M.P.シール 『音のする家』
―私は眠りにおちる者のように倒れたー(ダンテ、神曲、地獄篇三歌)
はるか昔、まだ青年であったころ、私はパリで学ぶ学生で、偉大なるコローとも打ち解けてつき合い、彼のそばで、心の不調がひきおこす事例を幾つか目のあたりにしてきたが、そうした事例を分析することにかけて、彼は優れていた。私が覚えているのは、マレー地区に住む或る少女のことで、彼女は九歳の年になるまでは、遊び仲間の子ども達と何ら異なるところはなかった。だが或る夜、寝台に横になりながら、母親の耳もとにささやいた。「ママ、地球の音が聞こえてこない?」どうやら、その幾日前、地理の授業で教わったらしいが、地球は飛行しているけれど、すごい速さの飛行速度で、太陽のまわりの軌道を飛んでいると学んだようであった。彼女の話によれば、地球の音は、(現実性に乏しい話ではあるが)かすかに音楽が鳴っていて、貝のつぶやきのようでもあり、夜の静寂さのなかでようやく聞こえるということで、彼女は高速の動きから生じる歌なのだと思いこんだ。六ヶ月もしないうちに、彼女は過度の狂気にとりつかれた。
この話を友人であるアッコ・アルファーガにしたのは、そのとき彼がいっしょに暮らしていたからで、住まいとしていたのは、サン・ジェルマンにある古色蒼然とした、侘びしい建物で、そこは通りからは灌木の茂みと高い塀によって遮られていた。彼が熱心に耳を傾けるものだから、あたりは陰鬱さにつつまれていった。
The House of Sounds.
421977VailaMatthew Phipps Shiel
— E caddi come l’uome cui sonno piglia — Dante.
A good many years ago, a young man, student in Paris, I was informally associated with the great Corot, and eye-witnessed by his side several of those cases of mind-malady, in the analysis of which he was a past master. I remember one little girl of the Marais, who, till the age of nine, in no way seemed to differ from her playmates. But one night, lying a-bed, she whispered into her mother’s ear: “Maman, can you not hear the sound of the world?” It appears that her recently-begun study of geography had taught her that the earth flies, with an enormous velocity, on an orbit about the sun; and that sound of the world to which she referred was a faint (quite subjective) musical humming, like a shell-murmur, heard in the silence of night, and attributed by her fancy to the song of this high motion. Within six months the excess of lunacy possessed her.
初めての通りすがりの者です。全く未知の作家の未知の作品で勉強になりました。ですが、このパート1しか読んでいません。怖くなってしまって。多分これ以上私には読めないでしょう。質問ではないのでお答え頂かなくて構わないのですが、the great Corot とは画家のコローのことなのだろうかと思いました。多分違うのでしょうけれども。あと、冒頭のダンテからの引用の献辞ですが、私はイタリア語はできませんので検索してみました。もしかすると訳されている場所と違うかもしれません。機会ありましたら、ご確認ください。私の参照したのはこちらのページです: http://world.std.com/~wij/dante/inferno/inf-03.html
そして、そのテキストによると、 E caddi come l’uome cui sonno piglia. というのは地獄篇第三歌の最終行のようです。これは英訳版(penguin classics)で見ると、and I fell as one falls tired into sleep. と訳されていました。管理人さまが訳されている箇所はこれはおそらく同じ第三歌の12行目だと思います。先のテキストから引くと、per ch’io: «Maestro, il senso lor m’è duro».という箇所で、上記英訳版ですとそこは、”Master,” I said, “these words I see are cruel.” となっていました。私の勘違いかもしれませんが、ふと気づいたことだったので、一応書いてみました。私の間違いであれば、予めお詫びいたします。
とてもおもしろそうな小説ですが、ちょっとこわくて、私にはこの先は読めません。私はどちらかというと、その女の子に共感を持ちそうですから。ただ、英国にはこうした発想のお話(実話か小説か私には分かりません)が多いですね。ダールの短編にもこうした発想のものがあったと記憶します(題名は忘れましたが)。
一記事だけですが、読ませて頂きありがとうございました。
拙訳に目をとおしてくださり有難うございます。
ご指摘くださいました箇所は、迷いつつ訳したような記憶があります。
a walker-by様のご指摘を参考にしながら、また訳を再検討したいと思います。
英文の難しさに気をとられ、肝心の怖さを忘れていました。
今、読みかえすと、なんとも言えない怖さがあります。
また、この作品の訳を再開したいと思いますので、どうぞお立ち寄りください。
コメントありがとうございます。私はやはりこのお話はこわくて先は読めません。というか読みません。ごめんなさい。原作の文章としてはもちろん優れていると思いますけれども。
ダンテの神曲からの献辞は明らかのテクストの行数を間違えられているように思うのですが何故でしょう?どなたかほかの方が協力提供された訳だったのでしょうか?そこの箇所だけ、どうしてだろう?と少し謎でした。チェスタトンの方にはもっと興味があります。短篇だけでなくあのような長編作品もあるのですね。私はチェスタトンといえば、ブラウン神父の童心しか読んだことがありません。興味はあるのですが。いずれにしろありがとうございました。
いろいろ教えてくださり有難うございます。
ダンテの神曲の箇所ですが、なぜ行数を間違えて訳したのか自分でも謎です。
とりあえず訂正しました。
チェスタトンにも興味をもってくださり有難うございます。
今、少しずつ訳している「マンアライヴ」は「ブラウン神父の童心」の1年後に出版された作品です。
ブラウン神父では抑えていた警句や夢想にあふれた作品だと思います。
どうぞお時間のある時に「マンアライヴ」の方にもお立ち寄りください。
チェスタトンの違う顔を発見されるかもしれません。
訂正:
明らかの→明らかに
ごめんなさい。