隙間読書 上田秋成『菊花の約』再読

「菊花の約」

作者:上田秋成

昨日読んだばかりだけれど、どうも違和感が残るので再度読みかえした。

「信義」と言っているけrど、その信義の話がひびいてこない。なぜだろうと気になり再読。

『菊花の約』を信義と幽霊の話として考えると違和感があったけれど、「ボーイズラヴ」と「幽霊」の話と考えると、言葉のすみずみまで納得がいった。真のテーマの「ボーイズラヴ」と「幽霊」をカムフラージュするために信義をもってきたのではないだろうか。

まずタイトルの菊は、「ボーイズラヴ」を意味する江戸時代の隠語。


青々たる春の柳  家園に種うることなかれ  交は軽薄の人と結ぶことなかれ  楊柳茂りやすくとも  秋の初風の吹くに耐へめや `軽薄の人は交りやすくして亦速なり  楊柳いくたび春に染むれども 軽薄の人は絶えて訪ふ日なし


『菊花の約』冒頭箇所である。意味は分からないながら、リズムがいいので流して読んでいたが。のっけから柳を女性にたとえ、これからボーイズラブの話がはじまるよ…とふっているのではないだろうか。

柳が女性のたとえだとしたら、「家園に種うることなかれ」は「女性と妻帯するものではない」の意味では?

「軽薄の人」も女性全般をさしているのでは?

「楊柳茂りやすく」は妻帯すれば子孫は増えていくけれど、「秋の初風の吹くに耐へめや」は「人生が落ち目になりはじめたら女で耐えられるだろうか」の意では?

 


なみの人にはあらじを  病深きと見えて面は黄に  肌黒く痩せ  古き衾のうへに悶へ臥す  人なつかしげに左門を見て 湯ひとつ恵み給へといふ  左門ちかくよりて  士憂へ給ふことなかれ  必ず救ひまゐらすべしとて  あるじと計りて薬をえらみ  自ら方を案じ  みづから煮てあたへつも  猶粥をすすめて  病を看ること兄弟のごとく  まことに捨てがたきありさまなり



病に伏せる赤穴を看病する左門。「兄弟のごとく」と言うよりも、薬を煎じたり、粥をこそらえたりと、このかいがいしさは一目ぼれをしたヒロインのように細やかさにあふれている。


かの武士左門が愛憐の厚きに涙を流して  かくまで漂客を恵み給ふ  死すとも御心に報いたてまつらんといふ  左門諫めて  ちからなき事をな聞え給ひそ


献身的な介護に感動する赤穴、その弱気を叱る左門、なんだか少女漫画の世界のようでもある。


母なる者常に我孤独を憂ふ


左門と赤穴を見守る母の胸中はいかなるものかと思うけれど、本の虫でひとりぼっちの左門を案じていた母が喜んでいる様子が伝わってくる。


左門いふ  さあらば兄長いつの時にか帰り給ふべき

赤穴いふ  月日は逝きやすし おそくとも此秋は過さじ

左門いふ `秋はいつの日を定めて待つべきや  ねがふは約し給へ

赤穴いふ  重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし

左門いふ  兄長必ず此日をあやまり給ふな  一枝の菊花に薄き酒を備へて待ちたてまつらんと


故郷に一時戻る赤穴に、うるさいくらい「いつ帰る?」と尋ねる左門のやりとり。これが男女であれば、さぞうっとうしいだろうと思うが、ボーイズラヴのふたりには、あくまで義兄弟の体裁をとりつくろっているせいか、そうした煩さは感じられない。


