2018.11 隙間読書 東雅夫「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション『影』」

梶井基次郎「Kの昇天」

Kの死が溺死だったのか、それとも過失だったのかと思い悩んで手紙を送ってきた相手に、Kと海辺で知り合って一ヶ月ほどの「わたし」がKとの出会いについて記した…という設定。

手紙を書いてきた「あなた」とは女性なのだろうか? Kと「わたし」の海での位置関係は? という具体的なことは記されず……そのせいで影の魅力、月の魅力を強く感じるような気がする。

影をじーっと見凝めておると、そのなかにだんだん生物の相があらわれて来る。ほかでもない自分自身の姿なのだが。

K君が昇天していく場面は、なんど繰り返し読んでも飽きない美しさがある。

そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。

最後に東氏の註をまとめ読みしていると、柳田民俗学に影響をあたえたハイネ「精霊物語」「流刑の神々」、富ノ澤鱗太郎「セレナアド」、ラフォルグ「聖母なるピエロのまねび」、澁澤龍彦「幻妖」と読んでみたい本を続々と発見……うれしいような、幸せな満足感にひたる。

2018/11/6



岡本綺堂「影を踏まれた女」

冒頭の秋の描写も、おせきという娘の描写も美しいだけに、だんだん「おせき」が影をふまれて心が不安定になっていく様子が不気味である。


冒頭は子供達の遊びの様子を無邪気に語りながら、秋の月の描写がもしい。

秋の月があざやかに冴え渡って、地に敷く夜露が白く光っている宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄を歌いはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。


子供たちに影を踏まれた「おせき」の心が崩れていく様子を語る言葉も興味深い。

幾つかの小さい黒い影が自分の胸や腹の上に踊っている夢をみた。


「おせき」の影も、最初は要次郎と仲むつまじく描かれているだけに、後の彼女の影の急変が余計に印象に残る。

昔から男女の影は憎いものに数えられているが、要次郎とおせきはその憎い影法師を土の上に落としながら、擦寄るように並んで歩いていた。

2018.11.07読了



柳田國男「影」

東氏の註には、私の知らない柳田の側面が記されていて興味深い。

柳田がハイネを愛読し、その影響が顕著な恋愛詩を書いているとは!

柳田の恋愛詩の対象には、実在の人物がいるとは!

しかも其の女性が十八歳の若さで亡くなっているとは!

其の女性の死後、柳田が恋愛詩の筆を折っているとは!

柳田の意外な顔に驚きの連続であった。

「影」は典雅な語調にも魅力がるし、野に嘆きにきた人の影がそこにとどまり、その影が実体である人間よりもはるかに長く生きる…という影の勝利という発想にも魅力があるように思う。

斯して影なる二人は、手をとりかはして、名もなき小野を都とも思ひつ重ねつゝ、夕暮毎に其恋を楽むことも、早幾十年かになりぬ。今より後の千年も、亦かくして過るならむ。

唯憫むべきは此影の主なり、彼等は終にうち解くる日もなくて、各其嘆を嘆きつゝ、共に苔の下に入りき、其墓所さへもたち隔りつゝ。

2018.11.08読



水野葉舟「跫音」

森のなかに住む「わたし」は毎晩、毎晩、忍び寄ってくる足音をきく。ある晩、「わたし」も足音の主がこう歩いているのだろうと真似をして歩き、自分の部屋に近づいて覗き込むと其処には…という話。

山桜、ひめしゃら…幹がきれいな木が好きな私としては、なぜ葉舟が木の幹の描写をしているのかが気になった。

(略)森の大木の幹が、何とも云えぬ古びた色をしてその皺までが見える。

さらに友人の妹も「幹子」さんではないか?舞台になっているのが、森の中だからだろうが、それにしても幹にこだわっているなあ、なぜなのだろうか?

