、他の本の上にどさりと投げ、短い足を食卓にほうりだした。椅子をうしろのほうに倒していき、ひっくりかえるそうになるくらいまで傾していきながら、口笛をふいた。居合わせた者の心臓が縮みあがるくらいに長々と続く、まるで蒸気エンジンのような口笛で、それは「ばかばかしい」と言わんばかりであった。

ムーンに何がばかばかしいのか訊ねられると、彼はもう一度、本をどさりと背後に放ると、かなり激高しながら答え、書類をはらいのけた。

Suddenly Moses Gould banged one big scientific book on top of another, cocked his little legs up against the table, tipped his chair backwards so far as to be in direct danger of falling over, emitted a startling and prolonged whistle like a steam engine, and asserted that it was all his eye.

When asked by Moon what was all his eye, he banged down behind the books again and answered with considerable excitement, throwing his papers about.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第335回

その部屋には闇が漂いはじめ、静寂がたちこめていた。夕方の太陽から、金の粉のような一筋の光が部屋にのびて、メアリー・グレイの空席に漠とした荘厳さを添えた。デューク夫人はまだ眠っていた。イノセント・スミスはー夕陽をあびてせむしの大男のように見えたー自分の紙のおもちゃの方にどんどん身をかがめていき、じりじりと距離を狭めていった。だが五人の男たちは議論に熱中していたけれども、気にかけていることといえば裁判所を有罪にしないで、互いを有罪にすることであったので、国家特高警察委員会のような感じで食卓を囲んでいた。

The room had been growing dark and drowsy; the afternoon sun sent one heavy shaft of powdered gold across it, which fell with an intangible solemnity upon the empty seat of Mary Gray, for the younger women had left the court before the more recent of the investigations. Mrs. Duke was still asleep, and Innocent Smith, looking like a large hunchback in the twilight, was bending closer and closer to his paper toys. But the five men really engaged in the controversy, and concerned not to convince the tribunal but to convince each other, still sat round the table like the Committee of Public Safety.

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2018.07 隙間読書 有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」

1982年に有吉佐和子が書いた最後の長編である。

殺人も出てくるし、刑事さんも出てくるミステリなんだけれど、読後に印象に残るのは二人の俳優、八重垣光子と中村勘十郎の傍若無人なふるまいと演劇界の暗黒めいた部分である。

台詞をまったく覚えようとしない七十代の老優たちだけれど、舞台にたつと不思議、プロンプターの助けを借りながら、時には脚本をまったく無視して自分が魅力的にみえるように舞台を勝手にかえていく。この老優たちに笑っているうちに事件は進行していく。

笑いながら読んでいたせいで、なぜ光子の付き人、波子はこの境遇に耐えたのだろうか…という点が分からなくなってしまった。自分につくしてくれるファンもいるのに、なぜ我儘な光子に耐えたのだろうか?

最後の方に退職刑事の家にあつまって、刑事の妻がつくったおでんを皆で食べながら事件をふりかえる場面があるが、個性的とも異常とも言える老優たちを見てきたあと、なんとも安堵するものを感じる場面であった。

2018年7月17日読了

 

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