九日はいつよりも蚤く起き出でて  草の屋の席をはらひ  黄菊白菊二枝三枝小瓶に挿し 嚢をかたぶけて酒飯の設をす


帰るという約束のあった九日、いそいそと出迎えの用意をする左門。花を飾って料理をこしらえ、弟というよりも新妻のようではないだろうか。


踊りあがる心地して  小弟蚤くより待ちて今にいたりぬる  盟たがはで来り給ふことのうれしさよ


待ちに待った赤穴が帰ってきたときの左門の喜び。兄をむかえる喜びと言うよりも、やはり愛するひとの帰宅を待つ者の喜びである。


俯向につまづき倒れたるままに  声を放ちて大に哭く


兄をなくしたときのあられもない嘆きっぷり。やはり愛する恋人の死を知った嘆きである。


「信義」の話をしているようでいて、実はボーイズラヴと幽霊の話をしている上田秋成。頑張って古典に挑戦して上田秋成の作品を読んでみよう。

読了日:2017年9月13日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第226回

私が思いますに、このとき、尋常ではない妨げがはいったのです。力強くて、見上げるような大男が、その体に漆喰を少しつけながら、ホール中央に立ち、大きな、牡牛のように轟く声で報告をしました。それは外国の言葉のように思えるものでした。私の同僚であるレイモンド・パーシィ師は、話の程度を頓智比べにまで下げましたので、勝利をおさめたように思えました。その集まりは、最初のうちは、丁寧な物腰で進んでおりました。しかしながら私が十二の文を言い終わらぬうちに、演台の方にむかって突進してくる者たちがいました。とりわけ大男の漆喰屋は、我々の方につっこみ、大地を象のように揺らしました。その男と同じくらいに大きいけれど、それほど風体がみすぼらしくない男が飛び上がって、その男を追いやらなければ、どうなっていったか分かりません。この大男は、群衆にむかって演説のようなことを叫びながら、こちらに戻ってきました。その男が話した内容は知りません。でも叫びながら、行ったり来たりして、ばか騒ぎをするうちに、私たちを扉の外へと連れ出しました。いっぽう、惨めな人々は別の廊下を駆けていきました。

 

It was, I think, about this time that an extraordinary interruption occurred. An enormous, powerful man, partly concealed with white plaster, arose in the middle of the hall, and offered (in a loud, roaring voice, like a bull’s) some observations which seemed to be in a foreign language. Mr. Raymond Percy, my colleague, descended to his level by entering into a duel of repartee, in which he appeared to be the victor. The meeting began to behave more respectfully for a little; yet before I had said twelve sentences more the rush was made for the platform. The enormous plasterer, in particular, plunged towards us, shaking the earth like an elephant; and I really do not know what would have happened if a man equally large, but not quite so ill-dressed, had not jumped up also and held him away. This other big man shouted a sort of speech to the mob as he was shoving them back. I don’t know what he said, but, what with shouting and shoving and such horseplay, he got us out at a back door, while the wretched people went roaring down another passage.

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隙間読書 上田秋成『菊花の約』

『菊花の約』

 

作者:上田秋成

初出:1776年(安永5年)

 

いつも慌ただしく、季節感のない日々だから、9月9日、重陽の佳節なんて思い出すはずもない。でも明日、担任をしているクラスの国語が自習になるという。自習課題をうけとったら、雨月物語「浅茅の宿」のプリントだった。そこで季節も近いし、『菊花の約』を読もうという気に。

読んでいくと、登場人物のいじましいまでの律儀さ、自然の風物の可憐さが何ともよく似合っている。

「あら玉の月日はやく経ゆきて、下枝(したえ)の茱萸(ぐみ)色づき、垣根の野ら菊艶(にほ)ひやかに、九月(ながつき)にもなりぬ。九日はいつもより蚤(はや)く起出て、草の屋の席(むしろ)をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶(こがめ)に挿し、嚢(ふくろ)をかたぶけて酒飯(しゅはん)の設(まうけ)をす。老母云う。かの八雲たつ国は山陰(ぎた)の果(はて)にありて、ここには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の来しを見ても物すとも遅からじ。左門云ふ。赤穴は信(まこと)ある武士(もののべ)なれば刈らず約(ちぎり)を誤らじ。其の人を見てあわただしからんは、思わんことの恥かしとて、美酒(よきさけ)を沽(か)ひ鮮魚(あらざけ)を宰(に)て廚(くりや)に備ふ。」

 

茱萸、野ら菊、黄菊、しら菊二枝三枝とつづく自然の草木の可憐さが、兄の帰りを信じて用意する左門の甲斐甲斐しいさ、いじましさとなんとも調和していて心うたれる文である。

 

