2018.05 隙間読書 泉鏡花「薬草取」

初出:「二六新報」1903年5月16日~30日

文豪山怪奇譚収録


主人公の医学生、高坂が山のなかでお経をあげていると、きれいな女の人が出てきて、ある人を救うために薬草を探す山旅に一緒に行くことに。


その女と歩いているうちに、高坂は幼い頃、母を助けるために薬草をとりに山に入ったときのことを思い出していく。だんだん今と過去が入り乱れてくるように思える回想の美しさ。最後、その思い出を連ねている箇所があるが、まるで能の謡のようなリズム。読んでいる方の脳裏にも、その場面が鮮やかに再生されていく。

あたかも神に事(つか)うるがごとく、左に菊を折り、右に牡丹を折り、前に桔梗を摘み、後に朝顔を手操(たぐ)って、再び、鈴見の橋、鳴子の渡(わたし)、畷(なわて)の夕立、黒婆の生豆腐、白乳母の焼茄子(やきなすび)、牛車の天女、湯宿の月、山路の利鎌(とがま)、賊の住家、戸室口の別(わかれ)を繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。

すると籠は、花ながら花の中に埋もれて消えた。

追想の終わりに「花籠は美しく満たされたのである。 すると籠は、花ながら花のなかに埋もれて消えた」と締めくくる言葉も美しく、また不思議である。


お経をあげる医学生と美しい女との出会いと山行、過去の思い出の数々、そして最後、幽霊はなんとも優しい言葉をかけ、幻のように立ち去っていく…能を観ているような思いにかられる作品である。

「ああ、お可懐(なつかし)い。思う方の御病気はきっとそれで治ります。」

あわれ、高坂がしっかと留めた手は徒(いたずら)に茎を摑んで、袂(たもと)は空に、美女ケ腹は咲満ちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。

この立ち去り方は能にでてくる幽霊そのものではないか。 もしかしたら能にも、同じような作品があるのではなかろうか? 能をみているときのように、美しい思いが心にひたひたと押し寄せてくるような作品だなと思った。

2018年5月23日読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第316回

「天空の原理は永遠なりとご挨拶。私はウォン・ハイという者で、フーの森にある、一族が葬られている寺の番人をしています。空から降ってきた男は、そんな仕事は退屈にちがいないと言いましたが、そうした考えは間違っているということを彼に教えてやりました。たしかに、私はひとつのところにずっといます。叔父がここに連れてきてくれたとき、私はまだ少年でしたが、死ぬのもこの寺のなかでしょう。でも、ひとつの場所に留まり続ければ、その場所がかわりゆく様を目にすることになります。私の寺にある仏塔は、木々のあいだからひっそりとそびえています。その様子は、まるで緑色の仏塔があまた並び、その上に黄色の仏塔があるかのようです。だが、空はときには磁気のように青く、ときには翡翠のように翠に、ときには紅榴石のように紅く。だが、夜になれば、かならずや黒檀のいろに、かならずや戻らん…ホー皇帝はこう書かれました。

“The Celestial Principles are permanent: Greeting.—I am Wong-Hi, and I tend the temple of all the ancestors of my family in the forest of Fu. The man that broke through the sky and came to me said that it must be very dull, but I showed him the wrongness of his thought. I am indeed in one place, for my uncle took me to this temple when I was a boy, and in this I shall doubtless die. But if a man remain in one place he shall see that the place changes. The pagoda of my temple stands up silently out of all the trees, like a yellow pagoda above many green pagodas. But the skies are sometimes blue like porcelain, and sometimes green like jade, and sometimes red like garnet. But the night is always ebony and always returns, said the Emperor Ho.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第315回

どこか奇妙ながら、外国の生活を鋭く洞察した言葉に、不条理な裁判所の面々も水を打ったように静まりかえってしまい、それまでとは一転した。おかげで今度は妨げられることもなく、イングルウッドは手紙の山から別の手紙をひらいた。「これで法廷も大目に見てくれることでしょう」彼は言った。「もし次に読み上げる手紙が、私たちの手紙の書き方と比べてみて作法を欠いたものだとしても。書き手の国では、じゅうぶん作法にのっとったものなのですから」

