丸山健二「千日の瑠璃 終結1」一月七日を読む
ー旗を睨む作者の姿が見えてくるー
一月七日は「私は国旗だ」と国旗が、しかも「旗竿の先端に黒いリボンを結んで弔意を表し」ている国旗が語る。
「千日の瑠璃」は、ある年を選び、曜日も実際の通りにしているそうである。
突然、弔意をあらわす国旗をあげることになった一月七日。その日にちにしても事実のままである。その日、国旗をあげることになったのはまほろ町だけでなく、日本中の至る所であげられたことだろう。
国旗をめぐる人々の反応の書かれ方も様々で面白い。「朝食も食べず」に家を飛び出して「作法通りに」旗をあげた役場の男。国旗の上げ方に作法なんてあるとは。知らなかった。
「人間ひとりが高齢のせいで寿命が尽きたという それだけのことではないか」と疑問をぶつける若者。
以下引用文。そんな一月七日の様子を見て、丸山先生の耳には国旗がこう語りかけているように本当に思えたのかもしれない。
道行く普通の人々に
いつの時代であってもおとなしく従ってしまう国民に
あるいは
戦争責任を鋭く難詰することなど
まずもって不可能な連中に対して、
「謹んで哀悼の意を表せ!」と
声高に叫んでやった。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結」396ページ)