丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月六日を読む
ーコーラに象徴されるものー
六月六日は「私は空き缶だ」で始まる。
以下引用文。「下請けのまた下請けの町工場へ働きに出かけた青年」のやるせなさ、夏の無情が一気に伝わってくる文である。
私は空き缶だ、
飲み干されると同時に
ひたすら夏へ向かって突き進む太陽めがけて
思いきり投げつけられた
コーラの空き缶だ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』194頁)
以下引用文。コーラは資本の象徴なのだろうか。そう思うと、コーラを放ったときの下請けで働く青年の憎悪、コーラが青年の胃袋で揺れている様子、そしてアスファルトを転がっていく様子が切ない。
されど
資本の力と同様
この世を支配する重力には到底逆らえず、
早くも溶けかかっているアスファルトの路面に落下して
からからと転がり、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』196頁)