M.P.シール 『音のする家』

 

―私は眠りにおちる者のように倒れたー(ダンテ、神曲、地獄篇三歌)

 

はるか昔、まだ青年であったころ、私はパリで学ぶ学生で、偉大なるコローとも打ち解けてつき合い、彼のそばで、心の不調がひきおこす事例を幾つか目のあたりにしてきたが、そうした事例を分析することにかけて、彼は優れていた。私が覚えているのは、マレー地区に住む或る少女のことで、彼女は九歳の年になるまでは、遊び仲間の子ども達と何ら異なるところはなかった。だが或る夜、寝台に横になりながら、母親の耳もとにささやいた。「ママ、地球の音が聞こえてこない?」どうやら、その幾日前、地理の授業で教わったらしいが、地球は飛行しているけれど、すごい速さの飛行速度で、太陽のまわりの軌道を飛んでいると学んだようであった。彼女の話によれば、地球の音は、(現実性に乏しい話ではあるが)かすかに音楽が鳴っていて、貝のつぶやきのようでもあり、夜の静寂さのなかでようやく聞こえるということで、彼女は高速の動きから生じる歌なのだと思いこんだ。六ヶ月もしないうちに、彼女は過度の狂気にとりつかれた。

この話を友人であるアッコ・アルファーガにしたのは、そのとき彼がいっしょに暮らしていたからで、住まいとしていたのは、サン・ジェルマンにある古色蒼然とした、侘びしい建物で、そこは通りからは灌木の茂みと高い塀によって遮られていた。彼が熱心に耳を傾けるものだから、あたりは陰鬱さにつつまれていった。

私が詳しく語って聞かせた別の逸話に、私の友人は深い感銘をうけた。それはセント・アントワーヌで玩具をつくる若者の話で、彼は生まれつき肺病を患い、長年苦しんできたが、ごく普通に二十五歳の年をむかえることができた。彼はつつましく、勤勉で、一途な若者であった。ある冬の夜、孤独な屋根裏部屋に戻る途中で、彼がたまたま購入したのは、政党の冊子であったが、それは熱情にあふれ、夜になると、闇がふさわしいというかのように、通りで配られる類のものだった。彼は寝床に横たわると、その本を熟読した。彼は読書を体験したことはなく、広い世界のことも知らなければ、産みの苦しみからくる深い旋律のことも知らなかった。だが翌晩、彼は別の冊子を買い求めた。

だんだんと彼は、政治について知識を深めていったが、それはこの世の大きな動きについて知ることでもあり、生命があげる唸り声について知ることでもあった。この知識に、彼は夢中になった。毎晩、夜遅くまで、彼は横たわりながら、怒りにかられた虚言、不穏な力、印刷された情熱の数々を読みふけった。憔悴しながらも彼が眠りにつくことはなく、血を吐き、緊張におしつぶされることも度々であった。そしてそのまま、朝刊を買いに出かけた。彼の心は、自らが退行にむかっていく方向へと力を貸した。歯ぎしりをすればするほど、彼はものを食べることができなくなった。彼はすっかりだらしなくなり、仕事も滞りがちで、一日中寝台で横になっていた。彼は、ぼろぼろの服の亡者となった。興味関心はさらに強くなり、世のすべてに抗おうとするほど、彼の弱い心はその思いに取りつかれてしまい、その他のことへの関心も、抗おうとする気持ちも、消え去ってしまった。やがて彼は、自分の命にすら執着しなくなった。ついには、彼は狂気にかられた指で、自分の髪をかきむしるに至った。

この男について、偉大なるコローはこう私に語った。

 

「本当のところ、こうした事柄に直面すると、笑っていいのか、それとも泣くべきなのか判断に迷う。考えてみるがいい。ある出来事が起きると、さまざまな影響をうけるということを。人の心はあまりに感受性がつよく、溶けた銀をうける杯のようなもので、息をするたびに、その心は荒み、影がさすことだろう。ましてやシムームの砂嵐や竜巻に遭遇すれば、どうなるものか? そう、私は隠喩ではなく、直喩で話をしている。それというのも、この地球はーこの宇宙と言ったほうがいいかもしれないがー、住むのに適した場所ではなく、むしろ死の舞台であり、不吉なまでに広がっている世界だからだ。数多の人々を戦慄させることに、命あるものは幾度も、幾度も叫び声をあげる。だから、この世界は耐えがたい。軽やかに躍動する命の世話を十分したあとで、大きな炎につつまれ、ロボットにすぎなくなった命を置き去りにするといい。それが玩具職人の例だ。つまり神経症にすぎない。壮麗なるギリシャ神話の世界にも、こうした口やかましい女連中がいるが、そういう連中に、この男は捕えられた。あるいは、宇宙の車輪に足をすくわれ、そのまま倒れたというべきか。それは素晴らしい退場の仕方であり、この男は炎の戦車に身をうつしたというわけだ。記憶にとどめておいたほうがいいが、最初に巻き込まれたのは耳からだ。ヨーロッパのうなり声に耳を屈服させると、やがて彼自身がうなるようになってしまったのだ。

