さりはま書房徒然日誌2023年9月26日(火)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む
ーひとつの文のなかに込められた問いかけやら比喩やら思索にときめいてー

以下引用の文はこれで一つの長い文。

まず、読み手の心を誘いかける「時はもう夕暮れ」という柔らかな響きの言葉で始まる。

そして作者の思考を感じさせる「横暴を生む母体」「罪の舞台」という言葉が、読み手に問いかけてくる。

ため息をつきたくなったところで「生彩と独創性に満ちた清夜」と言う美しい言葉に気を取り直す。

「骨灰を思わせる真白き月」と言う思いがけない比喩に、読んでいる私の感情も一気に高ぶる。

その勢いで「陳腐な価値評価が異様なまでの高まり」と言う謎に満ちた言葉も理解したかのような幸せな誤解に包まれる。

丸山先生の思考に裏打ちされた言葉を完全に分かったとは言えないけれど.…。
「星影の表現が不明確で粗雑」「豊麗な星々が押し合いへし合いする」「天啓のごとき雰囲気を具えた流星」「没落の未来」「底意地の悪い将来」「命の環状線」「沈黙に侮辱されながら」
……と宝石箱から溢れたような比喩の数々を愉しむ。

そうこうしているうちに長い文も終結となって、「生と死のいずれが存在の実相」という謎めいた問いかけの語句で、この文は終わる。

たった一つの文を読むだけなのに、宇宙の奥まで、思考の深淵まで旅した気分になる……そんなときめきを感じた。

時はもう夕暮れ
日も落ちようとしており、


やがて、

たとえば心無い因襲の徒に具わりがちな不滅の活力に支えられ
横暴を生む母体としての
あからさまな罪の舞台にあって、

万事よしと自信をもって判断できるほどの
生彩と独創性に満ちた清夜を迎え、

すると、

骨灰を想わせる真白き月の下で
世界は公正であるとする陳腐な価値評価が
異様なまでの高まりを見せ、

どんなに星影の表現が不明確で粗雑であっても
べつにこれといった不都合は感じず、

おかげさまと言うかなんと言うか
狂気染みた情熱に恵まれたこのおれは、

偏在性への漠然とした懐疑や
移ろいやすい超越主義が無制限にあふれて
豊麗な星々が押し合いへし合いする
宇宙の大偉観に圧倒され、

ゆえに、

あたかも天啓のごとき雰囲気を供えた流星が
没落の未来を暗示することなど間違ってもなく、

過去をもう一度生き直さざるをえないような悲しみに包まれるという
大きな錯誤が永続的に作用することもなく、

ひどく底意地の悪い将来によって
自己依存の行き着くところが呑みこまれてしまうこともなく、

好むと好まざるとにかかわらず
命の環状線を一巡して
沈黙に侮辱されながら帰途に就くしかないという
そんな無防備な孤立状態に気づかされてうんざりすることもなく、

また、

生と死のいずれが存在の実相であるにせよ
それ式のことではもはや驚かなくなっていた

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻495頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月25日(月)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む
ー自分のドッペルゲンガーを前にした時に思い出されることを言葉にすればー

津波から助かった青年が無人の被災地をさすらううちに、自分の家にたどり着く。
我が家の新台には、裸で男が死んでいた。
よく見れば、その死んだ男は自分自身だった……。

以下引用の長い、でも一つの文は、そんなドッペルゲンガーを見つめ埋葬を決意するまでの、青年の心に思い浮かんでくるあれこれを語っている。

長い文の最初は「波打つ草のごとき切なる追想に耽りつつ」と引き込むような美しい言葉で始まる。


そして続くドッペルゲンガーと「たわいもない局部的な過ちの染みについて」交わす会話。
その内容は具体的には書かれていない。
そのかわりに「たとえば」と繰り返すことで、読み手の方でイメージをどんどん膨らませていくことができる。


そう、一番最後の「たとえば」だけ、「娼館を女手ひとつで切り回していた育ての親」とやけに具体的なのはなぜなのだろうか?
読み手の意識を現実に引き戻す合図だろうか?

一つの文の中に、作者の意図が色々働いている気がする。

しばしのあいだ、

波打つ草のごとき切なる追想に耽りつつ
たわいもない局部的な過ちの染みについて
もうひとりの自分かもしれぬそいつを相手に無言の語らいを始め、

たとえば
神格化が可能なほど絶対的な孤立、

たとえば
おのれの涙にまみれた明けの明星、

たとえば
本来の人間に帰するための動と反動、

たとえば
中間的な存在である万物がもたらす粗雑な結果、

たとえば
八方の境界を超えてほとばしる新しい眺望、

たとえば
憎しみが恍惚に昇華してしまう光明なき時代、

たとえば
逃避を許さぬ荒涼たる空虚、

たとえば
娼館を女手ひとつで切り回していた育ての親、

そんなこんなを
思いつくままに喋りまくったあと、

地面の下が本当にふさわしいかどうか
念入りに再確認しようと
もう一度遺骸の前にしゃがみこんだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻455頁)

丸山先生も、短歌の福島先生も共通するお叱りのフレーズは「それは説明的すぎる」という言葉。

わかりやすく書くのではなく、かけ離れた語と語を結びつけてイメージの花束を読み手に差し出す……ことを理想とされているのではないだろうか。
読み手は、差し出された言葉の花束を自分の思考回路に流して自由に造形していく……という読み方を、丸山先生も福島先生も理想とされているのかもしれない……とふと思った.

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さりはま書房徒然日誌2023年9月24日(日)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ードッペルゲンガーの存在に疑念を抱かせない語り方ー

若い頃、歌人・高瀬一誌から指導を受けた歌人(福島先生ではありません)にこう教えて頂いた。
高瀬一誌が常々言っていたのは「他人と似ていない歌をつくれ」との言葉だと。
高瀬一誌に指導を受けたその方は「短歌は長くつくっているうちに自分の文体ができてきます」とも励ましてくださった。


小説でも、文芸翻訳でも「他人と似ていない」「自分の文体」ということは、あまり大事にされていない気がする。
(今の厳しい出版社サイドにすれば、少しでも多く売れてくれる……だけで精一杯なのかもしれないが。)

だが丸山先生も、そういう視点をすごく大事にされていると思う。

丸山先生の今の文体は、「丸山健二」という名前がなくても、一目でパッと「丸山先生の文だ!」と分かる。


そして私も、丸山先生とも似ていない自分の文体を作らなくてはいけない……とは思うが、いつになるやら。

でも「他人と似ていない」「自分の文体」を目指すところが、短歌や散文を書く醍醐味であり、苦労なのかもしれない。

さて「我ら亡き後に津波よ来たれ」だが……。

津波を逃れた青年は無人の被災地をさすらううちに、見覚えのある我が家にたどり着く。
中に入れば、寝台には裸の男。
よく見れば、男は死んでいた……
さらによく見てみれば、死んだ男は自分自身。
自分のドッペルゲンガーを見ているのだった。

そんなドッペルゲンガーとの出会いにつづく文は、不思議な状況に疑念を挟む隙を与えないような、格調の高い文だと思う。

「獄門が閉ざされてから吹き渡る」「上々吉の風」「異形の風」「裁きの庭のごとき」「夜々草のしとねに伏す悲しみ」「静かに輝く草原というたぐいの夢さえ尽き果てた現世の暗闇」……と畳みかけられたら、ドッペルゲンガーがたしかにいる気になってくるではないか!

また
ほんの少し視点を変えれば、

獄門が閉ざされてから吹き渡る上々吉の風とは真逆の
異形の風に導かれて可能になったこの異様な出会いは
永遠に未熟な魂同士の融合と言えるのかもしれず、

さもなければ
震撼の世におけるただ一度の歓喜の巡り合いということなのかもしれず、


早い話が、

特異な性格を具えた異端者同士が
生々躍動する秩序の崩壊にあまねく覆われた
あたかもたじろぐしかない戦いの場のごとき
もしくは裁きの庭のごとき
この被災地に濃い影を落としていることになるのやもしれず、


そして今後は、

夜々草のしとねに伏す悲しみを負う胸のうちをぶちまけ合い、

互いに赦し合い、

心地よい孤独を知覚し合い、

肝胆をかたむけて一夜語り合い、

思い詰めた瞳の奥に折り重なる言葉の影をつぶし合い、

大気に孔をうがつほどの光の狂乱を夢見合い、

天高く輝く魂の避難所という幻想を徹頭徹尾無視し合いながら、

静かに輝く草原というたぐいの夢さえ尽き果てた現世の暗闇を
手に手を取ってさまようことになるのかも知れなかった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻407頁)

ただしドッペルゲンガーも登場してやや経過すると、だんだん語り方が砕けたものになってくる。
おかげで青年や読み手とドッペルゲンガーとの距離が、縮まったようにも思えてくる。
それからドッペルゲンガーとの距離を喩える表現の連続「遠方の恋人同士」から始まる文も面白いなあと思った。

早い話が、

おれはどこまでもおれでありつづけ
そ奴はあくまでそ奴でありつづけ、


相手はというと、


無に等しい罪深さしか知らぬ
未確定な未来への到達を心待ちにし
常に喜びもまたひとしおといった面貌の
死後の幸福までまんまとせしめてしまうような楽天家であり、


当方はというと、


夢見ることもあたわぬ
怒るにつけ悲しむにつけ眼下に心の碧譚を望むしかない
そうであればこその苦境に追いこまれつづける
流竄の詩人であって、

ともあれ、


両者はそれ以外の何者でもなく、

遠方の恋人同士のように、

離婚して久しい男女のように、

別々の飼い主に引き取られた仔犬のように、

暗黒の空間ですれ違う小惑星のように、

互いに干渉し合う必要などない存在だった。


(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻421頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月23日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ーひとつの文が長い記憶の旅路にも思えてー

1966年の「夏の流れ」から五十年の年月を経ての作品「我ら亡きあとに津波よ来たれ」
両作品の文体の違いに、「我ら亡きあとに津波よ来たれ」の文体に到達するまでの丸山先生の文体への試行錯誤の過程を思う。

「夏の流れ」の簡潔で、引き締まった美しさのある文。

そして「我ら亡きあとに津波よ来たれ」以下緑の引用文は、これで一つの、実に長い文である。

津波を生きのびた青年の意識をかけめぐる記憶の流れのような、目前にひらける海原のような、たゆたう流れを感じる素敵な文だと思う。

この長い一文の始まりは、「月光の金杯を満たす沈黙の語りとは似ても似つかぬ」という魅力的な語の組み合わせだ。
意味は定かに分からないながら、素敵な響きにあっという間に文に引き込まれる。

そして丸山文学によく出てくるテーマである「もうひとりのおれ」とのやりとりが出てくる。
「船上と岸壁で互いを呼び交わすような無意味にして虚しい押し問答」という文で、絵画を見るかのようなイメージ喚起力で「もうひとりのおれ」とのやりとりが喩えられている。

そして「もうひとりのおれ」にかき乱される記憶が悶々と文の闇間に散る。

長い一文の最後は、「いちいち未来に楯突く明日を思わぬ心といっしょに無窮と無限を孕んだ玻璃の海へと」
なんだか心がスーッとする言葉がきて、浄化された思いになってようやく一つの文を読み終えた。

丸山先生が一つの文を書くのに込めた思いを想像し、そうした時が凝縮された本がずしりと重く感じられてくる。

すると、

月光の金杯を満たす沈黙の語りとは似ても似つかぬ
自分に都合のよいときだけくどくどしく述べ立て
結局はぼやきで終わりそうな
呆れ返るほど単調な物思いが始まり、

それから、

うすうす感づいているおのれの不気味さと
幾多の謎を投げかける胸に咲く花を誰よりも強く意識した
もうひとりのおれとのあいだで
船上と岸壁で互いに呼びかわすような
無意味にして虚しい押し問答がくり返されたものの、

相手をへこますどころか
逆に言い負かされてしまい、

ひとしきりの沈黙の後、

まるで十年ぶりの再会に匹敵しそうな
官能とたわむれるしかなかった青春の放胆さに直結する
まことに奇妙な懐かしさに奇襲されて
不覚にも落涙しそうになり、

不幸と欠乏に付きまとわれっぱなしの生来的な自然人として
今もなお遁走の真っ最中であるおのれの体内に
望んでも得られぬ定めや
することなすこと裏目に出るという汚辱が
トラックに轢かれた蛇のようにのたうっていることが再認識させられ、

それでもなお、

いつまでも経済的に自立しないせいで
消費からの解放という理念が際限なく無価値なものとなるような
延々と切れ目なしにつづく灰色の日々のなかにあって、

借り物の力に復してしまわないほどに、

スノビズムからの解放を必要とする世俗世界の秩序を黙殺できるほどに、

いっさいの敬慕の念を頭から振り払えるほどに、

神仏に化託してみずからの心情を語れるほどに、

心を強化してくれそうな人生の慰めを求め、

また、

ひとえに絶望的な混乱をはっきりと物語る陸を離れたい一心から
いちいち未来に楯突く明日を思わぬ心といっしょに
無窮と無限を孕んだ玻璃の海へと
どこまでも強情を張りそうな
恐ろしいまでに血走った目を飛ばすのであった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻361頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月22日(金)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む
➖死を悼む万物の声を喩えるなら➖


津波から助かった青年が誰もいない地を彷徨う途中、心に聞こえてくる言葉……。
死者の言葉だろうか?それとも死者を悼む万物の言葉なのだろうか?

以下、緑の一番目の引用箇所について。
津波でみんな死んでしまった……を散文で表現すると、「平等この上ない死を理詰めで肯定し あっという間に生命線を断たれてしまった」になるのかと思い、そう書くことで伝わってくる感情を考えてみる。

「平等この上ない死を理詰めで肯定し」で逃れられない感がひしひしと迫ってくる。

「あっという間に生命線を断たれてしまった」で命のあっけなさ、無情さに胸が締めつけられる。

「遠雷」や「舟唄」「家鳴り」「つぶやき」の比喩が「のように」と繰り返されることで、悲しみの声があちらこちらから谺するような気がしてくる。
比喩の言葉の思いがけなさも面白い。「舟唄」や「家鳴り」に喩えるとは!


「非難の的の透明性を濁らせるつぶやきのように、」という一文がすごく気に入って、今日の文を書こうと思った。


切なくて不合理なイメージが湧いてくるけれど、具体的に何か……自分の心に作用する過程をきちんと説明することはできない……そして正確に説明はできないけれど、心に何かが伝わってくる、こういう表現が私は好き。


「分かるように文章は書きなさい」という実務志向の世の流れには逆行するのだろうけれど。
明確に説明はできないけれど、心がいいと叫びたくなる表現はいいのだ。

息をとめて心耳をかたむければ、

平等この上ない死を理詰めで肯定し
あっという間に生命線を断たれてしまった
目に見えない人々の生涯を飾る最期にふさわしい魂のこもった言葉が、

山の彼方で轟きわたる遠雷のように、

水路を巡りながら口ずさまれる舟歌のように、

歴数千数百年を経る古刹の家鳴りのように、

非難の的の透明性を濁らせるつぶやきのように、

ほんのかすかに聞こえてくるのだった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻302頁)

以下、二つの引用箇所は丸山先生の考えがよく現れて魅力的な箇所と思う。

一つめのところ……。

震災のせいで国家が瓦解したら、個人を抑えつけていたものが取っ払われるのだろうか? 
それとも丸山先生ご自身もよく言われるように、天災に乗じて国家が好き勝手に抑えにかかる方向に進むのだろうか?

「断固たる民意という列柱」という言葉も重い。今の日本のように望ましくない国家を支えているのも民意なのだろうか……と。


断固たる民意という列柱によって支えられた
国家的な目標という大屋根が取っ払われたせいで
個人の自由を留保しつづけてきた権威主義が溶解し
情熱的にして騒然たる時代の幕開けが強く予感され、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻323頁)

次の引用箇所。
ラジオを見つけた青年がスイッチを入れても何も聞こえてこない……という場面。
まさに今の日本絶望をそのまま語っているような文だと心に残る。

つまり、

真っ当な希望に裏付けられた至高の統治者の登場など夢のまた夢でしかない
無定見にして無節操な経済力に支えられ
無知の代償としての間断なき堕落にさらされていたこの島国は、

可死的な存在という色合いに塗りこめられて
人間における反動物的なただひとつの側面である
無気力という精神上の危機を迎え、

各人がおのれの持ち場を放棄するという反社会的な自殺によって
未来を拒否する弱小な国家に成り下がってしまったのかもしれず、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻341頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月21日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

かけ離れた語と語なのに、ぴったり結びつく比喩の愉しさー

丸山先生に比喩のことを何やら訊いたとき、「これからもどんな比喩が生み出せるか挑戦はずっとつづく」的なことを言われていた記憶がある。

丸山先生の考える思いがけない比喩を目にすると、日常のグダグダした思考からバッサリ切り離してくれるようで、私は爽快感を感じる。

でも比喩のウルトラCに「ついていけない」という思いの読者も多くなってしまったのかもしれない。

ただ「黒死館殺人事件」の中で、小栗虫太郎もギリシャの哲学者の言葉として「比喩には隔絶したものを選べ」と書いている。

結びつかないものを言葉の力で結びつける発想力……が、詩歌や散文を読んだり、書いたする楽しみの一つだと思う。

残念ながら、実用的な文章読解力要請を目指すという昨今の国語教育を受けてきたり、心地よくストレートに感動できるアニメだけで育ってしまうと、こうした比喩の面白みが分からない人が多いのではないだろうか……と残念に思う。

私も理解できたとは言えないけれど、丸山先生ならではの比喩に心惹かれ、答えは出ないけれどなぜこうなるのだろうと、せっせと駄文を連ねる。

さて以下引用部分は、津波から助かった青年の心境が海辺へと降りてゆく途中でだんだん変わる過程を書いている。

「急務でも背負う」と「こけつまろびつ」でよろよろ海へと下る姿が浮かぶ。

「危ない状況から生まれた忌まわしい怪物」で津波に衝撃を受けた青年の姿が見えてくる。

「はてさて、」で軽やかに風向きが変わる。

「発酵状態にある」「良識」も「有機的な」「心情」も目にしない語の組み合わせなんだけど、こうして結びつけると強く頷ける表現。

「ありうべからざる」と「正しい位置」の組み合わせも強烈に心に残る。

「死者と」「紙一重の」「倦み疲れた心身の持ち主」も新鮮な言葉の組み合わせだけど、思いがひしひしと伝わってくる。

「サンドブラストに掛けられた鉄錆のように」「きれいに滅しかけたのだ。」という組み合わせも鮮やか。
サンドブラストで始まるこの一文が好きなので、今日の文を書こうと思った次第。

すると、

あたかもより本質的な当面の急務でも背負うかのようにして
こけつまろびつしながら海へと近づいて行くおれ自身が、

かくもふさわしい状況のもとで
実在の一定の調和を保っているかのように思え、

さもなければ
危ない状況から生まれた忌まわしい怪物にでもなった気分で、

はてさて、
その根拠についてはまるで想像つかないのだが
少なくともかつては存在しなかった人生の幸福な瞬間を感じていることは確かで、

発酵状態にある良識と同様
常に有機的な心情を胸に忍ばせながらも
これまで疎んじられてきた穏やかな感情が勝手にぐんぐん膨張し、

ついで、

存在の基準を自己のうちに持つゆるぎない立場がはっきりと自覚され、

共存不能なものなど皆無であることがつくづくと思い知らされ、

どこまでも意味に即した迫真の観念が充分にありうるものとして解釈され、

連綿とつづく精神性の上昇発達がとてもあざやかに認識され、

ありうべからざる正しい位置につけたような心地になり、

きのうまでは死者と紙一重の倦み疲れた心身の持ち主だった記憶が

跡かたもなくかき消され、

かくして、

苦痛と死をもたらす人生最後の問題にはありがちな
精力を消耗するばかりの息が詰まる思いも、

サンドブラストに掛けられた鉄錆のように
きれいに滅しかけたのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻287頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月20日(水)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ー平仮名の副詞を多用するか、漢字を多用するかで文体の印象が違ってくる気がするー

大津波を逃げのびた青年が、周りに生者が誰もいない状況で、徐々に落ち着きを取り戻して物思う場面。

このとき青年の心を駆けぬける思いの数々、
「国家にがんじがらめに縛りつけられていない」
「集団社会がもはや成り立っていない」
などは丸山先生が大事にされている考えとも重なる。
災害ですべてが崩れたとき、こうした考えが蘇るかどうかはわからないが、でも心に響く言葉だと思った。


引用箇所は同じ箇所からだが、途中で色を変えてみた。
写している途中で、前半、後半で文体が少し違うかも……という気がしたのだ。

前半紫字部分は「きれいさっぱり」「がんじがらめに」「もはや」「あっさりと」などの平仮名の副詞が文の色合いを深め、スピード感を増しているような感じがした。

後半赤字部分は、多用されている漢字のせいで、しっかり確立してゆく精神が表現されている気がしたのだが……。

ひいては、

自由を支配する普遍的な秩序がきれいさっぱり消え失せていることに気づき、

がっちりと形成された国家にがんじがらめに縛りつけられていない立場を思い知り、

個人を堕落させて窒息させる集団社会がもはや成り立っていないことを発見し、


さらには、

これまでしがみついてきた歪みのない尺度のあれこれをあっさりと棄て去り、

再評価すべき頑強な精神力に期待したくなり、

辺鄙な土地でくり広げられる粗雑な人生がそうでないものに感じられ、


そして、

野蛮な状態へ投げこまれた無用ながらくたという自覚がすっかり影をひそめ、

精神の存立に必要不可欠な感覚的世界が一段と輝きを増し、

孤独への倦怠を恐れながらも自己に専念することが可能に思え、

思考の細部の価値を捨象する作用が働き始め、

生の糸を切断しかねない無力感の残渣がすっとかき消えたのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻235頁)



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さりはま書房徒然日誌2023年9月19日(火)

藤原龍一郎「歌集 202X」を少し読む

ー社会への大きな問いかけ、近未来或いは現在を語るSF的物語性に富んだ刺激的な歌にドキリとするー

2020年に刊行された歌集。

現代の日本の状況を糾弾し、読み手に大きく問いかける歌であふれている。

折にふれて頁をひらいては、鈍磨しがちな情けない己に喝を入れたくなる……そんな刺激的メッセージに富んだ歌集である。

短歌がこんなに社会に問いかけてくるものだとは……福島泰樹先生の歌にも、藤原龍一郎氏の歌にもメッセージ性の強さに驚く。

監視されている不気味さのある現代社会を詠んだ幾首かの歌、お洒落だけれど不気味さのある装丁(真田幸治)がとてもマッチしている。

ちなみに真田幸治氏が、こんなに不気味感のある装丁をされるとは思わなかった。でも不気味だけどセンスのいいところは、さすが真田幸治氏だと思う。

以下藤原龍一郎「202X」より引用
監視社会への懸念、問題意識がひしひしと伝わってくる。

夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日 (11頁)

明日あらば明日とはいえど密告者街に潜みて潜みて溢れ (11頁)

詩歌書く行為といえど監視され肩越しにほら、大鴉が覗く (17頁)

スマホ操る君の行為はすでにしてビッグ・ブラザーに監視されている
(52頁)


反知性、思考停止の隷従の君はビッグ・ブラザーに愛されている (53頁)

上記引用の歌のなかでも、「肩越しにほら、大鴉が覗く」という結句の歌について……。

ポーの大鴉からくるイメージ性で心象風景が広がり、さらに「肩越しにほら」「覗く」で不気味さ、黒いユーモラスが際立つ。
「、」の句点で思わずドキリとする。
不気味だけれど物語性に富んだ歌だと思う。


この歌集については、まだ語りたいことは多々。それはそのうち後日に。

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さりはま書徒然日誌2023年9月18日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

➖天気の急変の描写に社会への思いを重ねた比喩の面白さ➖

大津波から助かった青年が見つめる星空の空模様が、だんだんあやしくなってゆく。

天気の移り変わりにかぶせるようにして、あっけなく崩壊してゆくこの世の思想のあれこれを列挙して畳みかけてくる。

そうした喩えのイメージから聞こえてくる音、伝わってくる不穏な気配が、雷雲が近づく空模様と重なって読み手の心に揺さぶりをかける。

喩えの一番最初に「政府なき自由」がきている。
個人がそっと心の中で国家に背を向ける「国境なき意思団」という考えが大切……とよく語られる丸山先生らしいと思う。

あれほどまでに澄みきって晴れ渡り
流星群が光の鎖をなして降り注いでいた
深い瞑想による清らかな暮らしをどこまでも支えてくれ
単独の人間の行為のうちにいつまでも安んじていられそうな夜空が、

政府なき自由が嵐を巻き起こすという、

魂の炎さえ絶やさなければ恒久的に生を燃え立たせられるという、

真に恐るべきは群衆のなかの一員に堕することであるという、

辛抱強く待ち望めば道徳的な生活は実現するという、

人の心の善良性は思うがままに疾走するという、

精神の欠如によって命の影が薄まるという、

理性に反する美は死に絶えるという、

体勢への順応主義は去勢されるという、

悪が生の揺籃の役割を果たすという、

そうした種概念の
得手勝手な主観の持つ理念のように
どんどん怪しくなっていった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻171頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月17日(日)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

➖怒れども文に美しさが残る理由➖

大津波で助かった青年が矛盾だらけの社会に見切りをつけ、一歩踏み出す場面。

丸山文学の魅力の一つは、ふだん不平不満に思っている社会への怒り、疑問を、丸山先生が見事に言葉にしてくれる点にもあると思う。
こんなに私の怒りを代弁してくれる書き手は余りいない気がする。

ただ「次の自民党総裁にふさわしいのは?という世論調査の一位が小泉進次郎、二位が石破茂、三位が河野太郎」という時代である。
以下、引用箇所を読んでも、まったく心に響かない人の方が多いのではないだろうか?
たぶん圧倒的に読む人が少ないだろう状況でも、ビシッと書いてくれる姿勢に感謝する。

それから、
途方途轍もない不平等な状況がもたらす
ただただ落胆するほかない徒労感でいっぱいの
たわいのない老衰した社会と、

前世紀に一大勢力を築き損ねた帝国の悪夢に未だ毒されている愚民たちの
あまりに強過ぎる民族感情こそが却って国家の価値を低めるという
常識中の常識を無視した
命取りにもなりかねぬ品性のいやらしさを持て余したあげくに、

自由の精神を窒息させる異様に肥大した非人間的な機構に愛想を尽かし、

特権階級の奉仕者たちときっぱり袂を分かち、

欲望を騒然とさせるしか能がない都市景観に見切りをつけ、

政治的幻想でいっぱいの不毛の領域に別れを告げ、

絶対者をあっさり容認してしまう大衆の理性に背をむけ、

文明と人種の運命を決定する痛ましい危機を予感し、

停滞期に入って久しい人知の全部門から身を離し、

寄る辺ない身の上を恐れるにはおよばないと決めつけた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻162頁)

ただ、こういう内容の文を私なんかが書くと主義スローガン調になって、散文の面白さが消えてしまいがちで難しい……と思う。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」言いたいことは心に残るようにしっかり伝えられつつも、散文の美しさが残っている理由を考えてみる。

「途方途轍もない」と大袈裟に、漢字の圧力で不平等感を強調されている気が。

「たわいのない」と「老衰した」が「社会」にかかっているのも、どんぴしゃりと死にゆく社会のどうしようもなさを巧みに表現している感がある。

「絶対者をあっさり容認してしまう大衆の理性に背をむけ」という文も、「あっさり」という一語から、丸山先生の感じている歯痒さ、苛立ち、皮肉が伝わってくる気がする。

憤りを書く時であっても、こんな風に言葉と言葉を見えないところで複雑に結びつける冷静な視点が働いている。
それが読む者の心をグラグラ揺さぶるのではないだろうか?

