丸山健二「風死す」1巻を少し再読
ーイメージしやすい文もあれば、イメージし難い文もあって、いろんな風が吹いているような「風死す」の世界ー
煩悩を刈り取っていくという〈煩悩の富者〉のイメージは、煩悩だらけの私にはとても想像しやすい。
自分が刈り取られていくような思いで、以下引用文を読んだ。
使われている語彙も、「魑魅魍魎」「血みどろの闘争」「ぎらぎらした利鎌」「びゅんびゅんと揮い」「穀物のようにして横死をせっせと刈り入れ」と、おどろおどろしいイメージが具体的に浮かんでくる表現である。
この分かりやすい表現から4ページ後には、昨日書いた記憶の流れを刻もうとするような、不思議な、何度も繰り返してようやく見えてくる(?)文が現れる。
「風死す」の文のトーンは常に難しい訳でもなく、常に優しい訳でもない。
風が吹くように、文も自由自在に流れていると思う。その時の気分に合う文だけを反復しながら読んでもいいような気もする。
すると間もなくして 魑魅魍魎のたぐいのごとく なんとも妖しい雰囲気のみで存在し
いつものように自空間の鉄壁をいとも簡単に突き抜けて 勿然たる出現を呈するや
揺るぎない核心と 永遠化された卓絶性と 血みどろの闘争という幻影に
色濃く染め上げられた ぎらぎらした利鎌を びゅんびゅんと揮いながら
穀物のようにして横死をせっせと刈り入れる かの〈煩悩の富者〉は
いかにも大様な ざっくらばんな態度で弱者に手を差し伸べ
(丸山健二「風死す」1巻137頁)