短い作品ながら東氏の註をまとめ読みしていると、気になる本ばかり。ラング「夢と幽霊の書」、横山茂雄「遠野物語とその周辺」、東雅夫「遠野物語と怪談の時代」、葉舟「心の響 列伝体代表的新体詩集」、葉舟の怪奇幻想小品も読んでみたい。

2018.11.09



泉鏡花「星あかり」

墓原、卵塔場…墓地をあらわす日本語もいろいろあるものと思いながら読んでいくうちに、だんだん自分が墓地を歩いているような気持ちになる。この迫るような墓地描写は、墓散策を愛した鏡花の実体験に由来するものではないだろうか?

冷たい石塔に手を載せたり、湿臭い塔婆を摑んだり、花筒の腐水に星の映るのを覗いたり、漫歩(そぞろあるき)をして居たが

東氏の註にも「十八世紀ロマン派の墓畔詩人さながら、鏡花も仄暗い墓地のたたずまいを愛してやまなかった」とある。


以下の文は長いけれど、これで一つの文。鏡花らしい心地よい長文のリズム。最初は「自分」の様子について形容する言葉がつづき、それから自分の思いを「~してはならぬ」の繰り返しで強く語った次にくるのは「まあ」で始まる驚き。そこで待つのは屋根や挽臼が睨めつける不思議な世界。その不思議な世界に驚く「自分」の心をまた形容詞の連続で語る。ひとつの文でこれだけの心の動きを表現する鏡花はすごいと吐息。

何か、自分は世の中の一切(すべて)のものに、現在(いま)、恁(か)く、悄然(しょんぼり)、夜露で重ッ苦しい、白地の浴衣の、しおれた、細い姿で、首(こうべ)を垂れて、唯一人、由比ガ浜へ通ずる砂道を辿ることを、見られてはならぬ、知られてはならぬ、気取られてはならぬというような思(おもい)であるのに、まあ! 廂(ひさし)も、屋根も、居酒屋の軒にかかった杉の葉も、百姓屋の土間に据えてある粉挽臼(こなひきうす)も、皆目を以て(もっ)て、じろじろ睨(ね)めつけるようで、身の置処ないまでに、右から、左から、路をせばめられて、しめつけられて、小さく、堅くなって、おどどして、その癖、駆け出そうとする勇気はなく、凡そ人間の歩行に、ありッたけの遅さで、汗になりながら、人家のある処をすり抜けて、ようよう石地蔵の立つ処。

2018.11.09読了



北原白秋「秋」

谷中天王寺前に住む「僕」が目にした影のない男。その話だけでも怖いが、さらに「僕」の家でかつて書生をしていた青年が影のない男の家をのぞくと…という展開も怖い。

だが何よりも、今とはまるで違う谷中界隈の描写に心をうばわれる。谷中墓地から抜けた「僕」が目にするのは……

下は根岸から三の輪、三河島、浅草、向島、千住、田端へかけて、まるでイルミネーションの海だね。

そして東氏の註も谷中界隈の歴史について地名ごとに詳しく記しているので、谷中の歴史散歩をしているようで楽しい。御殿坂の下の乞食坂、道灌山の高台にあったガス・上下水道・電話完備の渡辺町のことも、渡辺町が金融恐慌を機に渡辺家から離れたことも初めて知ることばかりで楽しかった。

2018.11.9読了



山川方夫「お守り」

団地で起きた現代のドッペルゲンガー。大勢の人々が同じ規格の家に暮らし、おそらくその生活リズムも同じ……という不気味さ、不安さ。さらにその不安さから身を守ろうと、双方のドッペルゲンガーが同じお守りを身につけるという切なさ。

この作品が書かれた1960年は、全国あちらこちらで同じ規格の公団団地が建設された時期。まだ新しい公団住宅に住む人々を眺めながら山川が感じた不安に思わず息苦しくなる作品である。

