丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ースペースには大切な意味があるのかも!ー
ーイメージが繋がるように言葉を散りばめてくれている!ー
以下引用は、「咎を小脇に抱えての流浪」(「風死す」1巻150頁)をしている主人公の心中を描写している箇所。
「咎を小脇に抱えての流浪」という言葉だけで、主人公の胸中が迫ってくる表現だと惹きつけられる。
引用箇所はとても心に残るものがあって、なぜだろうと入力した後もじっと眺めてリフレインしてしまう。
スペースにも大事な意味があるのかもしれない……という気がしてきた。
「究極の安らいの深層部に到達すべき」は、切言が響かなくなっているのに諦めずに語りかけてくる〈絶望の覇者〉の声のようでもあり、流浪を続ける主人公の声のようでもあり……。
「孤独な寂滅」が行の最後にくることで、次の「水面下に没して」というイメージが言葉より先に形成されている。
スペースがあることで「命の輪郭線が滲み」という深い言葉が、鮮烈に心に残る。
前の段落の「寂滅」という言葉に脳が刺激されて、次の段落の「地獄への道連れ」も、「かけそき楽の音」も、「穢土」も、どこか「寂滅」繋がりで結びついてゆく気がする。
前の段落の「海原」も、次の段落の「ゆるゆると」や「呑みこまれ」に言葉のイメージが結びつく。
だから少し難しいように思える文だけれど、丸山先生がイメージをさりげなく繋がるように言葉をばら撒いてくれているから、難破することなく文をたどっていける気がする。
〈絶望の覇者〉なればこその切言が胸に響かなくなって
究極の休らいの深層部に到達すべき 孤独な寂滅が
生の海原の水面下に没して 命の輪郭線が滲み
地獄への道連れにしてはあまりにも芳しくない
かけそき楽の音が空をゆるゆるとよぎって
何が成し遂げられるわけでもないまま
束の間の穢土の八方に呑みこまれ
(丸山健二「風死す」1巻151頁)