それから、特にこういう文を書くとき、難じる分だけその人の心根が上から目線とか、はっきり見えて嫌になってしまうことがある。

丸山先生の場合、「痛ましい危機」の「痛ましい」に、「寄る辺ない身の上を恐れるにはおよばない」という文中の「寄る辺ない」に、寄り添おうとする気持ちを感じるから、しみじみと心打たれるのかもしれない。


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さりはま書房徒然日誌2023年9月16日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ー寄せては返す波のうねりのような文体を愉しむー

丸山先生はよく「散文は本当は詩歌に劣らず凄いものなんだ」と悔しそうに言われる。

下記の引用箇所に、私でもそんな散文の凄さを感じた。

読み手がチラ見で理解できるようにと思うなら、「命拾いをしたようだ」「だんだん穏やかになる波の音が聞こえてきた」とワンフレーズで書くかもしれないが。

丸山文学に慣れていない人のために引用箇所ごとに色分けしてみた。最初の紫の引用箇所は、平板に言うと「命拾いをしたようだ」と言う箇所である。

紫の引用部分を読むときの私の心を追いかけてみた。
「心の投影」でウーン、どんな心だろう……と考える。
「おぞましき獄門」でさらに考えはじめる。
ぼんやりした頭を「ぴしゃり」という言葉が襲いかかる。この「ぴしゃり」が効いているなあと思う。

やがて、

命へのひたむきさをもう一歩押し進めて
とうてい人知のおよぶところではない溌剌たる生気を急速に回復し
生者の不可逆的な時間の流れに乗れるところまでどうにか漕ぎつけ、
一種謎めいた物言わぬ動物にでもなった心地で
ふたたび現世の魅力に惹かれてゆくうちに、

詩美にいちじるしく欠ける
心の投影としての
おぞましき獄門が
ぴしゃりと閉じられた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻128頁)

以下、赤字の引用箇所は津波から助かった青年が、だんだん穏やかになる波音を認識する箇所だと思う。

丸山塾での指導されるとき、先生は同じ言葉の使用を嫌う……と言うより許してくれない。
語彙貧弱な私はすぐに言葉が出尽くしてポカンとすることもしょっちゅうだ。
そういうとき丸山先生は優しく、まるでドラえもんのポケットのように、「こんなふうに言うことができる」と惜しみなく秘密の言葉の武器の使い方を教えてくださる……。
そんな丸山先生の講義を思い出してしまった。

ここでは、まず波という言葉が手を変え品を変え、「音波」「音韻」「懐かしい声」と繰り返される。

次に「〜でなく」と否定する形で、「幸福の残骸の摩擦音」「過去のこだま」「絶望の叫び」「良心の叫び」ではない……と否定してみせる。

そして「笑い声」「百千鳥の合唱」「独言」「薄幸のため息」と比喩をパワーアップさせてゆく。

肯定の比喩、否定する形での比喩、さらにパワーアップした肯定の比喩……と文を展開させながら波を表現してゆく文体は波のうねりそのもののようだ……
と、ここの文体に心地よくなる理由を考えてみたが、どうだろうか?


さらには、

失地回復のための魂の自殺をうながす
霊妙なる楽の調べのような
度が過ぎるほど抗しがたい音波に魅了され、

純粋な個人を不断に干渉する音韻にじっと耳をかたむけているうちに
常に危険に身をさらして生きる動物的な精気から一挙に離脱するという
思ってもみなかった鎮静の効果が得られ、

ほどなくして、

心を許した血縁者がおれの名を呼ばわる
なんだか懐かしい声のように思え、
星を頂いた天空の処々方々に
万物は神の影などではないとする
そんな自己発揚の楚然たるきらめきが
無数に星散しているのであった。

だからといって、

過去に呑みこまれてゆくばかりの幸福の残骸の摩擦音というわけではなく、

幽界の人となった者が聞くという過去のこだまでもなく、

飽和点を超えた絶望の叫びでもなく、

ましてや俗耳に入り易い良心の呼び声などでもなく、

むしろそれとは真逆の、

野に遊ぶ小娘たちの切れ切れな慎ましい笑い声や、

常夏の国を想わせる風光のなかでくり広げられる百千鳥の合唱や、

行方定まらぬ二重の意識を持つ屈折者の独言や、

いかな悲しみであっても共有できそうな薄幸のため息……、

そういったものに近く、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻129頁)

国語教育が実用的な文の理解に重点が置かれるようになった今、こういう文の愉しさを理解する人は非常に少なくなってきているのではないだろうか。
そんな現状を寂しく思う限りである。

それから「星散」(せいさん)という言葉、意味は日本国語大辞典によれば「星が大空にまいたように散らばっていること。転じて、あちこちに散らばること」……なんとも綺麗な日本語だと思った。


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さりはま書房徒然日誌2023年9月15日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ースッとは分からないけれど、読んでいるうちに心にリズムが生まれる不思議な文体ー

丸山文学を読み始めた当初……

漢字の読みも、意味も分からない言葉があったり(しかも私の場合は結構たくさんあった)、他の作家のなるべく読みやすく……という親切心で書かれた作品とは違って、深い意味を理解するまで、何度も往復して読みを繰り返したり……したものだ。

いや、今でもそうである。

でも多少意味がわからなくても読んでいれば、不思議にも心地よいリズムが生まれてくる。

丸山健二塾で指導を受けているとき、「の」の繰り返しが三回になってしまったことがあった。
文芸翻訳を勉強していたとき、翻訳家から三回「の」を繰り返すな……と教わった記憶がある。
丸山先生に「の」が三回ですがいいのですか……と質問したところ、先生はニヤリと笑って「五回『の』を繰り返すことだってある」言われた。

原著者の言わんとするところをなるべく正確に近い文体で分かりやすく伝える翻訳……。
文体のリズムに自分の叫びを刻もうとする丸山先生の散文への姿勢….
小説の翻訳と創作、両者は根本的に違うのだなと思った。

東日本大震災の被災地を実際に見てから数年後の丸山先生の叫びは、やはりこの文体なのだろう。
ちなみに当然ながら私の叫びはまた全く違う文体なのである….これが散文を書いたり、読んだりする面白さなのかもしれない。

以下の引用箇所は、最後の長編小説「風死す」に発展してゆく文体のような気がする。

丸山文学初めての方のために、内容で色分けしてみた。


紫の部分は、大地震の余震の凄まじさを書いている。
赤字部分は、地震によって否定されてしまう人間らしい諸々を、繰り返し連ねている。
読み慣れるとこの反復によって、リズムが、イメージが生まれてくる。

そのあとを継ぐ、

あたかも
ありったけの元素を強引に融合させてしまうかのごとき
とてつもなく重量感にあふれた大混乱をもたらし、

目もくらむような恐怖を差し招いて
空想上の歴史の到達点を現実のものとしたのかもしれぬ、

永遠の因果律を支える
非人間的で悪魔的な自然界の発作的な大激怒は、

いよいよもって人類滅亡という幻日が昇ったかの観を呈しつつ
およそ生命原理の根底からの崩壊を免れそうにない
恐ろしい必然に支えられた無限なる不幸を象徴し、

さらには、

神仏の意思をはるかに超えて
細心綿密に組み上げられたこの惑星が
無何有の郷には遠くおよばず
結局は砂上に描かれた要塞でしかなかったことを冷ややかに証明し、

また、

自分にできないことはないと高言してやまぬ
断然強い守護者という幻の存在を
にべもない解釈で斬って捨てたあと
陰鬱な後味を残す嘲笑に付し、

それから、

正義の原則なるものを、

我らを導く愚かな期待を、

共通の基盤に立つ世間の通念を、

形而上の世界と気脈通じる最良の日々を、

単に墓に下る者ではない人間らしい人間としての生涯を、

かけそき楽の音のごとき詩的香気を放つ言霊を、

万人のうちに本性的に具わる隣人愛を、

真っ正直に澄みきった知性を、

心を明るく照らす生きた力を、

良く生きるための崇高な善を、

慈悲深い美的行為を、

油然と湧いてくる詩想を、

醜怪な幻として

もしくは
慢性の凶器として
情け容赦なく斥けた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻100頁)

よく分かったとは言えないけど、リズムを感じながら読み進める……という読み方に丸山文学で慣れたせいだろうか。
今度、素天堂さん追悼読書会の課題本「黒死館殺人事件」も筋をよく把握していないけれど、読んでいるうちに不思議なリズムが心に生まれる過程を楽しんでいる気がする。

引用箇所に出てくる「無何有の郷」(むかうのさと)とは、日本国語大辞典によれば「物一つない世界の意味」で荘子に出てくる「架空の世界sw、無意・無作為で、天然・自然の郷。むかゆうきょう。ユートピア」だそうだ。
初めて知った。日本語の豊穣なることよ。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月14日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻を少し読む

ー様々な色が一つの人格をなす人間はステンドグラスさながらの存在ー

丸山健二塾でご指導頂いているときに、「この人物はすごく嫌な人間なのに、そういう風に表現すると嫌な部分が減ってしまうのでは?」と質問をしたことがあった。

丸山先生は「こういう人間だ……と決めつけて書くのはすごく古い書き方で、色んな矛盾をはらんだ存在として書くべき」というようなことを答えられたと思う。


丸山作品を読んでいると、やはり一人の人間の中に色んな面を見いだそうとする視点を感じる……。

たとえば「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」で、大津波にのまれて三日間さまよいなながら、主人公が己を語る言葉も実に多様な姿を映している。

そんな自分のことを、

無責任な影法師に見せかけたがるやくざな根なし草、

あらゆる無法な特権が許される狂人、

他人に嫌悪を催させる
情の深い清廉な人物、

自身が国家であるという普遍的な叫び声を発する
熱烈な激情を秘めた道化役者、

青春の日は翳ってもなお心湧き立つ
反逆的な激情の持ち主、

どこまでも楽な暮らしをしたがる
根性の腐った奴、

常に万人と共に在る
夢見るような自由人、

それほど厄介ないつまでも超脱できない自分自身にのみ服従する
真っ正直と言えば真っ正直な無能な人種へと、

安産の過程のごとく
じつになめらかに移行してゆくのだった

(丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻75頁)

人間とはステンドグラスのように様々な相反する色をはらみつつ、調和して生きる存在なのかもしれない。

写真は2枚とも、パリのノートルダム大聖堂のステンドグラス。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月13日(水)

1969年11月3日、三島由紀夫が国立劇場屋上で楯の会のパレード行進を挙行。
そのときに小劇場で上演されていた文楽の演目は?


今日は国立劇場で文楽1部、2部を鑑賞。
今月で建て替えのため、この劇場は長い歴史をいったん閉じる。


劇場が建てられて間もない頃、三島由紀夫が国立劇場の屋上で楯の会結成一周年記念のパレード行進をした……という話を聞いたことがある。
いくら三島由紀夫とはいえ、よくぞ国立劇場が屋上を解放したものだ……と思っていた……。

だが、やはり許可をもらって……という形ではなかったようである。

パレードを行った1969年当時、三島由紀夫は国立劇場の非常勤理事をしていた。
さらに三島が書いた『椿説弓張月』を国立劇場で11月5日から上演することになっていた。
当然のことながら、三島は足繁く国立劇場に通っていた。


1969年5月には、国立劇場の技官に頼んで3階の屋上に通じる鍵を開けてもらい、歩いて時間をかけて屋上の広さやらを測って下見をしていたらしい。
1969年11月3日、三島は2日後に上演を控えていた自作『椿説弓張月』の舞台稽古に立ち会っていた。

だが途中で「あとはよろしく」と姿を消した。

そしてその日15時、三島は楯の会会員80人、来賓50人を連れて国立劇場3階から屋上に通じる人一人がやっと通れる階段を登ってパレードを挙行……したのだそうだ。
大劇場は、三島の『椿説弓張月』の舞台稽古中であった。


ちなみに小劇場の方は……
文春オンライン記事によれば「上演中だった下の小劇場では、照明器具を吊るす細長いバトンが揺れて、ライトの当たりが狂って大変だったそうです」とのこと。


この日、小劇場で上演中の演目は?と調べてみると、文楽「本朝廿四孝」が大序から道三最後までフルに通しで上演されていた。
今の演者の方で、三島が屋上でパレードしていたときに舞台に出ていた方は?と調べてみたら、和生さん、清治さん、呂太夫さん、団七さんは出演されていたようである。

今月、幕を閉じる国立劇場。
その長い歴史の中で、こんな出来事もあったのか……。

舞台では「本朝廿四孝」の狐火が縦横無尽に踊り、屋上では軍服を着こんだ縦の会会員が整列歩行をする……。
そのとき国立劇場の建物は、どんな思いで相矛盾する人間界を眺めていたのだろう?

国立劇場の長い歴史を思いつつ……

三島がパレードをするその下で舞台に出ていらした演者の方々が、今日も元気に舞台をつとめている文楽のパワーというものに驚嘆する次第である。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月12日(火)旧暦7月27日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を途中まで読む

ー死で、溺れゆく者たちで始まりてー

(絵は「出雲日乃御崎」川瀬巴水 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」より )

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」を読了し、次に読む丸山健二作品はどれにしようか……と考えた。

ずっと丸山健二文学を読んできた歴史の長いファンとは違って、私は四、五年くらい前に読んだ「争いの樹の下で」が初めて読んだ丸山作品だ。

どちらかと言えば、読む人の多かった初期作品よりも、「ついていけない」とそれまでの読者が離れていった後期作品の方が好きである。読解力があるというわけではないが。

ただ後期作品の方が幻想味が強くなって、言葉が一段と研ぎ澄まれている感があると思う

まだ読んでいない丸山作品はたくさんあるのだが、後期作品の「我ら亡きあとに津波よ来たれ」(2016年左右社より刊行)を読むことにする。

おそらく東日本大震災を念頭に書かれた作品ではないだろうか。
大津波の場面ではじまる。

最初の60頁くらいを読み、てっきりこれは津波で死んだ死者の視点で語られているのか……と思うくらい、死というものが迫ってくる。

だが版元の作品紹介を見ると「養いの親を手に掛け、放浪に身をやつした青年を襲う大津波。三日三晩を生き延びたとき、あたりにはただのひとりも生者の姿はなかった。」とある。
どうやら生き延びた青年の視点らしい。

死者が語っているかと思うくらい、死というものがズバリと語られている。

「死」について言葉を連ねた以下の引用箇所、「たしかに死とはこういうことと思う。

得て勝手な心の遍歴の断絶、
天命を自覚するばかりの人間の営為の終了、
当を得た恐るべき非情、
のしかかってくる存在の解消、
大地に根づかせた命の雲散、
つまり
これぞまさしく
劫初以来逃れる術もない死というものであったのだ

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻35頁)

主人公の青年が大津波にのまれ、ぼんやりとした意識で語られる言葉。
ここで青年が語っているのは、かつて出会った人間なのか、それとも近くの水面を漂う人間の姿なのか……哀しい姿の数々。

ついで、

古色蒼然とした良識の枠に嵌められてしまった者や、

未完成を喜びとするような泥細工の精神が脈打つ者や、

俗悪な欺瞞のたぐいを万人が共有する財宝とする者や、

かなり厳しい条件付きの生殖力を大いに嘆く者や、

涙ぐましい策を弄して飽食の至福を得ようとする者や、

骨の折れる労働の連続によって肉体が崩壊しかけている者や、

幸先よいはずだった人生が初っ端で挫かれた者や、

救いがたい罠に落ちる罪なき者……、

そうしたたぐいの人種にでもなった心地で、

いつしか知らず希望の空費たる夢の迷路に誘いこまれ、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻43頁)

冒頭からいきなり死が、溺れゆく人間が語られる「我ら亡きあとに津波よ来たれ」だが、このあとはどんな言葉が連なるのだろうか……。



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さりはま書房徒然日誌2023年9月11日(月)旧暦7月26日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」読了

〜人の思いを読み取る不思議な吊り橋「渡らず橋」を舞台に、現在と過去が、生者と死者が交差する! 幻想文学ファンも殆ど知らない素敵な幻想文学〜

吊り橋「渡らず橋」のもとにクルマで現れた青年。
彼が幼い頃、両親は村を出てしまい、祖父の手で育てられた。
青年が口笛を吹けば、とうに亡くなった筈の父と母が姿を現す……
作者・丸山健二は丁寧に書くことで、そんな不思議に説得力をもたらす。
特に引用箇所の最後「ぐいと」という一語が、不思議を可能にしてしまう力強さがある。


いかにもおぼろげなその様相は、
じっくりと意を配った口笛の高まりにつれて濃密へとむかい、
それから卒然として一挙に凝縮され、
古くもなければ新しくもない、
かなり広い含みを持つ何かが空中いっぱいに満たされ、

ついには、
思いもかけぬこととして、
中間的存在としての万物が構成する次元の限界をあっさり超えてしまう、
絶対に予測しえない驚くべき作用がもたらされ、

なんと、数年前のなお遠くにある過去の一角がぐいと引き寄せられたかと思うと、
結末のない物語にでも登場しそうな、
一抹のお情けをもってしても救われそうにない、
青白く痩せた男女ふたりのまったき姿を、
森の暗闇と非現実の極みの奥からすっと誘い出したのだ

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」395頁)

生きている青年と過去に死んだ筈の両親が向かい合う瞬間……。
以下引用部分の表現に、抜群の説得力と格好良さを感じる。


しかし、
奇しくも、
過去の夜と現在の夜が今宵のこの時にぴたりと重なり合ったという、
厳然たる事実に疑いを差し挟む余地はなかった。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」400頁)

以下、口笛の響きと時の流れの移ろいを繊細に描く文に、人の無力さを思う。
男親、女親の不甲斐なさ、醜さが最初に書かれているから、若者の口笛の純粋さが心に沁み渡る。


女親の心のすすり泣きと、
男親の自己弁護のつぶやきと、
かれらの子である若者のさまよえる光のごとき口笛とが、
入り乱れて交差する時が素早く流れ、
まもなく、
神秘にしてはるかな響きと化したそれは曇りのない静寂に包みこまれ、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」408頁)

吊り橋が人間の思いを感じて心象風景を描いたり、死んだ筈の両親を連れてくる口笛、死者と生者の対峙……という不思議の数々を、ぴたりとした言葉によって表現した素敵な幻想文学だと思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月10日(日)旧暦7月25日

歌人、小説家に共通する思いを心に刻んで

福島泰樹短歌絶叫コンサート「大正十二年九月一日」へ。

一部の最後、ブルガリアの詩人の詩を朗読する前に福島先生は語る。
「日本以外の国では……詩人は尊敬されているんだ。
 言葉という武器をつかって、いち早く危険を表現して、行動して戦うから」

丸山健二先生もたしか同じような趣旨のことを言われたような記憶がある。
丸山先生は「作家は、炭鉱のカナリアだ。
普通の人より早く危険の兆候を察知して、言葉をつかって文にしなければいけない」のだと。


短歌、小説と分野は違えど……
福島先生も、丸山先生も同じような思いを抱いて表現されている……と心に刻む



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さりはま書房徒然日誌2023年9月9日(土)旧暦7月24日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』を途中まで読む

ーモノである吊り橋が人の思いや過去を感じ取って語り出すという幻想譚ー

吊り橋「渡らず橋」にクルマで近づいてきた見知らぬ青年。
突如、「渡らず橋」に青年の思いや過去が見え、聞こえてくる……。その中には村を離れた者の声も混じっている。
人でないモノである吊り橋に、人の思いが、記憶がなだれ込んできて、吊り橋が語りだすという幻想味が好き。
たしかに吊り橋のグラグラ揺れる感じには、そんな不可能が可能になってしまう不思議さがある。


以下、なだれ込んでくる想いに、吊り橋が最後は「見ようではないか、聞こうではないか」と居直る箇所より。

青年の思いが一方的に「渡らず橋」の心眼に鮮明な映像として置き換えられ、
なお、
含蓄にあふれた生々しい肉声として心耳に響いてはいても、
当人にその自覚がまったくなく、

ただたんに、彼の記憶の底に雑然と積み上げられている、
本来は無形のはずのものが、
無数の多彩な原子のいたずらっぽい混乱から生じる波動となって、
工場地帯の廃液のようにでたらめに流入してくるだけのことなのかもしれず、
よしんばそうだそうしたそとしても、

吹雪もなければ、突風も吹かず、
ひたすら凍てついているばかりの、
まるで死者の国と化してしまったかのような、
退屈な冬の一夜をつくづく持て余す者にとっては、

常識のけじめをきちんと弁えながらも、
そうしたたぐい稀なる珍現象を拒む訳柄などあろうはずもなく、

お望みとあれば、
見えるものはすべて見させてもらい、
聞こえるものは余さず聞かせてもらうだけのことだと言う、
ふてぶてしい開き直りに寄りかかるしかほかにやりようがなかった。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』332頁)

丸山文学が幻想味に富み、日本幻想作家名鑑でもかなりの行数をさいて語られているのに、実際に読んだことのある幻想文学ファンがとても少ないのが残念でもあるが……。

あまり知られることのない、ひっそりとした輝き……というものが、すぐれた幻想文学の宿命なのかもしれない。

ちなみに「夢の夜から 口笛の朝まで」は、日本幻想作家名鑑よりずっと後の作品なので収録されていないが……。
ここで紹介されている作品より、さらに幻想味が強くなっていると思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月8日(金)旧暦7月23日

拙い歌ですが……「ゆりかもめ」の歌

今日、提出した私の歌は

ゆりかもめ夢寐(むび)貪るなぬくぬくと哀しみたゆたうフクシマの海

これだと、「ぬくぬく」がかかるのが「ゆりかもめ」なのか「フクシマの海」か分かりにくいと言う助言をもとに、以下のように一字開けてみました。

ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと 哀しみたゆたうフクシマの海

あとで書きますが、二年半前に書いた短文の一節「夢寐をむさぼっている」を思い出し、口ずさんでいるうちに「ゆりかもめ」と言う言葉が浮かんできました。

「ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと」と考えたところで、「ゆりかもめ」とは?と自分でも考えてみました。

福島の海辺にいる鳥に向かって語りかけているようでもあり……
原発から離れたところで呑気に暮らしている自分に向けての自省の呼びかけでもあり……
また東京都民の足となっている交通機関「ゆりかもめ」を思い出し、福島の犠牲のもとに生活を営んでいる首都圏の人々に「ゆりかもめ」と呼びかけているようであり……。


「夢寐貪るな」という言葉が「ゆりかもめ」の風景を、「ぬくぬくと」と言う自嘲する心象を自然と運んできたように思います。

「夢寐」とは日本国語大辞典によれば「眠って夢を見ること」とあります。「ムビ」も「ユメ」も語数は同じですが、「夢」だと「希望にあふれる夢」とか未来につながってしまいそうなので、純粋に行為を表す印象のある「夢寐」にしました。

福島先生は初心者の短歌にも寛大で、「ぬくぬくと」と「たゆたう」の語の響きの呼応が面白い、「ゆりかもめ」の比喩が面白いと優しい言葉をくださり、自分では気がつかなかった見方を発見。

