チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第450回

大嵐がトランペットのように空をひきさいているあいだに、窓から窓へと家の内から明かりが灯された。そして一行が笑いにつつまれ、乱気流の風にたたかれながら、家へとふたたび手探りで進みだそうとしたときに、目にとびこんできたのは、巨大で、猿のようなイノセント・スミスが屋根裏の窓からよじ登っていく姿であった。彼は何度も、何度も叫んでいた。「ビーコン・ハウス!」彼は頭をひねって下の暖炉の大きな丸太や薪を見た。それは鮮紅色の川のようでもあり、耳をつんざくような大気にただよう紫煙のようでもあった。

三つの州で彼の姿が目撃されたということは明らかだった。だが風がやみ、一行が陽気なお祭り騒ぎの最中に、メアリーの姿を、彼の姿を探したけれど、その姿を見つけることはなかった。

While the tempest tore the sky as with trumpets, window after window was lighted up in the house within; and before the company, broken with laughter and the buffeting of the wind, had groped their way to the house again, they saw that the great apish figure of Innocent Smith had clambered out of his own attic window, and roaring again and again, “Beacon House!” whirled round his head a huge log or trunk from the wood fire below, of which the river of crimson flame and purple smoke drove out on the deafening air.

He was evident enough to have been seen from three counties; but when the wind died down, and the party, at the top of their evening’s merriment, looked again for Mary and for him, they were not to be found.

The End

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第449回

大声を響かせながら、マイケルが慌てふためいてロザムンドのところへと芝生を駆け寄ってきた。そして荒々しく彼女と二歩、三歩ステップを踏んだが、それはワルツとおぼしきものであった。だが、その頃にはイノセントのことも、マイケルのことも分かっていたので、その乱行ぶりも人々はごく自然に陽気にむかえいれた。それよりも驚いたのは、アーサー・イングルウッドがダイアナのところへ進みよって、まるで妹の誕生日にするようにキスをしたことだった。ピム博士ですら、ダンスをすることは思いとどまったけれど、心からの慈悲をうかべて見つめていた。一連の馬鹿馬鹿しいすっぱ抜きを見ても、彼は他の者達ほど動揺はしなかった。こうした無責任な裁判も、馬鹿げた審議も、旧大陸に残る中世風の無言劇の一部ではなかろうかと彼は考えていた。

Echoing the cry, Michael scampered across the lawn to Rosamund and wildly swung her into a few steps of what was supposed to be a waltz. But the company knew Innocent and Michael by this time, and their extravagances were gaily taken for granted; it was far more extraordinary that Arthur Inglewood walked straight up to Diana and kissed her as if it had been his sister’s birthday. Even Dr. Pym, though he refrained from dancing, looked on with real benevolence; for indeed the whole of the absurd revelation had disturbed him less than the others; he half supposed that such irresponsible tribunals and insane discussions were part of the mediaeval mummeries of the Old Land.

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ, 未分類 | コメントする

チェスタトン二部Ⅴ章第448回

「あなたは、ご自分のおばさまと同じ意見なのね」ロザムンドは微笑んで言った。「寝室に蛇を持ち込んではいけないと」

「おばさまと意見が同じなんて…ちっとも、そんなことないわ」メアリーは率直にいった。「でも、おばさまは正しかった。ハリーおじさまが蛇を集めることも認めたし、グリフィンを集めることも認めたのだから。そのあいだ、おじさまが家から出ていたせいでもあるけど」

その言葉と同時に、暗がりに沈んでいた家のなかの明かりがぱっと点き、庭へとつづくガラス扉二枚は金箔の門へと転じた。金の門扉は開け放たれた。すると見上げるようなスミスがあらわれた。何時間ものあいだ、不格好な銅像のように座っていたのだ。彼は飛んできて、荷馬車の車輪を芝生の上で転がして叫んだ。「証拠不備につき無罪!無罪!」

“You agree with your aunt,” said Rosamund, smiling: “no snakes in the bedroom.”

“I didn’t agree with my aunt very much,” replied Mary simply, “but I think she was right to let Uncle Harry collect dragons and griffins, so long as it got him out of the house.”