2018.11.09読了

渡辺温「影 Ein Marchen」

註によれば、谷崎潤一郎と小山内薫が選者となって実施したプラトン社の映画筋書懸賞募集で一位になった作品とのこと。

予想外の展開が続く筋も面白く、視覚に残る文も心地よい。

画室のそとでは、この時、一人の肥った巡査が入口の扉を激しく叩いていた。

夜明けの光が次第に白く、丘にひき懸かった深い霧の中へ流れていた。

多くを語らずして雄弁に語る、この余韻の残る最後の文を読むと、二十七年という渡辺温の短い生涯を惜しまずにはいられない。

2018.11.09読了



稲垣足穂「お化けに近づく人」

27歳の若さで亡くなった詩人、沙良峰夫の思い出を正直に散りばめた作品。今まで知らなかった詩人「沙良峰夫」の会話が聞こえてきそうな気がする。

たといかれが何かまじめな勉強をしている時間について云ってみても、どうやらそれは、「近代文学の困った数ページをひとり踊りしたにすぎない。初めからこんどのことが判っていたなら、そのきゅうくつなシャツを脱がせてやりたかった。

あくまでも親しくしていた仲間として率直に、でも愛情をこめて沙良峰夫を語っている。

なぜなら、全く不意にかれを訪れたのは、このたびの無理な出京を追うてきた北方の使者ではありません。それは、かれが日頃から霧の深い夜に場末の酒場かどこかで逢うことを願っていた男、こうもりみたいな羽根のある人物に他ならなかったからです。しかもかれと議論するのではなく、かれを迎えにきたのであったところのその人物は、彼を引き立てて、ネオンサインを映した街の石だたみの隙間からもろともに降りて行ったのでした。

友の死をかくも美しく、万感の思いをこめて語る言葉が他にあるだろうか。こんなふうに語られる沙良峰夫の作品を読んでみたい。

2018.11.09読了



城昌幸「影の路」

銀座通りが煉瓦路だった時代。「私」は裏通りの互いに二階から行きかうことができるくらいに隣り合った家に住んでいた。子供時代、隣の二階で知り合った物寂しい女に可愛がってもらった。月日は流れ、結婚した妻はその女によく似ていた。妻が亡くなってから親しくなった女も二階の女に似ていた…。

隣の家に出入りできる様子も楽しく、どの女も二階にいた女と似ているという不思議さも楽しい。ただ、最後の一文だけが後味が悪いもののように思える。この後味の悪さが魅力なのだろうか?

2018.11.09読了



澁澤龍彦「鏡と影について」

まずは仙人「朱橘」のエピソードをしるした物語で始まる。

一瞬にして飛び去る鳥さえ、その影を水面にちらりと落とさずには、この池の上を渡ってゆくことはそもそもできないのである。しかるに、青衣の裾をひるがえして水の上を走りまわる小さな童子の影だけが、そこにはまるで映らない。この童子には影がないのである。

この童子が「朱橘」の分身なのだが、影のある鳥との対比のせいだろうか? 童子のこの世のものではない感が強く感じられる箇所である。

後半「朱橘」がなぜ分身の術を取得したのか…という箇所は、東氏の註によれば二十世紀イタリアの作家パピーニの短篇小説「泉水のなかの二つの顔」を本歌取りしてなったものだそう。

かつて朱橘がよく覗き込んだ井戸には、影だけが残されたまま、朱橘は帰国する。五年後朱橘が国から井戸に戻ると、影は再会を喜ぶ。最初は懐かしく思った朱橘も、五年前の自分が鼻につきだし、ついには井戸に突き落とし殺してしまう。

わたしがいまも心楽しく生きているのは、このようにしてわたし自身の古い過去と絶縁したためにほかならぬ。

後半になって、仙人の物語から現代にも通じる心の葛藤へと鮮やかに転じているのにまず驚いた。ところどころにあらわれる仙人らしい惚けたユーモアにあふれた口調も心に残る作品。