言葉をつかって表現するなんて思ったこともなかった私が、ひょんなきっかけから丸山健二塾に入ったのが2年半前。
最初の課題「40字以内で見たこともない日本語をつくる」という課題で作ったのが「夢寐をむさぼっている」という以下の表現でした。
「見たこともない」とは程遠いですが、文章に自分を託すヨチヨチ歩きの第一歩を踏み出したのだなあと懐かしい気がします。

テトラポットの上の磯鵯(イソヒヨドリ)は
歌うことも忘れて
波音に頭をゆらして
夢寐をむさぼっている

丸山先生は「夢寐をむさぼっている」の「むさぼっている」に続くように、次の文を書きなさい……と言われ、そんなふうにして無限に文を重ねてゆくうちに、初めての短編がとりあえず完成。

そんなことを懐かしく思い出し、「夢寐をむさぼっている」とハミングするうちに、「ゆりかもめ」が、「ぬくぬくと」が、「フクシマの海」と言う言葉がニョキニョキ生えてきて、散文とは全く違うこの歌ができました。


丸山先生は「ストーリーを考えてはいけない。言葉がストーリーに連れて行ってくれる」とよく言われます。この歌も「夢寐をむさぼっている」と言う言葉から、自然に「ゆりかもめ」が、「フクシマの海」が浮かんできたような気がします。

こんなふうにして言葉と戯れる丸山健二塾で過ごす丸山先生との時間。
勝手に好きな作品を翻訳するだけで、文章表現とは縁遠かった私でしたが……。
おかげで小説だけはなく、短歌の世界にまで冒険してみる気になったような気がします。
丸山先生にも、福島先生にもひたすら感謝です。

(丸山先生の塾はいぬわし書房の方で、福島先生の短歌創作講座は早稲田エクステンションエンターで、文学講座はNHK青山で受付けています)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月7日(木)旧暦7月22日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』を途中まで読む
ー自然を感じる心の大切さー

「夢の夜から 口笛の朝まで」に収録されている最後の短編である。
吊り橋「渡らず橋」のもとに故障した車を押す青年が現れるところまで読む。


冒頭の自然描写は、ずっと信濃大町にこもって暮らしてきた丸山先生でないと書けない文だなあと思う。以下紫字は引用。

真冬の夜の凍てつきがほとんど限界まで煮詰まり、
霜柱がもはやこれ以上伸びないところまで冷え込むと、

輝度によってさまざまな等級に仕分けされた、
寒天にひしめく色とりどりの星々が、
華麗なそのきらめきでもって有効な警告を発することをいっせいにやめたかと思うと、突然がらりと語調を変え、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』274頁)

私には、霜柱が伸びるなんて発想もなければ、ひしめく星々が語りかけるという夜空も想像できそうにない。
そもそも霜柱なんて、最近ほとんど見た記憶がない。

己の感性から、自然を感じる心が欠乏していることをしみじみ思う次第である。

丸山先生に指導してもらっていると、よく「その季節に咲く花は?」と問われてくる。
その都度、私の住んでいる東京近郊と信濃大町では咲く花のカレンダーのズレを感じたりもするが……。

ともあれ自然を身近に感じられない環境、感じない心は、文章を書くときにハンディキャップになるようにも思う。

いつかも指導してもらっているときに、菜の花の花吹雪……なんて文を書いたら、丸山先生は「菜の花は花吹雪にならない、落ちるものだ」と苦笑いされていた。
自然に乏しい環境で感性が鈍磨していることを反省しつつ、菜の花が花吹雪になったら綺麗なのに……と懲りずに夢想する

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さりはま書房徒然日誌2023年9月7日(水)旧暦7月21日

歌誌 月光80より福島泰樹「大正十二年九月一日」を読む

ー非道の歴史を語る視点、語り口の魅力ー

冒頭、幼い頃に聞いた関東大震災の思い出を語る叔母たちの声で始まる文が一気に大正時代へと引き込んでゆく。

明治末期から日本がいかに韓国にひどいことをしてきたか、抗議しようとした社会運動家たちをいかに弾圧してきたか……事実から目を背けずに語る簡潔な文。

その合間に挟まれた短歌が、無念、激動、無限の事実……を語る。

エピソード+事実+短歌というスタイルは、私のように日本史の知識が欠落した人間でも飽きずに読める、そして雄弁に時代を伝える……。
非常に魅力のある書き方だと思った。

明治四十三(1910)八月に調印された「韓国併合条約」には、韓国の統治権を完全かつ永久に日本に譲渡することなどが規定され、以後韓国を改め朝鮮と称し、朝鮮総督府を置き支配を強めてゆく。

水平社創立の朝、朝鮮総督府に日の丸は黒くはためく

(歌誌月光80より福島泰樹「大正十二年九月一日」)

「水平社」ではじまる短歌の「黒い旗」は、解放を求める水平社の黒い旗がはためく頃、朝鮮総督府にははためく日の丸が韓国の人にもたらした残酷非道を糾弾する歌なのだろうか……。

以下、私の知らなかった事実や朝鮮への弾圧を書いた文と短歌を幾つか引用。

警察協力団体として在郷軍人会、消防組、青年団などを中心とした自警団が組織されたのも、この年(大正九年)であった。

・日本の朝鮮統治によって最も深刻な打撃を受けたのは、朝鮮の農民たちであった。総督府は土地所有権をめぐり、農民を零細の小作農に転落させた。第一次世界大戦以後、貧窮に耐えかねた農民は、日本内地へ流入を図り、朝鮮人労働者の増加が顕著になってゆく。が、日本の雇用者たちは、彼らを冷遇、虐待した。

「何が私をかうさせたか」実感の震えるごときを思想とはいう

・大正十一年七月には、水力発電所十数人の朝鮮人労働者の虐殺死体が、信濃川に投げ捨てられる事件が発生。

(歌誌月光80より福島泰樹「大正十二年九月一日」)

大正時代は短く、歴史の授業ではあっという間に終わりがちだと思う。
だが日本の大きなターニングポイントとなった時代なのだと、以下の最後の文に思う。

関東大震災は、人々の意識にさまざまの変容をもたらせた。デモクラシーの嵐吹きまくる中、薩長以来の軍閥と非難され、無用の長物とみなされていた軍隊が、国民に一目置かれる機会を得たのである。関東大震災からわずかに三年八ヶ月、山東出兵はなされ、私達の父、母、祖父、祖母たちは戦争の時代を迎えるのである。

(歌誌月光80より福島泰樹「大正十二年九月一日」)

短歌も、関東大震災前後の歴史を語る視点も魅力的な福島泰樹「大正十二年九月一日」……。
掲載されている歌誌月光80は、神保町PASSAGE書店1階さりはま書房の棚にもあります。
よければご覧ください。

(水平社の旗)

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さりはま書房徒然日誌2023年9月5日(火)旧暦7月20日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』を読む
ー戦争への怒りみなぎる満月の夜の美しい幽霊譚ー

美しくも悲しく、戦争への怒りにあふれた月夜の幽霊幻想譚。

満月の夜に吊り橋「渡らず橋」が見た入水自殺した筈の老婆。

老婆は吊り橋の中央で花茣蓙を広げ、卓袱台を設え、三段の重箱に酒、薄を用意する。
そして歌いはじめると不思議!老婆は若やいだ娘の姿に変わり、「渡らず橋」は意識が朦朧としてくる……。

そんな不思議が言葉を尽くして語られると、眼前にリアルに見えてくるから言葉の力はすごい!と思う。

身に着けているものはなんら変わりはなくても、
その中身たるや、
なんと、
混濁の気配すらもない、
長い遍歴を経てきた生命の系譜にきっちりと則った、
陽気な暮らしや方正な美徳が最も似合いそうな、
ほっそりとした首にうっすらと流汗が認められる、
溌剌として初々しい、
忍従とはいっさい無縁な、
しとやかこのうえない娘盛りだったのだ。

動かしがたい過去数十年を一挙に圧縮してしまうという、
現世を司る理法を根底から分裂させる、
だからといって破壊的な激烈さをまったく感じさせぬ、
とほうもない瞬間をかいま見せられた仰天のなかにあって、
「渡らず橋」の動転はなおもつづき、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』239頁)

やがて対岸に現れたのは血だらけの戦闘服を着た兵卒の姿。
老婆の双子の兄だった。とっくの昔に戦死している筈。

兄を戦争へと追い込んだ社会を作者・丸山健二は怒りを込めて書く。
森の美しさ、歌っているうちに若い娘へと変わる老婆の幻想を書いた後なので、この直球の怒りがなおさらズシンと響いてくる。

心貧しくて理不尽な、
富者による支配体制の永続的維持や、
個人を解体して家畜化することのみが眼目の国家権力の病的な欲望と、

ひたすら拝跪するしかない牽強としての現人神と、

国体の護持に欠かせぬ兵役という冷血なる従属関係と、
国家的英雄になれるかもしれないという危険な誘惑と、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』243頁)

兄の惨めな戦死を書く言葉の隅々にまで静かな怒りがたぎっている。

侵略戦争という狂気の沙汰の最中、
縁もゆかりもない外地でまったく風味を欠いた日々を送り、
突撃一点張りの愚かで稚拙な作戦の犠牲者として貴重な生を閉じ、

命を剥奪された上に魂の放棄まで余儀なくされたまま、
荒涼たる戦場に打ち捨てられた存在としての長日月を耐え忍んだ実の兄を、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』247頁)

幽霊となっても、戦争で犯した罪のため渡らず橋を渡ることができず、途中までしか進めない兄をこう語る。

図らずも国家的な悪行に手を染め、
大々的な暴力の集積たる戦争に加担し、
取り返しのつかぬ大罪を身に纏うことになった付けとしての、
犯してしまった誤りのあまりにおぞましい思い出をしこたま抱えて橋を渡り切るだけの力は残っておらず、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』250頁)

だが満月の奇跡が!
二人は時を遡り、幼い少年少女に変わってゆく。
激しい怒りのあとで、心静かになる風景である。

そのとたん、
兄のほうもまたすかさず少年時代へと立ちもどり、

敵国も、
敵兵の殺害も、
戦場における不平等な死も、
まったく想像したことさえない、
ただ生きているだけで嬉しい、
天真爛漫な里山の童子と化し、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』258頁)

あどけない童子となった兄と妹の姿に、これまでの怒りが薄らいでゆく。
でも戦争で亡くなったすべての方に、こうした幼い時期があった……と思うと、再び怒りと哀しみが押し寄せてくる。

やがて兄妹の幽霊は消え、森にはキツネやコノハズクの声が谺する………

谷川を見つめる吊り橋「渡らず橋」は、時を自由に行き来できる存在なのかもしれない。

幻想譚と戦争への強い怒りが一体となった魅力的な作品である。




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さりはま書房徒然日誌2023年9月4日(月)旧暦7月19日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』を途中まで読む
ー幽霊がでそうな雰囲気を盛り上げる文ー

『今宵、寒月の宴に』を途中まで読む。
どうやらかつて谷川に入水自殺した老女の幽霊を、吊り橋「渡らず橋」が見る不思議な幽霊譚らしい。

いかにも幽霊がでてきそうな夜……というものを、実に細かく描いている。
だから老女の幽霊が出現した頃には、ようやく嵌めるべきジグソーパズルの最後の一片が見つかったような気になった…。

幽霊がでてきそうな夜の演出をいくつか引用してみたい。
まず地上では虫の音が哀れに鳴く。

目に立つ動きを見せているのは星のまたたきと谷川の水くらいで、
単調にして微細、
かつ、
心をかすめ取るほど蠱惑的なその震動にしても、
鳴くことによって存在の悲しみを包みこむために生まれてきた虫たちと同様、
むしろ静寂をより深める側に味方しており、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』182頁)

地上の小さな虫を見つめた後、作者の目は突如として天の月に向けられる。
天も、地も自由に行き来するダイナミックな視点が、丸山文学の魅力だと思う。
ちっぽけな自分がとてつもなく大きな存在と隣り合わせている……と想像すれば、心が軽やかになる。

非常なる周到さでもって準備万端怠りなく構成され、
今は天高く輝き、
太陽系を司る運動と軌を一にしながらも、
「私は私であって、私以外の何者でもない!」
と、
そう胸を張って宣言できるほどの矜持を持った明月は、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』182頁)

視覚に訴えるだけでない。
コノハズクの鳴き声を語ることで聴覚も刺激してゆく。それもどこか物悲しいコノハズクである。
ただならぬ事態への期待を高めてゆく。

かと思えば、
ひょっとすると地獄の神の化身かもしれぬ陰気な鳥、
コノハズクが放つ、
「ぶっぽうそう!」という、
心魂を撹乱し、
この夜の核心を端的に表現し、
存在の本質を誤認させかねぬほど深遠な鳴き声は

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』188頁)

森、月、コノハズク……と不穏な気配が語られるうちに、やがて「渡らず橋」の周辺の空気は少しずつ歪んでゆく……。
作者が丁寧に張りめぐらす文をゆっくり追いかければ、読み手も不思議な空間に居合わせているような気に。歪みはじめた空間を自然に受けとめている。

つまり、

ほんのわずかだが時空間にけっして不快ではない歪みが生じ、

最も遠い過去へといざなわれそうなほど魅力的な空気が立ちこめ、

生と死という絶大なる真理が相克しつつ互いに閉ざし合い、

「渡らず橋」の周辺が言うに言われぬ変形を呈した瞬間、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『今宵、観月の宴に』190頁)

ざっと飛ばし読みしている時には気がつかない散文の魅力。
なぜだろう……とチマチマとメモしてゆくと、少しだけ作者の工夫が分かる気がする。

ただ世の人は私のようなスローテンポで生きている暇人は少ない。
超特急で筋のポイントだけ追いかける忙しい人の方が多くて、中々おもしろさが分かってもらえない…ことが残念である。



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さりはま書房徒然日誌2023年9月3日(日)旧暦7月18日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より「水葬は深更におよび」を読了
ーどちらの最期がいいのだろうかー

雷鳴轟く中、喪服を着て父親を水葬する木こりの一部始終を見守る吊り橋「渡らず橋」……。
作者丸山健二の死生観、たぶん火葬を嫌悪して土葬に憧れ、もう一つの世界の存在を信じる……そんな死生観が色濃く滲んでいる作品だと思う。

ただ先日、他の方からこれとはと全く逆の死生観
「最後の時くらいは威勢よく火葬場から煙をあげてやりたい。でも、今ではそれもダメでなるべく煙を出さないように遠慮してしか焼けない」
と嘆く言葉を聞いた。

はたしてどちらの死生観がよいのだろうか……と思いつつ、「水葬が深更におよび」を読む。

併せて、
執拗に回帰する生と死についても充分すぎるほど承知している「渡らず橋」が、
緊張が解消されつつあるなかで祈ることは、
ただひとつだ。

激流に押し流される岩石といっしょに攪拌されて滅していった屍のうえに、
人間味にあふれた、
より類的な、
苦い経験が半分と、
甘い経験が半分の、
しめやかにしてふくよかな輪廻があらんことを!

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より「水葬は深更におよび」169頁)

丸山作品のこういう言葉を読めば、土葬、そしてもう一つの世界へ……という考えも納得してしまう。

でも「最期くらい勢いよく煙をあげてやりたい」という言葉にも頷いてしまう。

どちらにしても、私たちが自分の最後を思うような形でまっとうすることすら叶わない……そんな不自由な世であることは確かである。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月2日(土)旧暦7月17日

移りゆく日本語の風景ー浄瑠璃、活弁士、朗読家、声優と名は変われど、語りを愛する心は変わらないのかもしれないー

神奈川県立図書館ボランティア朗読会へ行き、六人の方の朗読を聴く。
朗読する側と聴いている側が一体となって、一緒に本を読むような良い時だった。

日本では他の国よりも朗読をする、朗読を聴いて楽しむ……という文化が形を変えつつ、受け継がれているように思う。

先日、福島泰樹先生がNHK青山のカルチャーセンターの教室でたしかこう語られていた。

「日本には浄瑠璃のように舞台、語り、音楽と分けて楽しむ文化があった。

だから日本だけ活弁士と楽士が活躍する無声映画が盛んになった。

トーキーの時代になって、実際の俳優の声を聴いた観客は声がよくないからがっかりした。」とのこと。

無声映画からトーキーの時代になって、人々はさぞ嬉しかっただろうと思っていた私はびっくりした。

以下、ジャパンナレッジの日本百科大辞典の「活弁士」の項目より引用。少し長くなるが、やはり「活弁士」が愛されてきた経緯が分かって面白い。

活動写真弁士の略称。映画の旧名称である活動写真の説明者をいう。サイレント映画時代、スクリーンの傍らで映画の解説、登場人物の台詞 (せりふ) 、情景の説明などを行うのを職業とした芸人。日本における映画の初公開は1896年(明治29)であるが、公開の手配はすべて興行師が行ったため、客引きの口上言 (こうじょういい) がついた。これが活弁の元祖である。初期には上映前に映画の原理や作品の解説などをする前説 (まえせつ) と、上映中にしゃべる中説 (なかせつ) とがあったが、1920年代に入って前説は廃止になり、また活弁という名称にかわって、映画説明者あるいは映画解説者といわれるようにもなった。活弁は、スクリーンに映っている俳優自身がスクリーンの後ろで台詞をいう形式から、やがて弁士がその俳優の声色 (こわいろ) を使う声色屋の時代、サイレント末期になると弁士自身の個性ある話芸を聞かせる時代へと推移した。活弁の話芸が売り物であり、写真は添え物で、ファンは活動(写真)を見に行こうといわず、だれだれ(弁士の名前)を聞きに行こうといった。活弁がこのような主導権をもったのは日本の映画興行の特性で、外国では字幕と音楽伴奏だけの上映が普通であった。当時の日本の観客の大部分は外国映画の欧文字幕が読めないということもあり、また浄瑠璃 (じょうるり) をはじめとする語物の伝統も根強く、活弁は不可欠、当然のこととして定着した。観客が自己の鑑賞力に自信をもたず、感動の度合いまでも説明者の指示に従いたがったという側面もあった。当時の有名な説明者に、(途中省略)などがいた。政府統計によると、1926年(昭和1)には日本全国の弁士は女性も含め7576人であったが、30年代になり、トーキーの普及とともにほとんどの弁士は廃業せざるをえなくなり、活弁の時代は終わった。

さて、活弁士は絶えたかに思えるが……。
語りが途絶えたわけではない。
今でも声優に憧れる若者は多い。

自分の声で語る……ことに日本人がかくも魅力を感じるのはなぜ?と不思議に思う。

浄瑠璃、活弁士、声優、朗読……と時代によって形を変えつつ、語りの文化は日本から消えないかもしれない……
そんなふうに思えた本日のボランティア朗読会であった。お疲れ様です。



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さりはま書房徒然日誌2023年9月1日(金)旧暦7月16日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』を途中まで読む

ー何を象徴しているのかと立ち止まって考える楽しさー

『水葬は深更におよび』は、作品中の物や人が、何かの象徴にも思えてくる。

例えば「存在と無の境界」であるかもしれない「渡らず橋」とは?
生と死の境目、三途の川のような存在?
それとも現在、過去、未来……時の流れにかかっている空間?


ひどく悲しい目をして、
しばらくのあいだ
存在と無の境界に当たるのかもしれない橋の袂で呆然と佇んでいたが、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』115頁)

以下引用の木こりの様子を読んでいると、信濃大町で庭仕事をしながら過ごされる丸山先生の姿が浮かんでくる。
父親の遺体を抱えた喪服姿の木こりは丸山先生なのか?

ただひたすら日々の心情の要求に従い、

自然の掟を蔑ろにしないように心を配り、

変化する草木に合わせて魂を千々の色に染め、

緑がかった風に溶けこみながら飛び去る四季をやり過ごし、

おのれの静かな影を相手に無理のない黙考にふけり、

自分と世界を結ぶ絆を何よりも大切にし、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』147頁)

文の奥に秘められた意味や象徴を考えてゆっくり読む……。
それが本書の楽しさの一つである気がする。




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さりはま書房徒然日誌2023年8月31日(木)旧暦7月15日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』を途中まで読む
ー自然を語る言葉がいつしか哲学を語る言葉となり、

 はっきりと分からないかもだけど心地よくなるー

「夢の夜から 口笛の朝まで」に収録されている二篇目の短編である。

一篇目同様にやはり吊り橋「渡らず橋」を中心に、まるで「渡らず橋」が人間であるかのように語られてゆく。

この「渡らず橋」の擬人法が面白く感じられるのは……。
吊り橋というものが人間が使うものでありながら、同時に眺めたり、感慨に耽ったり、あるいは揺れに怯えたり、人生そのものみたいな存在でもあるからなのだろうか?

擬人法を使うときには、対象とするものを選ぶことも大切なのかもしれない。

冒頭で語られる夏空の美しさ。
その中で平穏に過ごす「渡らず橋」。
それが雷で一変してゆく展開の鮮やかさ。
急変した天気をきっかけに不確実な生を語る文につなげる展開……。

さりげなく作者の哲学を滲ませる文の展開に頭がついていけていないかもしれないが…。
でも意味がわからなくても前の雷の描写ですでに満ち足りている。
だから意味が完全に分かったとは言えなくても、分かっているような誤解をゆるりと楽しむことができる気がする。

もしも運命が許すのならば、
心温かい知性と物怖じ抜きの内向的な一貫性をしっかりと保てる、
平安に満ちあふれた「渡らず橋」ではあった。

しかし、
空中はるかな高みから一陣の生ぬるい風がさっと吹きつけてきた直後に、
粗野で単純ながらも、
どこか啓示的な一発の雷鳴が殷々と響きわたったことによって、
様相は一変し、

天衣無縫な夜と化すはずだった心浮き立つ気配がいっぺんで吹っ飛び、
天と地が融合してしまったかのごとき、
ただならぬ感情が一挙に巻き起こされ、

過ちの上に過ちが重ねられたかのような、
そんな不安がざわめいた。

とたんに天気は機嫌を損ね、
月も星もない暗黒の空となり、
すべての事態と成り行きが緊要の問題へと一気に傾斜し、
情の衣を纏っているはずの未来が不可知きわまりない色に染まり、
「常ならぬ幸福」という身も蓋もない真理が幅を利かせ始め、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』75頁)

『水葬は深更におよび』というタイトルだが……
「水葬」と「深更」という漢字二語の並びの格好よさ、
「におよび」という文の途中で終わる言葉から連なる物語が期待されてくる。

「深更」(しんこう)、「夜更け」「真夜中」という言葉は初めて知ったが、引き締まった感じの言葉でいいなと思った。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月30日(水)旧暦7月14日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』を読む

ー「かくあれ」という作者の思いー

ー「吊り橋」を語る擬人法の面白さー

夫に先立たれた老婆を変えた小さな存在とは……。

それは嵐の夜にやってきたフクロウの雛。

フクロウの雛との出会いをきっかけに変わる老婆。

その変貌ぶりを語る以下の文に、丸山健二の「人間とは本来こうあってほしい」という思いを強く感じる。

もはや亡夫の面影を内心の友とする必要がいっさいなくなり、

そして、
自分が末梢にすぎぬ甲斐なき存在ではないことを、

地表を這う憐れな生き物の仲間ではないことを、

社会への不平不満にあふれた年金生活者ではないことを、

はたまた、

近いうちに夫のあとを追って虚空に消え去るばかりの、
混沌に面したまま滅び去る一介の有機体なんぞではないことを、

存在における普遍的な原理という広い枠組みのなかで、
大きな錯誤に陥ることなく、
翻然と悟った。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』41頁)

吊り橋「渡らず橋」は、そんな老婆とフクロウを見守る。

そして或る日、夢を見る。

その夢で酔っ払った老婆は「渡らず橋」で転倒して川に墜落。
フクロウも跡を追いかけ溺死……。

そんな夢を見たあと、老婆の通行に気遣う「渡らず橋」の描写が、やはり擬人法を駆使した書き方で表現が面白いし、ユーモアも感じる。

読む者の心に吊り橋の揺れを再現し、それがなんとも言えない不安に繋がっていく。

そして今宵もまた、
いざ老婆が近づいてくると、
内的な親近感ゆえに、
「渡らず橋」はひとりでにおずおずと気遣い、
心のなかにあらずもがなの覚悟が準備されてしまい、
たちまちにして不安の感情に崩れ落ち、
面食らうほどのおぞましい緊張を強いられ、
怖れはいよいよつのり

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』49頁)

ともあれ揺れの幅を最小限にとどめようと、
精根尽くして気持ちをぐっと引き締めにかかったものの、
当然ながらそんなことでどうにかなるはずもなく、
相手が一歩踏み出すたびに横揺れがどんどん激しくなってゆくのだった。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』50頁)

それにしても老婆のペットのフクロウはどんな種類だったのだろうか?可愛らしいシマフクロウの写真にしたが……。


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さりはま書房徒然日誌2023年8月29日(火)旧暦7月13日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』を途中まで読む
ー「吊り橋」が語ればうつつの世が幻想の世界へと見えはじめるー

ーこんな風に擬人法が使えるという面白さー

「夢の夜から 口笛の朝まで」というタイトルも心に残るし、青い装丁も、青の栞の紐も素敵な本である。

「夢の夜から 口笛の朝まで」は、おそらく「おはぐろとんぼ夜話」の前あたりに書かれた作品なのだろうか。
「おはぐろとんぼ夜話」の語り手は古びた屋形船「おはぐろとんぼ」。
「夢の夜から 口笛の朝まで」の語り手は見向きもされない吊り橋「渡らず橋」で、その様子はこう書かれている。

