丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十九日「私は観察だ」を読む
丸山先生を思わせる「まほろ町をこの世の象徴と見なして 執拗に凝視しつづける」小説家。その男に対して、「世一が加える観察」が語る。
丸山先生は普段から人をそっと観察すると言われている。観察は作品を書くためかと思っていたが、「他者のなかにおのれを捜して 気休めにしているのでは」と言う気持ちがあるのかもしれない……と知る。
自分に失望したり絶望したりするとき、他人を眺め、やはりおのれと同じような自分に気がついて安堵するのだろうか?
「お前もか」と余計悲しくなってきてしまいそうな気がしないでもないが。
仕事でなければ好んでするものかと言い、
そこで私は
本当にそれだけの理由で赤の他人のいっさいをつぶさに見たがるのかと
そう迫り、
さらには
もしかすると
他者のなかにおのれを捜して
気休めにしているのではないかと畳みこむ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』29ページ)