2018.11.10読了



只野真葛「影の病」

影の病なるものが、昔から日本にあるとは…。最後のこの作品が、シンプルなせいか、東氏の訳のせいか、一番こわく感じた。

2018.11.10読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

2018.11 隙間読書 泡坂妻夫 「夜光亭の一夜 宝引の辰捕者帳ミステリ傑作選」

江戸の市井の人々の暮らしを感じつつ楽しく読んだ。江戸時代の風俗がわからないと思いもよらないトリックばかり。お雛さまを転がしてメッセージをつたえる「雛の宵宮」の他愛のなさが気に入った。

「鬼女の鱗」

思い描けないものながら華やかな刺青の紋様を語る描写にも、いきなり籠でどこと分からないお武家に刺青師が連れていかれる展開にも、木の葉を隠すなら…的な発想も面白く読む。


「辰巳菩薩」

吉原の花魁の世界、辰巳芸者の世界が見えるように書かれていて面白い。ただ、この心理合戦はいまだにストンと納得できないものがある。


「江戸桜小紋」

「江戸桜小紋」「咲かずの桜」と名前もよし。ただ、そういう理由でそういうことをするのかという驚きはあれど、納得できる気はあまりしない。


「自来也小町」

そのような書の書き方があったとは…。


「雪の大菊」

両替商人の娘と足袋職人のかなわぬ恋。娘が嫁ぐ予定の米問屋、雪の夜に打ち上げられた花火の謎と江戸の暮らしを楽しむ。


「夜光亭の一夜」

夜光亭浮城というオランダ人医師と丸山の遊女のあいだに産まれた手妻師をめぐる席亭の風景を楽しく読む。


「雛の宵宮」

大和屋に飾られた雛人形がいく組か、毎夜、畳の上に転がされてる。雛人形のメッセージとは? 面白く読んだが、江戸時代の主従関係は理解を超えている。


「墓磨きの怪」

夜中にまとめて何者かが墓をまとめて磨いていく。その目的は…想像もつかなかった。


「天狗飛び」

建具職人の一家と宝引の辰一家が大山参りに出かけるが道中続く不幸。その真相は…このこだわりも理解できなかったが、大山参りの様子などが面白かった。


「にっころ河岸」

酔っぱらった畳職人がのぞきこんだ家には、膝に自分の首をおいた女がいた…。語り手が少年時代の森の中で体験した不思議な出来事やら怪奇テイストのある作品、。


「雪見船」

講釈師「伯馬」が高座で急にしゃべれなくなった理由とは? 当時の席亭の様子興味深く読んだ。


「熊谷の馬」

朝契さんはなぜそんな博打打ちが集まるような寺の再建をしようと思ったのだろうか…というあたりが曖昧かな。


「消えた百両」

商家におしいる賊を捕らえた後に待ち受ける災難…と二重にも楽しめた思いがする。

2018.11.06読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第444回

「愚かしいですって?」メアリーは威勢よく叫んだ。「たしかに私の日曜日の帽子なら、そうね。あれなら愚かしいと思うわ。でも、ほかに何を期待しているの? 彼はほんとうにいい人よ。蛇か何かのような騒ぎだったのかもしれないわ」

「蛇ってどういうこと?」ロザムンドは訊ね、かすかに当惑しながらも関心をみせた。

「ハリーおじさんは蛇を数匹飼っていたことがあって、蛇に好かれていると言っていたわ」メアリーは単純明快に答えた。「おばさんは、おじが蛇をポケットにいれることまでは認めたけど、寝室にもちこむのは許さなかったの」

「それなら、あなたー」ダイアナは言いかけると、眉を少しひそめた。

「ええ、おばさんがふるまったようにするわ」メアリーは言った。「子供たちから二週間以上も二人そろって離れることでもないかぎり、私はルールにしたがって行動するの。つまりね、彼が『人でなし』(マンアライヴ)と呼びかけてくるの。マンアライヴと一語で書かないとだめよ。そうしないと彼が狼狽するから」

“Silly?” cried Mary with great heartiness. “Oh, my Sunday hat!
I should think it was silly! But what do you expect?
He really is a good man, and it might have been snakes or something.”