金属類にはいっさい頼らず、
蔓のみを材料にした、
今やほとんど見向きもされない吊り橋は、

ひとまず人間に酷似した精神的な枠づけが整ったところで、
誰にも感知できぬ声なき声で自分にそっと呼びかけ、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」8頁)

人間でないものが物語を語りはじめると、見えない世界があらわになってくるような不思議さがある。
物なのに物ではなくなってくる……
そんな擬人法の面白さが「誰にも感知できぬ声なき声で自分にそっと呼びかけ」という部分にある。
これから不思議な幻想の物語が始まってゆく感がある。

以下の引用部分は「渡らず橋」の、いや作者丸山健二の、人間への思いが伝わってくる。
ストレートに作者が「私」と出てくるよりも、どこか森の仙人様のようなおかしみがある。
思わずどんな話が出てくるのだろう……と聞きたくなる。

それでもなお「渡らず橋」は、
生来の情の深さとあまりに退屈な立場によって、
おのれをこの世に送り出してくれた人間に見切りをつけるような忘恩な真似はせず、

本能によってのみ条件づけられている他の生き物とは大きく異なる、
非常に特異な存在としての人間にどこまでも魅せられ、

まったく融通のきかない灰色の毎日にたいして無言の抵抗をつづける、
人の人たるゆえんとやらに強く惹かれてやまず、

謎がいよいよ深くなるばかりの精神界に戦慄的な認識を抱きながらも、
人間性の内奥にひそむ不気味さをもふくめた全体に取り込まれた。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」14頁)

「渡らず橋」が一目置いている、フクロウを飼う老婆。
老婆が近づいてくる時の「渡らず橋」の描写も、こういう風に擬人法を使えば、物が物でなくなって生き生きとしてくる。
そして不思議な幻想の世界が見えてくる……と興味深い。

すると今度は、
フクロウのみならず、
「渡らず橋」までもがあからさまに胸をおどらせ、
いつものように自分なりに歓迎の意を表したいと思い、
千鳥足でご帰還する年寄りをいたく気遣って、
蔓の結び目をぎゅっと引き締めた。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」32頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月28日(月)旧暦7月12日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」読了ー哲学小説でもあり長大な幻想文学でもありー

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上中下巻を読了。

屋形船おはぐろとんぼが森羅万象に想いをめぐらす哲学小説のようでもあり……。
生を持たない筈のおはぐろとんぼが語るからこそ見えてくる不思議な淡いの世界を描いた幻想小説のようでもある……。

今回が「おはぐろとんぼ夜話」を辿る初めての旅。
今後も幾度も「おはぐろとんぼ夜話」を読んで、言葉の海を、哲学的空間を旅するだろう。

丸山先生を思わせる屋形船おはぐろとんぼの俯瞰しているような仙人モードの語り……。
読めなかったり初めて知ったりした難しい、でも美しい言葉の数々……。思いがけない擬人法を散りばめた文章…….。
これから読む度に新しい発見がたくさんありそうで、再読するのが楽しみである。

屋形船おはぐろとんぼと過ごした最初の旅に名残惜しさを覚えつつ、本を閉じる。

実際には思いのほか短かったのかもしれないわが生涯が
あっさり夢幻の仲間に加わり、

高みへ
果てしのない高みへと移行する
人生の目標の濃い影
その下に佇むことに耐え切れなくなった
中途半端な傑物の心情が理解できたように思え、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻632頁)

「おはぐろとんぼ夜話」の最後の頁から、生と死、未知なる自然が隣り合わせている丸山先生の価値観が伝わってきた。丸山文学は、死があるからこそ生が輝く世界を言葉で表そうとする姿勢が魅力の一つなのだと思う。

屋形船から棺へと化した
偉大なる燃えカスとしての私が振り絞る
最後の意思の力によって

ひょっとすると極楽浄土とやらの入口であるかもしれぬ
いまだにその存在を知られていない海溝へと通じる
段切り灘の底なしの底へ

どうころんでも恐怖の対象になり得ない
美し過ぎる天体の輝きといっしょに

宿命の黒ずんだ申し出を峻拒することなく
在るがままを受け容れながら
するすると滑り降りて行くのだった。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻638頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月27日(日)旧暦7月11日

移りゆく日本語の風景ー豆腐ー

今日は北区北とぴあで開催された「初めての文楽〜その参 妹背山婦女庭訓 金殿の段」を観てきた。

上演前の技芸員さんたちの対談で、入鹿の御殿から豆腐を買いに行く女中とお三輪がばたりと会う場面が話題になった。
そのとき呂勢太夫さんが言われた「この時代に豆腐があったのかはわかりませんが」という言葉が気になった。


妹背山婦女庭訓は近松半二らがつくった浄瑠璃で1771年に初演。
蘇我入鹿らを登場人物に、飛鳥時代を舞台設定にしている。

はたして日本に豆腐が入ってきたのは……と調べてみた。世界大百科事典によれば、以下の通り。

日本の文献では,1183年(寿永2)の奈良春日大社の記録に見えるのが古く,鎌倉時代には1280年(弘安3)の日蓮の手紙に〈すり豆腐〉の名が見える。南北朝から室町期に入ると,豆腐の記事は日記類を中心にして急増し,室町後期の《七十一番職人歌合》には白い鉢巻をした女の豆腐売が描かれ,〈とうふ召せ,奈良よりのぼりて候〉と書かれている。歌のほうには奈良豆腐,宇治豆腐の名が見え,当時奈良や宇治が豆腐どころであったこと,この両地から京都にまで豆腐売が通っていたことがわかる。やがて大消費地であり,水のよい京都でも盛んにつくられるようになり,豆腐は京都名物の一つに数えられるようになった。

蘇我入鹿(645年没)の時代には、どうやら豆腐はまだ日本には入ってきてなかったらしい。

だが室町時代には女の豆腐売りが出現、近松半二の時代には人々の食生活にすっかり馴染んでいたことだろう。

近松半二は資料の少ない時代に、遠い飛鳥時代を思い描いた。
豆腐なら昔からあっただろう……と女官が豆腐を買いに行く場面を入れたのだろうか

日本国語大辞典で豆腐の例文を調べてみると、時代ごとに豆腐のイメージは微妙に現代とは違うのかもしれない……とも思う。

*本草色葉抄〔1284〕「腐豆(タウフ)」

*日葡辞書〔1603~04〕「Tofu (タウフ)〈訳〉豆を粉にして作った食物の一種で、出来たてのチーズに似たもの」

*俳諧・春の日〔1686〕「朝朗(あさぼらけ)豆腐を鳶にとられける〈昌圭〉 念仏さぶげに秋あはれ也〈李風〉」

日葡辞典をつくったポルトガル人にすれば、チーズに思えたのだろうか。
それにしても鳶にとられる豆腐とは、相当しっかりしている気がする。高野豆腐に近いものだったのだろうか。それとも油揚げなのか?

現代では、豆腐屋も、豆腐売りのラッパも遠くなってしまった。

これから先、豆腐はどう変わっていくのだろうか?
豆腐の移り変わりを思いながら、コンビニで売っていた豆腐プリンを深夜にひっそり食べる……。


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さりはま書房徒然日誌2023年8月26日(土)旧暦7月10日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む—海を語ればー

惨劇のあと、船頭の大男と屋形船おはぐろとんぼは、「段切り灘」という海にでる。

おはぐろとんぼが感じる初めての海は、まず聴覚から描かれている。

次に海の音が作用する心の動きの変化を「どうでもよくなり」「溺れかけ」と語る。

次第に朦朧としてゆく意識の中、おはぐろとんぼは娘や野良犬の幻覚を語りだす。

海鳴りが心に及ぼす影響がつぶさに語られているから、読んでいる方にも海の音が聞こえ、おはぐろとんぼと同じく初めて海を見るような新鮮な体験を経験する。

……やがていつもと違う世界に囲まれている気がする。

果ては

水平線のはるか彼方から
スタジアムに詰めかけた大観衆のどよめきのごとき
とても低い周波数の海鳴りに圧迫され

その音にもならぬ心地よい音によって
真実から目を逸らさずに正邪の声を聞き分けることが
まったくもってどうでもよくなり

無邪気に推し進めたものの
いまだ実現されぬ
大分不鮮明な夢の潮流に巻きこまれて溺れかけ

肉の誘惑に負けた
引く手あまたの娘のように
みだりがわしさでいっぱいの
脱出不可能な逸楽に追いこまれ

虎斑の野良犬が放つ
不気味な殺気をよみがえらせ

地獄への順路を
まさに嫌というほど思い知らされ、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」593頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月25日(金)旧暦7月9日

中原中也「別離」ーリフレインの美しさ、豊かさー

福島泰樹短歌絶叫コンサートでよく朗読される中原中也「別離」

福島先生の「別離」朗読を聞いていると、文字だけ追いかけて読んでいるときには浮かんでこなかった様々な景色が浮かんでくる。

それも毎回違う風景が見えてくるから不思議だ。

福島先生が語ることによって、リフレインの一つ一つに色の異なる情が宿り、「別離」の世界がその都度見え方の異なる万華鏡のように立体的に見えてくる。

特に「あなたはそんなにパラソルを振る」を語る時の福島先生の表情、身振り、声に込められた感情が毎回微妙に違うようで、その都度、別の場面が浮かんでくる。
「あなたはそんなにパラソルを振る」というフレーズがあるゆえに、思いが地上のドロドロした感情を遠く離れて、刹那の幻影を結ぶような気がする。

以下、中原中也「別離」より(1)を引用。

中原中也 別離

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日にお別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡の夢から覚めてみると
  みなさん家を空けておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
 そして明日の今頃は
 長の年月見馴れてる
 故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

福島先生の短歌絶叫コンサートは毎月10日に開催される。次回は9月10日(日)、3時開演、7時開演の2回。



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さりはま書房徒然日誌2023年8月24日(木)旧暦7月9日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー惨劇の前の美しさー

屋形船おはぐろとんぼが語る徒然川の美しさ……。
こんな風に意外な言葉を組み合わせて、川の美しさを語ることができるのか……。
散文の可能性を教えてもらった気がする。
この直後に惨劇が待ち構えているとは……まったく予想させないし、惨劇の前だから美しさが心に沁みてくる。

深い意味に染まった
死に制服されざるものに対して
素知らぬ風を装いながら
滔々と流れる徒然川は、

水面のあちこちに
もしかすると滅度を得られるかもしれない儚いひらめきを
月影の反射光のようにふんだんにちりばめ

ささやかで劇的な形態をまとう
地名にちなんだ伝説に生気を与えつづけ

春夏秋冬を愛でながら
幾つもの夜明けを重ねて
そろばん高い猜忌のあれこれを
きれいさっぱり帳消しにし、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻494頁)

この章の最後、惨劇の後の大男の声の不気味さが荒れ寺の鐘に喩えられている。
美と隣り合わせの惨たらしさ……が生きていることなのだろうか?
惨たらしくても思わず読んでしまう表現だなあと思う。

いずれそのうち
維持する檀家もいなくなると
そう取り沙汰されている
荒れ寺の割れ鐘のような調子で
不安一辺倒に響き渡った。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻523頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月23日(水)旧暦7月8日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー冷静に選んだ言葉による表現の面白さ!ー

屋形船おはぐろとんぼを降りて、かつて自分を捨てた女の家に向かう船頭の大男。
その心を後押しする声が、16人ものまったく異なる人間のものとして描かれている(たぶん)。

中でも嫌で頭にくる歴史上のあの人間をズバズバ、でも冷静に語る言葉が心に残る。以下引用。

平気で人を踏みつけにするろくでもない性格をむき出しにして
戦犯の前歴をひけらかすことにより
却って巨利と名声を博すようになった
番外の成功者……
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻460頁)

ほんとうにその通りだ。よくもピッタリ表現されたもの……。

大男と女が寄りを戻す場面。
二人の愚かさを描きながら、やはり視点は冷静で言葉は美しく……
でも、この書き方を実践するのは難しいと思う。

頑なにだんまりを決めこんだまま
不吉な感じの雲が垂れ下がった雨催いの空を横切る弓張り月の真下

多少のばらつきはあるものの
夕方にはつぼむ白い花の真上で

首鼠両端を持しながらも
着々と情痴に狂ってゆく男と女が、

日々の暮らしに屈託したことから
飲酒に依存するようにして

肝胆相照らす仲という仮面で装う必要もないほどの
一方ではどこまでも性愛的な
他方ではどこまでも打算的な
らせん状の親密さを増してゆき、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻487頁)

二人を厳しい目で見ながら、同時に美しくポエティックに語る……のは難しい。
たぶん私なら「許せないこいつ」という思いが強くなって、冷静さが崩れて罵倒してしまう……。たぶん

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さりはま書房徒然日誌2023年8月22日(火)旧暦7月7日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー川の流れは記憶の流れ—
—「思い出す」という言葉を様々に言い換えてー

徒然川を下る屋形船おはぐろとんぼ。
その脳裏に浮かんでは消えてゆく様々な人々。
そうか….川は丸山先生がテーマとされている記憶の流れそのものなのか。
以下の箇所、そんな老いから若きまで、おはぐろとんぼの、いや丸山先生の意識に浮かんだ庶民の姿がありありと描かれている。

それから「思い出している」のに、「思い出す」という言葉は一度しか使わずに、あとは色々表現を変えている。
丸山先生の指導を受けていると、「また同じ言葉」とよく指摘されるも、私の語彙はすぐに尽きてしまう……。
同じ言葉を繰り返さないという努力は、読者は気がつかないがとても大変なもの。
でも繰り返しを避けることで、それぞれが別のストーリーのような、そんな引き締まった感じが出てくるように思う。

何がどうなってそうなるのかについては
さっぱり解せないのだが、

異界へと旅立つ前に
全生涯の歓びをそっくり想い起こす
瀕死の年寄りの歪んだ笑顔なんぞがよみがえり、

まさに芳紀十八歳の娘の残香が
水の匂いを押しのけて辺り一帯に漂い、

安くてけっこう食い出のある天丼が目当ての客が
連日大挙して押し寄せた村の食堂のことが思い出され、

呵々大笑だけが取り柄の
いたって無芸な炭焼きが
とんだ心得違いから生じた妄念に悩む
見るからに気の毒な姿が追憶され、

舟運の便が良い徒然川と共に流れる
根も葉もない噂のひとつひとつが
厳寒の打ち上げ花火のように
楚然として闇に浮かび、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻447頁)



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さりはま書房徒然日誌2023年8月21日(月)旧暦7月6日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー時も空間もぐんにゃり歪めることのできる言葉の威力ー

屋形船おはぐろとんぼは、丸山文学は、弱く小さな存在「そろそろ死ぬ覚悟を固めつつある草陰にすだく虫たち」やら「後期高齢者」について語っていたかと思えば……
次の頁では、いきなり宇宙の終わりや時の流れにワープする。

そうした思考の流れを追いかけていると……。
弱き者たちも宇宙や時の一部分、隣り合わせて存在しているのだなあという思いにうたれる。

太っ腹で小さなことにはこだわらない
つとに名高い理論物理学者が
それとなく警告する

宇宙の倒潰を予感せずにはいられない
銀河系の末路など
たやすく一笑に付すことができた。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻416頁)

輝かしく思い出深い過去の頂点が
いつだって未来の霧のなかに隠されてしまうことを
自然の摂理のひとつと受けとめて
あっさり容認でき
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻417頁)

言葉をつかって文を書く……。
それは宇宙をぐんにゃり歪め、時を自由に行き来させてくれる……そんな魔法の杖をふるに等しい行為なのかもしれない。
……そんな気がしてきた。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月20日(日)旧暦7月5日

移りゆく日本語の風景ー「闘茶」ー

暑さ厳しい日に飲む冷茶は美味しい。
ノンカフェインの麦茶やルイボスもいいけれど、冷茶の緑には一瞬だけ暑さを忘れてしまう力がある。
ずっと私たちの生活と共にあったように思える茶だが、元々は遣唐使の時代に唐から持ち帰られたもの。
荒波をこえて、この緑芳しい飲み物を運んでくれたお坊さんの勇気に感謝だ。ジャパンナレッジ日本国語大辞典によれば、以下のとおり。

日本における飲茶の起源は不明であるが、天平元年(七二九)、聖武天皇が百僧に茶を賜った記事が、明確な記録としては最古のものといわれている。当時のものは唐から帰国した僧侶が持ち帰った団茶であった。これは、茶の葉を蒸してつき、丸めて乾燥したもので、粉にして湯に入れて煎じ、塩、甘葛などで調味して飲んだ。煎じて飲むところから煎茶と呼ばれることもあったが、のちの煎茶とは別物。寺院や上流社会では、薬用、儀式用、あるいはもてなし用として茶が用いられたが、遣唐使の停止以後中絶した。

どうやら古代、天平の頃の茶はとても高貴な方々だけが口にできるものだったようだ。

さて茶の項目を眺めていると、「闘茶」という聞き慣れない、でも強烈なインパクトのある言葉があった。
ジャパンナレッジ日本国語大辞典で調べてみると、「闘茶」とは以下のとおり。

飲茶遊技。本茶・非茶などを判じて茶の品質の優劣を競って勝負を争った遊び。鎌倉末期に宋より輸入され、南北朝、および室町時代に流行した。

どうやら産地や品種を飲み分ける勝負らしい。
飲茶遊技という言葉も、闘茶という言葉も印象的。
闘茶の例文は14世紀から近代に至るまであった。その割には、今まで耳にしたことがなかったのはなぜだろう?

*洒落本・風俗八色談〔1756〕三・艸休茶の湯の事「唐にも闘茶(トウチャ)といふて茶の美悪を論ずる事はありと聞ども」

*随筆・筆のすさび〔1806〕二「三谷丹下は、後に宗鎮と改名す。〈略〉その家にては、茶かぶきは不用、そのかはり闘茶を教ゆ」

*旅‐昭和九年〔1934〕一一月号・首代金廿万両〈正木直彦〉「進んでは又『闘茶(トウチャ)』といふのが行はれるやうになった。これは茶の味を飲み分けるゲームであって」

14世紀からずっと見えていた「闘茶」という言葉がパタリと絶えたのはなぜなのだろう?
それとも茶道には残っているのだろうか?
闘茶」という言葉が醸す心のゆとりを思いながら、「闘茶」の消えた現代を残念に思う。
でも茶葉は気温の影響をダイレクトに受けやすいもの。「闘茶」どころか「茶」の緑が消えてしまうディストピアにならぬよう祈るばかりの暑さである。





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さりはま書房徒然日誌2023年8月19日(土)旧暦7月4日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー数多の物語を孕み、旅立ちへとうながす風景描写ー

女のことを忘れようとする船頭の大男。
その心を見つめながら、月は別の世界を照らしてくれる。
月光が射すところには無数の物語がある……
昼間の風景とは異なる妖しさ、美しさよ。
そんな月明かりの光景を語る文に、読み手も知らず知らずのうちに、船頭や屋形船おはぐろとんぼと一緒に再び船旅に出たくなる……。
静止した月が動きへ、旅立ちへと背を押す不思議さを感じた。

月はというと

孤立無援の放浪者を惹きつけてやまない
ぱったりと交通が途絶えた街道……

いかめしい門の佇まいに不似合いな
趣にあふれた庭園……

長日月にわたって一心不乱に考えつづけるという
重い思索の淵に沈んだ後
長編叙事詩を一気呵成にかきあげた
凡俗の顰蹙を買う怪童のおとなびた横顔……

真夜中の奥に聳立した山々を縫って滑翔する
槍の穂先のようなくちばしを持つ怪鳥……

廉潔の士として知られるよそ者の
救いがたい手落ち……

なんぞをどこまでも優しく照らした。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻391頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月18日(金)旧暦7月3日

移りゆく日本語の風景ー蛙楽は遠くになりにけりー


何をうるさいと思うかは、感覚、価値観の問題があって個人差も大きい。
音に関しては、私の快適があなたの不快……になりがちで難しいと思う。
さて最近「水田のカエルの声がうるさいから何とかしてほしい」という話題をニュースで見かけた気がする。

私は一番最初の勤務先が四方を水田に囲まれた場所だったから、この時期の水田から吹いてくる風、カエルの大合唱には涼しさと懐かしさを覚える方だが……。
カエルも水田も馴染みのない人にとっては、受け入れ難い音なのかもしれない。

でもかつて「蛙楽」(あがく)という言葉が存在するほど、蛙の声に日本人は風情を感じてきた。
ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば、「蛙楽」の意味、例文は以下のとおり。

蛙の鳴くのを音楽にたとえていう。蛙の音楽。
*筑波問答〔1357~72頃〕「旧池の乱草をはらひて、蛙楽を愛することあり

ちなみに蛙に関する文は、ずいぶん昔からあるようである。
以下、ジャパンナレッジ国語大辞典「蛙」の項目より例文をいくつか。

*日本書紀〔720〕応神一九年一〇月(熱田本訓)「夫れ国樔は其の人と為り甚だ淳朴(すなほ)なり。毎に山の菓を取りて食ふ。亦蝦蟆(カヘル)を煮て上(よ)き味と為」

*徒然草〔1331頃〕一〇「烏の群れゐて、池のかへるをとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」

*蛙〔1938〕〈草野心平〉河童と蛙「ぐぶうと一と声。蛙がないた」

それにしても日本書紀の時代、蛙は煮て食べる食材でもあった。それが風情の対象となり、声を愛でられるようになり、そして今疎まれようとされている。
願わくば、心にも暮らしにもゆとりが生まれ「蛙楽」という言葉が生きながらえますように。



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さりはま書房徒然日誌2023年8月17日(木)旧暦7月2日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船おはぐろとんぼが語る自然の美しさー

オンボロ屋形船おはぐろとんぼが感じる自然の美しさ。

丸山先生が指導してくださるとき、その季節に咲く花は?とよく問われる様子が思い出される。

以下紫色の屋形船おはぐろとんぼが語る文は、じっと自然を観察してきた丸山先生ならではの文……だと思う。

私にはとてもタヌキの親子連れとか地蔵とか……文を書きながら浮かんでこない。

それから私は

土と石を交互に盛り上げただけの
従って
徒然川が放ってやまぬ情緒をいささかたりとも損ねていない
艶めかしい曲線を描き出す堤防すれすれのところをのろのろと下り

月影青く風さやかなる夜に
気持ちよさそうに空中を漂ってゆく死者の魂に思いを馳せて
どこまでもつづく桜並木に沿って進みながら

タヌキの親子連れの瞳の輝きや

不満らしい渋面を作っている野ざらしの地蔵や

ホタルのあまりにも静かなる乱舞や

みごとの一言に尽きる流星群の活動などに

ぼうっと見惚れている最中

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻337頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月16日(水)旧暦7月1日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー「どこにでもいるありふれたやつだった」を丸山健二の言葉で語ればー

なんでも知っている屋形船おはぐろとんぼ。
全知全能のおはぐろとんぼが、船頭の大男を語る次の言葉に悲劇の予感。
いつまでも、大男とおはぐろとんぼ……旅が続いていけばいいのに。
そんな思いが覆されるのでは……という気がしてくる。

知人はおろか
神仏にさえ気取られぬように
うつし身の世をそっと抜け出そうとしているとは
とても思えず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話』下巻327頁)

おはぐろとんぼが大男を語る言葉。
最近よく見かける小説なら「どこにでもいるありふれたやつだった」と一行で書くだろう。
丸山先生はこれでもかと文を連ね、ありふれたやつ……のイメージを膨らませてくれる。
丸山文学では、言葉からイメージを紡ぎ出す過程がすごく楽しい。

ただ国語の授業でも、ひたすらわかりやすい実用的な文が求められる時代である。
こういう過程を楽しめない人が多くなり、チンプンカンプンの人が多い現状が寂しくもある。

さて、船頭の大男が「どこにでもいるありふれたやつだった」を丸山先生が表現すれば以下の通り。

その所を得てそれなりの花を咲かせる
単純率直な人間の代表にしか見えず、

さらには

手厳しい結論を強引に押しつけたあげくに
ドライアイスのごとき視線でもって最後の一撃を浴びせる
冷淡な観察者……

夜ごと安酒場に集まって陽気に騒いでも
いっこうに眼識を養えないことが容易に察せられる芸術家……

来るべき不幸に思い悩みつつも
ありふれた見解を脱することができない善良な大衆……

満を持して登場した
これに尽きる反逆者……

小賢しいうえに
骨なしときている教育者……

先天的な素質として弁才に長けた
きわめて魅力的な煽動者……

とまあ
そう解釈したくなった

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話』下巻327頁)

巷によくいる奴、しかも嫌な奴。
……をすっぱり語ってくれているからスッキリする。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月15日(火)旧暦6月29日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船が語る都会のわびしさー

屋形船おはぐろとんぼは徒然川を旅して、露草村からうつせみ町へやってくる。

丸山文学は、地名や固有名詞の名前のつけ方にも特徴がある。
現実には多分あり得ないけれど抒情があふれる名前の数々……それは見慣れた風景をどこか不思議なものに変える魔力がある。

さて屋形船おはぐろとんぼが感じる「うつせみ町」の都会の寂しさも、「そうだなあ」と心に残る。

魂の舟が難破した件について
事の経過を思い返しながら雑感を述べる
いまだ自分が何者であるかを知らぬ人間の数が増え、

はるか沖合にまたたく魚燈をぼうっと眺める
家庭の事情で進学を思い切った少年のため息がかすかに届き、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻292頁)