There was something in this odd set of glimpses into foreign lives which kept the absurd tribunal quieter than it had hitherto been, and it was again without interruption that Inglewood opened another paper upon his pile. “The Court will be indulgent,” he said, “if the next note lacks the special ceremonies of our letter-writing. It is ceremonious enough in its own way:—

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第314回

「そうかなあ」彼は吐息をついた。「でも君はもうひとつの事実も教えてくれた」

「なにが言いたいのです?」私は訊ねました。「なんのことです?」

「なぜ、君たちの革命が失敗したのかということだよ」それから、ふと列車にむかって歩き出していきましたが、そのなかに乗り込んだのは、蒸気をあげて進もうとする直前のことでした。そして蛇のように長いその尾は、暗くなっていく平原のなかに消えていきました。

それ以降、彼の姿を見たことはありません。彼の視点は、最高の、先進的な考え方とは逆のものでしたが、興味深い人物のように思います。彼が何か文学作品を書いていないか探してみたいと思う次第です。敬具 パウル・ニコラビッチ

“`Ah,’ he said with a sort of a sigh, `then you have explained a second thing to me.’

“`What do you mean?’ I asked; `what thing?’

“`Why your revolution has failed,’ he said; and walking across quite suddenly to the train he got into it just as it was steaming away at last. And as I saw the long snaky tail of it disappear along the darkening flats.

“I saw no more of him. But though his views were adverse to the best advanced thought, he struck me as an interesting person: I should like to find out if he has produced any literary works.—Yours, etc., “Paul Nickolaiovitch.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第313回

「もし僕の国に戻ったとしても」彼は大声をあげました。「家にたどりつく前に、精神病院に閉じ込められてしまうかもしれない。僕はこの時代を生きるには、少しばかり自由でありすぎた。なぜニーチェは、愚かしい旧プロイセン軍の列のなかで立っていたのか? なぜショーは、住宅街で禁酒時代の飲み物を飲んだのか? 僕がやっていることは、前例のないことなんだ。足を踏み入れている迂回路は人跡未踏の道だ。そこを打破してみせるとも。僕は革命家だから。けれど分からないのか。こんなふうに跳びはね、破壊してから逃げたところで、それはエデンに戻ろうとする試みに他ならない。かつて僕たちがいた地へ、聞いたことがある地へと。分からないのか? 塀をこわしたり、月を撃っているのは、家に戻るためにすぎないことが。」

「いいえ」私は熟考してから答えました。「そうした考えには納得できません」

“`And if I do go back to my country,’ he cried, `I may be locked up in a madhouse before I reach my own house. I have been a bit unconventional in my time! Why, Nietzsche stood in a row of ramrods in the silly old Prussian army, and Shaw takes temperance beverages in the suburbs; but the things I do are unprecedented things. This round road I am treading is an untrodden path. I do believe in breaking out; I am a revolutionist. But don’t you see that all these real leaps and destructions and escapes are only attempts to get back to Eden— to something we have had, to something we at least have heard of? Don’t you see one only breaks the fence or shoots the moon in order to get HOME?’

“`No,’ I answered after due reflection, `I don’t think I should accept that.’

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2018.05 隙間読書 平山蘆江「鈴鹿峠の雨」

文豪山怪奇譚収録。

ひそやかにそっと近づいてくるものだからこそ怖い気配を感じるものもある。


主人公「私」が今にも雨が降りそうな鈴鹿峠を急いでいると、どこからか人の声がしてきたという冒頭部分である。

何処で何を話しているのか、男か女か、若い者か老人か、坒(ちっ)とも判りませんが、人の話し声が私の頭の頭上で聞えます、ずっと上を向いて見ましたが、只崖の雑木がこんもりと頭の上へ冠(かぶ)さっているばかりです、山男とかいう者が私を何とかしようと云って相談でもしているのではあるまいかと、私は迷いました。誰れかが道連れが欲しいものだと思い思い私は更に足を早めました、私の足の早まるに連れて、話声は高くなって来ます、足を止めて見ると、話声も止まる、又歩き出すと又聞こえる、妙な事があるものだと思い思い、尚道を急ぐ中にポツリポツリと落ちて来ました、