Almost at the same moment lights sprang up inside the darkened house, turning the two glass doors into the garden into gates of beaten gold. The golden gates were burst open, and the enormous Smith, who had sat like a clumsy statue for so many hours, came flying and turning cart-wheels down the lawn and shouting, “Acquitted! acquitted!”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

2018.11 隙間読書 泡坂妻夫「ヨギガンジーの妖術」

新潮文庫

新保博久氏の解説によれば、本書は長い間入手困難な本であったらしい。そんな本を気軽に読めることに感謝しつつ、ユーモアたっぷりの「ヨギガンジーの妖術」を楽しく読む。

気取ったひと、敷居の高い場所にいる人たちの嫌らしさについて、かすかに皮肉と笑いをこめて書いた作品を楽しんだ。

最初の「王たちの恵み」がいちばん気に入ったのは、そうした皮肉と笑いが効いているせいだろうか? それとも読みはじめで、まだ頭が働いていたせいなのだろうか?


「王たちの恵み」〈心霊術〉

高級ホテルで感じるいやらしさ、気取ったソブリンズクラブの実状もからませていて面白い。


「隼の贄」〈遠隔殺人術〉

ヨギガンジーに占われて晴ればれとした顔になる女性が結末とかぶさる。なんて素敵なヨギガンジー。


「心魂平の怪光」〈念力術〉


泡坂妻夫はイヤな存在とほのぼのさせる存在を組み合わせて作品にするのだなあ。この作品のイヤな存在はニュースキャスター、ほのぼのさせてくれるのは職人さん。しかし、あんなものに、そんな使い方があるとは…とゾッとくる作品。


「ヨギガンジーの予言」〈予言術〉

まるで手品のようなトリック。この作品のイヤな存在は国際線スチュワーデス。


「帰りた銀杏」〈枯木術〉

タイトルがよい、銀杏の木から女の声が…という設定もよい。ただ一番最後の不動丸の言葉はよく分からなかった。


「釈迦と悪魔」〈読心術〉

地方まわりの劇団の若手役者、霧丸の奇妙な行動の理由とは…。その理由も意外、霧丸の美貌も伝わってくるような描写も楽しい。


「蘭と幽霊」〈分身術〉

最後に美保子も加わって三人組となって、ヨギガンジーの変度がパワーアップしている。しかも対象は蘭…という他愛なさで終わっているところがいい。

2018.11.19読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第447回

「雲も、木もゆれているわ」ロザムンドは言った。「嵐がくるわよ。なんだか、わくわくする。マイケルときたら、ほんとうに嵐そのものよ。彼のせいで怖くもなるし、幸せにもなるから」 

「怖がらないで」メアリーは言った。「たしかに、あの人たちにはひとつ長所があるわ。外に出て行く人たちだということなの」 

突風が木々を吹き抜け、小道に枯れ葉を吹きよせた。そしてはるか彼方の木立から、ざわざわという音がかすかに聞こえてきた。 

「つまり、こういうことなの」メアリーは言った。「外を眺めては、世界に興味をもつ人たちなのよ。だから、議論していようと、自転車をこいでいようと、哀れなるイノセントがしたように世界の果てを壊しても、まったく問題ないわ。しがみつくのよ、窓の外を眺めて、世界を理解しようとする男に。でも避けて、窓から中をのぞきこんで、あなたを知ろうとする男は。哀れなるアダムが畑仕事に出かけたら、(アーサーも、やがて畑仕事に出かけるでしょうけど)他の者がやってきて、のろのろ近づいてきたというわけ。なんてずるいのかしら」 

“The clouds and trees are all waving about,” said Rosamund. “There is a storm coming, and it makes me feel quite excited, somehow. Michael is really rather like a storm: he frightens me and makes me happy.”

“Don’t you be frightened,” said Mary. “All over, these men have one advantage; they are the sort that go out.”

A sudden thrust of wind through the trees drifted the dying leaves along the path, and they could hear the far-off trees roaring faintly.