“Snakes?” inquired Rosamund, with a slightly puzzled interest.

“Uncle Harry kept snakes, and said they loved him,” replied Mary with perfect simplicity. “Auntie let him have them in his pockets, but not in the bedroom.”

“And you—” began Diana, knitting her dark brows a little.

“Oh, I do as auntie did,” said Mary; “as long as we’re not away from the children more than a fortnight together I play the game. He calls me `Manalive;’ and you must write it all one word, or he’s quite flustered.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第443回

ついに彼女たちが口をひらいたときに、長いあいだ沈黙にとざされていた会話がふたたび開始されたことは明らかだった。

「でも、どこにご主人はあなたを連れて行くつもりなのかしら?」ダイアナはしっかりとした声で訊いた。

「おばさんのところへ」メアリーは言った。「と言うのは冗談にすぎないわ。おばさんがいるのはたしかよ。道のむこうの下宿屋から追い出されることになったとき、おばのところに子供達をおいてきたの。こうした息抜きはせいぜい一週間しかとらないけど、ときどき二人して二週間も息抜きすることもあるわ」

「おばさんはずいぶんと嫌がっているのよね?」ロザムンドは何食わぬ顔で訊いた。「おばさんときたら、ほんとうに心がせまいのだから。それから何て言えばいいのかしら?そう、ゴリアテって言えばわかってもらえるかしら。でも、そう考えようとする心のせまいおば達ならたくさん見かけてきたわ、愚かしく見えるけど」

When they spoke at last it was evident that a conversation long fallen silent was being revived.

“But where is your husband taking you?” asked Diana in her practical voice.

“To an aunt,” said Mary; “that’s just the joke. There really is an aunt, and we left the children with her when I arranged to be turned out of the other boarding-house down the road. We never take more than a week of this kind of holiday, but sometimes we take two of them together.”

“Does the aunt mind much?” asked Rosamund innocently. “Of course, I dare say it’s very narrow-minded and—what’s that other word?— you know, what Goliath was—but I’ve known many aunts who would think it—well, silly.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第442回

Ⅴ章 どのようにして、つむじ風がビーコン・ハウスから出ていったか?

メアリーは、ダイアナとロザムンドにはさまれながら、ゆっくりと庭を歩いた。三人ともおし黙ったままだった。やがて太陽が落ちた。西の端を照らす残照は温かみのある白色で、クリーム・チーズとしか例えようのない色だった。稜線をよぎっていく羽毛に似た雲は漠としていながら、でも鮮やかな菫色の輝きをはなって、その様子は菫色にたなびく煙のようだった。のこりの景色はすべておしながされ、鳩のような灰色へとかわっていった。そして溶けこんでメアリーの薄墨色の影になって、ついには庭や空の衣服をまとっているように見えた。こうした最後の静かな色が、彼女の背景となり、至高さをそえていた。やがて薄明かりがダイアナの威厳ある姿も、ロザムンドの華やかな衣装も隠して、彼女をうかびあがらせ、彼女を庭のレディにも、そしてひとりにも見せていた。

Chapter V

How the Great Wind Went from Beacon House

Mary was walking between Diana and Rosamund slowly up and down the garden; they were silent, and the sun had set. Such spaces of daylight as remained open in the west were of a warm-tinted white, which can be compared to nothing but a cream cheese; and the lines of plumy cloud that ran across them had a soft but vivid violet bloom, like a violet smoke. All the rest of the scene swept and faded away into a dove-like gray, and seemed to melt and mount into Mary’s dark-gray figure until she seemed clothed with the garden and the skies. There was something in these last quiet colours that gave her a setting and a supremacy; and the twilight, which concealed Diana’s statelier figure and Rosamund’s braver array, exhibited and emphasized her, leaving her the lady of the garden, and alone.

