2018.02 隙間読書 リットン『幽霊屋敷』読み比べ

Edward Bulwer Lytton (1803~73)の”The haunted and the haunters”(1859年)を原文、『竜動鬼談 開卷驚奇』(ロンドンキタン カイカンキョウキ)井上勤訳 (1880年 明治13年)、『幽霊屋敷』平井呈一訳(1969年)を読み比べてみた。

リットンの英語は、今の英語とさほど変わらない。でも井上訳、平井訳、どちらも魅力的だけれど、井上が訳してから89年のあいだに、日本語も、翻訳の仕方も大きく変わったのだなあと改めて実感する。

井上の『竜動鬼談 開卷驚奇』というタイトルは、強く印象に残る題である。幽霊屋敷談にとどまらず、最後に不老不死の男がでてくる本作品にふさわしい…と思って井上訳を読んでみたら、なぜか井上訳は途中の幽霊屋敷のところで終わっている。

ラテン語で書かれた呪文の紙を焼き捨て、無事に主はその屋敷に住んだ…という箇所で井上訳は終わりをむかえる。そのあとに登場する不老不死の男は影もかたちもなく、主人公と不老不死の男とのやりとりは出てこない。

井上が短縮してまとめたのだろうか、それとも原作に二つのヴァージョンがあったのだろうか…真相は不明ながら、平井訳は現在読むことができる原本のままである。


Still there was a moon, faint and sickly but still a moon, and if the clouds permitted, after midnight it would be brighter.

淡月空ニ懸リテ其ノ影明カナラズ若シ涼風ノ浮雲ヲ拂ヒ去ルアラバ半月光欄トシテ鏡ノ如クナラント思ワルルノ景色ナリ(井上訳)

それでも月はおぼろながら出ており、雲さえ切れれば、更けてからいい月夜になりそうな気配であった。(平井訳)

もちろん平井訳は読みやすいし、雰囲気のある訳文である。でも原文の世界を大きく離れてしまった井上の訳文に、なぜか妖しい雰囲気を感じてときめいてしまう。


The neighbors deposed to have heard it shriek at night.

隣家ノモノノ云フ所二ヨレバ夜中彼(カ)ノ小児(コドモ)ハ恰モ縊殺(クビリコロ)サルガ如キ苦痛ノ聲ヲ發スルコト屡(シバシバ)アリタリトカヤ。(井上訳)

近所の人の証言によると、夜分など、よくヒーヒーいう泣き声が聞こえたそうである。(平井訳)

「縊り殺さる」という井上の訳語の強烈さ。原文にはそういう単語はないのだけれど、井上は単語と単語のあいだを読み、自分の言葉で作品の世界を想像しながら訳を作り上げていったのだろう。外国語にも漢詩にも通じた井上だから可能な訳文なのだと思う。


It seemed one winter night

又聞ク北風窓ヲ吹イテ寒威(カンイ)凛冽氷柱軒二垂テ水晶ヲ欺キ積雪枝ヲ圧シテ柳絮(リュウジョ)二似タリ實二數重(スチャク)ノ衾裏(キンリ)モ猶ホ鉄ノ如ク冷ヤカナルヲ覚ユル冬夜ノコトナルガ (井上訳)

なんでも冬の晩のことで(平井訳)

わずか数語の英文でも、井上はリットンの世界を想像して、これだけの言葉を紡ぎ出す。井上のように作品世界にのめり込んだ訳も読んでいてまた楽しい。翻訳文学初期だから可能だった訳なのかもしれないが、井上の訳で不老不死の男とのやりとりである後半部分を読んでみたかった…と思う。


(読了日 2018年2月4日)

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第283回

モーゼス・グールドは、他にないくらいにいい人間だよ。洗練された連中よりも、自分の家族にずっと親切だ。簡素で、しっかりしたところがある。とことん健康的なやつで、とことん偽りのない人柄だ。でも争いのあるところはどこでも、危機が生じて、どんな魂にも入り込む。どんな人だろうと、どんな人種だろうと関係ない。意識しないうちに、数百の顔のうちもっとも憎らしい顔を世界にむける。英国の崇敬者、アイルランドの神秘主義者、アメリカの理想主義者が見あげると、モーゼスは顔にある微笑みをうかべていた。それは皮肉な成功者の微笑みで、ロシアの村や中世の都市で頻発した残酷な暴動へ警鐘を鳴らすものであった。