日本舞踏の会について、屋形船おはぐろとんぼが向ける非難の眼差しもパンチがある。
ただ、こうした骨太な問題意識と幻想性が両立するユニークさが、幻想文学読みからスルーされてしまう要因なのかもしれない……。
幻想文学読みから、丸山文学があまり読まれていない現状をひたすら残念に思う。

何よりも格式を重んじるはずなのに
それでいて
裏では冷たい感触の高額紙幣が飛び交う
日本舞踏の納会が終えたあとに漂う残り香にそっくりな
いかにも退廃的な甘酸っぱい匂いが感じられ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻299頁)



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さりはま書房徒然日誌2023年8月14日(月)旧暦6月28日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むーユーモアもありロマンチストでもある屋形船おはぐろとんぼー

語り手である屋形船おはぐろとんぼは哲学者でもあり、皮肉屋でもあり、ユーモアあり、ロマンチストでもあり………人間ならこんな語り手はいない。

でも屋形船だから違和感なく、耳を傾けてしまう

屋形船おはぐろとんぼが、女に逃げられた船頭の大男を見る目のなんとユーモラスなことか。

妻帯生活に窒息させられない自由をこよなく愛したものの
恨むらくは
空想する自由しか得られないことであったが、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻273頁)

屋形船おはぐろとんぼが、船に訪れる変な人間どもを次々と語る描写もユーモラス。
こういう人っているなあと、その中から一つ引用。

報酬が部下と対等額であることに腹を立てて
任期の満了前にその職を退いた勤め人……
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻281頁)

そんな変な人間たちについて続々と語ったあとだから、おはぐろとんぼのユーモラスさも、描写の美しさも一際心に残る。

そのときどきの好みに応じて音源を選べる
都合のいいことこの上ない聴覚を
思う存分発揮しながら

里のわたりの夕間暮れ
おびただしい数の竜灯に
次々に注油してゆく
老いた神官の侘しい姿を
万感を込めて
眺めることができた。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻283頁)




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さりはま書房徒然日誌2023年8月13日(日)旧暦6月27日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー葉っぱと人間の重ね方に散文ならではの面白さを思うー

古来、日本人は詩歌で季節の風景を歌うことで己の心情を託してきた。

「おはぐろとんぼ夜話」の紅葉の箇所を読むと、言葉を尽くして紅葉を表現しようとしている文に心うたれる。

そして言葉の数や韻の制限を受けない散文ならの複雑さが生み出す面白さを感じる。

以下の引用箇所は、社会への批判めいた思いを秋晴れの日の描写に託していて色々考えさせられる。

かなりの日照りつづきであったにもかかわらず
山峡の紅葉が例年通り見事に映え渡った

無気力によって窒息させられている
世間の大多数の判断などいっぺんで消し飛んでしまいそうなほど
すっきりと透徹した日本晴れのある朝のこと、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻221頁)

以下の引用箇所は、まろやかになってゆく紅葉とコントラストをなすように、船頭の大男から金を巻き上げて逃げていった女の強欲、激しさが示唆されて面白い。

全山紅葉の真っ盛りへと突き進む季節が
ぬくもりにあふれたその色彩でもって
非常な自然の角を削り取り始めたにもかかわらず

欲に生きる者は欲で死ぬだろうという
そんなたぐいの箴言が
多少なりとも効果が期待できたところで
激情の振り子を止めることはかなり難しく
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻230頁)

以下の引用箇所は、女に捨てられた船頭の大男があっという間に立ち直ってゆく様を、深緑に託した書き方が興味深い。

  そして

  その翌年の
 
  深緑の葉の一枚一枚に
  全宇宙の謎を解く鍵があまねく秘められた
  夏場にはもう

  よしんば心臓に達する傷を負わされたところで
  両の手にしっかりと財布を握り締めていそうな
  それほどしぶとい女の印象は

  澄明な夜空に架かる薄い虹のように曖昧なものと化して
  ひたすら無へと傾斜してゆき
 (丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻242頁)

散文の場合、文字数の制限がない分だけ擬人法で思いっきり冒険ができる。そんなチャレンジに溢れた散文が喚起するイメージは無限ではないだろうか?

詩歌の場合、文字数の制限が思いをシンプルにする。余計な贅肉を削ぎ落とされた叫びを聴く面白さ、限られた語の組み合わせで世界を切り取ってゆく複雑さ……が愉しい気がする。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月12日(土)旧暦6月26日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー擬人法について考えるー

いぬわし書房のオンラインサロンで擬人法についての質問があった。

丸山先生が擬人法を考えるきっかけになったのは、カメラいじりから。

レンズを変えるように、擬人法を使うことで、表現の幅を変えたい、視点の幅を広げたいと思われたそう。

擬人法を使えば、どんな無茶な表現でもいい、生身の人間が語るよりワンクッション置くことになるから読者が受け入れやすい……とか語っていらしたと思う。

屋形船おはぐろとんぼが、船に子連れで転がりこんで、船頭の大男と情事を重ねる女について語る場面を読むと、やはり屋形船が女について辛辣に語っても腹がたたないなあ……とクッション効果を感じる。

またクドクド女のあれこれを説明されるより、ぶっ飛んだ例えの方がイメージが広がってゆく。

屋形船おはぐろとんぼは、女のことを以下のようにけちょんけちょんに言う。でもオンボロ船の独り言と思えば、さらさら頭を通過して、私なりの女のイメージが浮かんでくる。

たとえるならば

白バイに追尾されていることを承知で制限速度を破りつづける

とことん荒くれたドライバー……

たくさんの仕事を抱えこんで往生している部下を

さらに鞭撻して深夜まで働かせる上司……

たちどころに不法占拠の任務を終えて復命する

殺人に卓越した兵士……

厚顔にもひっきりなしに前言をひるがえし

現在の地位に執着する長老……

強情な生を剥ぎ取ろうと

荘重な足取りでやってくる死に神……

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻173頁)

……私も次回短歌の課題は、関東大震災の検見川事件について川の流れを視点に詠んだのだった……と思い出す。

川の視点だと、重い事件も、人間の愚かさも、何とか文字にできる気がする。私視点だときついものがある。擬人法はまことに偉大なり。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月11日(金)旧暦6月25日

移りゆく日本語の風景ー蝶々ー

小学校の教室をのぞけば、かならずどこかに蝶々の絵があって、蝶々とは長い間私たちの生活で愛されてきたもの……と思い込んでいた。

だがジャパンナレッジ日本方言大辞典を見てみれば、そうではないらしい。以下、青字は日本方言大辞典より引用。

不思議なことに蝶(ちょう)はその美しい姿にもかかわらず、上代の日本人に好まれていなかったようである。不吉なものと考えられていたのか、文学作品にも採り上げられることがなかった。対して蜻蛉(とんぼ)は、古来日本人に愛されて、銅鐸の上にもその姿をとどめている。

かつて古代では、蝶は「かわびらこ」とも呼ばれていたようである。

日本国語大辞典を見てみれば、まったくない訳ではないが、たしかに蝶に不吉なものを感じていた気配がうかがえ、例文も非常に少ない。

*宇津保物語〔970~999頃〕藤原の君「我袖はやどとるむしもなかりしをあやしくてふのかよはざるらん」

日常見かけるものであっても、時代によってだいぶ感じ方は違うようである。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月10日(木)旧暦6月24日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー人間という複雑怪奇な生き物を言葉にするとー

屋形船おはぐろとんぼに転がり込んできた女と不自由なところのある女の子供。

船頭の大男が女とわりない仲になってゆく様子を、おはぐろとんぼが語る言葉の紡ぐイメージの面白さ。

わかりやすい文にしてしまえば、うんざりするような展開だろう。

でも言葉の力によって陳腐さが消え、ただ人の心の不思議さにうたれるばかり。

例えば、押しかけてきた女に夢中になってゆく大男の関係は

その関係たるや

緑林の奥で立ち腐れになってゆく

ぼろぼろの空き家……

沈んだばかりの太陽の下で

だらりとぶら下がった素干しの魚……

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」159頁

どうしても離れることのできない二人を、死のイメージを重ね、美しく書く。

死ぬ直前まで減じない

人生そのものに受ける痛手……

しずしずと進む葬列と一対をなす

ぴかぴかの銀盤の月……

そういったもののように

いつまで経っても付きまとい、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」161頁)

大男と女の幸とは縁遠いこれからを暗示する言葉も、そこまで幸せに縁遠い人生なのか……と心に残る。

踊り狂いたくなるほどの

一世一台の夜が訪れるどころか

食べ残しの弁当を開くや胸にそっと宿るような

その程度のささやかな平安すら得ることもあたわず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」162頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月9日(水)旧暦6月23日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むーおはぐろとんぼが語る自然にどこか異界感がある理由を考えるー

古びた木造の屋形船おはぐろとんぼが語る周囲の自然。

それは人間の目に映る自然とはどこか違う、この世のものではない感じがどこかする。

見慣れた風景が、言葉の力によって異次元のものに見えてくる……のが丸山作品の魅力と思いつつ、なぜ?と読む。

昼といわず夜といわず

偶然に満ちた生命の営みにきびきびした態度で臨み

深い味わいにあふれて

ほろ苦い色調を帯びた大自然は、

物の道理を闡明してくれそうな青雲をたなびかせる天空の隅々までもが

魔道のごとき雰囲気をかもし

次々に図星を指しつづけることによって

瀕死の生き物に立ち直らせる隙を与えず

(丸山健二「おはぐろとんぼ」下巻121頁)

「昼といわず夜といわず」のリズム感、「きびきびした態度」の躍動感が自然の鼓動を伝えてくる。

「深い味わい」「ほろ苦い色調」という言葉に、自然の奥行きへと心が誘導されてゆく。

「物の道理を闡明してくれそうな青雲」「魔道のごとき雰囲気」で、私たちがイメージしたこともないような妖しい自然のイメージが、むくむくと湧き上がってくる。

「次々に図星を指しつづける」不思議な光景が見えてくるのは、人ではない「おはぐろとんぼ」ならでは。

「瀕死の生き物」で「生」と「死」のイメージが喚起されてゆく。

この世のものではない……に連なるイメージを積み重ねてゆくことで、屋形船おはぐろとんぼから、ここにあるんだけど、どこか違う世界の存在を教えてもらう気がする。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月8日(火)旧暦6月22日

移りゆく日本語の風景ー妹背山婦女庭訓の烏帽子職人という設定に思うー

この夏、大阪の国立文楽劇場で上演されている文楽公演2部「妹背山婦女庭訓」は、蘇我入鹿、藤原鎌足、天智天皇の時代が舞台。

江戸時代の浄瑠璃作者・近松半二らが書いて1771年に上演された作品とのこと。

作者・近松半二にとっても遥か遠い時代、見たこともない雲の上の存在の人たちのことを想像をめぐらして書いたのだろう……と感慨にうたれる箇所が随分とある。

烏帽子も、江戸の作者が天智天皇の時代らしくしようと工夫をこらした、そんな設定のひとつだろう。

藤原鎌足の嫡男・淡海は烏帽子職人の求馬に身をやつしているとき、杉酒屋の娘お三輪に惚れられてしまう……。

そんなストーリーに烏帽子職人は江戸時代にも存在する職人だったのだろうか……と烏帽子を調べてみる。

ジャパンナレッジ日本大百科全書によれば、烏帽子とは

冠は公服に、烏帽子は私服に用いられた。形は上部が円形で、下辺が方形の袋状である。地質については、貴族は平絹や紗 (しゃ) で製し、黒漆を塗ったもの。庶民は麻布製のものであったが、中世末期より、庶民はほとんど烏帽子をかぶらなくなり、貴族は紙製のものを使うようになった。

ジャパンナレッジ日本国語大辞典によれば

鎌倉末期からいっそう形式化し、紙製が多くなり、皺(しぼ)を設けた漆の固塗が普通となったため、日常の実用は困難となった。一般に儀礼の時のほかは室町末期から用いなくなった。

ある時代までは庶民もかぶっていたが、中世末期から庶民はかぶらなくなり、室町末期からすべての身分において廃れていったものらしい。

たぶん作者・近松半二は天智天皇の時代らしさをだすために、求馬を烏帽子職人という設定にしたのではないだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2023年8月7日(月)旧暦6月21日

移りゆく日本語の風景ー街路樹ー

大阪は……と言っても文楽劇場界隈から難波にかけてだけなのかもしれないし(東京も木を切りたがる知事がいるから同じようなものだが)、どうも街路樹が寂しい街のような気がする。

どういう事情からかなのかは余所者には分からないが、根本から切り倒された街路樹の痕跡だけが点々と続いている悲しい通りもある。

街路樹が残っている通りにしても、どうも出来るだけ小さく切り詰められていたり、あまり手入れがされていない感じがある。

安全に、交通の妨げにならないように街路樹の手入れをするには財源も、意欲もいることだろう。自治体の財政状況もあるだろう。

しかし緑の貧弱な都市は、その都市の政治をあずかる人の心を反映しているような気もして、実に寂しいものである。

写真は、埼玉県所沢市の航空公園がある界隈である。文楽の地方公演で訪れたとき、堂々たる街路樹がつづく美しさに圧倒された。

ただジャパンナレッジの日本大百科全書で調べてみると、「難波の街路にクワが植えられたと日本書紀にある」そうだ。クワの街路樹が緑陰をつくる大阪の街……なんて、今では想像もできないが、そんな風に緑を愛しむ心の人がこの街を治めていた時代もあったのだ……。

以下、ジャパンナレッジの日本大百科全書の「街路樹」の説明より。

市街地の道路の両側に列植された樹木をいう。

(省略)

 世界でもっとも古い街路樹は、約3000年前にヒマラヤ山麓 (さんろく) につくられた街路グランド・トランクであろうといわれる。これはインドのコルカタ(カルカッタ)からアフガニスタンの国境にかけての幹線の街路であり、一部は舗石を敷き詰め、中央と左右の計3筋に並木が連なっていたという。中国では約2500年前の周 (しゅう) 時代にすでに壮大な並木、街路樹がつくられていた。

 日本の並木、街路樹の起源も古く、『日本書紀』によると、敏達 (びだつ) 天皇(在位572~585)のころ難波 (なにわ) の街路にクワが植えられたとある。聖武 (しょうむ) 天皇(在位724~749)のときには、平城京にタチバナとヤナギが植えられている。さらに遣唐使として入唐(にっとう) した東大寺の僧普照 (ふしょう) が754年(天平勝宝6)に帰朝し、唐の諸制度とともに並木、街路樹の状況を奏上し、759年(天平宝字3)に太政官符 (だいじょうかんぷ) で街路樹を植栽することが決められた。これが行政上の立場から街路樹が植えられた始まりである。桓武 (かんむ) 天皇(在位781~806)時代には、平安京にヤナギとエンジュが17メートル間隔に植えられ、地方には果樹の植栽が進められた。その後、鎌倉時代にはサクラ、ウメ、スギ、ヤナギが植えられている。江戸時代になると、各地にマツ、スギ、ツキ(ケヤキの古名)などが植えられた。

 近代的な街路樹は、1867年(慶応3)に横浜の馬車通りにヤナギとマツが植えられたことに始まる。1874年(明治7)には東京の銀座通りにサクラとクロマツが植えられたが、木の成長が悪く、1884年になってシダレヤナギに植えかえられている。(省略)

 1977年(昭和52)の調査(林弥栄ほか)によると、東京都23区内の街路樹総本数は15万5000本、三多摩地区5万1000本、総計20万6000本である。このうち、本数の多い樹種はイチョウ、プラタナス、トウカエデ、シダレヤナギ、エンジュ、サクラ、ケヤキの順となっている。(以下省略)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月6日(日)旧暦6月20日

移りゆく日本語の風景—鈴虫—

先日、江戸時代はほとんど無視されていたのに、近年になって取り上げられるようになった花、ヒマワリについて書いた。

ヒマワリとは逆に昔は文学作品によく取り上げられながら、近年あまり見かけないなあと思う存在がある。鈴虫である。

鈴虫は、源氏物語の第三八帖(源氏五十歳の夏から秋八月までを描いた)の巻名にもなるくらい、平安時代から親しまれてきた。

ジャパンナレッジで「鈴虫」を調べて見ると、「鈴虫の宴」とか「鈴虫の鉄棒」という言葉があって、人々の生活に鈴虫が親しまれていた様子が伝わってくる。

*源氏物語〔1001~14頃〕鈴虫「こよひは、すずむしのえんにてあかしてんとおぼしの給ふ」

「鈴虫の鉄棒」という言葉は初めて知った。「突きながら歩くと、鈴虫の鳴き声のように鳴りひびく鉄棒」だそうで、こんな例文がある。何やら涼しげである。

*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕一六「鈴虫の鉄棒 ちりんちりんちりんと鳴る鉄棒也

鈴虫の例文はとても多く、折に触れて日本人の心を動かす存在だったのだなあと思う。

*枕草子〔10C終〕四三・虫は「虫は すずむし。ひぐらし。てふ。松虫

*藤六集〔11C初〕「おほしまにこころにもあらずすすむしはふるさとこふるねをやなくらん」

*源氏物語〔1001~14頃〕鈴虫「げに、こゑこゑ聞えたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし」

*桂宮丙本忠岑集〔10C前〕「山のはに月まつむしうかがひては、きんのこゑにあやまたせ、あるときには、野辺のすずむしを聞ては、滝の水の音にあらかはれ」

*日葡辞書〔1603~04〕「Suzumuxi (スズムシ)」

*俳諧・鶉衣〔1727~79〕前・下・四八・百虫譜「促織(はたおり)鈴虫くつわむしは、その音の似たるを以て名によべる、松むしのその木にもよらで、いかでかく名を付たるならん」

*幼学読本〔1887〕〈鈴虫権左衛門鈴虫権左衛門西邨貞〉四「松虫と鈴虫とを父にもらひたり、いづれも小さなる虫籠の中に入れおけり」

その他、鈴虫勘兵衛とか鈴虫権左衛門という江戸時代の歌舞伎の唄い方もいるようで、美声だったのだろうなあと想像する。

鈴虫には、その他の意味として「主君の側近くにはべり仕える人。侍従。おもとびと」とか「(鈴口から殿様を迎えるところから)正妻のこと。妾を轡虫(くつわむし)というのに対していう」という意味もあるようである。

なお鈴虫と松虫の違いについて、ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば以下のように記されている。

「鈴虫」と「松虫」の名は、いずれも中古の作品から現われるが、現在のように「リーン、リーン」と鳴くのを「鈴虫」、「チンチロリン」と鳴くのを「松虫」というように、鳴き声によって区別することができる文献は近世に入るまで見当たらない。そのうえ、近世の文献においても両者は混同されており、一概にどちらとも決め難い。初期俳諧でも、現在の鈴虫と解せる例と松虫と解せる例と両様である。しかし現在では、中古の作品に現われるものについては、「鈴虫」を「松虫」と、「松虫」を「鈴虫」と解するようになっている。

かつては文学作品に、日常生活にあふれていた鈴虫だが、近代小説ではあまり見かけない気がする。

私自身も今年になってから、鈴虫の声を一度も聞いていない。

今回鈴虫の写真を探そうとして、フリーの写真サイトを探しても殆どなかった。

いまや鈴虫は遠い存在になってしまったのではないだろうか。寂しいことである。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月5日(土)旧暦6月19日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船の放つ怒りに心ざわついてー

屋形船おはぐろとんぼは川をくだって、うつせみ町にさしかかる。

うつせみ町の様子に向ける、おはぐろとんぼの怒りの言葉の数々を読んでいると、うつせみ町とは今の日本そのものではないか……と思えてくる。

つまり、丸山先生が現代の日本に向けて放つ怒りの言葉なのだ。

最近好まれる文学は「わかりやすい」「共感できる」「心地よい」ものが多い気がするけれど、私は怒りの矢をドンピシャで放って、怒るべき状況をかわりに表現してくれる文学の方がいいな……。

でも怒りを含んだ文学はとても少なくなってきている気がする。

根拠が薄弱な悪税に苦しんでも

正面切って異を唱える度胸を示そうとはせず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻44頁)

国民の最大の共有財産たる戦争放棄の憲法が蔑ろにされ

民主的で平和を愛する国家から

侵略的で帝国主義的な強国へ乗り換えようとしている

まさにこの時において

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻45頁)

自由と平等の全否定にほかならぬ国家権力に対し

怒りのかたまりとなって突進して行く者は皆無であり

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻45頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月4日(金)旧暦6月18日

移り変わる日本語の風景ーひまわりー

夏の花といえばヒマワリ。映画にも、ポピュラーミュージックにも、アニメにも、朝ドラにも、絵画にも……ヒマワリはテーマとして使われ、ヒマワリが氾濫している感じがある。

だが日本でヒマワリが題材として文学作品で扱われるようになったのは、近年になってからではないだろうか?

ヒマワリは北米原産、日本に渡来したのは江戸時代らしい。だが江戸時代、殆ど文学作品にヒマワリは登場しない。ヒマワリの異名、向日葵、ひぐるま、にちりんそう、てんがいばな等で調べても、どうも愛されているような気配のある例文はない。

ジャパンナレッジで調べてみると、多いのは植物図鑑からの例文。

*花壇地錦抄〔1695〕四、五「日廻(ヒマハリ) 中末 葉も大きく草立六七尺もあり。花黄色大りん」

*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ヒマワリ 向日葵」

*訓蒙図彙〔1666〕二〇「丈菊(ぢゃうきく) 俗云てんがいばな 丈菊花(ぢゃうきくくゎ)一名迎陽花(げいやうくゎ)」

文学作品への登場はとても少ないし、たまに見かけてもヒマワリが可哀想になる例文である。

*雑俳・大花笠〔1716~36〕「日車じゃ・旦那にほれた下女が顔」

次の山口誓子の俳句になってから、だんだん風情を感じてもらうようになったのではないだろうか?

*炎昼〔1938〕〈山口誓子〉「向日葵(ヒマハリ)に天よりも地の夕焼くる」

中原淳一が少女向け雑誌「ひまわり」を刊行したのは、山口誓子の俳句から九年後のことである。だんだんヒマワリの華やかなイメージも受け入れられるようになってきたのではないだろうか?

なお「てんがいばな」という響きが素敵だな……と思ったけれど、「ヒガンバナ」と「ヒマワリ」、両方を指すらしい。ずいぶんかけ離れた花同士のように思うが、なぜなのだろう?

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さりはま書房徒然日誌2023年8月3日(木)旧暦6月17日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れをたとえればー

「おはぐろとんぼ夜話」下巻の冒頭は結構手強かった。

屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れを見ながら、あれこれ思索に耽る場面。

「おはぐろとんぼ」は丸山先生自身でもあると思う。

つまり川の流れが丸山先生の心に喚起する概念が、どっと私の心に流れ込んでくるようなものだ。

その思念の深さに、気がつけば置いてけぼりをくらっている。でも落ちこぼれているのに日本語が心地よく苦にならない……それではいけないと二度繰り返して読む。

以下の引用箇所は、屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れをあれこれと色んなものにたとえている……のだと思う。

擬人法でずっと語られてゆく徒然川……その例えがとても面白く、今までとは違う世界が見えてくる。

とくに最後の「十字形花冠が似合う節足動物」という漢字が喚起するイメージに惹かれてしまった。

十字形花冠とは「4枚の同形同大の花弁が十字の形に並んでいる花冠で、アブラナ科の花がこれに属する」(旺文社 生物事典」)らしい。

節足動物はエビ、カニとかクモやダニらしい。

「十字形花冠が似合う節足動物」という言い方は思いもよらなかったけれど、ぴったり。

そしてカタカナで「ナノハナ」「クモ」と表現されるものとは、まったく別の生き物になるようなパワーがある。

言葉とは不思議なもの……言葉の力を感じた次第。

植物のあいだで交わされる言語を解すること

それ自体が無理だというのに

波音の波長をさかんに切り替えながら

執拗に迫り、

街角の小暗い場所に設置されている

青春の放胆さがいっぱいに書き殴られた

ぼろぼろの伝言板を

いかにも唐突に想起させるのだ。

もしくは

漢方薬のようにじわりと効いてくる

もってのほかの苛立ち……

端午の節句の由来をたどるくらい

どうでもいいこと……

悪評を買うばかりの

お上への泣訴……

恒常的に不快に思ってしまう

アルファにしてオメガなるもの……

それらを

なぜか十字形花冠が似合う節足動物といっしょに

みごとに連想させ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻10ページ)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月2日(火)旧暦6月16日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻を読みながら比喩を少し考える

丸山文学の面白さのひとつに、思いもよらない比喩表現がある。

こんな例えは出会ったことがない……という表現に次から次へと遭遇。

その度に、わたしの思い込みの激しい頭で決めつけていた世界が少しずつ崩壊して、新しい目でこの世を眺めている面白さがある。

だが考えてみれば、学校の国語教育では「比喩」の意味を教わることはあっても、その楽しみ方や比喩にチャレンジした作文なんて教えを受けることはほとんどなかった。

こんな現状では、たぶん丸山作品の面白い比喩に出会っても、たいがいの人は「これなに、分からない」で終わってしまうのではないだろうか?残念なことではある。

さて、船頭の大男がゆきずりの女との恋を楽しみ、屋形船おはぐろとんぼが憤りにかられつつも、次第に諦めてゆく場面。

全体にぬらりとした感じの妖美を漂わせる

紫がかった峰の端に

なぜか碾き割麦を彷彿とさせる月がゆらりと昇る頃には

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻582頁)

心になぜか「碾き割麦を彷彿とさせる月がゆらりと昇る頃」というフレーズが刺さり、イメージを反復したり、なぜ気になるのか……考えてしまう。

まず無知の悲しさで「碾き」という漢字の読みが自信なく、調べて「ひき」でよい……と確認。

さらに「碾き割麦」というものがイメージできないながら、麦畑の麦のイメージと月を重ねることで、心惹かれてゆく。

「碾き割麦」を調べてみると、イメージとは少し違うなあ……

ミューズリーの押し麦みたいなものかなあ……

サイズ感は違ってもゴツゴツした感じが月とぴったりかも……

小さい感じが夜空に遠く見える感じと重なってよいかも……などと思う。

碾き割麦」も、「月」も自然界のものだから、かなりイメージが違うようでも、意外とぴったりするのだろうか?