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第441回

彼は頭にシルクハットをのせ、穏やかな様子で庭の門へと向かったが、ピムの泣き叫ぶ声がそのあとを追いかけた。

「でも本当のところ、君から数フィートのところを弾はかすめたじゃないか」

すると他の声もそれにつづいた。「弾が彼をかすめたのは数年前のことじゃないか」

長く、無意味な沈黙がたちこめた。それからムーンは唐突に言った。「じゃあ、ぼくたちは幽霊とずっと一緒に座っていたというわけだ。ハーバート・ウォーナー医師は、数年前に死んだということになるんだから」

He had settled his silk hat on his head and gone out sailing placidly to
the garden gate, while the almost wailing voice of Pym still followed him:
“But really the bullet missed you by several feet.” And another voice added:
“The bullet missed him by several years.”

There was a long and mainly unmeaning silence, and then
Moon said suddenly, “We have been sitting with a ghost.
Dr. Herbert Warner died years ago.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

2018.10 隙間読書 小松左京「女狐」

「夜の声」収録(集英社文庫)


文楽「芦屋道満大内鑑」の予習をかねて、この古典をアレンジした小松左京「女狐」を読む。

天体気象学を研究している阿部康郎は、大阪の山で動物を研究する楠原葉子という娘と出会い恋におちるが、二人は安倍晴明と葛の葉の末裔であった。

二人の師である研究者同士の争いも、かつての歴史上の争いの因縁から生じたもの。

阿部は幻覚剤をのまされ、自分のDNAに刻まれた遠い先祖の記憶を思い出していく。そんなふうにして過去の記憶がよみがえってくる状況を小松左京はこう説明する。安倍晴明がでてきながら、どこかSFらしいという魅力。

「だが、その薬は、われわれが覚醒時には絶対見ることのできないパターンを見させてくれるのかもしれない。われわれの意識の深部にあって、ふつうでは絶対よみがえることのない記憶を発動するのかもしれない。あるいは―われわれの遠い祖先からの遺伝情報をになう、DNAそのものに刻まれた記憶を発動するのかもしれない、とさえ思っている、―歴史的記憶というべきものを・・・」

こうして思い出されていく記憶の鮮やかさ、不思議さ、面白さ…。

エロチックであり、魅力的でもある女狐。

安倍晴明をささえる影の一族の面白さ。

ただ安倍晴明をめぐる歴史背景は短編に人物をつめすぎた感があって、理解するのが難しかった。

祖先からうけついだ記憶を思い出していくといワクワク感を阿部と共に体験するという不思議な短編である。小松左京のアンテナは、科学、SF、古典と多方面にむけられていたたのだと思い、この短編を長編に書き直した「安倍晴明 天人相関の巻」も読んでみたいと思いつつ頁をとじる。

2018/10/30読了

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第440回

「たしかに」グールドはいつになく説得力のある様子で、重々しく言った。「あらゆる面で完全に善いからといって、ひとが陽気になるとは思わない。」

「そうだろうか」マイケルは静かに答えた。「それなら一つ例をあげてくれないか? だれがそんなことを試みたことがあるだろうか?」

沈黙がつづいた。地質学上の長い時代のような沈黙のように、なにか思いがけないものの出現を待っている。静けさのなか、どっしりとした影がたちあがった。他の者達が忘れかけていた人物だ。

「さて、みなさん」ウォーナー博士は陽気に言った。「ここ数日間、的が外れていて、役に立たないときている馬鹿げた言動の数々を楽しませてもらいました。でも、その楽しみも薄れかけているようです。それでは、町で食事の約束があるので失礼することに。両陣営にさいた百本もの無駄花のあいだにいたわけですが、なぜ狂気の男が裏庭で私に銃をむけることが許されたのでしょうか。その理由をさぐりあてることはできませんでした」

“No,” said Gould, with an unusual and convincing gravity; “I do not believe that being perfectly good in all respects would make a man merry.”