正体がわからないものに恐怖を感じているところに、ポツリポツリと落ちてくる雨。その雨のせいで恐怖が体感的なものへと、具体的なものへと変わる怖さ。


主人公をおびやかせた話声は、山男ではなく、男女の連れであった。恐怖が自分のすぐ近くに潜んでいるようでまた怖いものがある。

ここで平山蘆江は、この男女の身なりを詳細に述べているが、それがどういう格好だったのか、当時としてはどんな意味合いの格好だったのか…想像できない。

男は藍微塵の素袷(すあわせ)に八端の三尺帯を締め、女は髪を馬の尻尾というのに結んで、弁慶の単衣、黒繻子の茶献上の腹合せの帯を手先さがりに引かけ、裾をぐっと片端折(はしおり)に腰紐へ挟み、裾へ白い腰巻きをだらりと見せて、二人とも跣足(はだし)で、番傘を相合傘という姿です、


この男女をいくら追い越しても、なぜか先まわりされてしまう怖さ。

この怖さは宿屋の風呂場でクライマックスに達する。ポツリポツリという雨に誘われて始まった恐怖が、ずぶ濡れ湿気だらけの風呂場でクライマックスに達する。そうした書き方のせいで、恐怖の体感温度が一気に高まる。


そして恨まれる筋合いもないのに、なんの関わり合いもないのに、恨みをいだいて亡くなっていった者たちに遭遇する怖さよ。

よく考えてみると、主人公「私」はこの二人連れの幽霊とは何の縁もない。恨まれる筋合いもない。それなのに幽霊と遭遇してしまう。異界とは理由もなく、突然、私たちの前にひろがる存在なのかもしれない…と思いながら静かに頁をとじる。

読了日:2018年5月15日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第312回

彼は背をのばして立ち上がりましたが、どこか眠そうでした。それから振り返って、後ろの方にあるものを眺めました。正直に申しあげるなら、それはどこか荒涼とした風景でした。濃い紫色の平原、忘れられた線路、ぼろぼろの衣服をまとった反抗者たちの姿がわずかに見えていました。「この地で家を見つけ出すことはないだろう」彼は言いいました。「もっと東のほうにある。もっと東のほうに」

それから私の方に視線をむけましたが、その目には怒りのようなものが浮かんでいました。そして手にした棒で凍てついた大地をトンと突きました。

“He rose to his whole height somewhat sleepily, and looked round on what was, I confess, a somewhat desolate scene—the dark purple plains, the neglected railroad, the few ragged knots of malcontents. `I shall not find the house here,’ he said. `It is still eastward— further and further eastward.’

“Then he turned upon me with something like fury, and struck the foot of his pole upon the frozen earth.

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2018.05 隙間読書 村山槐多「鉄の童子」

文豪山怪奇譚収録

22歳で亡くなった村山槐多の、生前は発表されなかった未完成の作品。

「山獄歴程」「壁の町」「裸童の群れ」の三つの部分から成る。


「山獄歴程」は内容をよくあらわしたタイトルで、山獄とは言い得て妙な表現だと感心。山獄を「一族の歴史」を調査するかのように歩きまわるその旅は、読んでいるうちに息をきらしながら山を登っているような圧迫感がある。

自分は以来狂気の様に歩きまわった。炎につつまれた聖者の如く毎日毎日紫と群青との山々をよじ登り渡り歩いた。山脈は実に濃き数代の遺伝、空気に触れず千年を流れる血の河である。その山脈に属する多くの山々は代々である。子孫である。自分は一族の歴史を調査するが如く神秘な心で、山々を経巡った。山の系図は実に罪悪もしばしば蔵して居た。中には人知らぬ混血の山々があった。また純なる山々も多かった。


山をおりた主人公が足を踏み入れる町「壁の町」。この町のくだりは夢のよう。不思議な町で、不思議な人々に出会う夢のようなくだり。いつまでも「壁の町」をうろうろしていたくなる。

翌日の九時半頃起きてこの小市の大体を見る為に宿を出た。数歩歩むともう此町が著しく古びた退廃した物であることがわかった。家々は皆実に古趣を帯びた薄暗い埃に染まり茫然と一種のだだっぴろい沈黙を守って居るのである。そして薄紫と土色との混じた色の壁が至る処で非常に強い現象をなして居る。そしてその厚い壁と薄い瓦との建築で何だか全体壁で出来た様に見える家ばかり列んで居るのである。『壁の町』と自分は呟いた。家々は皆低い狭い入り口を有って居るだけで、窓もない様な外観である。盲目の家である。そしてその感じは実に冷酷を極めて居た。

