丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十七日「私は立ち話だ」を読む
「海の魚を行商する働き者の娘と これまた働き者の世一の母親」が雪の中でかわす「立ち話」が語る。
立ち話をする二人の姿も冷たい雪にまみれて真っ白。大町のどこかで見た風景なのだろうか、「商売道具の風呂敷」「干しカレイを納めた買い物」のリアルさが、続くふたりの切ない話をきりきり突きつける。
「この私までもが白く変わっていった」という立ち話の言葉どおりの、切ない二人である。
小止みなく降りしきる雪は
ふたりの全身はおろか
前途までをも白一色に塗り潰し、
娘が手にしている商売道具の風呂敷も白く
世一の母が干しカレイを納めた買い物袋も白く、
やがて
この私までもが白く変わっていった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』18ページ)
切ない事情を打ち明ける二人が嘘くさい存在にならないのは、以下に続く文のせいだろうか。人間とは切なくも、したたかな存在なのだと思う。
世一の母などは
丘がまるごと売れて入ってくる
相応の大金の件にはいっさい触れず、
娘は娘で
狂人扱いするしかない母親が
もうじき病死を迎えることを
けっして語らない。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』21ページ)
