丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十六日「私は球電だ」を読む
球電というのは、雷雨の時に見られる球のように発光する現象。
雷雨のこの世のものとは思えない凄まじさ、
弱い筈の世一。その不思議な存在感、
そんなものが混然として美しい描写だなあと思う。
すぐ後を追う私に
彼がまったく気づかないのは
あながち雷鳴や土砂降りの雨のせいばかりではなく、
思うに
病がもたらした途方もない集中力の為せる業に違いなく、
つまり
自我への認識の度合いの異様な深さによるもので、
落雷は山にも町にもあって
その都度
野人に等しい少年の姿をくっきりと照らし出し
瞬間の火柱を立ち昇らせる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』340ページ)