「老母、左門をよびて、人の心は秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる信(まこと)だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき。入りて臥しもして、又翌(あす)の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして前(さき)に臥さしめ、もしやと戸の外に出でて見れば、銀河の影きえぎえに、氷輪(ひょうりん)我のみ照して淋しきに、軒(のき)守る犬の吼ゆる声すみわたり、浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり。月の光も山の際(は)に陰(くら)くなれば、今はとて戸を閉(た)てて入らんとするに、ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。」

 

兄の帰宅を待ちわびて外に出た左門の目にうつる景色が語られる。「銀河の影きえぎえ」「氷輪」「犬の吼ゆる声」「浦浪の音」…これは此の世ではなく、幽冥界の風景なのではないだろうか。

此の世のものとは思えないような景色のなかに、幽霊となった兄がようやく帰宅するくだりもいかにも幽霊らしい。「ただ看る、おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随(まにまに)来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり」

 

物騒な騒ぎの多い此の世に比べれば、幽冥界のほうが心にやさしい場所に思えてくるのだが。怖さを求めるから怪談ではなく、やさしい場所、癒やしの場所をもとめるからの怪談読書のように思う。

 

読了日:2017年9月12日

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隙間読書 坂口安吾「不連続殺人事件」

「不連続殺人事件」

 

作者:坂口安吾

初出:昭和22年(1947年)から昭和23年(1948年)

青空文庫

 

探偵巨勢博士について、安吾はこう語る。この言葉に安吾がつくりたかったミステリーの世界があるように思う。

 

奴の観察の確実さ、人間心理のニュアンスを
繊細に突きとめ嗅ぎ分けること、
恐ろしい時がある。
彼にかかると、犯罪をめぐる人間心理が
ハッキリまぎれもない姿をとって
描きだされてしまう。
すべてがハッキリ割切られて、計算されて、答がでてくるのだが、
それがどういう算式によるのか、変幻自在、
奴の用いる公式が我々には呑みこめない。

 

でも僅か数日のあいだに29人くらいの人物がでてくる「不連続殺人事件」、登場人物は安吾のまわりにいたと思われる文学者仲間、くせの強そうな女性、田舎のひとたち…と読む側にすれば人間心理を思い描くのが難しいひとたちばかり。

「高木家の惨劇」について「この小説はピンからキリまで人間性をゆがめ放題にゆがめている」と非難した安吾だから、登場人物の人間性は筋をとおして書いたのだろうと思いつつ再読用に登場人物一覧をメモ。安吾が登場人物をどう語っているのかメモした。

メモを見返したら発見、「安吾は筋をとおして書いていた!」。

ただ犯罪をおかした心理を説明しようとしたら、安吾も言葉が多くなり過ぎたのだろうか? 安吾がとおそうとした筋は、犯人が分かりやすくなるという欠点につながっているかも…という気もする。

 

【歌川多門】

酒造家。好色家。一馬の父。

 

【歌川一馬】

年齢四十、立派な文学者で詩人

 

一馬は別人のようだった。色々抑えていたものが、時代の変転、彼に発散の糸口を与えたものか、オレだって女房(秋子)を寝とられているんだ、何かそんな居直り方のアンバイで、全くもう女に亭主のあることなど眼中にない執拗さ、ひたむき、(あやかに)食い下った

 

【私(矢代)】

 

【巨勢博士】

 

【坪田平吉と内儀テルヨ】

平吉は歌川家の料理番。テルヨは多門のお手つき女中。

 

【持月王仁】

持月王仁という奴は、粗暴、傲慢無礼、鼻持ちならぬ奴。

 

【丹後弓彦】

丹後弓彦の奴がうわべはイビリス型の紳士みたいに丁重で取り澄ましているけれど、こいつが又傲慢、ウヌボレだけで出来上がったような奴で、陰険なヒネクレ者。

 

【内海明】

内海明だけは気持のスッキリしたところがあるけれども、例のセムシで姿が醜怪

 

【土居光一】

画家。あやかと同棲していたが、見受け金を一馬から「あやか」の見受け金15万円をもらう。

 

なアに、あの女はオレでなきゃアだめなんだよ。俺の肉体でなきゃね。オレの肉体は君、ヨーロッパの娼婦でも卒倒するぐらい喜ぶんだからな。

 