それとも、ここは大男の恋の場面だから、「ぬらり」「峰」「碾き麦」とかセクシュアルな意味も重ねているのだろうか?

英語だったら、”as”とか”like”が使われて、訳文も「〜のように」とワンパターンになりがちだけど、日本語だと「彷彿とさせる」という言い方でバリエーションをつけられるのも面白いと思う。

続く大男が女との恋に激情を感じる場面でも、麦関連の比喩で例えている。

有数の穀倉地帯に

突如として殷々たる砲声が轟くような

強烈な衝撃が立てつづけに走り

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻582頁)

読んでいると違和感がなく、かけ離れた例えが不思議に心に残る。穀倉地帯も、恋も自然の営みだからなのだろうか?

そういえば、丸山健二塾でご指導をいただいていると、こんな発想で比喩を使うのか!とやはり比喩がとても勉強になることを思い出した。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月1日(火)旧暦6月15日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻を読む

まるで山の仙人さまみたいに俗世から離れた視点で、鋭い語りを続ける屋形船「おはぐろとんぼ」……この語り口は記憶にあるが、はて誰なのやら?

不思議な屋形船おはぐろとんぼ……それは作者の丸山健二先生が投影された姿なのかも……と、以下の文に思った。

どう頑張ったところで

でしゃばりな性状を自制することができなくても

人間観察に関してだけはいささか自信を持っている

この私からすれば

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻508頁)

これは丸山先生そのものだ。作者が船に姿をかりて語るとは……散文は面白い。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月31日(月)旧暦6月14日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻を読む

世に蔓延る嫌な風景を思うままに並べ、最後に「お盆前の雑草のごとくほとんど無制限にはびこっていった」と締めくくる。

嫌なことが書いてあるのに、思いも寄らない表現なので、どこか言葉を楽しみながら読むことができる。

突拍子もない言い方が最後に「お盆前の雑草」というドンピシャの、生活感にあふれる文で終結すると、「そうだなあ」と思わず納得する。

「おはぐろとんぼ夜話」は慣れるまでは読みにくいかもしれないが、慣れてしまうと詩のように次々とイメージが連なっていくのが楽しい。散文の醍醐味を感じる作品だと思う。

人生の舞台の中央に集光する

からかいの言葉にも似たどぎつい輝き……

肉体に縛りつけられていることが原因の

ひどく恥さらしな試練……

防潮林のごとき地味な役回りに甘んじている

心の安全弁の腐朽……

生き抜くためならなんでもござれの

度を越した善悪の逸脱……

結果的に魂を誤らせることになる

どこまでも欲望の流れに沿った放言……

そういったものが

お盆前の雑草のごとく

ほとんど無制限にはびこっていった…

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻488頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月30日(日)旧暦6月13日

ジャパンナレッジの日葡辞書の例文に暑さを忘れて

暑さや諸々の憂いを忘れるには……?

私の場合、異なる言葉に身をゆだね、その向こうの世界に想いをめぐらすことだろうか……?

異なる言葉が英語の場合もあるが、あまりにも違いがありすぎて、かえってストレスが高くなることもある。

その点、昔の日本語に身をゆだねると、今と繋がりがあるようでいて、どこか違う差異が驚きでもあり、楽しさでもある。

昔の日本語との出会い方は色々あるだろうが、ジャパンナレッジで日葡辞書の例文をボケッと眺めるのも楽しい。

ジャパンナレッジのサイトにある日葡辞書についての今野真二氏の説明は、以下のとおり。

イエズス会の宣教師たちと日本人信者とが協力して編んだと考えられている『日葡辞書(にっぽじしょ)』という辞書がある。慶長8(1603)年に本編が、翌9(1604)年に補編が出版されている。日本語を見出しとして、それにポルトガル語で語釈を配した、「日本語ポルトガル語対訳辞書」である。

 見出しはアルファベットによっていわゆるローマ字表記されている。例えば「松茸」は「Matçudaqe」というかたちで見出しになっている。イエズス会の宣教師たちはポルトガル語を母語としているので、このローマ字のつづり方はいわば「ポルトガル式」ということになる。

日葡辞書とは、1600年頃の日本語の発音、アクセント、意味がわかる言葉のタイムマシンなのだ。

ジャパンナレッジのサイトで、日本国語大辞典、日葡辞書と入力、さらに細かい言葉を入力する。

例えば「夏」と入力すると、日葡辞書にある「夏」関係の言葉が13件ヒットする。

その中の「夏熱」の項目は以下のとおり。

日葡辞書には「暑さ」「暑い」「寒さ」「寒い」という言葉はないようだ。昔が暑くなかった筈がない。そういう簡易な語彙は外したのだろうか……?

ジャパンナレッジは有料サイトだが、言葉のタイムトラベルを楽しむことができるのでオススメ。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月29日(土)旧暦6月12日

仁木悦子「子をとろ 子とろ」を読む

民話調のタイトルも響きがよく、「読んでみたい」と興味をそそられる。

子供を見ると追いかけてくる「子とろ女」の怪談が大切なベースとなっているのも面白い。

怪談に怯える子供たちの様子も生き生きとしている。

だが40ページの短さに登場人物がおそらく15人以上。人物への説明が多くなり、せっかくの怪談風味を打ち消している。こんなに人物説明が必要だろうか?

冒頭部分から母親が、自分の子供を「幼稚園から帰っておやつを食べていた息子の哲彦」とか「哲彦の妹の鈴子」と、読み手に説明するのも白ける思いがする。

最後、犯人の状況について色々説明して犯行動機を納得させようとするところも、何だかわざとらしいし、もう少しそういう雰囲気を書いておいて欲しかったと思う。

タイトルと怪談そのものがよかっただけに残念である。怪談とミステリーの両立は難しいのだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2023年7月28日(金)旧暦6月11日

移りゆく日本語の風景ー病院ー

今日は定期通院で総合病院へ。通院している病院は遅くなればなるほど、診察、会計、薬局と雪だるま式に待ち時間が長くなってゆく。だから朝一番に予約する。

総合病院、病院、医院という言葉だが、もとは病院という言葉があって、だんだん区別するような形で総合病院、医院と別れていったらしい。他の言葉に比べると、文学上の例文はあるけれど、多くはない気がする。

日本国語大辞典によれば、病院は

もとは中国明代末にヨーロッパから渡来したキリスト教宣教師による漢訳語。日本へは、蘭学者によって、近世後期に紹介され、次第に広く使用されるようになった。

とのことで、例文も最初の頃は外国の話の聞き覚え的な本に出てくる。

*紅毛雑話〔1787〕一「病院 同国中にガストホイスといふ府あり、明人病院と訳す」

*七新薬〔1862〕七「プロムトン〈略〉の大病院にては、少壮の人肺労の素因ある者に之を常服せしめて、其病の発生を防ぐと云へり」

近代文学の中に出てくる病院、医院、総合病院。それぞれ雰囲気が出ているなあと思うが、やはりどこか寂しい心が伝ってくる。病気もしがちだったろう文学者たちにとって、病院は身近だけれど、あまり書く気のしない場所だったのかもしれない。

まずは病院から。

*悲しき玩具〔1912〕〈石川啄木〉「病院に入りて初めての夜といふに すぐ寝入りしが 物足らぬかな」

次に医院。こちらは病院より小規模のものを言うためか、裏寂しい描写が強まっている気がする。

*うもれ木〔1892〕〈樋口一葉〉五「押たてし杭(くひせ)の面に、博愛医院(イヰン)建築地と墨ぐろに記るして」

*田舎教師〔1909〕〈田山花袋〉五九「門にかけた原田医院といふ看板はもう古くなって居た」

最後に総合病院。安心と信頼を感じる描写のような気がする。

*マヤと一緒に〔1962〕〈島尾敏雄〉「K市にある設備のととのった綜合病院で一度診察してもらうことは」

*暗室〔1976〕〈吉行淳之介〉一四「週に二回、都心の綜合病院へ行って、アレルギーのための注射を打ってもらう」

(以上、青字は全て日本国語大辞典よりの引用)

読んでいるときは病院、医院、総合病院……全く意識しないで読んでいたけれど、こうして比べてみると、それぞれの描写に書き手の心境が現れているなあと思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月27日(木)旧暦6月10日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼは徒然川を下ってゆくうちに、里山の露草村を離れ、都心部へと近づく。

だんだん見えてくる人間の在り方も寂しいものに変わっていって、都会に暮らすことへの丸山先生の嫌悪を感じる。

嫌悪しつつも都会の蝕まれてゆく雰囲気を美しく描いているなあと思う。

嫌な存在を、思わず読んでしまう書き方で表現されているところに散文の面白さを感じる。

生まれてこの方

推挙など誰からも受けたことがない

週日のようにつまらぬ個々の人々の

間尺に合わない一生が浮き彫りになり、

そんなかれらが次々に没してゆくしかない

朽ち葉色の沈黙の世界が

胸にじんとくる追憶を

ことごとく破壊し尽くし

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻453、454頁)

堀田季何「俳句ミーツ短歌」&「惑亂」でようやく枕言葉の面白さがわかった!

長い間、私にとって枕言葉とはただ一方的に教師から説明されるだけの存在で、昔の人はなぜこの言葉とこの言葉を結びつけたのだろう……どこが面白かったのだろう……と心の中で疑問に思いながら、「古典の公式だもの、仕方ない」的な感覚で受け入れていた。

堀田季何「俳句ミーツ短歌」は色々面白い視点に溢れているのだが、「第四章 歌語ネバー・ダイズ短歌、俳句の語彙」の中の「枕言葉は五文字の盛り上げ役」の箇所を読み、枕詞への明快で理論的な説明で、長い間の疑問がすっと溶けていった……気がする。以下、少し長くなるが青字は同書より引用部分。

 明確な意味は持たない枕詞ですが、枕詞があると修飾される言葉が際立ち、音の流れも美しくなります。そのため枕詞は生き残ったのでしょう。(途中省略)

 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ  紀友則

(光のおだやかな春の日に桜の花はなぜあわただしく散るのだろう)

 ここでは「ひさかたの」は「光」と「日」にかかって、ムードメーカー的な役割を果たしています。すなわち「ひ」のやわらかな音の連続が、春風駘蕩とした雰囲気をつくりだしているのです。しかし、「しづごころなく」と咎めるような言葉が、聞く人、読む人を少し驚かせます。そこに「花の散るらむ」と続き、やわらかに落ち着きます。

(青字は堀田季何「俳句ミーツ短歌 第四章 歌語ネバー・ダイズ短歌、俳句の語彙より」

枕詞について分かりやすく説明してくれた筆者・堀田季何の歌集「惑亂」も少しづつ読んでいるが、使われている枕詞が全然古びていない気がする。古くから使われている枕詞が現代の不気味さを伝える言葉に生まれ変わっているように思う。以下、堀田季何の歌集「惑亂」より。

ぬばたまの黒醋(ず)醋豚を切り分けて闇さらに濃く一家團欒 (堀田季何)

「ぬばたま」って独特の強烈な響きがある……ナ行のせいだろうか。ナ行の強さと「切り分け」という言葉の強さにやりきれなくなったところにくる言葉が「闇」だ。「一家團欒」と旧字が使われているせいで、昔からの家族を大事にする価値観にやり切れなさを感じてしまう。

ぬばたまの醤油からめてかつ喰らふセシウム検査證なき卵 (堀田季何)

ここでも私が「ぬばたま」から感じるのは不安である。その不安が「からめてかつ喰らふ」という慌ただしい動作で増幅され、さらに「セシウム検査證なき卵」で不安が確定される。ここで「セシウム検査證」と旧字体になっていることにより、時代が曖昧になって大昔あるいは未来のことを語っているようなSFチックな気分にもなる。

……などと勝手に書いてしまったが、この歌の私の解釈は違うのかもしれない。でも古くからの枕詞を現代に甦らせようと作者は試みているのだと思うし、その試みが楽しみである。

それにしても枕詞って面白いなあ……枕詞って五文字なんだと「俳句ミーツ短歌」で初めて気がついた……散文に枕詞を入れてみたいなあ、散文だと合わないだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2023年7月26日(水)旧暦6月9日

移り変わる日本語の風景ー花火ー

この時期、花火の予定をこまめにチェックしてから外出しないと、思わぬ人混みに巻き込まれる。

ふだんは改札が一箇所しかないような河辺の寂しい駅。それが花火大会ともなると人があふれ、ホームから改札に出るのも10分以上かかる。完全にキャパシティをオーバーした状態だ。

さて、かくも人を夢中にさせる花火とは……と、日本国語大辞典でその歴史を紐解く。以下、青字部分は日本国語大辞典の説明を抜粋。

花火は鉄砲とともに……。

1543年の鉄砲伝来以降、武器の一種として伝わった。

徳川家康も花火に夢中になった様子。

1613年、徳川家康が、唐人の上げた娯楽用の花火を見物したといい、その頃より花火師が現われた。瓦屋根が少ない江戸の町では火事の元ともなり、町中で打ち上げることに対する禁令が1648年以降度々出された。

「川開き」という言葉は花火に由来している。

場所を水際に限られてからも人気は衰えず、元祿の頃には町人の花火師による茶屋花火、花火船などで賑わった。その時期が旧暦五月二八日から八月二八日に定められたので、その初日を「川開き」と称し、隅田川の両国橋付近で大花火をあげるようになった。この花火の製造元は両国の鍵屋ならびに鍵屋の別家玉屋で、打上げの際に「カギヤ・タマヤ」と声をかけるのはこれによる。以後、第二次大戦中を除き、川の汚染で中止となる1961年まで毎年行なわれ、1978年復活した。

今でこそ「花火」=「夏」「夏休み」のイメージだ。

だが旧暦の時代、八月中旬以降は秋の扱い……なので、季語としては本来「花火」は秋の季語だそう。

現代の季節感覚とはずれがあるので、夏の季語として扱ってもよいらしい。

季語がいつであろうと、次の泉鏡花の俳句は涼やか。鏡花のように花火は遠くにて静かに見るもの……かもしれない。

花火遠く 木隠(こがくれ)の星 見ゆるなり(泉鏡花)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月25日(火)旧暦6月8日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼは周囲の自然に思いを寄せる。

丸山先生の目に映る信濃大町の風景にも、山との対話にも思えてくる。

自然を語ると同時に生死を、時を語る雄大さがよいなあと思う。

夏の盛りであっても山嶺に雪をいただく山吹岳を軸とする

晴曇定めなき天候に感情の動きをぴたりと合わせ

朽ち葉にうずもれた墓のなかで魂を放棄する死者たちを

ひとり残らず黙って受け容れ、

時がもたらす善と悪の強固な結合を

胸がすくほどの手際によってすっぱりと断ち切り、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中417頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月24日(月)旧暦6月7日

移りゆく身近な言葉ー海水浴ー

当たり前のようになじんでいる言葉も、少し時代が違うだけで言葉が喚起するイメージは違ってくる。

たとえば海水浴とか海の家もそうだろう。

わたしが時々出かける伊東市宇佐美の海岸も、20年くらい前までは海岸沿いに海の家が四、五軒たち、地元の民宿は一年分の稼ぎを一夏で稼いだという。

それが年を追うごとに海水浴客が減り、海の家も一軒ずつ減ってゆき、今では海の家は一軒もない。時折サーファーの姿が波間に見えるだけの静かな夏の浜が広がっている。

さて海水浴という言葉は、もともと英語からきた言葉らしい。

世界百科事典はその言葉の起源についてこう説明している。

18世紀の中ごろ,イギリスの医師R.ラッセルが,海浜の空気を呼吸し,海水に浸り,海水を飲むことの医療的効果を唱え,ブライトンの海岸に患者を集めて実行したのが近代の海水浴sea bathingの始まりとされる。

日本での海水浴の起源について、世界百科事典にはこうある。

日本で海水浴という用語(おそらく英語からの訳)を初めて用いたのは軍医総監松本順(良順)だが,1881年愛知県立病院長後藤新平が医療的効果を説いて,愛知県千鳥ヶ浜(もとの尾張大野)に日本最初の海水浴場を開き,85年には松本順らが神奈川県大磯の照ヶ崎海岸に海水浴場を開いた。

海水浴という言葉はどうやら歴史の浅い言葉のようで、同じ意味の「潮浴しおあみ」にしても、「潮湯治しおとう」にしても例文はとても少ない。

上記引用の説明のように海水浴場が開かれたあと、神戸の新聞に海水浴という言葉が使われ、やがて鉄道唱歌で「海水浴」と歌われるようになって、1907年には泉鏡花「婦系図」にも記されている。あっという間に海水浴が普及してゆく様が感じられる。(引用は日本国語大辞典「海水浴」の項目の例文)

*神戸又新日報‐明治二〇年〔1887〕八月二四日「一の谷の海水浴に付いては、前号の紙上に記する所ありしが」

*唱歌・鉄道唱歌〔1900〕〈大和田建樹〉東海道「海水浴(カイスヰヨク)に名を得たる 大磯見えて波すずし」

*婦系図〔1907〕〈泉鏡花〉前・五九「暑中休暇には海水浴に入(いら)しって下さい」

どちらかといえば健康療法的に始まった海水浴が、経済の成長と共にみるみるうちに国民的レジャーとなって、国の衰退と共にいままた静けさを取り戻しつつある……。

あと10年後、20年後、海水浴という言葉はどんなイメージの言葉になっているのだろうか?

母なる海に由来する言葉でありながら、人間の都合でイメージが変わってゆくことに戸惑いもある。一方で思いもよらない海水浴のイメージがこれから現れるのかも……という期待もある。さてどうなってゆくやら?

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さりはま書房徒然日誌2023年7月23日(日)旧暦6月6日

夏祭り……夏祭浪花鑑の鯵はお供え用?

この週末、夏祭り組……と思われる人がとても多かった。

考えてみれば真新しい浴衣の幼子たちも、着慣れない浴衣に居心地悪そうにしている娘さんたちも、コロナ禍のせいで久しぶり、あるいは初めて浴衣を着て参加する夏祭りなのだろう……うれしそうな様子も無理はない。

街は夏祭りへの期待感にあふれている。これから葛飾区、隅田川、江戸川区……祭はエンドレスに続き、この期待もますます膨らんでゆくのだろうか?

さてジャパンナレッジで「祭」の項目をチェックしたところ、日本国語大辞典(4)の説明と例文に目がいった。

祭礼の際に神仏にささげるもの。まつりもの。

浄瑠璃・夏祭浪花鑑1745「どりゃ焼物を焼立て祭(マツリ)進じょと立女房」

女房お辰(立)が自分の心根を証明するために鯵を焼いていた火箸を顔に押しつけ醜い火傷痕をわざとこさえる有名な場面。

あの鯵は神様仏様に供える鯵だったのか……とジャパンナレッジで知った次第。てっきり晩ご飯のおかずにするのかと思っていた……。夏の文楽公演でよく観てみよう。

浴衣の俳句を以下に引用。

口開けて 金魚のやうな 浴衣の子 (三吉みどり

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さりはま書房徒然日誌2023年7月22日(土)旧暦6月5日

勤め人人生のデトックスを……

勤めている頃は、みんな休日の終わりが哀しくて仕方なかった筈なのに…

退職すると、意外にも職場が恋しくなる人が多い気がする。

かつての同僚たちと畑仕事をしたり(退職後も管理職、ヒラとはっきり別れて別々に畑仕事をしている姿には笑ってしまった)、

旅行に出かけ、

何か少しでも職場繋がりの集まりがあれば参加する……そんな人が業種を問わず多い気がする。

人生の大半を職場で過ごし、嫌々であっても価値観を共にしてきたのだから、母体である職場消失に耐えられないのかもしれない。

そんな個人を見透かしたように、国は定年延長だの、再任用だの唱え、職場が永遠の運命共同体になるように仕掛けている。

でも可能なら仕事を離れる期間は必要だと思う。そのまま仕事を辞めるなら、職場からのデトックスを心がけなければ……と思う。

職場の価値観よ仲間よサヨウナラ、ハロー本来の自分新しい自分……そんなデトックス期間が必要だし、デトックスに踏み切れるだけの余力を残して働かなくてはいけない気がする。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

丸山作品を読んでいて心打たれることのひとつに、ありふれた生を送っていた人たちの終焉の描き方に言葉を尽くして心をこめて送り出している……という点。

感嘆するほかない

雪と見紛う亜高山帯に咲く純白の花々のなかで

大きく深呼吸をした際に

いきなり体調に乱れが生じたかと思うと

以後

それきり再起不能に陥ってしまい、

ほどなく

だしぬけに気が転倒したあげく

突風をくらった案山子のごとく

ばたんと卒倒し

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻345頁)

あるいはこんな風にも……。

淡雪を巡って春の光がゆらめくなか

風にかしぐ草を思わせる乱髪の老人が

寂滅の意味をやすやすと超越した絶命を迎え、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻351頁)

とても辛辣な描写をすることもあるけれど、普通の人の最期をかくも美しく書く心に、凡庸な生へのレスペクトがあるように思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月21日(金)旧暦6月4日

白熊が恋しくなる……

連日の猛暑。カップアイスの白熊でなく、お店で白熊が食べたいなあと思う。

白熊をご存知ない方もいるかもしれない。鹿児島天文館むじゃきが昭和24年に販売を開始したとされるかき氷だ。

氷にかかった程よい甘みのシロップ。まるで白熊の顔になるようにフルーツで飾った氷の愛らしさと言ったら……。氷の外側と内側に添えられた煮豆も素朴な美味しさ。

白熊を食べると、昭和の右肩上がりの時代に迷い込んだような感じになって、お先真暗な時代の閉塞感が忘れられそうだ。

東京近郊では、有楽町駅前鹿児島物産館のレストランで食べられる。白熊だけでもOKだったと思う。ただし混んでいる店なので、昼時、夕飯時は外した方が無難。通常サイズだとあまりにも大きいので、ベビー白熊の方がおすすめ。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼが露草村の村人たちのことを語る。

おはぐろとんぼの脳裏に浮かぶ村人一人一人の記憶が、それぞれ二行くらいの文で語られてゆく。

通常の小説なら、誰がどうした……次に誰がどうした……と進行するところ、丸山健二は二行単位の文で様々な記憶を連ねてゆく……。

最後の長編小説「風死す」を思わせる文体である。慣れてしまうと、こちらの方が様々な人間群像が浮かんで頭に入ってくる。

文字数をざっと目で数えると、以下の引用箇所は(34字19字 合計53字)(27字31字 合計58字)(27字20字 合計47字)である……。短歌の文字数にも近い……。

でも文を切ることなく、個々の村人を語る文を連ねてゆき、大きなひとつの流れを創り出している。人の頭の中を覗きこむような思いにもなる。

斜め後ろから飛ばされる険悪な視線を感じてふり返るたびに

そのつどそこに別な自分を発見し、

何気なく口走った冗談がもとで知己を傷つけて

せっかく築きあげてきた八十年来の親交を絶たれ、

ぼろぼろの人生の薄汚い舞台裏がお似合いの

無力にして無責任な影法師と化し、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話)中339頁)

丸山文学によく出てくるもう一人の自分が出てきている……この自分は嫌な奴だなあと思わず引用。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月20日(木)旧暦6月3日

俳句や短歌雑誌の発行部数の多さは予想外!

失礼ながら、つい最近まで、俳句や短歌雑誌なんてあまり一般人は読まない……リタイアしたお年寄りの読み物……無知とは怖いものながら、そんなふうに私は思っていた。

それが短歌創作の講座を受け、短歌や俳句の本を読むようになってイメージが一変する。講座には若者からシニアたち、幅広い年齢層のひたむきな創作パワー&日本語への愛があふれているではないか!

