丸山健二「千日の瑠璃 終結1」一月六日を読む
ーちっぽけなものを語りながら、大きな存在を忘れない視点にポエジーを感じるー
一月六日は「私は惑星だ」で始まる。「千日の瑠璃」の中でも一段と丸山作品の魅力が表れている箇所だと思う。
ものすごく小さくて猥雑な存在のまほろ町と対をなす「飽くことなく自転と公転をくり返す 水と罪の惑星だ」という大きな存在。小さなものを語りつつ、包み込む大なる存在を決して忘れることがない……という点が丸山文学の魅力の一つだと思う。大小のコントラストとが詩的なイメージを感じさせてくれる。
でこぼこした岩石の表面に
みずからを省察できないまほろ町を載せて
飽くことなく自転と公転をくり返す
水と罪の惑星だ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」390ページ)
以下引用文。そんな岩石惑星・地球が世一に語りかける言葉にもやはり同じような魅力がある。
さらに「回る」を繰り返すことで、恒星の動きから世一の駆け回る様子まで同一線上にある動きとして感じられてくる。たとえ片方は分子レベルの動きで、もう片方は星々の回転だとしてもだ。
私が輝ける恒星の周りを回るように
おまえはきらめく青い鳥を巡って存分に回るがいい、
私が回れなくなるまで回るように
おまえもまた回ることができなくなるまで回りつづけるがいい。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」392ページ)