“I mean,” said Mary, “they are the kind that look outwards and get interested in the world. It doesn’t matter a bit whether it’s arguing, or bicycling, or breaking down the ends of the earth as poor old Innocent does. Stick to the man who looks out of the window and tries to understand the world. Keep clear of the man who looks in at the window and tries to understand you. When poor old Adam had gone out gardening (Arthur will go out gardening), the other sort came along and wormed himself in, nasty old snake.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

2018.11 隙間読書 泉鏡花「薄紅梅」

「鏡花を読んでみたくて、読むたびに挫折する。でも今でも鏡花を読んでみたい」という声を聞くと、やはり考えてしまう。なぜ鏡花に挫折するのか…と。そして、それでもなぜ鏡花が読みたくなるのか…と。

 


 ◆なぜ鏡花に挫折してしまうのか その一

 

何といっても知らない日本語が多い。この「薄紅梅」を読むのも広辞苑では役に立たず、日本国語大辞典をひきまくった。ジャパンナレッジの会員だからタブレットで楽にひけるが、何巻もの紙の日本国語大辞典しか使えなければ、手が筋肉痛になってしまいそうである。

たとえば最後に引用している「薄紅梅 四」で大切な役割を果たしている「釣忍」である。これは広辞苑にも、日本国語大辞典にも意味がのっている。日本国語大辞典では、こう説明している。

忍草(しのぶくさ)を集めてその根をたばね、いろいろの形につくり、軒先などにつるして涼感をそえるもの。

まだまだイメージが浮かんでこない。

さらに画像を探せば、見慣れたものが出てくる。なんだ、これを釣忍と言うのか! 鏡花の時代には当たり前に使われていた日本語が急速に失われている昨今、なかなか情景を思い浮かべることは難しい。

釣忍



◆なぜ鏡花に挫折してしまうのか その二 「夢かうつつか」の世界

 

「薄紅梅」にでてくる言葉「夢かうつつか」のとおり、鏡花の作品は「うつつ」の途中で「夢」になり、また「うつつ」へと…と行ったり来たりである。理詰めで考えがちな現代人にすれば、「夢かうつつ」の世界のなかで道を失って途方にくれて挫折してしまう。

 


◆なぜ鏡花に挫折してしまうのか その三「尾花を透かして、蜻蛉の目で」視点

「薄紅梅」に何回か繰り返される印象的な歌部分を抜き出してみた。

 ここから、南瓜の葉がくれにじっのぞくと、霧が濃くなり露のしたたる、水々とした濡色の島田まげに、平打ひらうちがキラリとした。中洲のお京さん、一雪である。

糸七は、ひきと踞み、
南瓜の葉がくれ、
尾花を透かして、
蜻蛉の目で。

南瓜の葉の陰から覗く景色は、何とも美しいことだろう。

芒の穂のあいまに隙間をつくって蜻蛉のような複眼でみる景色は、空間軸がねじれ、不思議な眺めだろう。

鏡花が書いたのはそうした世界。蜻蛉の複眼をもたない身の哀しさよ、私たちが挫折するのも無理もない。

 


◆でも挫折の原因は鏡花の魅力だったりもする

いにしえの言葉「百蓮華」とか「未開紅」は、辞書をひかなければ意味も分からないけれど、その言葉の美しさにまず惹かれる。鏡花作品は、意味はよく分からないけれど美しい言葉を散りばめた万華鏡。

「夢かうつつか」も、「蜻蛉の目」も理詰めで筋を考えていけば迷子になる。でも心にひろがる不思議な光景にひたれば、それは心地よいものではなかろうか?

 


◆「うつつ」から「夢」へ、また「うつつ」への跳躍、不思議な赤蜻蛉視点が入り混じる魅力を「薄紅梅」お気に入りの箇所「三」で考えてみた!