【宇津木秋子】

秋子は本能の人形みたいな女で、抑制などのできなくなる痴呆的なところがあるから

女流作家宇津木秋子は今はフランス文学者の三宅木兵衛と一緒にいるが、もとは一馬の奥さんだった

 

宇津木さんは、淑徳も高く、又、愛慾もいと深き、まことに愛すべく尊敬すべき御婦人でしたよ。あのような多情多恨なる麗人を殺すとは、まことに憎むべき犯人だ

 

【三宅木兵衛(秋子の夫)】

フランス文学者

木兵衛という奴、理知聡明、学者然、乙にすまして、くだらぬ女に惚れてひきずり廻されて、唯々諾々

 

【明石胡蝶】

明石胡蝶は劇作家人見小六の奥さんで、女優だ。満身色気、情慾をそそる肉感に充ちている。胡蝶さんは王仁のような粗暴な野生派が嫌いで、理智派の弱々しい男が好き

 

【人見小六】

人見小六などはネチネチ執拗で煮えきらなくて小心臆病、根は親切で人なつこいタチなのだが、つきあいにくい男だ。

 

【あやか(一馬の妻)】

詩はあやかさんには附焼刃で、実際は詩などに縁もゆかりもない人だ。だから女学校を卒業すると、もう一馬を訪れはしなかった

 

あやかさんは土居光一という画家と同棲していた…彼(土居光一)はただ実に巧みな商人で、時代の嗜好に合わせて色をぬたくり、それらしい物をでっちあげる名人だ。

 

あやかさんは美しい。飛び切りという感じがある。あやかとはうまい名をつけたもので、遊び好きで、くったくがない。しかしシツコイことが嫌いなようで、一馬の執念深さ、柄に合わない居直り方にシカメッ面を見せる気配も見受けられたが、こういう人を天来の娼婦型とでもいうのか、つまり貧乏が何より厭なのだ

 

あやかさんという人は一人の男ぐらい屁とも思っていないので、世界中の男が、つまり自分のよりどり随意の品物に見えるというような楽天家じゃないかと私は思う

 

あやかさんは衣の下から身体の光りが輝いたという衣通姫の一類で、全身の輝くような美しさ、水々しさ、そのくせこんなに美しく色っぽく見える人は御当人は案外情慾的なことには無関心、冷淡、興味がすくないのか、浮気なところは少い。ただ上京のたびに豪奢きわまる買物をして、大喜び、お気に入りの衣装や靴ができてくると、喜び極まり第一夜はその衣装をつけ靴をはいてしまうというテイタラク、まったく定跡のない人物なのである。

 

万事につけてもひどく愛くるしいから、クレオパトラのようなツンとした女王性は微塵もないけれども、わがままであり、人の心をシンシャクしない。女房の義務など考えていないから、亭主へのサービスなどは思ったこともなく、したがって、亭主が何をしても平気の平左という様

 

【京子】

私の女房の京子は、一馬の親父の歌川多門の妾であった

 

【一馬の母】

うちの母(お梶)は二度目の母で、僕の母が死んだ後お嫁にきて、だから年も僕と三つしか違わない、去年八月九日に四十二で死んだのだ。然し僕がこの母を殺す何の理由があるだろう。この母は元々ゼンソク持ちだった。心臓ゼンソクという奴

 

【海老塚】

医者の当人が学究肌だから、それが非常に不服

 

ビッコで、そういう不具のヒガミからきたような偏屈なところがあって、お喋り嫌いの人づきの悪い男

 

【諸井】

諸井という看護婦、あれのことだ。変に色ッポイ女だからな

 

【南雲一松】

疎開の南雲一松という老人がここへ来てから中風で寝ついている

 

【お由良婆さま】

一松の妻女はお由良婆さまとよばれ、歌川多門の実の妹だ。この人も半病人で、生来の虚弱からヒステリーの気味で、お梶さんとは特別折合いが悪い

 

【千草(お由良婆さまの末娘)】

珠緒さんは美人だが千草さんは以ての外の不美人で、目がヤブニラミでソバカスだらけ、豚のように肥っている。肥っているのに神経質で意地悪でひねくれており、ヒガミが強いから、奔放な珠緒さんの意味のないことまで悪意にとって恨んでいるから、珠緒さんは腹に物をためておけないタチでガラガラピシャピシャやっつける。