「ああ、なんて聖なることか」モーゼス・グールドは言った。

 この言葉があまり受けとめられていないことに気がつくと、彼は黒く、豊かな表情をさらに豊かなものにした。

「いつだって楽しいよ。やつがハエをつかまえたのに、スズメバチをのみこむのを見るのは」彼は楽しそうに言った。「とにかく君はスミスを閉じ込めたんだ。もし、このひとの話がそのとおりならだけど。なぜかって? スミスは気性が激しいんだ。とても激しいやつなんだ。彼が馬車にのってミス・グレイと駆け落ちするところを見たじゃないか。それにしても、このスミス夫人のことを副牧師は何て言うのだろう?とても内気な性格がきつい性格に変わった女性なのだから。 ミス・グレイはあまりきつくなかったから、とても内気なひとになるって思っているのに」

 

Moses Gould was as good a fellow in his way as ever lived; far kinder to his family than more refined men of pleasure, simple and steadfast in his admiration, a thoroughly wholesome animal and a thoroughly genuine character. But wherever there is conflict, crises come in which any soul, personal or racial, unconsciously turns on the world the most hateful of its hundred faces. English reverence, Irish mysticism, American idealism, looked up and saw on the face of Moses a certain smile. It was that smile of the Cynic Triumphant, which has been the tocsin for many a cruel riot in Russian villages or mediaeval towns.

“Oh, ‘oly, ‘oly, ‘oly!” said Moses Gould.

Finding that this was not well received, he explained further, exuberance deepening on his dark exuberant features.

“Always fun to see a bloke swallow a wasp when ‘e’s corfin’ up a fly,” he said pleasantly. “Don’t you see you’ve bunged up old Smith anyhow. If this parson’s tale’s O.K.—why, Smith is ‘ot. ‘E’s pretty ‘ot. We find him elopin’ with Miss Gray (best respects!) in a cab. Well, what abart this Mrs. Smith the curate talks of, with her blarsted shyness—transmigogrified into a blighted sharpness? Miss Gray ain’t been very sharp, but I reckon she’ll be pretty shy.”

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2018.01 隙間読書 笹沢左保「招かれざる客」

「招かれざる客」

作者:笹沢左保

初出:1960年

近いようで少し遠い時代風景を感じながら読む。

ボイラー室に石炭庫のあるビルも、急傾斜のようやく上り下りができる非常階段も、この物語の鍵となる組合側の機密書類をスパイする行為も、ある時代が濃厚に描かれているように思う。ただ、その時代を知らない者にとっては、情景を思い浮かべるのが難しくもあるが…。

郵政省に勤務していた作者ならでは暗号文も楽しい。その他、密室のトリックも次から次に出てきて楽しい。

(註)(事件)(特別上申書)の三つの部分から構成されているが。(註)では事実を淡々と記し、(事件)では尋問でのやりとりが中心なので、最後の(特別上申書)で倉田警部補が事実を少しずつ推理していく意識の流れがよりあざやかに、「招かれざる客」という文を記した女性の悲しみが強く伝わってくる。

トリックも、文も楽しめる至福のミステリ。だが女性は…という見方が、お若い読者にどう感じられるのか、読書会での感想が楽しみである。

読了日:2018年1月28日

 

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第282回

「ああ、なんて神聖な!」モーゼス・グールド氏は言った。

彼が言ったそのとき、他の者たちは自分たちが服従と同意からなる信仰心のようなものにかられていることに気がついた。なにかが、ひとまとめに縛りつけていた。手紙の最後の二つのことば、「あなたの忠実なる」という聖なる伝統のような、なにかに。心揺さぶる、少年らしい当惑をいだきながら、イングルウッドはその手紙を読んだ。彼は、不可知論者のような、感じやすい畏敬の念をいだいていたからだ

 

“Oh, ‘oly, ‘oly, ‘oly!” said Mr. Moses Gould.

