丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十四日「私は供物だ」を読む
「あまびこ神社の神官の手によって うたかた湖に恭しく捧げられる」供物が語る。
「水のほうは人間が大嫌い」という発想はなかった。
いつも都合のいいように、水に自分の思いを仮託していたかもしれない。
でも水にすれば、そして森や海にすれば、理性なく荒らしまわる人間という存在は、何とも嫌なやつに思える……という視点にハッとした。
すると神官の息子は
「人間は水が大好きでも
水のほうは人間が大嫌いなんですよ」と言い、
だが彼の父親は
水は神そのものであるからにして
けっして人間を見捨てたりはしないと
自信たっぷりに言ってのけ、
ひっきょう
彼らの見解の相違は
永遠に持続しそうな案配だ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』57ページ)