“Well,” said Michael quietly, “will you tell me one thing?
Which of us has ever tried it?”

A silence ensued, rather like the silence of some long geological epoch which awaits the emergence of some unexpected type; for there rose at last in the stillness a massive figure that the other men had almost completely forgotten.

“Well, gentlemen,” said Dr. Warner cheerfully, “I’ve been pretty well entertained with all this pointless and incompetent tomfoolery for a couple of days; but it seems to be wearing rather thin, and I’m engaged for a city dinner. Among the hundred flowers of futility on both sides I was unable to detect any sort of reason why a lunatic should be allowed to shoot me in the back garden.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第439回

でも、そうした態度がぼくにとって理解しやすいものだとも、とりわけ共感にうったえているものだとも思わないでほしいんだ。ぼくはアイルランド人だから、疑う余地もなく難儀が骨にまで染みついている。そこから自分の信条への迫害がうまれてきたし、あるいは信条そのものも生まれてきた。正直に言えば、悲劇につながれた男のようにも、古い時代の落とし穴や疑念といったものから抜ける手立てがないようにも感じている。だが手立てがあるならば、キリストや聖パトリックによる教え、それが手立てだ。もし人が、子供や犬のように幸せを保つことができるとするなら、それは子供のように無邪気な存在か、犬のように罪のない存在によってであろう。かろうじて善良であること、それが道であるのかもしれない。そして彼はそれに気づいたのだ。ああ、無理もない。旧友のモーゼスの顔に疑念がうかんでいる。グールド氏ときたら、あらゆる面で善良であるということが、人を陽気にすることが信じられないのだから。」

“Do not imagine, please, that any such attitude is easy to me or appeals in any particular way to my sympathies. I am an Irishman, and a certain sorrow is in my bones, bred either of the persecutions of my creed, or of my creed itself. Speaking singly, I feel as if man was tied to tragedy, and there was no way out of the trap of old age and doubt. But if there is a way out, then, by Christ and St. Patrick, this is the way out. If one could keep as happy as a child or a dog, it would be by being as innocent as a child, or as sinless as a dog. Barely and brutally to be good—that may be the road, and he may have found it. Well, well, well, I see a look of skepticism on the face of my old friend Moses. Mr. Gould does not believe that being perfectly good in all respects would make a man merry.”

カテゴリー: チェスタトンの部屋, マンアライヴ | コメントする

2018.10 隙間読書 鮎川哲也「黒いトランク」

疑問1

近松千鶴夫、馬場番太郎、膳所善造、蟻川愛吉と登場人物のイニシャルがT.TとかB.BとかZ.ZとかA.Aとなるようにしたのは? 展開に必要だった?それからなぜ近松?近松が嫌いだったのか?

疑問2

タイトル英語がINSPECTOR ONITSURA’S OWN CASEになっているけど英訳されてるのだろうか? 黒いトランクをそのまま英語にしなかったのはなぜ?

答えを頂きました→英題「INSPECTOR ONITSURA’S OWN CASE」は北村薫先生の発案ですね。「鬼貫警部自身の事件」だからだそうです。

疑問3

作品発表が1956年。作品の舞台設定は1949年12月10日。1949年は下山事件、国鉄の人員整理の年。…ということも時代設定に影響しているのか?

疑問4

新橋駅について「錦絵にもえがかれ、版画にもほられた。紅葉や蘆花たちの小説にもしばしば」と描写してるけど、作家自身がそういうものに関心があったからの描写では? 鮎川哲也ってどんな背景の作家なんだろうか?

疑問5

近松千鶴夫から手塚太左衛門へ。どちらもTTって必然性があったか? この古色蒼然としたネーミングセンスはどこから?