The instant he had spoken all the rest knew they had been in an almost religious state of submission and assent. Something had bound them together; something in the sacred tradition of the last two words of the letter; something also in the touching and boyish embarrassment with which Inglewood had read them— for he had all the thin-skinned reverence of the agnostic.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第281回

真の祝福ほど呪いをもたらすものはない。善意からくる親切は、悪意からくる意地悪のようなものという昔からの言葉のとおりである。親切というものは語るものではなく、心に思い浮かべるものである。天国の深みよりも深いところに行き、もっとも年老いた天使よりもさらに老いてから感じる。そのかすかな振動のなかにさえも、情熱が倍になり、永遠につづく暴力となることを。そして神がその情熱をもって世界を憎しみ、愛していることを感じる。かしこ、レイモンド・パーシー」

 

Nothing brings down more curses than a real benediction. For the goodness of good things, like the badness of bad things, is a prodigy past speech; it is to be pictured rather than spoken. We shall have gone deeper than the deeps of heaven and grown older than the oldest angels before we feel, even in its first faint vibrations, the everlasting violence of that double passion with which God hates and loves the world.—I am, yours faithfully, “Raymond Percy.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第280回

一晩、気違いと過ごしたと言えば、大方のひとには十分だろう。他の言葉を使ったとしたら、そうした人間をあらわす術がない。 結婚していないふりをすることで、自分が結婚していることを思い出すような男なんて! 隣人の財産よりも自分の財産のほうを欲しがるような男なんて! このことについて言えるのはただ一言だけだ。でも名誉にかけて言おう。誰も理解してくれないだろうが。狂人というのは、進歩しない連中の一人にすぎない。でも狂人は送られてくる。船のうえを吹く大風のように、天使の風をもたらす神によってね。そして神の使いは、燃え立つ炎も連れてくる。少なくともこのことなら、僕ははっきり知っている。そうした人間が笑ったにしても、泣いたにしても、僕たちはその笑いを嘲り、同じように涙も嘲る。世界を呪おうとも、祝福しようとも、彼らは世界に適合することはできない。偉大な風刺家に一刺しされた男たちが縮みあがるさまは、ヨーロッパクサリヘビに刺されたかのようだ。偉大な楽天家に抱擁されたひとが逃げ出すさまは、熊に抱きつかれたかのようだ。

 

“It will be enough for many to say that I had passed a night with a maniac. What other term, it will be said, could be applied to such a being? A man who reminds himself that he is married by pretending not to be married! A man who tries to covet his own goods instead of his neighbor’s! On this I have but one word to say, and I feel it of my honour to say it, though no one understands. I believe the maniac was one of those who do not merely come, but are sent; sent like a great gale upon ships by Him who made His angels winds and His messengers a flaming fire. This, at least, I know for certain. Whether such men have laughed or wept, we have laughed at their laughter as much as at their weeping. Whether they cursed or blessed the world, they have never fitted it. It is true that men have shrunk from the sting of a great satirist as if from the sting of an adder. But it is equally true that men flee from the embrace of a great optimist as from the embrace of a bear.

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2018.01 隙間読書 久生十蘭『母子像』

初出:1954年(昭和29年)3月26〜28日

終戦後、サイパンから帰国して、アメリカ人将校の奨学金で学校に通う少年が心に抱いていた憧れの母の姿が瓦解、失意の行動にでる様子をシンプルに、でもシンプルだからこそ効果的に描いている。


父が死亡後、母と二人でサイパンに暮らす太郎。状況が厳しいものとなって洞窟に避難しても、母と一緒にいる時間ができたと喜ぶ。危険な水汲みも母のために喜んで行く。ここで母の声を聞く喜びが生き生きと語られているからこそ、後半の母の声への失望が効果的に伝わってくる。

洞窟に入るようになってから、一日じゅう母のそばにいて、あれこれと奉仕できるのが、うれしくてたまらない。太郎は遠くから美しい母の横顔をながめながら、はやくいいつけてくれないかと、緊張して待っている。「太郎や、水を汲んでいらっしゃい」 その声を聞くと、かたじけなくて、身体が震えだす。

死んでいる筈の母がバーを経営していると聞いた太郎は、母のバーに忍びこむため女装して花売りに化けたりと涙ぐましい。でも母が店の客と寝ていると知らされた太郎は、母の寝台の下に忍びこみ、事実を確かめ、深い絶望に突き落とされてしまう。

汚ない、汚ない、汚なすぎる。人間というものは、あれをするとき、あんな声をだすものなのだろうか。サイパンにいるとき、カナカ人の豚小屋が火事になったことがあったが、豚が焼け死ぬときだって、あんなひどい騒ぎはしない。母なんてもんじゃない、ただの女だ。それも豚みたいな声でなく女なんだ。