古本屋の女房の昼下がりを描いた「うつつ」の文(青字)が、赤蜻蛉の飛行を描写する赤蜻蛉視点の文(赤字)のあと一転して、釣忍を人に見立て、古本屋の女房と戯れるエロチックな夢の場面へと変わる(ピンク字)。「――こういう時は、南京豆ほどの魔がおどるものと見える。――」と鏡花の声が響き、また「うつつ」へと変わる。

一つの章のなかに、これだけ「夢」「うつつ」「赤蜻蛉の視点」が入り混じる。そして、この綱渡りが作品全体にひろがっていくのである。鏡花作品に挫折するのも無理はない。同時にこの不思議な世界に憧れるのも無理はない。

 


泉鏡花「薄紅梅 三」より

遅い午餉ひるだったから、もう二時下り。亭主の出たあと、女房はぜんの上で温茶ぬるちゃを含んで、干ものの残りに皿をかぶせ、余った煮豆にふたをして、あと片附は晩飯ばんと一所。で、拭布ふきんを掛けたなり台所へ突出すと、押入続きに腰窓が低い、上の棚に立掛けた小さな姿見で、顔を映して、襟を、もう一息掻合わせ、ちょっと縮れて癖はあるが、髪結かみゆいも世辞ばかりでない、似合った丸髷まるまげで、さて店へ出た段取だったが……
 ――遠くの橋を牛車うしぐるまでも通るように、かたんかたんと、三崎座の昼芝居の、つけを打つのが合間に聞え、はやしの音がシャラシャラと路地裏の大溝おおどぶへ響く。……
 裏長屋のかみさんが、三河島の菜漬を目笊めざるで買いに出るにはまだ早い。そういえば裁縫おはりの師匠の内の小女こおんなが、たったいま一軒隣の芋屋から前垂まえだれで盆を包んで、裏へ入ったきり、日和のおもてに人通りがほとんどない。
 真向うは空地だし、町中は原のなごりをそのまま、窪地のあちこちには、草生くさはえがむらむらと、尾花は見えぬが、猫じゃらしが、小糠虫こぬかむしを、穂でじゃれて、逃水ならぬ日脚ひあしながれが暖くよどんでいる。
例の写真館と隣合う、向うななめの小料理屋の小座敷の庭が、破れた生垣を透いて、うら枯れた朝顔の鉢が五つ六つ、中には転ったのもあって、葉がもう黒く、鶏頭ばかり根の土にまで日当りの色を染めた空を、スッスッと赤蜻蛉あかとんぼが飛んでいる。軒前のきさきに、不精たらしい釣荵つりしのぶがまだかかって、露も玉も干乾ひからびて、蛙の干物のようなのが、化けて歌でも詠みはしないか、赤い短冊がついていて、しばしば雨風をくらったと見え、摺切すりきれ加減に、小さくなったのが、フトこっち向に、舌を出した形に見える。……ふざけて、とぼけて、その癖何だか小憎らしい。
 立寄る客なく、通りも途絶えた所在なさに、何心なく、じっと見た若い女房が、遠く向うから、その舌で、頬を触るように思われたので、むずむずして、顔を振ると、短冊が軽く揺れる。あごで突きやると、向うへ動き、襟を引くと、ふわふわと襟へついて来る。……
「……まあ……」
 二三度やって見ると、どうも、顔の動くとおりに動く。
 頬のあたりがうそがゆい……女房はくすぐったくなったのである。
 袖で頬をこすって、
「いやね。」
 ツイと横を向きながら、おかしく、流盻ながしめそっくと、今度は、短冊の方からあごでしゃくる。顎ではない、舌である。細く長いその舌である。
 いかに、短冊としては、詩歌に俳句に、繍口錦心しゅうこうきんしんの節を持すべきが、かくて、品性を堕落し、威容を失墜したのである。
 が、じれったそうな女房は、上気した顔を向け直して、あれしょうの、少し乾いた唇でなぶるうち――どうせ亭主にうしろ向きに、今もまげめられた時に出した舌だ――すぼめ口に吸って、濡々とくちした。
――こういう時は、南京豆ほどの魔がおどるものと見える。――
パッと消えるようであった、日の光に濃く白かった写真館の二階の硝子窓がらすまどを開けて、青黒い顔の長い男が、中折帽をかぶったまま、戸外おもてへ口をあけて、ぺろりと唇をめたのとほとんど同時であったから、窓と、店とで思わず舌の合った形になる。
 女房は真うつむけに突伏つッぷした、と思うと、ついと立って、茶の間へげた。着崩れがしたと見え、つまよじれて足くびが白く出た。

 