疑問6

「若松というのは作家の火野葦平がいたところ…(略)…あの辺の沖仲仕や博徒を主題にした短編」とある。1956年当時、火野葦平は生きていた。生存している作家をだしたのは敬愛の念からか?この短編の題は?

疑問7

近松は、骨董品だからと駅の一時預けに3日も預けたようだけど、骨董品をそんなところに預けるものだろうか?

疑問8

「ご夫婦でいて、ご主人のなさることに無関心でおいでになる理由がのみ込めません」と近松夫人にむかって警部が言うけれど、無関心でも不思議ないから不要な言葉かと。この時、鮎川は結婚してなかったのかも?

疑問9

1頁目から読みにくとの感想も聞こえてくる鮎川の文。近松夫人を「グリーンのたきじまのお召しに献上博多のおびをしめ」と書いているけど、ここでグリーンが妙に浮いている感じがして興ざめの感もあり。

答えを頂きました→名文家ではないですし、この作品がメジャーデビューですから、たしかに読みづらいとは思います。 次第に読み易くなります。 短編の「赤い密室」「五つの時計」や、長編なら「人それを情死と呼ぶ」「憎悪の化石」あたりがおすすめです。

疑問 10

近松という人物が思い描けない。そもそも近松みたいな男が、骨董品なんて口にしただけで怪しまれるのでは?

疑問 11

近松夫人について「夫に不利な陳述をみずから進んでするはずもない」との文は意図的なものか?利巧な夫人なら、ここで不利な陳述をして「その万年筆は夫のもの」と証言してもいいのに…と勝手に別の「黒いトランク」を考える。

疑問12

近松は骨董品も、英文毎日も似つかわしくない気が…。不自然さを感じる。

13

昔の切符には行き先が記されていたのだろうか…?

←それは覚えています。硬券時代の切符には必ず降車駅が書かれていました。

疑問14

近松はこれだけの荷物ならボストンバッグを持っている方が不自然では?

疑問15

死体の身元確認した直後に鯛すき…は厳しい。無理しても食べられない。すすめる気にもならないのでは?

疑問16

夫の死体確認をした近松夫人について「彼女は胸中なにを思い、考えているのだろうか」とあるが、ほんと何を考えてたのか?

疑問17

鬼貫も、梅田も、近松夫人が夫の行き先を知らないことに何故疑問をいだくのか?知らない方が自然では?

疑問18

12月の北九州で青い服装ってどんな格好になるものか?

疑問19

「これがなかなか如才ない社交家で、鬼貫を終始あかせなかった。十一時に壱岐の芦辺に寄港すると、博多港からの三時間をひとりしゃべりつづけてきた猟人は(略)」こういうタイプのひとって鬼貫が一番苦手そう…私なら嫌。

疑問20
蟻川は鮎川の名の由来だから親近感をもって書いているのだろうけど。なに、この気障感!自分に似せて書く時、作家はそう書きたくなるのか? ミアシャムパイプ(メアシャムパイプ)なんて初めて知ったけど、笑ってしまいそうなくらいお洒落。

疑問21

「銀座の首つり横丁」って実在したのだろうか? 調べたけど分からなかった。でもインパクトのある地名。

疑問22

鬼貫が由美子の腕に残る殴られた跡の黒い痣に気がついたのは12月23日。しかし殴った男は12月6日の夜には死んでいる。17日間も殴られた痣が残るものだろうか?

疑問23

近松殺害の動機がいちばん強いのは妻、由美子…と私的には考える。そうすると由美子が犯人に犯行をそそのかした可能性も考えられるのでは…?「黒いトランク」では、彼女が完全にシロと読めないのでは?

疑問24

由美子は経済的に困窮しているのに、美しく書かれすぎている。由美子への思い入れの強さがありすぎるのでは?だから鬼貫の最後の言葉になるのかもしれないが。解説によれば、由美子は最初存在してなかったそうだから、矛盾がでるのかもしれない。

カテゴリー: 2018年, 読書日記 | コメントする