 

【お梶さま】

お梶さまは和歌など物して短歌雑誌の投稿している人だから、オットリ奥さま然としているけれども、病的に潔癖な神経があって、嫌いだすと百倍嫌いになるようだった。

 

(危篤のとき)南雲一家の者はあっちへ行ってくれという意味のことを言った

 

【加代子さん】

加代子さん。これが大いに問題の人だ。この人の母親は死んでいる。お祖父さん、お祖母さんは歌川家の飼い殺しの下男と女中頭で、喜作爺さん、お伝婆さん、どちらも人の好い、いつもニコニコ、大へん感じのよい召使いだ。

加代子さんは言うまでもなくこの二人の老人の孫だけれども、実は多門の落しダネで、女中の母親が身ごもり生み落した娘だ…この娘がまことに美しい。清楚、純潔、透きとおるように冴え澄んだ美しさだ。 けれども十七の年から肺病で、女学校の四年の時、寄宿舎で発病して一時入院したが、退院後は女中部屋の一室で、寝たり起きたり、たいがい読書をしている。

母親の女中さんはお梶さまが来てから首をくくって死んだとか、

 

【神山東洋と木曽乃】

神山夫妻は戦争中、ちょッとばかり山へ顔を見せたことがあるが、弁護士で、八九年前まで歌川多門の秘書をやっていた男だ。木曾乃は元は新橋の芸者で、落籍されて多門の妾であったが、東洋と密通し、そのころから秘書をやめたが、時々訪ねてくるのだそうだ。弁護士という頭脳的な商売どころか暴力団のような見るからガッシリ腕ッ節の強そうな大男で、歌川家ではみんなに毛嫌いされて出てゆけがしに扱われ、どっちを向いても、女中にまで渋い顔を見せつけられ、誰に話しかけても、誰も返事もしないのである。

 

【南川友一朗巡査】

この南川友一郎巡査は探偵小説は愛読しているがほんものの事件にめぐり合ったのが始めてだから、全身緊張そのものにハリキッて

 

【荒広介(八丁鼻)】

刑事仲間で「八丁鼻」といえば一目おかれている敏腕家であった。

 

【長畑千冬(読ミスギ)】

ドイツ語などを齧っておって、医学の心得などがあるが、探偵のこととなると決して敏腕とは申されない。単純な犯罪を複雑怪奇に考えすぎ、途方もなく難しく解釈して一人で打ちこんでしまうから「読ミスギ」という綽名をとった。

 

【飯塚文子 アタピン】

本署の名物婦人探偵ですよ。田舎の警察じゃ役不足の掘りだしもので、飯塚文子と申しますがね。ちょッと小生意気な美人で色ッぽくて、なんですな、ちょッと、からかいたくなりますぜ

 

【富岡八重】

昨夜カイホーしたという女中、富岡八重という二十六の丸ポチャのちょッと可愛いい田舎娘

 

【下枝(多門の妾)】

下枝さんは、あどけないリンカクの美しくととのった顔をあげて、私を見た。その目は利巧で、よく澄んで、静かで、正しく美しいものだけをいつも見つめ

読了日:2017年9月10日

 

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第255回

少しだけ驚いて、マイケルは立ち上がると、もったいぶってお辞儀をしてから、再び腰をおろした。

「こうした人々は、パーシィ師の説教のあいだ、沈黙していないにしても、承認の拍手くらいはしました。師は話の程度を相手にあわせて引き下げ、機知に富んだ警告を用いながら、土地の賃貸料のことやら労働をしないですますことについて話しをされました。私有財産の没収や土地の収用、調停など私の唇を汚さないではいられないような会話が延々くりひろげられたのです。数時間後に嵐がおきました。私は、その集まりでしばらく説教をして、労働者階級には倹約精神が欠け、晩の礼拝への参加する者があまりいないこと、感謝祭も無視する者がいること、その他にもたくさん人々を物質面で助け、改善の手をさしのべるようなことについて話をしました。

 

With a slight start, Michael rose to his feet, bowed solemnly, and sat down again.