村山槐多の「壁の町」にとどまっていたいと思いながら静かに頁をとじる。

2018年5月14日読

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第311回

「君のおかげでわかったよ」彼はやはり夢見るような目で言った。「男が自分の妻から逃げ去ることが、なぜよこしまなことなのか。そしてなぜ危険なことなのか」

「では、なぜ危険だと言うのですか?」私は訊ねました。

「なぜかって。だれからも見つけられることがないからだよ」この奇妙な男は答えました。「でも、僕たちは見つけられたいと思っているんだ」

「思想家のなかでも独創的な人たちは」私は指摘しました。「イプセン、ゴーリキ、ニーチェ、ショーが皆言っていることですが、私たちが最も望んでいるのは見失われることなのです。踏み跡のない道を進み、前例のないことをすることなのです。そうするうちに過去を打破し、未来へとつながっていくことでしょう」

“`You have convinced me,’ he said with the same dreamy eye, `why it is really wicked and dangerous for a man to run away from his wife.’

“`And why is it dangerous?’ I inquired.

“`Why, because nobody can find him,’ answered this odd person, `and we all want to be found.’

“`The most original modern thinkers,’ I remarked, `Ibsen, Gorki, Nietzsche, Shaw, would all rather say that what we want most is to be lost: to find ourselves in untrodden paths, and to do unprecedented things: to break with the past and belong to the future.’

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2018.05 隙間読書 泉鏡花「古貉」

古貉では、車麩が何度も繰り返し語られている.

そのイメージはだんだん幻想味をおびて回転しはじめ、やがて何とも気味の悪いものとなっていく。最後には「めぐる因果の小車」という言葉に収束される。

もちろん古貉で語られれている不思議な光景は車麩だけではない。三つ並んだ厠のうち、壊れて存在しないはずの真ん中の厠。そこから出てくる白い手。煮え湯をかけられた娘の悲劇。どれも怖い場面である。

でも「古貉」を読んで一番心に残るのは、繰り返される「車麩」のイメージである。金沢での生活でよく見かけただろう車麩だからこそ、親しみのある食べ物がだんだん不気味なものへ、異界へ結びついたものとなる怖さがあるのではないだろうか。


車麩でいっぱいになった天井…想像もつかないが、当時の乾物屋ではよく見かける光景だったのだろう。その光景を眺めているうちに、鏡花は「古貉」という作品を考えていったのだろうか?

が、それが時雨でも誘いそうに、薄暗い店の天井は、輪にかがって、棒にして、揃えて掛けた、車麩で一杯であった。

『見事なものだ。村芝居の天井に、雨車を仕掛けた形で、妙に陰気だよ。』


やがて村雨がかかってくると同時に、車麩もだんだん別のものに見えてくる不思議さ。

そうか、私はまた狐の糸工場かと思った。雨あしの白いのが、天井の車麩から、ずるずると降って来るようじゃあないか。


車麩から狐の糸工場、そして椎の樹婆叉の糸車へ…鏡花の連想は広がっていき、その不思議なつながりも怪しくも楽しい。

大昔から、その根に椎の樹婆叉というのが居て、事々に異霊妖変を顕す。徒然な時はいつも糸車を廻しているいるのだそうである。


やがて車麩のイメージは、「因果車」なるものに変わっていく。因果車という語の哀しさ、怖さよ。

椎の樹婆叉の話を聞くうちに、ふと見ると、天井の車麩にからんで、ちょろちょろと首と尾が顕れた。その上下に巻いて廻るのを、蛇が伝う、と見るとともに、車麩がくるくると動くようで、因果車が畝って通る。…で疎気(ぞっ)としたが、熟(じっ)と視ると、鼠か溝鼠(どぶねずみ)か、降る雨に、あくどく濡れて這っている。


「現代―ある意味において―めぐる因果の小車などという事は、天井裏の車麩を鼠が伝うぐらいなものであろう。

 待て、それとても不気味でない事はない。

 魔は―鬼神は―あると見える。

天井裏の車麩を鼠が伝う…「それだけで十分不気味です」…と鏡花先生に言いたい。ふだんの生活で食べている車麩が、これだけ不気味なイメージに変わっていくのだから、「魔は―鬼神は―ある」という言葉に頁をとじながら思わず頷いてしまう。

読了日:2018年5月13日

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