真面目な太郎少年の、母の声に対する反応の激しい変化ゆえに、その絶望感が伝わってくる。


さらに自分の思いをまったく知らないで声をかけてくる教師に、心のなかでつぶやく「大当たり」「外れ」「半当たり」という言葉が、さらに哀しい、捨て鉢な思いのリズムを作品に刻んでいく。

最後の三行も少ない言葉数で、太郎の絶望と哀しみを目に見えるようにまざまざと描きだしている。

警官が起きあがって、そこから射ちかえした。鉄棒のようなものが太郎の胸の上を撲りつけた。太郎は壁に凭れて長い溜息をついた。だしぬけに眼から涙が溢れだした。そうして前に倒れた。


この作品は吉田健一の英訳で、世界短編小説コンクールの第一席を受賞。吉田の遺品からでてき母子像の草稿二種類が、神奈川近代文学館に今日まで展示されていた。この草稿も、どこかに掲載されたら…と思うのだが。

読了日:2018年1月20日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第279回

また或る時には、彼はまったくの他人を演じてみせ、別の方法で家に入ってみては、泥棒のような気分にひたるのであった。自分の家を壊して侵入するのだが、それは今夜私と一緒にやった行動のようなものであった。明け方近くになる頃、私は「ぜったいに死なない男」という奇妙な自信を捨て去った。それから戸口のところにいる彼と握手をかわすと、最後の霧のかたまりが漂うなか、夜明けの切れ目から射す光が階段を照らし、この世の果てのように見える凹凸のある通りが浮かび上がった。

 

And at other times he would play the stranger exactly in the opposite sense, and would enter by another way, so as to feel like a thief and a robber. He would break and violate his own home, as he had done with me that night. It was near morning before I could tear myself from this queer confidence of the Man Who Would Not Die, and as I shook hands with him on the doorstep the last load of fog was lifting, and rifts of daylight revealed the stairway of irregular street levels that looked like the end of the world.

 

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2018.01 隙間読書 江戸川乱歩『赤い部屋』

初出:1925年(大正4年)新青年

少しずつ作品のあちらこちらに違和感を覚えてしまうのは、作者の意図にはまったのだろうか?

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々其為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた。

七人のしかつめらしい男が赤い部屋に集まってお話を待ち受けるという出だしからして違和感を感じてしまう。

さらに主人公の私はこう語る。

兎に角、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

退屈で退屈で仕方ない…という主人公が、こっそり企んだ計画殺人の数々について、冷静に淀みなく語ることにも違和感を感じてしまう。あの結末に結びつけるための違和感なんだろうか?それにしても、この語り口で結末をほのめかしてしまうのではないだろうか?

最初、妖しい雰囲気が漂っていた部屋だけれど…

部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅な重々しい垂絹が豊かな襞を作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師を投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

最後、その妖しさを失った姿を晒すという意外さ…が面白いのだろうが、私的には妖しいものは最後まで妖しくあってほしい。つまらないものが妖しいものに変わる…という設定ならいいけれど。現実に引き戻されるという展開は好きではない。

そして、その白く明るい光線は、忽ちにして、部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、曝露された手品の種が、醜いむくろを曝していた。緋色の垂絹にしろ、緋色の絨氈にしろ、同じ卓子掛けや肘掛椅子、はては、あのよしありげな銀の燭台までが、何とみすぼらしく見えたことよ。「赤い部屋」の中には、どこの隅を探して見ても、最早や、夢も幻も、影さえ止めていないのだった。

読了日 :2018年1月17日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第278回

ときどき、彼は妻に突如として、しゃちほこばった礼儀正しさをとることがよくあって、まるで一目で恋におちた若者のようであった。ときどき、彼はこの詩的不安の対象を家具にまで広げることがあって、腰かけている椅子に謝罪したり、岩登りの名人のように注意深く階段をのぼったりしたが、それは自分自身のなかに現実という骨組みを取り戻すためのものであった。あらゆる階段とは梯子であり、あらゆる椅子には脚がついているのだからと彼は言った。

 

“Sometimes he would, of a sudden, treat his wife with a kind of paralyzed politeness, like a young stranger struck with love at first sight. Sometimes he would extend this poetic fear to the very furniture; would seem to apologize to the chair he sat on, and climb the staircase as cautiously as a cragsman, to renew in himself the sense of their skeleton of reality. Every stair is a ladder and every stool a leg, he said.

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