一本の藁はしずかに、原始の嵐にのることができるものだろうか。混沌とした世界と私たちの靴のあいだで震えているのは、とても薄い層なのである。私が知っている男にも、感覚過敏の特性のある耳の持ち主がいた。あらゆる音が彼につたえるものとは、その音を引き起こす事情についての、微に入り細にわたる情報であった。いうなれば、彼の耳と普通の耳とのあいだの関係とは、分光器と望遠鏡とのあいだの関係に等しかった。たとえば、銅と鉄がまざった棒が、錫と鉛の棒にぶつかるとき、聞こえる範囲であるなら、彼に伝わる情報とは、それぞれの棒に含有されている金属の割合だけでなく、銅や鉄、スズや鉛そのものの、おもな価値や特質についてであった。当然のことながら、彼は狂気にかられたが、そうなる前に私に告げてきたのは、以下の奇妙なことであった。

彼のその感覚はまさに、確かな直感によるものながら、神によって動かされた結果であり、心に浸透させていくあいだに、心の本質や物事の動きを理解するようになるためのものだ。そして彼が理解したところでは、罪、いわゆる私たちが罪と呼ぶものは、物事の揺れや心の動きにすぎないもので、不快な思いや、痛みがおしつけられる場面であらわれるものである。そうした苦痛が生じるのは、神による、細心の注意を要する複聴という行為をしているときだが、複聴とは一つの音が幾通りにも聞こえるものである。ヨハネの黙示録の掟は、彼の目には、耳の痛みから己を守ろうとする渦中において、自分たちの神に命じられた掟となる。神からの罰がどのようなものかといえば、たとえば殺人に対する罰は、神のせいで、耳の知覚が引き起こす不安が報復となるもので、特定の時に、思いがけない場所で生じる不安であり、お決まりの短剣と弾に襲われるかもしれないというものだ。彼もまた、天上高く、ギリシャ神話の女面鳥ハルピュイアにさらわれたのだ。

こうした事例について、友人であるアルファーガに語って聞かせた。私が呆気にとられたのは、彼の鋭い関心についてではなく-彼はあらゆることに関心をもっていたからだ-見るからに苦労しながら、そうした関心を隠してみせたことだ。彼は急いで本の頁をくったが、鼻孔のあえぎを隠すことはできなかった。

 

ストックホルムで同じ学校に通いはじめ、最初の数日間で、無言の親しさが、私たちのあいだにうまれた。私は彼のことを慕い、彼も私のことを慕ってくれた。だが、その親しさとは、ふつうの親しい友のやりとりから生じてくるものではなかった。アルファーガはとても内気な男で、きわめて孤独であり、他の者たちから孤立していた。私たちの共同体は、パリの夜の集まりで、偶然の出会いから生じたもので、数ヶ月のあいだ、その関係はつづいたが、私には彼の計画も知らなければ、彼の動機もわからなかった。私たちが感情をこめて本を読んだ日々のあいだ、彼は過去について話し、私は同じように現在について話した。夜おそくまで、私たちが長椅子に横たわっていた部屋は、広い、穴蔵のようなところで、そこにはルイ十一世風の、古い暖炉があったので、消えかけている炎をあおってタバコをふかし、ヨモギやテレビンノキが燃える静寂さに身をひたした。たまに夜会やら講演会やらで、私が家から離れることもあったが、アルファーガが家を離れたのは一度だけであった。そのとき、私がサントノーレ通りの家に戻ると、古びて、粗悪な敷石のうえを馬車が通り過ぎていくその通りで、いきなり彼と出くわした。この騒々しさのなか、彼は耳を傾けている様子で舗道にたっていて、私が手でふれても気がつかないようにみえた。