丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー主人公の心が乱れるところでまた素数が!ー
短歌の集まりの席でたまたま「風死す」を20代の方にお見せした。すると菱形のフォルムや左斜め下りのレイアウトや言葉に興味を持ってくださり「読んでみます!」との力強い言葉が。
ただし丸山健二を知らない20代に購入を勧めるには、いくら内容が良くてもちょっと値段に躊躇してしまうのが辛いところ。
それにしても丸山塾で学んだ方々が戸惑われる「風死す」に、短歌のお若い方がこんなにも素直に感嘆してくださるのはとても嬉しいし、「風死す」の読み方というものを考えてしまう。
そんなことを思いながら引用部分を眺めていたら、ここにも素数の文学・短歌(怒られてしまうだろうか……)と同じく素数が働いている気がする。
ただし短歌のように音に素数が働いているのでなく、文字数である。
主人公が〈絶望の覇者〉に戦いを挑もうとして苦しむ場面である。
自身へ目を向けすぎることを忌み
人界における各等級を黙殺し
困難や苦難など乗り越え
月遅れの正月に酔い
厭軍思想を愛し
限界に挑み
直接行動を
支持し、
(丸山健二「風死す」1巻147頁)
上記の文の各行の文字数を数え、行の終わりに記した。
自身へ目を向けすぎることを忌み(15字 素数でない)
人界における各等級を黙殺し(13字 素数)
困難や苦難など乗り越え(11字 素数)
月遅れの正月に酔い(9字 素数でない)
厭軍思想を愛し(7字 素数)
限界に挑み(5字 素数)
直接行動を(5字 素数)
支持し、(3字 素数)
(丸山健二「風死す」1巻147頁)
ポジティブな意味合いの行は素数で終わり、ネガティブな意味合いの行は破調になるのだろうか……素数でない数字で終わっている気がする。
丸山先生は、素数のことをいまだ解明されていない神秘の数字とも語り、行数を素数にこだわって書くことで文に抑制が生じるとも言われていた。
この箇所は、主人公が〈絶望の覇者〉と格闘する場面なので、素数にこだわることで主人公の葛藤に引きずられないように工夫された……ということはないだろうか?