“These persons, if not silent, were at least applausive during the speech of Mr. Percy. He descended to their level with witticisms about rent and a reserve of labour. Confiscation, expropriation, arbitration, and such words with which I cannot soil my lips, recurred constantly. Some hours afterward the storm broke. I had been addressing the meeting for some time, pointing out the lack of thrift in the working classes, their insufficient attendance at evening service, their neglect of the Harvest Festival, and of many other things that might materially help them to improve their lot.

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隙間読書 泉鏡花『外科室』

『外科室』

著者:泉鏡花

初出:189年(明治28年)

青空文庫

むやみに長く、やたら分かりやすく、親切な本があふれている昨今、泉鏡花『外科室』は言葉をそぎおとし、描かれていない部分も想像させる楽しみにあふれた作品だと思う。

ありえない話なのに、のめりこむように読ませる泉鏡花の魔法!それはどこに?

小石川植物園ですれ違った医学生、高峰と後に貴船伯爵夫人となる女性は、一瞬の出会いで恋におちる。ただし二人が過ごしたのは小石川植物園ですれ違ったほんの一瞬だけ。

二人が再会するのは九年後、高峰は外科医となり、女は貴船伯爵夫人であり一児の母。しかも場所は病院の外科室、高峰が執刀医、貴船伯爵夫人は手術台の上に横たわっていた。


「よろしい」 と一言答えたる医学士の声は、このとき少しく震いを帯びてぞ予が耳には達
したる。その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。

手術しようと近づいたら、手術台のうえにいたのは、ずっと恋しく思っていた女性だった。高峰の衝撃にこちらも息をのむ。



「私はね、心に一つ秘密がある。」

女は心の秘密をもらしてしまうからと麻酔を拒む…と文字どおりに解釈している人が多い言葉だが、私は違うと思う。

貴船伯爵夫人は、執刀医が高峰だとあらかじめ知っていた。このまま母として生きるより、愛する男の手で死にたいと思ったからこそ、麻酔を受けることを拒んだのではないだろうか。添い遂げることのできない愛なら、せめて愛する男の手にかかって死にたいという思いは次の貴船夫人の言葉からもひしひしと伝わってくる。

「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。
切ってもいい」

これは秘密をもらしたらどうしようと恐れる弱々しい心ではない。この機に愛する男と添い遂げようとする毅然とした意志の力を感じさせる言葉である。



「夫人、責任を負って手術します」
 ときに高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。
「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ。

貴船伯爵夫人の様子に、高峰も心中の覚悟を読みとったのかもしれないが…。このときの高峰の気持ちは今一つ分からない。想像できる方がいたら教えて頂きたい。


「いいえ、あなただから、あなただから」
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」

麻酔を断わったまま、高峰のメスを受けいれる貴船夫人の言葉が切ない。

でも、その思いに寄り添うような高峰の次の言葉「忘れません」に、夫人も、読者も手術の痛みを忘れてしまう。



「忘れません」 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。
伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、
ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。

「その声、その呼吸」というのは貴船夫人のことだろうか?こうして九年間の空白をこえ、二人は添い遂げ、そのまま貴船夫人は死ぬ。隣り合わせの愛と死をわずかこれだけで書いてしまう泉鏡花はすごい。

 


そのときの二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、
天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。

この文は、太夫さんの語りが似合いそうな文である。



かくて丘に上りて躑躅を見たり。躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ。

後半は、九年前の小石川植物園での回想場面になる。

貴船夫人とすれ違ったあとの思いの変化を語る高峰のこの言葉も、心情をよくあらわしている。



青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。
語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

最後のわずか二文で高峰博士の胸中とその最後がうかび、また世間の声も聞こえてくる。


とてもシンプルだけど限りなく奥が深い鏡花作品。言葉と言葉のあいだに広がる宇宙を見つめる楽しさがそこにはある。

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隙間読書 グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」