「夢」「うつつ」「赤蜻蛉視点」がいりまじる「薄紅梅」、私には難しい作品ではあるけれど、どこが「夢」で、どこが「うつつ」なのか少しずつ考えて楽しんでいきたい。

2018.11.16読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

2018.11 隙間読書 「皆川博子の辺境薔薇館」

河出書房新社

皆川博子完全読本の帯コピーにふさわしい本。頁をめくるたびに読みたい本、心に残る言葉、そしてそれぞれの皆川博子愛に出会う。


短編「風」「砂嵐」「お七」「廃兵院の青い薔薇」「ひき潮」「美しき五月に」「水引草」を読み、家にあった文学全集に読むふける姿とそんな本好きの乙女の心に影を深くおとした戦争をしみじみ思う。


石井千湖氏によるロングインタビュー「皆川博子をつくったもの」

読書以外に耽溺していることはありますか?という問いにきっぱり一言「ありません」という答えがいいなあ。

「敗戦で世間の倫理道徳観が百八十度転換したことは、私にとって大きかった」との答えも心に残る。


皆川博子随筆「時代の歌」「楽屋の鏡」「無人島へ持っていく本『江戸語辞典』」「絵と私」「暗号の旅」「酩酊船」「幻想作家についての覚え書き」

無人島へ持って行きたい本として三好一光という人が、戯作、歌舞伎台本、川柳などから江戸俗語一万語を選んで五十音順に並べたという「江戸語事典」をあげているが、私も欲しい。そんな本をもって無人島へ行けたら素敵だと思うことしきり。


様々な分野で活躍されている39人が語る皆川氏の魅力。

新保氏が語る皆川博子の逸話は、泡坂妻夫の「11枚のトランプ」を買って家で読むのが待ちきれず、飛び込んだ喫茶店で、ページごとに切り開かないといけないフランス装のページをティースプーンで切り開いて読んだというもの。

東雅夫氏が語る思い出は、幻想文学編集室に皆川博子から送られてきた書籍に米倉斉加年デザインの便箋に淡いモーブのインクで書いた手紙が添えられていたというもの。

ティースプーンで本の頁を切り開く姿も、モーブのインクで手紙を記す姿も、同じ皆川博子なのだなあと興味深く読む。


東雅夫氏による「皆川博子を読み解くキーワード20」

20のキーワードにわけての東氏の解説に、こんな作品もあるのか、こんな読み方もできるのかと参考になる。とくに興味深いのが「詩歌」の項目。ここで紹介されている「蝶」「聖女の島」「ゆめこ縮緬」を読んでみたい。

それから「人形」のキーワードも気になる。「春指人形」「吉様いのち」「顔師・連太郎と五つの謎」「朱模様」「そこは、わたしの人形の」も読んでみたい。


最後に掲載されている日下三蔵氏の皆川博子作品リストは、タイトル・ジャンル / 短編連作集の収録作 / 発行年月日 / 出版社 / シリーズ・叢書名 / 判型 / カバー・帯の有無 / 解説者 / 注記 まで網羅している大変有難い労作である。このリストや様々な方のご意見を参考に皆川作品を読んでいたきたい。

2018/11/11読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第446回

「強い風が吹いてきたわ」ロザムンドがふと言った。「むこうの木を見て。ずっとむこうの木よ。雲も飛んでいくように流れている」

「何を考えているのか察しがつくけど」マリーは言った。「愚かな馬鹿者にはならないでほしいの。女作家に耳をかたむけてはだめよ。王の道を進んでいきなさい。絶対的真理をもとめて。そう、絶対的真理をもとめるのよ。たしかに私の愛するマイケルはしょっちゅうだらしない。アーサー・イングルウッドもさらにひどいし、だらしないでしょうよ。それにしても、あの木も、雲も何のためにあるのかしら?ねえ、ばかなお転婆娘さん」

「雲も、木もみんな揺れているわ」ロザムンドは言った。「嵐が来るわよ。でも嵐のせいで、どいうわけか、わくわくしてしまう。マイケルも嵐のようなものね。彼のせいで怖くなるんだけど、幸せも感じるのよ」

“There is a gale getting up,” said Rosamund suddenly. “Look at those trees over there, a long way off, and the clouds going quicker.”

