アーサー・モリスン倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」4章32回

これは、しかしながらランとラリーの戦いであり、ディッキー・ペローがジェリー・ガレンの裏庭から出てきて、ポスティー経由でショアディッチを進んでいったときは、まだ戦いの初期の段階だった。ポスティー通りとは、オールド・ジェイゴウの端にある杭(ポスト)のある通りだった。彼の目的は、通りがかった馬車から藁をひとつかみしたり、無防備な飼い葉袋から配合飼料をつかみとることだった。そうすることでジェリー・ガレンのカナリヤがしめしてくれた同情に報いようとした。だが、エッジ・レーンの角にあるポステイィー(杭)で、帽子をかぶり額に真紅のこぶをこしらえたトミー・ランが、両腕に飛び込んできた。彼は息を切らしながら、大喜びして、しきりに自慢した。ジョニー・ラリーとジョー・ドーソンと闘ってきたのだと彼はいった。次から次に闘ってきたのだ。それもすぐ近くで、ジョニー・ラリーのしなびた首をひっかいた。するとジョー・ドーソンの兄の方が、血のついたシャベルをふりまわしながら追いかけて来た。そういうわけで二人の子供たちは走りつづけ、人目につかない裏庭へと入った。そこで、ジョニー・ランはしかめっ面をしながら、想像上の憎しみをかきたてて武勇伝を語り、いっぽうで主教の時計の物語も抑えつつも、手をくわえながら語られ、ふたりの話は入りまじりながら、暗くなっていく闇のなかで張り合っていた。そうするうちにジョニー・ガレンのカナリヤは忘れ去られ、ほうびはもらえなかった。

This, however, was but a Rann and Leary fight; and it was but in its early stages when Dicky Perrott, emerging from Jerry Gullen’s back-yard, made for Shoreditch High Street by way of the ‘Posties’—the passage with posts at the end of Old Jago Street. His purpose was to snatch a handful of hay from some passing waggon, or of mixed fodder from some unguarded nosebag, wherewith to reward the sympathy of Jerry Gullen’s canary. But by the ‘Posties,’ at the Edge Lane corner, Tommy Rann, capless, and with a purple bump on his forehead, came flying into his arms, breathless, exultant, a babbling braggart. He had fought Johnny Leary and Joe Dawson, he said, one after the other, and pretty nigh broke Johnny Leary’s blasted neck; and Joe’s Dawson’s big brother was after him now with a bleed’n’ shovel. So the two children ran on together, and sought the seclusion of their own back yard; where the story of Johnny Rann’s prowess, with scowls and the pounding of imaginary foes, and the story of the Bishop’s watch, with suppressions and improvements, mingled and contended in the thickening dusk. And Jerry Gullen’s canary went forgotten and unrequited.

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