「月が昇るとき」

著者:グラディス・ミッチェル

初出:1945年

晶文社

読書会にむけて疑問をいろいろメモ。「月が昇るとき」読書会は日比谷図書館にて9月24日午後1時半より。

以下はネタバレあり。

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第254回

「頼むから、年老いたレディを起こさないでくれるか」ムーンはそう言うと、気まぐれな愛想のよさをみせながらも声をひそめた。「謝罪するよ。もう二度と邪魔をしないから」

妨げとなる言葉が小さな渦となって消え去らないうちに、人々は聖職者の手紙をふたたび読みはじめていた。

「その集まりは、私の同僚のスピーチではじまりましたが、そのスピーチについて何も言うつもりはありません。それは酷いものでした。聴衆の多くはアイルランド人でしたが、衝動的な人々の弱さを露呈しました。集団となって陰謀をたくらむ人々のなかに集められると、その愛すべき善良な性格も失い、他の者たちから区別すると言われているものを認める覚悟もなくしてしまうのです」

 

“Oh, don’t wake the old lady,” said Moon, lowering his voice in a moody good-humour. “I apologize. I won’t interrupt again.”

Before the little eddy of interruption was ended the reading of the clergyman’s letter was already continuing.

“The proceedings opened with a speech from my colleague, of which I will say nothing. It was deplorable. Many of the audience were Irish, and showed the weakness of that impetuous people. When gathered together into gangs and conspiracies they seem to lose altogether that lovable good-nature and readiness to accept anything one tells them which distinguishes them as individuals.”

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第253回

「そんなことを認めるなら」ムーンがどなりつけたのは、いらいらしていたからだ。「その牧師が気に入っている論理を認めるというなら、言わせてもらおうではないか。この苦痛のせいで、彼の知性について囁くだけの意欲が奪われなければだけれど。彼はひどく馬鹿な年寄りで、間抜けであると」

「なんと!」ピム博士は言った。「抗議しますぞ」

「静かにするんだ、マイケル」イングルウッドは言った。「自分たちの話なんだから、彼らには読む権利がある」

「議長!議長!議長!」グールドはさけぶと、熱狂的に転げまわった。ピムは、しばらく王座をみつめたが、そこではビーコン裁判所のすべての権威が守られていた。

 

“Adopting,” said Moon explosively, for he was getting restive—”adopting the reverend gentleman’s favourite figure of logic, may I say that while tortures would not tear from me a whisper about his intellect, he is a blasted old jackass.”

“Really!” said Dr. Pym; “I protest.”

“You must keep quiet, Michael,” said Inglewood; “they have a right to read their story.”

“Chair! Chair! Chair!” cried Gould, rolling about exuberantly in his own; and Pym glanced for a moment towards the canopy which covered all the authority of the Court of Beacon.

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第252回

しかし、政治的な問題や社会的な問題にふれるつもりは一切りませんが、ひとこと言わなければいけないことがあります。聖職者ともあろう者が、たとえ冗談にせよ、社会主義や過激主義のような、ふしだらなデマゴーグからなる信用を失墜させる偽の万能薬を許しているのです。これは聖なる信頼を裏切ることなのです。問題の同僚、レイモンド・パーシィー師にたいして失礼な言葉をまったく言うつもりはありません。彼のことを聡明だと思っています。なかには彼に惚れ惚れしている者もいますから。ですが聖職者でありながら社会主義者のように話し、髪の毛はピアニストのよう、さらに興奮しているかのように振る舞うのです。ですから出世はしないでしょうし、善い人からも、賢い人からも賞賛をうけることはないでしょう。ホールに集まる人々の外見について、私は個人的な感想をのべるつもりはありません。それでも部屋をひとまわり見てみれば、明らかなんですよ。腐敗した人々がいて、妬ましそうにしているのがー」

 

But, while I do not mean to touch at all upon political or social problems, I must say that for a clergyman to countenance, even in jest, such discredited nostrums of dissipated demagogues as Socialism or Radicalism partakes of the character of the betrayal of a sacred trust. Far be it from me to say a word against the Reverend Raymond Percy, the colleague in question. He was brilliant, I suppose, and to some apparently fascinating; but a clergyman who talks like a Socialist, wears his hair like a pianist, and behaves like an intoxicated person, will never rise in his profession, or even obtain the admiration of the good and wise. Nor is it for me to utter my personal judgements of the appearance of the people in the hall. Yet a glance round the room, revealing ranks of debased and envious faces—”

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