丸山健二「風死す」1巻を少し再読
ー「記憶の流れ」を追いかけているような文ー
以下引用文は、句のかかり方をおそらく意識的に飛ばしたり、不鮮明にしたりしているのだと思う。
その結果、記憶がゆらめく中で思考しているようにも思えて面白く感じた。
引用文の箇所は、どうもレイアウトが再現できず説明しにくいので、写真を掲載させて頂いた。
「果てしなく流れつづけよ」は、直後に続いていくようにも、あるいは「おのれにしっかり託された病的な使命は」に続くようにも思える。
どちらが続きの文なのかと選択することで、「果てしなく流れつづけよ」という言葉への意識が変わってくるのではないだろうか。
どこに続いているのか判断を変えることで、二つの意識がせめぎ合うような文ではないだろうか。
「行けるところまで行くしかない」という言葉も、前の「おのれにしっかり託された病的な使命は」に続いているようにも、あるいは「おのれにしっかり託された病的な使命は」にかかっているようにも、どちらにも取れるように、わざと書いている気がする。
「精神の全体を衝き動かす」も、前の「おのれにしっかり託された病的な使命は」に続いているようにも、あるいは「魚形水雷に似た何か」にかかっているようにも思える。
こんなふうにどっちとも取れる文を故意に散りばめることで、記憶の流れを行ったり来たり……している感じがする。
丸山先生は「風死す」を「記憶の流れ」と言われたが、まさに記憶の流れにふさわしい書き方ではないだろうか。
「果てしなく流れつづけよ」という 従属せざるを得ない分だけ実に嘆かわしく思える
そうなるとあとはもう 「正当化以外に何が考えられようか」とでも言うしかなく
存在そのものを無に帰せしめてしまうほどの 実に虚しい欺瞞を小脇に抱えて
行けるところまで行くしかない おのれにしっかり託された病的な使命は
精神の全体を衝き動かす 魚形水雷に似た何かを闇雲に求めた結果が
底なしの泥の沼に引きずりこまれて 漠とした戦慄に取りこまれ
(丸山健二「風死す」1巻141頁)