丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』より「幸福は葉陰から覗くサクランボ」を読む
この章のタイトル「幸福は葉陰から覗くサクランボ」は一字だけ字余りだけど、五、八、五になっている……。
思わず脱線してサクランボを季語にした俳句を眺めてみる。だが、どうもしっくりこない……句が多いのは、日常的な風景のようでいて、実はちょっと高い果物だからなのだろうか。
その点「幸福は葉陰から覗くサクランボ」は、丸山先生の普段目にする光景から自然に出たような勢いがあって、心打たれるものがある。
「葉陰」も、「覗く」も、「サクランボ」も、それぞれの言葉が「幸福」のイメージを醸している気がする。
スノードロップやスノーフレークの花に囲まれている時の心境を記した丸山先生の文に、「幸福とはこういう状態であった……」と教えてもらう気になる。
名前にも、居場所にもこだわる自分の心を反省。「足取りも軽く故郷へと向かう若者の後ろ姿」が脳裏に浮かぶ心境に近づきたいもの。
そうした救済の意味を込めた小花に囲まれているうちに、自分の名前なんぞは必要に思えなくなり、さらには自分自身の居場所へのこだわりがたちまち薄れてゆくのです。
併せて、ねじくれていた思考が水平に戻りました。ついで、足取りも軽く故郷へと向かう若者の後ろ姿が、ぽっと脳裏に浮かびました。
丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』18ページ