さて短歌や俳句雑誌の発行部数を見てみれば、

角川「俳句」50000部(月刊)

角川「短歌」36000部(月刊)

文藝春秋「文学界」10000部(月刊)

「新潮」(月刊)&「群像」(月刊)6000部

ハヤカワミステリマガジン(奇数月刊)15000部

ちなみにAERAが64300部である。

単純に数字で比較してしまえば、小説の文芸誌よりも短歌や俳句の雑誌の発行部数の方が多いことになる。

この発行部数の違いをどう考えるべきなのだろうか……と時々思う。

私が知らなかっただけで、短歌や俳句を創作する人たちはとても多く、年齢も多岐にわたって裾野が広いということもあるだろう。

短歌や俳句の場合、読者であると同時に其々が創作者である……という状況も、専門誌を熱心に手に取らせるのだろう。

小説の文芸誌の場合、手にするのは一部の読み手か、自分も書いてみようと思う書き手だろうか……どっちにしても大した数ではあるまい。

中身にしても、「俳句」や「短歌」にはハッとする日本語に必ず遭遇できる楽しさがあって、永久保存にしておきたい密度がある。さらに電書で購入できるし、紙版がよければ図書館には必ずある。

それにしてもこんなに発行部数があるとは……部数がすべてではないだろうが、関心を持っている人の存在をあらわしてはいる。

小説や翻訳物を読む層の減少を感じる昨今、まずその数に驚き、理由を色々思う次第である。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月19日(水)旧暦6月2日

青空文庫で大杉栄「奴隷根性論」を読む

「奴隷根性論」で滑稽なくらいの奴隷の姿をこれでもか……と大杉栄は例としてあげ、こう述べる。

「服従を基礎とする今日のいっさいの道徳は、要するにこの奴隷根性のお名残である」

そんな話は大杉栄の時代……と笑う人もいるかもしれない。だが職場でも、学校でも、家庭でも、相手を奴隷としてしか見ることのできない人種とは、今でも結構多いものだ。

相手を奴隷視する、いつの間にか奴隷になってしまっている……という状況は無理やりそうなったのかと思っていた。

だが大杉栄の文を読んでいると、そういう感覚はもともと私たちのDNAに組み込まれているような気がしてきた。そう、気をつけないと、すぐに奴隷になってしまうし、相手を奴隷扱いしてしまう……。

主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する。これが全社会組織の暴力と恐怖との上に築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、ほとんど唯一の大道徳律であったのである。

 そしてこの道徳律が人類の脳髄の中に、容易に消え去ることのできない、深い溝を穿ってしまった。服従を基礎とする今日のいっさいの道徳は、要するにこの奴隷根性のお名残りである。

 政府の形式を変えたり、憲法の条文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども過去数万年あるいは数十万年の間、われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめることは、なかなかに容易な事業じゃない。(以上、大杉栄「奴隷根性論」)

すでに私も奴隷になりかけているようなものではないか……納税奴隷……マイナンバー奴隷……教育プロパガンダ奴隷……。

知らないうちに奴隷になっているこの状態から脱出するには、どうすればいいのだろうか?

まずは何者にも邪魔されず一人自分と対話すること、その思いを書きとめてゆくこと……そうした時の過ごし方が奴隷的思考から解き放つ一歩につながる気がする。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月18日(火)旧暦6月1日

堀田季何「俳句ミーツ短歌」を読む

万葉集の頃から現代の、そして海外の動きまで詳しく解説。短歌や俳句と言えば、不動のスタイル……かと思っていたが、そうでもなく少しずつ形を変えてきていることがよくわかった。

いにしえから現代までたくさん引用されている俳句、短歌も、その解説も楽しい。

でも不自由なところもあるんだなあ……と思ったり。例えば俳句についての以下の文。第五章より

師系が異なると俳句についての価値観が根本的に違い、どの結社にいるかで俳句の読み、解釈はまったく変わってきます。短歌にも結社や師系はありますが、俳句の方が「解釈共同体」の側面が強いです。

解釈共同体は嫌だなあ……と思う。

縁語についての説明もわかりやすく、そうか……と納得。以下、青字は第四章「難波潟短き葦の節の間も遭わでこの世を過ごしてよとや」の縁語についての説明より。

言葉と言葉を関係づけることで、「会ってほしい」という気持ちは強調されます。言葉がつながりによって導かれることによって、作者が訴えたい心情は必然的なもの、逃れられない運命的なものとして立ちあらわれるのです。

本を読み終えたとき、なぜか心に一番残ったのは渡邊白泉の次の句である。戦争の擬人法という有り得ない感が、なぜかピッタリのリアリティを生み出しているからだろうか?

戦争が廊下の奥に立つてゐた

憲兵の前で滑って転んぢやつた

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さりはま書房徒然日誌7月17日(月)旧暦5月30日

大阪のコーヒーはなぜ苦い?

この暑さにうつらうつらしていると、大阪の薬のように濃いコーヒーの味がふと恋しくなる。

大阪の喫茶店すべてのコーヒーが……というわけではないだろうが、文楽劇場近くの伊吹珈琲店、丸福珈琲店のコーヒーは驚くほど味が濃い。

日経新聞2017年11月9日に「大阪のコーヒー なぜ濃い? 茶道の「お濃茶」意識(もっと関西)」という見出しの丸福珈琲店についての記事があった。

その記事によれば、濃く淹れるために豆や焙煎にこだわるのはもちろん、抽出器具も濃く出るように工夫を凝らし、ミルクも濃いコーヒーに合う特別なミルクを頼んでいる……らしい。

そこまで濃いコーヒーにこだわる理由について、同記事によれば

「(丸福)創業者の伊吹貞雄氏が茶道に精通しており、少量で口をさっぱりさせるお濃(こい)茶の役割をコーヒーに求めたという。「伊吹貞雄は東京の洋食店でシェフをしていた関係で洋食コースの最後に、茶懐石で提供するお濃茶のようなコーヒーを出したいと考えていた」(伊吹取締役)」

たしかにお濃茶ようなコーヒーである。

丸福珈琲の取締役が伊吹さん……黒門市場にある濃いコーヒーの伊吹珈琲店とは名前が同じ。もしかしたら親戚なのだろうか……?

丸福も伊吹も私にとっての大阪の味である。この夏も懐かしい大阪の味を飲むために早く夏バテから回復しなくては……。

なお丸福珈琲は全国にある。コーヒーと合うミニプリンも美味しいし、コーヒーが苦手ならフレッシュジュースも美味しい。丸福で大阪を味わってはどうだろうか?普段は砂糖もミルクも入れないが、丸福の場合はまずブラックで楽しみ、次に砂糖を入れて、最後にミルクを入れて……と三段階の飲み方を堪能できる。

コーヒーの俳句を眺めていて心に残ったものを以下に引用。

コーヒーとでこぽん一つゆめひとつ/臼井文法

コーヒー代もなくなつた霧の夜である/下山英太郎

珈琲の香にいまは飢ゆ浜日傘/横山白虹

青空文庫にて幸徳秋水「翻訳の苦心」を読む

最近、国家の手で無残な死を遂げた人たち、その素顔は……という思いで彼らが書いた文を読む。大杉栄、伊藤野枝……気配りと同時に貪欲な知識欲にあふれる人柄がうかがえ、なぜ……?という思いにかられる。

幸徳秋水「翻訳の苦心」を読み、この時代に早くも翻訳の苦労、喜びを適切につかんでいる明治人の知性に圧倒される。以下、青空文庫へのリンク

https://www.aozora.gr.jp/cards/000261/files/48337_38450.html

師の中江兆民が翻訳について語った言葉。厳しいようだが、その通りだと思う。原著者の文体の良し悪しを見極め、欠点を補うつもりで翻訳しないといけないと思う。

例えば季刊さりはまで訳しているチェスタトンの場合、近い行で、あるいは同じ行で無駄な語の反復が非常に多い。リズムをとっているというよりも、気が緩んでいるとしか言いようがない。

兆民先生は曾て、ユーゴーなどの警句を日本語に訳出して其文勢筆致を其儘に顕はさうとすれば、ユーゴー以上の筆力がなくてはならぬ、総て完全な翻訳は、原著者以上に文章の力がなくては出来ぬと語られた

高徳秋水が目指した文体。実現すれば……と残念に思う。語学力、漢文力のある明治人だから可能な文体だったろうに。

一篇の文章の中でも、言文一致で訳したい所と、漢文調が能く適する所と、雅俗折衷体の方が訳し易い所と、色々あるので、若し将来、言文一致を土台として、之を程よく直訳趣味、漢文調、国語調を調和し得たる文体が出来たならば、翻訳は大にラクになるだろうと思はれる。

以下の文に明治の頃から翻訳は割のいい仕事ではなかったと思いつつ

斯く苦心を要する割合に、翻訳の文章は誰でも其著述に比すれば無論拙い、世間からは案外詰らぬことのやうに言ふ、割の良い仕事では決してない、

翻訳の魅力を語る言葉に、そうなんだよなあ、私もだから翻訳してみたいんだなあと頷くことしきり。

而も能く考へれば一方に於て非常な利益がある、夫は一回の翻訳は数十回の閲読にも増して、能く原書を理解し得ること、従つて読書力の非常に進歩する事、大に文章の修練に益する事等である、

翻訳の社会的必要性をアツく語る幸徳秋水。こんな知性あふれる人間が、なぜ犯していない大逆罪を着せられて半年ほどの審議で死刑に処せられなければならなかったのだろうか……?

是れ唯だ一身の上より云ふのであるが、社会公共の上より言へば、文芸学術政治経済、其他如何の種類を問はず世界の智識を吸収し普及し消化する為めに、翻訳書を多く出さんことは、実に今日の急務である、従つて技倆勝れたる翻訳家は、時勢の最も要求する所である。

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さりはま書房徒然日誌7月16日(日)旧暦5月29日

削り氷が「あてなるもの」(高貴なもの)に思えてくる暑さ!

酷暑の毎日にかき氷が恋しくなる。かき氷はいつ頃から食べられていたのだろうか?

枕草子には早くも登場…「あてなるもの(高貴なもの)……けずりひにあまづら(甘味料を採取するツルの一種)入れて、あたらしき金椀(かなまり)に入れたる」

当時は高貴な人しか食べることのなかった削り氷(けずりひと)。新しい金属のお椀に入れて食べたら美味しかっただろうなあと思う。

山口誓子のかき氷の句を引用…

匙なめて 童たのしも 夏氷

私も夏風邪か熱中症で数年ぶりに体調が良くない。かき氷を思い出して大人しくしていよう。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月15日(土)旧暦5月28日

朝顔を見かけない夏

以前ならこの時期、道を歩けばあちらこちらで目にした朝顔。

今年はまだ一鉢も見かけていない。

育てる人が少なくなったのか、朝顔にはあまりに暑すぎる夏となってしまったのか。

私の知っている夏ではないようで寂しい気がする。

以下、正岡子規の俳句より朝顔の句をいくつか。

かれかれになりて朝顏の花一つ

なかなかに朝顔つよき野分かな

朝顔やきのふなかりし花のいろ 

「かれかれ」とか「なかなかに」という言葉の語感や色合いが面白いなあと思った。

いぬわし書房のオンラインサロン「自我とは?」

いぬわし書房のオンラインサロンを視聴。丸山健二先生が多岐にわたって話してくれる90分間。

今回も夏バテ対策という軽めの話題からスタート

「自分を見失う」「自分を見失わない」とは?という話。

最近の小説を二作品取り上げ文体についてのコメント。

夏らしい表現と盛りだくさん……の90分。

特に心に残った「自我とは?」の話をふりかえって私的に勝手に思い出してメモ。青字は丸山先生の言われたことのメモだけど、勝手に都合よく解釈している部分が多々かも。

(1)「望んだ自分でない自分」と「望んだ自分」……自分はどこに?

風貌にしても自分の選んだものではない、環境だって自分で決めたものではない。私たちは望んだ自分でない自分と一生付き合っていかないといけない。「望んだ自分」というものが本当の自分なのだろうか?自分は別のところにいるとしたら、二重の人物だということになる。

丸山文学によく出てくるドッペルゲンガーは、こうした思いから現れるのだろうか……と思った。

(2)自分を見失わないように対処するには?青字は丸山先生の考え

たった一人になったときにどうやって過ごすかが大事。

グタッとしてストレス解消をしようと考えがちだが、愚痴りたくなって愚痴を止める者がいない。

また丸山先生は個人の自由を最優先したいと考えているが、孤立した個人であってはいけない。殻に閉じこもってはいけない。

殻に閉じこもると自分が絶対になって、他を認めない。言葉を表現する人にとってはナルシズムに陥るから危険。

大事なことは

人前でリラックスすること。個人に立ち帰ったときに気を抜かないこと。

丸山文学は、よく主人公が立ち去るときに綺麗に掃除して去っていく。私ならここで掃除するなんて思いもよらないのに……と思いつつ読むことしばしば。

「個人に立ち帰ったときに気を抜かない」という精神のあらわれかも……と思った。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月14日(金)旧暦5月27日

伊藤野枝「青鞜 編輯室より」を読む……伊藤野枝は故意に悪く語られすぎていないか?

大杉栄、伊藤野枝を世間は「悪魔」と非難し、二人は悪魔の子ならと居直って長女に「魔子」と名づけた。

悪魔とも言われた大杉栄……その手紙はおおらかで、優しく、向学心、感性にあふれている。悪魔では決してあり得ない。

同じく悪魔と言われた伊藤野枝。今でもWikiの説明を読むと平塚雷鳥から「青鞜」を奪い取った悪女のように非常に悪く書かれている。

事実か?と、伊藤野枝が書いた「青鞜 編輯室より」を青空文庫で全部読んでみる。

見えてくるのは出産などで千葉の御宿で過ごす平塚雷鳥。

伊藤野枝は出産、育児中の平塚をフォローするように原稿を待ち、応援者も10人と少なくなってきた青鞜を支える。

新聞ではスキャンダラスに評され、「お前ら殺してやる」という脅迫手紙も舞い込み、刊行予定の青鞜が発禁になって経済的に逼迫している中、なんとか発行を継続しようと奮闘している。

以下の文から、そんな伊藤野枝の一人奮闘する仕事ぶりが伺えるのではないだろうか?野枝は当時19歳で育児中。

広告をとりにゆく、原稿をえらぶ、印刷所にゆく、紙屋にゆく、そうして外出しつけない私はつかれきつて帰つて来る、お腹をすかした子供が待つてゐる、机の上には食ふ為めの無味な仕事がまつてゐる。ひまひまを見ては洗濯もせねばならず食事のことも考へねばならず、校正も来ると云ふ有様、本当にまごついてしまつた。その上に印刷所の引越しがあるし雑誌はすつかり後れそうになつてしまつた。広告は一つも貰へないで嘲笑や侮蔑は沢山貰つた。

『青鞜』第四巻第一〇号、一九一四年一一月号

ときに弱音も吐く。そんな姿に親近感を覚える。野枝は当時18歳。

校正つて本当に嫌やな仕事です。厄介な仕事です。出ない間ボンヤリして機械の廻る音を聞いてゐますと気が遠くなつてしまひます。

[『青鞜』第三巻第七号、一九一三年七月号]

催促しても集まらない原稿、販売金の回収……野枝の苦労がひしひしと伝わってくる。

欧洲戦争の為めに洋紙の価が非常に高くなりまして此の頃では以前の倍高くなりましたので情ない私の経済状態では思ふやうな紙も使ひきれなくなりました

こう書いた後、次の号から「青鞜」は休刊になってしまう。無理もない、むしろよく頑張ったと言いたい気がする。

野枝の文は強さ、パワーにあふれている。

政府が女権運動を取り締まろうという気配を見せても怯まない。野枝二十歳。

もし真に必要にせまられた、根底のある、権威のある運動ならばどうしたつて官権の禁止位は何でもなく抵抗が出来る筈だ。またそんなことを気にもしてはゐないだらう。

『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号

「殺してやる」という長い脅迫状が届いても平然と楽しむ。強い。野枝18歳

中学あたりに通つてゐる坊ちやんのいたづらか、或は不良少年のいたづら位だらうと思ひました。とにかくおもしろいと手を叩いて笑つたのです。

『青鞜』第三巻第六号、一九一三年六月号

次の文を書いたとき、野枝はわずか二十歳。すごいパワーと可能性を秘めた女性だったのに……と彼女を悪く言い、惨たらしく殺し、今でも非難する声の背景とは何か……知りたくなる。

自分の歩いてゆく道をぢつと見てゐるとおもしろい。この頃私は自分の目前に展開して来る事象について多く考へるやうになつた。それ丈けでもよほど自分の歩いてゐる道が以前から見るとちがつて来たことが自覚される。ましていろいろな細かいことを考へてゐたら随分さういふ実証はあげられるだらうと思ふ。自分にその歩いてゆく道の変化が見える間は大丈夫だとひそかに思つてゐる。それがわからなくなつたときは、墓をさがす時だ。何時までも進んでゆきたい。

『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号]

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼの記憶は、突如、20年前の盗賊団の頭との出会いに飛ぶ……ということを散文を極めた形で表現するとこうなるんだなと思った。

旧態依然とした生物学の範疇にはけっしておさまらない

命を凌駕する命を授かった私を

直ちに二十年前に遡らせたかと思うと

なんと

あの日

あの時

あの出来事を

かたわらの品物を取るようにして

一挙に手元に引き寄せたのだ。

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中191頁)

窃盗団の頭が屋形船おはぐろとんぼに乗って逃げた……という文も、こう語ればワクワク不思議な人生になると面白く思った。

散文的人生とか散文は馬鹿にされるけど、本当は詩歌にも負けないイメージ喚起力があるのだと思う。

語るに値しない人間存在の基盤などとはまったく無縁な

路地という路地が抜け裏になっているかのごとき神話的空間を

純粋に所有する激情をもって遡り

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中237頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月13日(木)旧暦5月26日

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」読了、大杉栄「獄中書簡」を読む

大杉栄の四女ルイズに取材した「ルイズ 父に貰いし名は」を読了。

大杉栄・伊藤野枝の娘だから……と言われつづけた辛い人生に静かに耐え、大杉・伊藤の娘ではなく「ルイズ」として生きようとした強さに心打たれる。

それにしてもなんと辛い人生であったことか……。

学校でも「同じクラスにしたくない」など差別の目に常に晒され……。

好きな青年との結婚を諦め……。

それでもいいと求婚した別の男とは、相手の親に許してもらえないまま結婚……。

満州に渡るときも常に尾行がついて監視され……。

東邦電力に就職するも上司は同僚に「大杉栄の娘だから親しくしないように」と忠告……。

労働運動をしていた夫が解雇されると「大杉の娘と結婚したから」と言われ……。

ルイズが40歳くらいの頃、中卒の勤労青年たちに勉強を教えていたことから、公民館運営委員に推薦される。でも、「親の思想が悪いので」と自治会長、小中学校校長、地域婦人会会長、PTA会長からなる審議委員会は大杉栄・伊藤野枝を理由に拒否……。

大杉たちの同士からはアナキストの娘にふさわしい人生をと望まれ……。

ルイズばかりでなく、他の子供たちも大杉栄・伊藤野枝の娘である辛さを背負った人生である。

大杉栄の残したシンボル的存在であった長女•魔子も、その期待に押しつぶされていったようにも本書からは思える。

魔子が残した言葉

「私たち、大杉の娘として生まれて、損なことばかりだったわね」

でもルイズには親の記憶がないのに、社会を見るその目には、やはり大杉栄・伊藤野枝の血が確実に流れていると思った。

中国では、中国人や朝鮮人を人間扱いしない日本人が嫌になり……。

「日本人の子供までが中国人や朝鮮人の大人をなぶって当然としている」

博打好きの夫を責めることなく心のゆとり、家庭の明るさを大切にするおおらかさ。また夫の借金返済の内職の合間に、ルソー「エミール」を5ページ、お金をかき集め「大杉栄全集」を購入して少しずつ読み……。

私生児だから父の名前がないのはともかく、長女、二女という数字のところにまで黒線を入れられた戸籍簿に「国家の厳たる秩序を目的とする法律の意思」を見て、「大杉たちが否定した法律というものを、もっとよく知りたい」と「憲法の構成原理」という本を書写し……。

普通高校をでて勤めている娘が夜間高校に入りたいと

「夜間高校の方に本当の教育がある気がする」言ってきたときも

娘の言葉を信じ応援し……。

晩年、ルイズは朝鮮人被爆者の救援運動の中心となるが、権力を相手に戦うことの厳しさ、怖さを思い知らされ……。

そんなルイズの困難だらけの人生を思いつつ、ルイズやその子にまで受け継がれる大杉栄・伊藤野枝の確固たる信念を感じた。

ルイズが「不屈の意志」「余裕を喪わない優しさ」を感じたという大杉栄全集、獄中からの幸徳秋水宛書簡を引用する。

政治寄りではなく、文学や詩に心が寄り添っているアナーキスト大杉栄の感性を感じる文である。他の書簡も、向学心に燃え、家族や周囲への気遣いにあふれている。

同時になぜ彼がなぶり殺しにされなければらなかったのか?そういうことをする国家という組織の恐ろしさを思う。

「バクウニン、クロポトキン、ルクリュス、マラテスタ、其他どのアナキストでも、先ず巻頭には天文を述べている。次に動植物を説いている。そして最後に人生社会のことを論じている。やがて読書にあきる。顔を上げて、空をながめる。先づ目に入るものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、更に下って向ふの監舎の屋根」

(幸徳秋水宛の獄中書簡明治40年9月16日)

下記リンクは青空文庫の大杉栄「獄中書簡」

https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/4962_15425.html

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

山吹岳から雪崩と共に流されてきた二つの遺体のエピソードを読む。

山里の春の訪れを美しく描いた後だけに、それぞれ別の家庭がある男女の遺体の哀れさも、家族の思いの醜悪さも目立ち、人間であることの醜さを思ってしまう。

水ぬるむ徒然川の両岸に

もの思う花々が眼路の限り咲き乱れ

結局は短命に終わるしかない幻想の幸福感を巡って

春の鳥が頻繁に色鮮やかな姿を見せるようになり

おつに澄ましている

母親に生き写しの顔の娘が

野の草を踏みしだいているうちに旅心をそそられ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻93頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月12日(水)旧暦5月25日

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」と大杉栄「鎖工場」を読む

(大杉栄)

大正時代、大杉栄や周囲の人が社会、文学に与えた影響の大きさを知り、まず大杉栄とはどういう人だったのか……近い人の視点で語られた本を読むことに。

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」は、大杉栄・伊藤野枝の娘ルイズに、一年半かけて取材して完成した本。途中まで読む。

関東大震災から二週間後。

時の政府は災害後の不安定を利用し、朝鮮人や労働運動関係者や無政府主義者を取り締まろうとしていた……

ルイズの両親(大杉栄・伊藤野枝)と6歳の従兄弟は憲兵隊にいきなり連行される。

三人が扼殺(何箇所も骨折するまで蹴られ、首を絞め殺され、裸にされてコモでまかれて井戸に放り込んで土で埋められた)されたとき、ルイズはわずか一歳三ヶ月であった……。

ルイズが父の作品の中で一番理解しやすく、印象が鮮明だと語る「鎖工場」を読む。私が初めて読む大杉栄作品だ。

現代に刊行されても強い印象と共感を与えるメッセージ性に驚く。もしお時間があれば、寓意性に富んだ短編なのでぜひ。

大杉栄「鎖工場」(青空文庫)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1007_20610.html

ルイズは「鎖工場」について語る。

「大杉も野枝もこの鎖を断ち切って立ち上がったために殺されたのだと」

「大杉と野枝を殺したのが単なる個人の行為とは思えなかった。鎖に連なっている群衆が二人を取り囲んで」

人目を忍んで大杉栄・伊藤野枝の墓に手を合わせていた小間物売りの老婆がルイズに語った言葉に、田舎の庶民にまで大杉栄の考え方が浸透していたのかと驚く。

「あなたのおとうさんおかあさんが生きとんしゃったら、わたしらのくらしももうちょっと楽になっとりましたろうばってんね……」

国家にとっては、庶民に慕われる大杉栄・伊藤野枝の存在がさぞ脅威であったことだろう……と想像ができる。

ルイズという名前はフランスの無政府主義者でパリ・コミューンの闘志ルイズ・ミッシェルにちなみ、大杉栄が命名したもの。

だが学校でルイズは大杉栄の子供であるということで

「子供と同じクラスにしたくない」など保護者からも同級生からも差別の嵐に晒され……

教師からも露骨に「親の仇はうちたいか?」など集会で訊かれ……

エスペラントを学べば、暗号を使っていると通報され……

大杉栄の子供・ルイズにとっても至難の人生であった

それでも父母のことは語られることもなく育ちながら、両親の考えの核心部分をルイズが把握していたことに驚いた……。

(伊藤野枝)

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

亡くなっている校長、その教え子の少し知恵が遅れている大男……と人間について饒舌に語った後……

視点は徒然川に、伊吹岳に、山での遭難者に……と、自然、それから死に戻ってゆく。

丸山先生も信濃大町で日々こんなふうに山と対話されているのだろうか……。

色々心に残るけど、最後、登山者を見かける季節をふたたび迎えた山が人間味を急に帯びてきたように感じられ、表現が面白いなあと思った。

「頂を極めるためには為すべきことを為せ」という

単純明快な内容を

舌端火を吐くように熱く論じる

筋金入りの扇動家顔負けの山吹岳は

そうした紋切り型の教唆の言葉の陰で

暗くじめついた意図をちらつかせ

またしても死へいざなうための微笑を

にんまりと浮かべてみせるのだった。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻91頁

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さりはま書房徒然日誌2023年7月11日(水)旧暦5月24日

政治家や国家に与しない芸術家に憧れて

こんな暑い日に涼しくない話題を書かなくても……とも迷ったが。

私がとてもがっかりするもの……。

政治家と親しい関係にあることをしきりにPRする芸術家たちである。交流写真をアップしたり、あまり芸術がわからない政治家に文を書いてもらったり。

たしかに政治家は動員力も資金力も差配する力もあるだろう……弱い立場にある芸術家にとって心強いだろう……ステイタスアップの存在だろう……頼りたくなる気持ちはわかる。だが、とても嫌なのである。

さて昨夜、そうした政治家と仲良くしたい芸術家とは真逆の路線をいく福島泰樹先生の短歌絶叫コンサートへ行ってきた。

「大正十二年九月一日」という題のコンサートである。

関東大震災から三日後。

内務省警保局が海軍船橋送信所から「朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、放火する者あり。厳重なる取り締まりを加えられたし」との電文を各地方長官に送信。国家が朝鮮人虐殺に加担しながら謝罪しないまま百年経過。

(リンクは東京新聞の関連記事)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/242997

この事実に、小池知事が謝罪に来ない事実に、福島先生は怒りの絶叫を咆哮する。怒りが生む短歌の、朗読の、言葉の尊さよ……と拝聴。

芸術とは、政治家や国家に与せず、怒り、喜び、悲しみの感情の火花をいかに散らせるか……普通の人よりいかに早く、政治家や国家の悪を見抜くか……にある気がする。

丸山健二先生も、芸術家を炭鉱のカナリアに例えていらした……社会の悪、矛盾に普通の人より早く声をあげる存在なのだと。

福島泰樹先生や丸山健二先生、怒るべきところで怒ることのできる芸術家が私は好き。

芸術家が政治家や国家に与してしまったら、怒るべきところで怒ることができなくなる、それは芸術家の死を意味すると思う。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

「おはぐろとんぼ夜話」中巻27頁から47頁まで20頁にわたって、屋形船おはぐろとんぼの船頭、大男で少し知恵の遅れた男についての描写が続く。

一人の人間について、これほど言葉を尽くして語ることができるのか……。

一人の人間にこれほど複雑な世界が広がっているのか……。

と驚く。色々と気に入った文があるが、その中から「かくありたし」と思った文を一つ選んで引用したい。

茫漠とした荒野に等しい世界が長いこと沈黙しても

平気の平左で過ごせ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中45頁)

大男とは反対の人生を生きる普通の人たちを語る言葉もとても心に残る

ゆるやかな楕円軌道を描きつづける

色調を失った生を背負って息づくそれとも大きく異なり

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中45頁)

ゆるやかな楕円軌道の生を歩いている……と思うと、なんだか悪くない生のように思えてきた。言葉は偉大なり。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月10日旧暦5月23日

伊藤裕作「寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌 鑑賞の試み」をPASSAGEに搬入

編著者の伊藤裕作さんをはじめとして、寺山修司をこよなく愛する六人が寺山短歌の魅力を語った本「寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌 鑑賞の試み」をPASSAGE書店さりはま書房の棚に搬入してきた。

「寺山修司は一筋縄では行かない。だから六人がかりで」との言葉がこの本のどこかにあった。

たしかにそれぞれの人生にもとづいた解釈の火花が飛び散っていて、あらためて寺山修司という世界の深みを思う。

最後、「跋文にかえて」で伊藤さんは寺山修司のこの言葉を引用する。

「100年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる」

寺山修司の歌を読むということは、万華鏡を覗くようでもあり、天体望遠鏡ではるか彼方の星を探すようでもあり……なのかもしれない。

そんな寺山ワールドに魅せられた六人の言葉に耳を傾けてみませんか?

それにしても表紙の寺山修司、なんともいい表情をしていますね。

PASSAGEにて購入した小豆洗はじめ「季節の階調 夏」を読む

詩人・小豆洗はじめさんは神保町PASSAGEの棚主さん。自分でつくられた詩集や詩関係の本を扱われている。今日、購入した「季節の階調 夏」も小豆洗さんが一年前にご自分でつくられた詩集だ。

「季節の階調 夏」には自分で……という手作りの良さ、目配りが随所に感じられる。

途中までインクは心地よい青。

蝉がジジジ……と鳴いて

空を横切っていった

という最初の頁の次に広がるのは青い海の絵。蝉の声と海に暑さも消え、夏の広がりと静けさだけが心に沁みて夏の詩へと誘う。

青いインクで印刷された様々な夏を切り取った詩が続いたあと、

最後に近づいたところで、闇に視力を失う「Mr. Indianとの夜」の詩で文字が黒くなる……ああ、闇だ……と思わせる効果がある。

最後の読経の声と蝉の合唱を記した文も、読経のイメージが文字の黒インクと合っていて素敵だなあと思う。

蝉ではじまって蝉で終わる試みも印象的。同じ蝉なのに夏の詩を読んだ後では心に聞こえてくる声が違う気がする……。不思議

幾何学模様の詩も二箇所ほどだろうか……あいだに挿入されている。かたちと詩句が自然に溶け込んでいる……でもご苦労されたのでは……と思う。

「胡瓜」という詩の例え。初めて聞くけど、胡瓜をかじる感覚はたしかにそんな気がする……と頷いてしまった。

胡瓜をかじったら

夏の空があふれた

種の粒つぶが奥歯ではじけて

蝉の声が止んだ

詩や文だけでなく、インクの色、絵、幾何学模様の詩、蝉の声……を工夫して散りばめた素敵な詩集。さらに小豆洗さんのすごいところは、定期的に発行されているところ。

こうした個人の詩集に出会えるPASSAGEにも感謝。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月9日(日)旧暦5月22日

クロモジの香りが恋しい季節

(クロモジの黄色い花)

蒸し蒸しとした日が続くと、ミントをさらに甘く、清涼感のある香りにした味わいのクロモジ茶をアイスティーで飲みたくなる。

ただしクロモジ茶の場合、葉ではなく、おがくずのような、クロモジの木の屑を煎じて飲む。香りはわりと抜けやすいようで、欲張って大袋で買ったら香りがしなくなってしまった。ただ味と風味は残っている。

クロモジは爪楊枝として使われることも多い。

調べてみれば、その他の効能としては保温、芳香性健胃、頭髪の脱毛やフケ防止などがあるそうだ。真偽のほどは知らないが、いかにも効果がありそうな香りである。以下、wikiの説明。

https://ja.wikipedia.org/wiki/クロモジ

クロモジの花の季語は春。次にクロモジを詠んだ俳句を紹介。

くろもじを燻べて春の炉なごむかな 古沢太穂

黒文字と和菓子と八十八夜かな 玉木克子

黒文字を矯めて香らす垣手入れ 武田和郎

身近なところにクロモジのある生活がなんとも贅沢に思え、羨ましくなる句である。

丸山健二作品にもクロモジが出てきたことがある。

「銀の兜の夜」だっただろうか……(心許ない)。なんと死体の臭いを隠すためにクロモジを使用していた。

クロモジはそのくらい強く、清々しい香りである。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

上巻の終わり近くになってきた。

屋形船おはぐろとんぼが廃校跡の荒地に倒れている校長像を見かけ、生前から船の上で亡くなるまでを回想する。

これまでおはぐろとんぼが眺めてきた一貫した流れのある自然の世界から、突如、幾重にもわたって相反する校長の思いが渦巻く世界。

人間を構成する思いの複雑さに、この校長の箇所は思わず二回繰り返して読む。

丸山文学のテーマである「もうひとりの自分」が、ここでは何人もいるかのような思いにかられた。

もうひとりの自我とのあいだに

ぞっとするような沈黙が介在して

決定的な不和が生まれ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻531頁)

校長が屋形船おはぐろとんぼの上で息絶えてゆく箇所の描写は、言葉を尽くして描かれとても美しい。

それから校長の死を見つめる船頭の大男も印象的。船頭は校長の教え子で知恵が遅れたところがある。

大男が語る校長の親切と優しさ。

それは丸山先生の記憶から生まれたのではないか。

丸山先生自身、小学校時代、皇室の誰かの死への敬礼を拒否したためか特殊学級に入れられた。

だが特殊学級の担任の先生も、体の弱い仲間たちも心温かく居心地のよい場所だった……そう。そんな特殊学級で過ごした体験がにじむ文章のように思う。

それというのも恩師が

知恵遅れという括られ方では差別をしないから

ほかの子とまったく同じように扱うから

教材のたぐいは全部用意してやるから

学業の遅れなど少しも問題にしないから

でかい図体のことでからかう生徒は厳しく罰するから

その気になったときだけ顔を見せてくれればいいからと

そう言ってしきりに登校を勧めてくれ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上579頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年7月8日(土)旧暦5月21日

谷中生姜の風景も移り変わって

先日、畑から採ったばかりの谷中生姜を頂いた。根が美味しいのはもちろん、葉っぱもレモングラスのような香りがして冷蔵庫の脱臭をしてくれる気がする。

効能も免疫力アップ、体を温めるなど色々あるようだが、最近、地元の庶民的なスーパーでは見かけない気がする。高級スーパーなら扱いはあるのだろうか……。

谷中生姜の季語は夏。谷中生姜をテーマにした俳句を幾つか。

貧しさや葉生姜多き夜の市 (正岡子規)

朝川の薑(はじかみ)洗ふ匂かな(正岡子規)

一束の葉生姜ひたす野川哉(正岡子規)

子規の時代、谷中生姜は貧しい生活を彩る季節の匂いだったのだろうか……。生姜だけでも見える風景はずいぶん変わったものである。

仁木悦子「白い部屋」を読む

小説現代80年5月号収録。現在は短編集「赤い猫」に収録されている。亡くなる6年前、52歳の時の作品である。

文庫本にして50頁ほどの中短編である。

そこに病室のメンバーたち、アパートの住人たち、もと華族の子息たち、お屋敷のお爺さんと令嬢を登場させるものだから、人物の差が描ききれていない感がある。非ミステリ読みとしては、こじつけ感にあふれている気がして面白くない。

なんとか頁数を稼ぐために登場人物をむやみに登場させたのではないか……と思うくらいに冗長である。初期短編にキラっとしていた仁木悦子の輝きは失われているようで残念である。

ただ宝くじ、新幹線、黄色と淡緑のキオスクの紙包み……とか昭和感には満ちていて、なんだかそんな包装紙を見たことがあるなあと懐かしくはなった。

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さりはま書房徒然日誌2023年7月7日旧暦5月20日

中央区立図書館本の森ちゅうおうへ

今日は八丁堀早稲田校での短歌講座、夜はNHK青山で人間のバザール浅草と福島泰樹先生の講座をダブルで受けた。合間に中央区立図書館本の森ちゅうおうに滞在。

本の森ちゅうおうは快適な図書館である。中央区在住、在勤でなくても貸し出しカードを作成して利用可能とのこと。平日と土曜日は夜9時までと遅くまで開館。緑を眺めながら閲覧できる席や美味しいカフェ。

快適、便利な図書館が大都市に限られる現状は残念ではあるが……。

歌誌「月光」79号

早稲田八丁堀校での福島泰樹先生の講座「実作短歌入門」は、ふだんは前回に決まったテーマで短歌を三首詠んで、前々日までに福島先生に送信。当日は皆さんの歌を見ながら……というスタイル。他の方の話では、どうやら「短歌を詠む」ことに徹した講座は珍しいらしい。鑑賞と抱き合わせで……という講座が多いようだ。

だが今日は夏期講座の第一回ということで、福島先生の主宰誌「歌誌 月光79号」を題材に色々短歌について講義して頂く。

まず79号まで続いている事実がすごいなあ……と思う。

同じ講座をとっている方々のお名前も表紙に連なっていて、皆さん努力されて素敵な歌を詠まれていることに、すごいなあと思う。

福島先生の歌から印象に残った歌を以下に紹介させて頂く。4月28日東京大空襲前夜、雪が降った……という証言があるらしい。ガソリンをまかれ、そのあとでナバーム弾を落とされ10万人が命を落とした事実に目がゆき、前夜の雪について語る人は少ないようだが……。福島先生は東京大空襲を「史上最大のジェノサイド!」と語ったあとで、こう詠まれている。

ジェノサイド語り伝えてゆくからに前夜の雪は浄めにあらず

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さりはま書房徒然日誌7月6日(木)旧暦5月19日

幼子の笑顔は記憶攪拌装置

夏空に誘われたのか、日中、ゼロ歳から二歳くらいの幼子を連れた母親たちを何人も見かけた。年齢別人口を考えると、これだけ幼子たちに遭遇するのは珍しく、ラッキーな日だと思う。

なぜか幼子の無心な笑顔が呼び水となって、心に眠っていた意識が揺さぶられる。そんな風にして思い出したことを取り留めもなく二つほど。

かつて勤務していた夜間定時制高校で、たしか何かの新聞記事のコピーを配布したときのこと。

その記事にあった「教育は未来への投資」「若者は貴重な未来の資源」という言葉に生徒たちは敏感に反応した。

「教育が投資」という感覚も嫌だし、「私たちは資源じゃない」と反発。自分たちを利用するものとしてしか考えていない存在を見抜く感覚を頼もしく思うと同時に、そんな繊細な彼らが不登校生として長く過ごすことになった学校とは?と考えた。

もう一つ。たまに見かける双子用ベビーカーだが、バスの乗り降りのときお母さん一人だけではすごく大変そうだ。

車椅子と同じように、バスのステップに平板をかけてもらったら楽になるだろうに………と思う。

街で見かけた幼子の笑顔が、人を利用せんと貪ることかれ、優しい世界に生きよ……と呼びかけている気がした。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼが荒地となった廃校に見つけた枝垂れの八重桜。

おはぐろとんぼがこの桜を見る眼差しに、丸山先生がこの世を見つめるときの理想と重なるものを感じる。

そしてその桜は

自立して存在することを執拗に阻む

底意地の悪い現今社会において

実り豊かなはずの理念が立ち消えてゆくなかにあっても

表情たっぷりの

爽やかに輝いた面持ちをしっかりと持続させ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻494頁

八重桜はトンネル工事の犠牲者たちに衷心からの回向をたむけつつも語る言葉は、丸山先生のこの世とは別な世界がある……という世界観が反映されているように思う。読んでいるうちに、せかせかした現世が遠ざかってゆく……のが丸山文学の魅力だと思う

たとえいかなる悲劇が生じたとしても

たかがそれしきのことで嘆くことはないと

悠然たる笑みを浮かべつつ

そう耳もとでささやき

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻496頁

八重桜に国家との関係の在り方も語らせている。この考え方も魅力だし、同じことを人間が語ればうるさくなるところ、桜ならば素直に頷ける。

惰性的な慣習としての国家への帰属は

良心を棄て置いて

真っ当な答えを弾き出そうとするようなものだと

あっさり言ってのけ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻496頁

福島泰樹「歌集 百四十字、老いらくの歌」より「桜花爛漫の歌」を読む

「桜花爛漫の歌」を読んでいると、とりわけ寺山修司について詠んだ歌が、寺山修司とはそういう辛い生い立ちの人だったのか……寺山修司のイメージはたしかに刹那を生きる人だなあ……と心に残る。以下に二首ほど引用する。

戦争で父を喪い夭(わか)くして母に棄てられつくつく法師

「存在と非罪」のせめぐ黄昏を寺山修司、笑みて消えゆく

次の歌は、私も福島先生のように生きたいもの……と怠惰を反省した。

暁闇に目醒めて朝をなすことは夢を呟き 歌を書くこと

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さりはま書房徒然日誌2023年7月5日旧暦5月18日

アゴラとは逆方向を目指す街

今日は所用で千葉駅西口広場方面へ。千葉駅西口はだだっ広い広場に小さな、寝転べない意地悪ベンチが二つあるのみ。改札に行く通路にもベンチはなし。駅のホームにもベンチは見かけなかった気がする。

なぜ人が足を休め、談笑する場をつくろうとしないのだろうか……?

そういう発想がないのか?それとも意識的に人が休めないようにしているのか?

南フランスの田舎町ペルピニャンの広場をふと思い出す。

ペルピニャンでは広場を囲むようにテラス席のあるカフェが並んでいる。夜になれば家々から皆カフェにやってきてテラス席で好き勝手なことを喋り、最後は広場で手を繋いで輪になってバスク地方のダンスを踊る……。

田舎町でもアゴラがある……そんなペルピニャンの夏が遠い風景に思われた。

デジタル大辞泉によれば、アゴラとは

古代ギリシャの都市国家の公共広場。アクロポリスの麓にあって神殿・役所などの公共建築物に囲まれ、市民の集会や談論・交易・裁判などの場になった。

人が休めない街とはただ不親切なだけではなく、集会や談論からも遠ざける街なのだと思う。こんなアゴラとは逆方向を目指す街が、日本中に増殖している気がする。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

丸山先生の大切なテーマのように思える生と死。生なき存在である筈の屋形船おはぐろとんぼが四季を生き生きと語ることで、不思議な妖しい美しさが風景に宿り、生と死というテーマをくっきり際立たせるように思う。

花の笑む頃になると

きまって気持ちが浮つく性分……

白南風がそよと吹き始める頃になると

必ず湧き上がる胸の泉……

屹然として聳える山吹岳の遠くに

蜘蛛手に弾ける花火が見える頃になると

ひたひたと押し寄せる充足感……

夢ならぬ現実として

銀色に輝く尾花の波が押し寄せる頃になると

ふんわりと包みこんでくる哀調……

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻415頁

福島泰樹「百四十字、老いらくの歌」を読む

福島泰樹「百四十字、老いらくの歌」より「道玄坂の歌」を読む。この本は、福島先生が毎日ツィッターに投稿した373首だそうだ。「ツイート文が長歌なら、短歌は反歌だろう」と帯にある。長歌があるおかげで、短歌の思いも分かりやすい。

「道玄坂の歌」には、戦争で、東北地方大震災で、色々思いを残して亡くなっていった死者を詠んだ歌がある。

この季節、道に咲く紅白のオシロイバナの花を見ていると、花々の影に歌に詠まれた死者の姿が見えてくる気がする。

百四十字、老いらくの歌」の「道玄坂の歌」 より、そうした死者を詠んだ福島泰樹先生の歌を次に五首ほど紹介させて頂く。

戦争で死んだ母さん、歴史とは……波に呑まれてゆきし人々

炎に灼かれ叫ぶ人々黒焦になった人々、ぼくは見ていた

死者は死んではいない 髪や指の影より淋しく寄り添っている

燃えながら逃げゆく人を 泣きながら背中に隠れ見ていたのだよ

暗い眼でおれを見据える男あり はるか記憶の闇のまなこか

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さりはま書房徒然日誌2023年7月4日旧暦5月17日

なぜ教育委員会の人は文を書くのが苦手なのか?

定時制高校で働いていた頃、不思議に思ったことの一つ……。

教育委員会の人たちは大量の通知文書を作成するのに、なぜか自分の言葉で文章が書けない……ということ。上手、下手ということではなく、ほんとうに文章を書くことができない……と思った

勤務していた定時制高校では、卒業式に発行する広報誌に教育委員会からの「卒業おめでとうございます」の文を毎年掲載していた。その関係で10月に1月初旬あたりの締切で頼む………

だが1月下旬になっても原稿があがらず、教育委員会の人どの人もナンダカンダと理由をつけて締切をひたすらのばす……が毎年の恒例。

勤労青年も多い定時制高校の卒業式への祝辞、書くネタはたくさんあるだろうに。なぜか言い訳ばかり、ひたすら締切を伸ばす……。

教育委員会の人は文を書けない……と思った理由、その二。各学校のホームページの校長挨拶は、普通の学校は4月中旬には更新される。

だが教育委員会から4月に赴任した校長がいる高校(教育委員会の人が校長になるのは、たいていすごい名門校だ)は、まだ校長挨拶が更新されず空白のままである。

なぜ教育委員会の人たちは、こうも文章を書けないのだろうか……と考えるうちに、文章を書く行為というものが少し見えてくる気がした。

文書を大量作成する教育委員会の人にとって、文をつくるとは文科省から降りてきた決定事項を漏れなく伝える伝達ミッションでしかない。文書作成のときには自分という存在は無色透明にして、ひたすら優秀なメッセンジャーたらんとする……のだろう。

でも本来、文章を書くということは、「卒業おめでとう」のように小さな文にしても、自分の内心を伝えるという行為。自分という核がないと言葉にまとまっていかない。

ふだん透明人間になって文書を大量生産してきた教育委員会の人たちにとって、伝えるべき文科省の伝達文もないシチュエーションで、思いを少しでも伝える……という行為には恐怖に近いものを感じるのかもしれない。

教育委員会の人たちの逆路線をいって、国からの言葉を忠実になぞるメッセンジャーなんて真っ平!と逆らおうとする精神から、もしかしたら文章の雛は生まれてくるのかもしれない。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼが河辺の墓地に感じる妖しい雰囲気に、死がぐっと近いものに思えてくる。

生年も没年も不明のままのの古い墓が

いつもながらの非常に艶かしい燐光を発している

そのかたわらを通過する時には

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻355頁)

その直後に生と死の入り乱れた関係が示唆されて、自分がいるのはどっちなのだろうか……という思いにかられる。乱打される生と死の響き……それが丸山文学の魅力の一つだと思う。

生と死の密接な結び付きが

隠された意図を明らかにできぬまま

その意味を灰と化したように思え

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻356頁)

「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」を読み終わった!

大正時代にこんなに激しい思いを抱いて短く散っていったアナーキスムの作家、画家、俳人がいたとは……。彼らの笑顔、無念が伝わってくる歌集だった。短歌にあまり関心のない方も、大正という時代を知ることのできる素晴らしい歌集だと思う。

最後の章「髑髏の歌」より有島武郎情死を詠んだ福島先生の歌を二首、次に引用させて頂く。

腐乱して垂れ下がってる揺れている牡丹の花と謳われし女(ひと)

ぽたぽたと白い雨降る変わり果て牡丹の花や髑髏となりし

跋文に福島先生が記されていた文が心に残る。

「歴史とは、それを意識する人々の中に、常に現在形として在り続ける。それが。一人称誌型にこだわり、歌を創り続けてきた私の実感である」

まさに目の前に、歌の中の人たちが現れるようなひとときを体験した。これまで知らなかった大正という時代を、短歌の力を、この歌集から教えてもらった。

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さりはま書房日誌2023年7月3日旧暦5月16日

水田を知らない若者たち


昨日は半夏生だった。
旧暦の時代、半夏生は田植え完了の目安だったらしい。
現代では稲の銘柄のせいか、気候が早く進んでいるせいか、家族構成の違いのせいか、連休あたりから田植えを開始、半夏生の一ヶ月前には田植えを完了ではないだろうか?

旧暦の風景に想いをはせたいという思いから、さりはま書房日誌には旧暦も記している。

同時に今の若い人達はどんな風に季節を感じるのか……重なる部分、相違点も気になる。

かつて定時制高校で英語を教えていた頃のこと。

教科書の英文に「水田」が出てきた。どうも生徒たちの反応が鈍いから、もしや……と確認してみたところ、誰一人として白米の元が稲穂であることも、稲が水田に育つという事実も知らなかった。

外国籍の親御さんのもとに育った生徒も多い、小学校低学年から不登校の生徒も多い……という定時制高校ならではの特殊事情もあるのかもしれない。

でもキラキラした感性はあれど、水田というものを知らない今の若者たち……彼らに言葉を使ってどう日々の感動を伝えればよいのだろうか……自問しつつ、まずは私自身に旧暦の感性をたらしてみることから一歩。

「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」より「大八車の歌」を読む

甘粕事件について、この歌集で初めて知る。https://ja.wikipedia.org/wiki/甘粕事件

大杉栄だけでなく、産後間もない妻の伊藤野枝も、わずか六歳の甥っ子・橘宗一も、いきなり連行してすぐに殺害。裸にして井戸に投げ込んだ残虐さ。

指示したと見られる甘粕正彦の写真の穏やかな顔、甘粕の母の「子供好きだった」という言葉に、人間性を変えてしまう国家や権力の恐ろしさに慄然とする。

現代にも通じる国家悪への怒りがほとばしる歌に心うたれ、福島泰樹先生の歌を次に五首引用させて頂く。( )内は、歌の前に書かれていた説明の言葉。

「巨悪のテロルは常裁かれず」の言葉の重さよ……。

(橘宗一いまだ六歳 憲兵隊本部の庭に絶えし蜩)

大逆罪震災虐殺白色の 巨悪のテロルは常裁かれず

(大正十二年十月八日、第一回軍法会議)

逆徒大杉榮屠りし甘粕正彦は天晴れ国家に殉じし者よ

「國法」よりも「國家」が重い其の故に甘粕見事と言い放ちけり

(女らのいとけきかな奔放に生きしは井戸に投げ捨てられき)

裁判を暴け国家を、銃殺を命じし者らは猛く眠るを

(村木源次郎市谷刑務所で臨終)

さようなら縛られてゆく棺桶の 大八車の遠ざかりゆく

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を少し読む

屋形船おはぐろとんぼが語る徒然川の岸辺に咲くタキユリの群落。

美しい花の暴力的な生命……

生への不信……

生のすぐ近くにある死の気配……

そういうものが入り乱れた瞬間を切り取るのが丸山文学の魅力の一つだなあと思う。

まさに絶妙な均衡によって

気品の白に情念の赤を散りばめたその妖花の

むせ返るほど濃密な香りは

ゆるゆるの意識の深層に深く入りこんだ

獣的な粗暴さを刺激しそうな恐ろしい力を秘めながらも、

死を意識する頃に

生の不信のどん底に墜ちこみ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻317頁

屋形船おはぐろとんぼに向かって、国家を静かに罵り、宣戦布告をする徒然川。この怒りがこれからどう炸裂していくのだろうか……楽しみである。

国家の原汚い支配層によって欺かれつづけてきた人々の

口先ではない本当の怒りがはじまるのは

これからなのだとのたまい

為政者どもの良心を疑っているうちに

国家を相手に戦いを宣する

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻325頁

仁木悦子「赤い猫」を読む

不幸な生い立ちの娘が孤独なお金持ちの老婦人と力を合わせて母親殺しの犯人を突きとめ、シンデレラに……という展開。心癒されるという人もいるだろうけど、私には安易で、あまりに偶然に頼りすぎている……これでいいのだろうか。ほんわかしたムードはあるが、ありえない感の方が強い。

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