“I know what you’re thinking about,” said Mary; “and don’t you be silly fools. Don’t you listen to the lady novelists. You go down the king’s highway; for God’s truth, it is God’s. Yes, my dear Michael will often be extremely untidy. Arthur Inglewood will be worse—he’ll be untidy. But what else are all the trees and clouds for, you silly kittens?”

“The clouds and trees are all waving about,” said Rosamund. “There is a storm coming, and it makes me feel quite excited, somehow. Michael is really rather like a storm: he frightens me and makes me happy.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第445回

「だけど、もし男のひとたちがそうしたものを欲しがれば」とダイアナは言いかけた。

「あら、男のひとたちについて話したところで何になるのかしら?」メアリーはいらいらとして叫んだ。「そんなことをするくらいなら、女性の小説家か、なにか怖ろしいものになったほうがましだわ。男のひとたちなんていないの。そんなものを欲しがる人たちなんていないのよ。ただひとりの男がいるだけなの。その男が誰であれ、変わっていることにちがいないわ」

「そういうことなら、為す術はないわね」ダイアナは声をひそめて言った。

「あら、そうかしら」メアリーは軽く受け流した。「二つだけ、みんなにあてはまることがあるの。妙なときに、私たちの世話をやいてくれるのだけど、自分たちの世話はやかないのよ」

“But if men want things like that,” began Diana.

“Oh, what’s the good of talking about men?” cried Mary impatiently; “why, one might as well be a lady novelist or some horrid thing. There aren’t any men. There are no such people. There’s a man; and whoever he is he’s quite different.”

“So there is no safety,” said Diana in a low voice.

“Oh, I don’t know,” answered Mary, lightly enough; “there’s only two things generally true of them. At certain curious times they’re just fit to take care of us, and they’re never fit to take care of themselves.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

2018.11 隙間読書 シャミッソー「影をなくした男」池内紀訳

この本は、幼い頃、今は亡き父に買ってもらった思い出のある本。子供向けにリライトしたもので、世界少年少女名作文学全集のなかの一冊だったように思う。幼心にも、影をくるくる巻き取る場面や影と再会する場面が面白く、記憶の底に残っていた。

今回、東雅夫氏の文豪ノ怪談精読講座で北原白秋「影」の関連で紹介されて何十年ぶりに読む。

東氏の北原白秋「影」の註によれば、白秋が「影」を執筆した当時、シャミッソーはまだ訳されていなかった。でもドイツ文学に傾倒していた友人の太田正雄(木下杢太郎)を介して、白秋が内容を知っていた可能性があるらしい。

さらに東氏は、太田が白秋たちと共に著した「五足の靴」のキイ・コンセプトである「旅する靴」は、シャミッソー「影をなくした男」の「一歩あるけば七里を行くという魔法の靴」に通じるものがるという指摘を興味深く読む。

池内氏の翻訳で読んでみて、改めて「影をなくした男」は、そういう話だったのかあと長い年月を経て納得する。同時に池内氏の訳文がシャミッソーの不思議な世界を自然に再現していることに驚く。あとがきで池内氏が記されている今までの「影をなくした男」を訳された翻訳者たちの思い出、それぞれの翻訳のすばらしさをしるした文も興味深い。

岩波文庫版で読んだが、本の中に多数はさまれたエミール・プレートリウスの挿絵も楽しく、「影をなくした男」の内容も楽しく童心にかえって読んだ。

「なぜ影をなくして、これほどいたたまれない思いをしたのか?」という疑問もあったが、池内氏の解説にシャミッソーが生きた時代は影絵が大流行した影の時代という解説に納得する。シャミッソーもフランス革命でフランスからドイツへと逃れた貴族の子供であり、ドイツで暮らしてはフランスへ戻り…と根無し草のような生活だったらしい。

シャミッソーが最初考えたのはパロディであり、冒険譚だったかもしれないが、池内氏の言葉によれば「なにげなく書きだしたたわいのない物語が、いつしか作者をこえて当人が思ってもみなかった方向に成長していった」らしい。それだけの魅力をもつ影の力を感じつつ頁を閉じる。

2018.11.10読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする